市川浦安よみうり online

 読売新聞、日経新聞などを定期購読なさっているご家庭や事業所様などに、折り込みで毎週土曜日(月4回)にお届けしています。詳細は本紙をご覧ください。
 イベント告知、広告によるPRなどに、ぜひご活用ください。

□イス通じ、会話と居心地良い場所探し 浦安市×東京藝大アートプロジェクト(2024/12/28)
□市内の日常 純粋な目線で 759枚 小学生の写真展(2024/12/28)
□チームいちかわ市議 市議会内部文書を漏洩 市民からの修正要請で発覚(2024/12/21)
□境川の東野側に散策路 浦安市「かわまちづくり」(2024/12/21)
□「親業」を考える機会に 市川市就学時検診で子育て講演会(2024/12/14)
□内田氏3選へ出馬表明 来年3月の浦安市長選(2024/12/14)
□自分で作る朝ごはん 市川市小学生朝食選手権(2024/12/7)
□提灯と拍子木で「火の用心」 浦安市地域見守り運動(2024/12/7)
□市川市 市制施行の祝い歌 坂東太郎~天与の地~ 市域全体歌う1番の歌詞か(2024/11/23)
□昔の脱穀・籾すりを体験 浦安・弁天ふれあいの森公園(2024/11/23)
□市と自治会、各種団体が連携 浦安市総合防災訓練(2024/11/23)
□地域で楽しみ、関係づくり 富岡小お父さんの会 活動20年超(2024/11/16)
□戦時下の市川伝える19枚 「平和を見つめる写真展」 平和都市宣言40周年 20日まで(2024/11/16)
□ソフトバング4位指名の宇野選手 浦安市長に喜びを報告(2024/11/16)
□市川市90歳の誕生日 「卒寿の卒業式」も開催 市制発展と市民の健康祈る(2024/11/9)
□救命処置に消防長感謝状 浦安市消防本部(2024/11/9)
□町中華67年の歴史を事業承継 〝三代目〟は商大生 千葉商大正門前「萬来軒」(2024/11/9)
□6歳児が正式メンバーに 浦安D―Rocks(2024/11/9)
□市川市、ゆるキャラ以上の存在感 名前はないが人気者、その正体は 市制90周年記念イラストで大活躍(2024/11/2)
□一票の行方に戸惑い 衆院小選挙区 市川市域を二分 5区は3位まで比例復活(2024/11/2)
□大野の寿司店で古典落語 ~古今亭菊太楼師匠~ 市川市にゆかり 定期開催へ(2024/11/2)
□市川の児童6人が入賞 千葉の伝統郷土料理「太巻き祭りずし」デザインコンテスト(2024/11/2)
□子供と大人が仮装で交流 舞浜でハロウイーン(2024/11/2)

イス通じ、会話と居心地良い場所探し
浦安市×東京藝大アートプロジェクト


居心地の良い場所を探し、イスに座る子供たち

 浦安市は、東京藝術大学によるアートの力と市民参加で社会課題の解決に向けて取り組んでいる。

 同市が社会課題に位置付けているのは、「児童虐待の防止」「いじめの防止」「社会的孤立の防止」「ごみの減量化」「がん検診の受診率向上」「第1期埋め立て護岸の利活用」「5・5㍍道路の利活用」の7つ。

 21日には、社会的孤立の防止を目指したイスtoベンチプロジェクトが同市文化会館とその周辺で行われた。子供も含めて募集した参加者が木製のイスのキットを協力して組み立てながらコミュニケーションを図るとともに、自分にとっての居心地の良い場所を探った。浦安市出身、同大出身のアーティスト・佐藤桃子さんと横山渚さんは「自分にとって居心地が良い場所は他者にとっても良い場所だろう。つなげればベンチになるイスを自分に見立ててみた」と言う。

 同プロジェクトはこれまでに高洲公民館や駅ショッピングセンターでも開かれた。市民が作ったイスは、2025年1月18日から26日まで、各公民館や図書館などに置かれ、その意義が動画と文章で解説される見込み。  

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市内の日常 純粋な目線で 759枚 小学生の写真展


759枚の写真が学校ごとに紹介

 市川市内の日常の風景を撮影した「市川フォトフェスティバル 小学生の写真展」(市川写真家協会、市川市主催)が12月3日から9日まで、市川市文化会館で開かれた。

 会場には、学校ごとに759枚の写真がずらり。好きなものをストレートに表現した子供らしい作品が、700人近い来場者を魅了した。

 今年は、市制施行90周年の記念事業として市が共催し、100周年に向け、展示作品のうち約600枚が、市のデジタルアーカイブとして保存され、活用される。

 また、同時開催の市川写真家協会の写真展では、四季の景色をパネル作品にしたShun Shirai(白井俊一郎)さんの「わくわく!市川市の四季」を紹介。「市川の四季」は、29日から1月6日まで、道の駅いちかわでも展示される。

 小学生の写真展は、未来を担う小学生の身近な「わくわく」をテーマに募集した。

 学校ごとに50音順に並べられた作品は、海、街、森と広がる市川市を象徴するように、学校の地域によって、ハゼ釣り▽江戸川の河口域▽橋梁▽行徳の神輿▽タワーマンションと総武線▽葛飾八幡宮▽ひまわり畑▽梨と梨畑▽動植物園▽大町公園―などと多彩だ。

 同協会の池田弘之会長は「子供の目線で、自分の好きなものを作品にしているのが魅力。きょうだいでの登下校時の様子の写真も、まさに小学生ならでは」と話す。

 今年で19回目だが、ここ数年の特徴として、「スマホのカメラで撮影したものが増えたことで、タテ写真が多くなった」と解説する。

 市川市の魅力を発信する写真展。今年参加しなかった小学生や新1年生は、ぜひ来年、応募してみては…。  

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チームいちかわ市議 市議会内部文書を漏洩
市民からの修正要請で発覚


冨家議員が内部文書の漏洩に関して謝罪した13日の代表者会議

 市川市議会の会派、チームいちかわに所属する冨家薫議員が、9月定例議会を傍聴した市民が提出し、議会事務局がまとめた「傍聴者アンケート結果集計表」をもとに、この市民に接触し、記載内容について指摘していたことがわかった。市民が事務局に対し、異例の部分削除を要請して発覚した。集計表は、議会運営のために、事務局が匿名性を高めて整理した内部文書で、外部への漏洩は守秘義務に違反する可能性がある。税金で活動する公職にある市議の身勝手な行動は、有権者である市民を裏切る重大問題といえる。

 複数の議会関係者によると、冨家議員の情報漏洩問題は、10月17日に発生。同日開かれた議会運営委員会で、9月定例議会の「傍聴者アンケート結果集計表」を配布したところ、

 記入した市民からその日のうちに、記載内容の一部について、削除要請が事務局にあったという。

 ■不利な記載を

 市民からの削除要請は極めて異例で、タイミングも不自然なことから、稲葉健二議長による冨家議員本人からのヒアリングも含め、水面下で調査が行われてきた。

 関係者によれば、削除要請があったのは、冨家議員が過去に役員を務め、現在も運営に関わっている「塩浜こども食堂」に関する部分とみられる。運営上の寄付行為が、公職選挙法に触れる可能性があるため、暗に削除を求めた可能性がある。

 12月定例議会開会前日の11月28日の議会運営委員会で、情報漏洩事案として、会派、議員名匿名で報告され、12月10日の各会派の代表者会議でも、問題提起された。

 ■擁護の会派も

 議会内では、市議会の信用を失墜させる重大問題として、処分が必要との認識が複数会派にあった。しかし、この日の代表者会議では、冨家議員が所属するチームいちかわの代表が名乗り出て弁明し、一部会派が擁護する形で散会した。

 ■ようやく謝罪

 この際、本人や会派としての謝罪が行われず、事の重大さが理解されていないとして、代表者会議のメンバーでない議員が、説明と質疑応答の機会確保を求める申し入れを稲葉議長に提出。非公開で再度開かれた13日の代表者会議で、議長が厳重注意し、冨家議員が謝罪した。

 さらに、冨家議員は、16日の議会運営委員会にも出席し、「私と知人の会話に端を発し、知人がアンケートを修正するという行動を取る事態を招き、アンケートの匿名性が失われた疑いが生じることになった」と、重ねて謝罪した。

 これに対し、同委員会の細田伸一委員長は「傍聴者だけでなく、市民全体の市議会に対する信用失墜という事態を招きかねない前代未聞のこと。二度と本件のような事件を起こさないよう、市議会の信用を保持することに努めるよう注意する」と警告した。

 傍聴者アンケートの集計表は、今後の議会運営に役立てるため、傍聴者名などを黒塗りにして匿名にしたうえで、議会運営委員会で共有し、各委員が会派に持ち帰る。

 冨家議員は、会派内で閲覧後、回答内容から自身のことと認識したうえで、記入者側に連絡を取ったとみられる。

 ■無届車問題も

 冨家議員は、9月に、議会に届け出ていない県外ナンバーの高級外車で、市役所駐車場の議員スペースを利用していたことが発覚。市のイベントなどにこの車で参加し、市役所内でも問題視されていたことから、稲葉議長がヒアリングのうえ、注意した経緯がある。

 チームいちかわは、既存会派に入らずに、初当選組の3人で立ち上げた新人だけの会派。議会内にとどまらず、市の関係者からも、「教育係が必要」との指摘が多く出ている。  

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境川の東野側に散策路
浦安市「かわまちづくり」


境川の下流側を見られる展望デッキ

 浦安市内を貫く境川にさらに親しめるよう、市役所と市文化会館の対岸の東野側に散策路が設けられ、1日に開放された。

 散策路は、境川東水門のあけぼのばしのたもとから県の境川排水機場敷地を通り、護岸の管理用通路を湾岸道路下まで抜けられる。排水機場の部分はウッドデッキ調のスロープで、途中にはサクラが植わるベンチ付き展望デッキもある。

 管理用通路の先には来年3月オープン予定で境川公園を再整備中。同公園はこれまで樹木がうっそうとし、境川を眺められる造りではなかったが、樹木を減らして管理用通路と一体的な造りとし、ウッドデッキやベンチを設け、キッチンカーが入れるスペースも整備する計画。

 この散策路は、国交省の「かわまちづくり」支援制度で登録された「境川かわまちづくり計画」の理念に沿って整備。川のある風景を楽しめるようにハードとソフトの両面で整備が進められている。なお市は、散策路として整備していることから、自転車は押して歩くよう求めている。  

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「親業」を考える機会に
市川市就学時検診で子育て講演会


「親業」について講演した式場さん=鶴指小学校

 わが子の小学校入学を控え、「学校で友達と仲良くできるのか」「先生の話を聞き、きちんと勉強できるだろうか」と心配する親も少なくない。小学校は中高、その先と続く学校生活の第一歩。長男、長女であればなおさらだ。そうした不安に寄り添うため、「親業」について知る子育て講演会が、就学時健診に合わせ、市川市内の学校で開かれている。成長していく子供とのコミュニケーションのあり方を考えるきっかけとして、注目される。

 市立鶴指小学校で11月28日午後、来春の新1年生を対象にした就学時健診が行われた。子供たちが、健診から戻ってくるまでの待ち時間、「親業」インストラクターの式場敬子さんは「私は、イライラガミガミ母ちゃんでした。私の決めた通りに子供の時間管理をする。怒る母になろうとは思っていなかったのに、そんな毎日でした」と、会場の保護者に語りかけた。

 式場さんの正式な肩書きは、親業訓練協会シニアインストラクター。「親業(訓練)」は、米国の臨床心理学者、トマス・ゴードン博士が考案し、世界中で実践されているプログラムで、日本では1980年に親業訓練協会が発足。「聞く」「話す」「対立を解く」といった親子のコミュニケーション方法を伝える講演会や講座が全国で開かれ、多くの保護者が学んでいる。

 市川市や船橋市の学校、公民館をはじめ、千葉県内を中心に活動する式場さんは「子供の気持ちを理解し、親の思いが届く効果的なコミュニケーションを取ることで、子育ての迷いや不安が減り、子供の自主性を育む関わり方を学べる」と話す。

 その結果、学校で何かあったとしても、あわてて電話したりせずに、子供と向き合って親自身が「踏ん張る力」、また、子供に関しても、自分で考える力を育てることができるという。

 この日、鶴指小の体育館に集まった約50人の保護者は、格式ある家で義理の両親と同居していた式場さんの、「気合の入った」3人の子育て話や、親業のレクチャーの後、二人一組でロールプレイを実施。

 子供が、お気に入りの靴下がないと言い出した時に、どう対応するか―。

 「どれでもいいでしょう、別なのにしなさい」「いつも言っているのに、なぜきちんとしまっておかなかったの」「ないなら裸足で行けば」「困っているんだね。どうする?」など、命令、脅迫、説教、提案・助言、非難、同情・激励、尋問―といったケースを使い分け、受け手はどう感じるか体験した。

 式場さんも、自身の子育てに悩み、市川市の家庭教育学級に顔を出したことがあった。その頃、小学校の先生から勧められたのが親業の本だった。

 式場さんは「子育ては、幼児教育や入学、受験だけでなく、一生続くもの。『親業』について考えてもらえるきっかけになれば」と、話している。  

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内田氏 3選へ出馬表明
来年3月の浦安市長選


議会後、出馬について語る内田市長

 浦安市の内田悦嗣市長(59)は6日、来年3月の浦安市長選に、3期目を目指して無所属で立候補すると表明した。

 市議会第4回定例会の宝新議員(自民党・無所属クラブ)の代表質問で、アフターコロナの市政運営と次年度予算案について問われ、「浦安市がさらなる飛躍を遂げるため、施策事業の優先度などを見極めながら必要な財源を適切に配分するための予算を編成していくことが必要。市民一人一人が幸せを実感できる『人が輝き躍動するまち浦安』の実現に向け、市政運営のかじ取り役を引き続き担わせていただきたい」と述べた。同市長選への出馬表明は初めて。

 議会後の記者会見では、立候補について「コロナ禍で距離ができた地域コミュニティを再生し、今後10年20年先を考え、これまで種をまき、やっと芽が出てきた施策事業を推進していきたい。市民の生命・財産を、安全・安心を守っていくことが市政運営で一番重要。避難所に例えれば、認知症の高齢者の方や障害者の方に対して優しい街は強い街であり、強い街だからこそ人の優しさが培われていく」と説明した。

 2期目については、公約着手率は100%、達成率は73%と説明。今後の施策について、消防署舞浜出張所の整備、県立特別支援学校の2027年度開校に向けた県との協議、第1期護岸用地への緑道整備、ミニ区画整理などによる密集市街地解消、行政DXによる申請事務の簡素化などを示した。

 内田氏は1988年4月に浦安市役所入庁後、市議1期、県議3期を経て、2017年の同市長選で初当選。

 次の市長選は3月9日告示、16日投開票。  

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自分で作る朝ごはん
市川市小学生朝食選手権


学内の2カ所の調理室に分かれ、調理の腕を競った

 「早寝早起き朝ごはん」「自分の朝食は、自分で作れるように」。そんな思いを込めて、市川市小学生朝食選手権が、昭和学院短期大学で開かれた。1チーム3人で20組が参加し、栄養バランスや彩りを考えたレシピで、見た目もきれいでかわいらしい朝ごはんが完成。会場で審査し、表彰した。自治体レベルのこうした取り組みはめずらしいという。今回参加しなかった小学生も、冬休みを利用して、朝ごはんづくりにチャレンジしてみては…。

 「早寝早起き朝ごはん」は、子供たちの朝食習慣や生活リズムをつくる国民運動で、2006年に全国協議会が発足した。

 市川市小学生朝食選手権は今年15回目で、2016年度には文部科学大臣賞を受賞。コロナ禍の下でも、「献立表」の審査のみで開催した。

 市川シビックロータリークラブ主催、昭和学院短大共催で、同短大は調理実習室と調理器具の提供だけでなく、当日の安全、衛生面の監督や審査、「食育」の講演など、昭和学院理事長、短大学長、学科長ら大学を挙げて支援している。

 市川市と市教委が後援、市川商工会議所が協賛し、学校を通じての募集や審査、表彰に関わった。田中甲市長、勝山浩司教育長も会場入りした。

 11月24日の選手権当日は、9月から10月にかけて募集した書類の審査を通った24組のうち20組が参加し、男子の姿も。三角巾とエプロン姿の子供たちは、それぞれの食材を手に、緊張した面持ちで調理室に向かい、組ごとの調理台、レンジを使って調理を開始。15分もすると、肉や魚、卵に火を通すおいしそうな匂いが漂った。

 選考は、「忙しい朝のピクニック弁当」のテーマに沿って、主食、主菜、副菜、副々菜がそろっているか、食品群がバランスよく入っているか、後片付けも含めて1時間以内に調理できるかがポイント。

 調理への取り組みとチームワーク、衛生面と整理整頓、盛り付けも評価された。

 審査会場の食堂に並んだお弁当は、秋野菜を使ったものや、「90」の文字をあしらった市制90周年のお祝い、ひよこのちくわが「起きて朝ごはんを食べなさい」と言っているイメージ、手軽に作れてパクパク食べられる―など工夫がいっぱい。

 その中から、金賞の市川シビックロータリークラブ会長賞には、大洲小の5年生と3年生の「青菜やネギが嫌いな人でも食べられるように味付けし、卵焼きに入れて工夫した」弁当が輝いた。

 銀賞の市川市長賞には、八幡小5年生の野菜を使って彩りよく元気が出る「やっぱりピクニックにはこれ!」弁当が選ばれた。

 このほか銅賞として、昭和学院理事長賞、市川商工会議所会頭賞、市川市教育長賞が表彰された。

 昭和学院の山本徹理事長は表彰式で、「個性にあふれ、同じものがなかった。アイディア、見栄え、栄養バランスともによかった。他の人のよいところ、自分たちの特長を理解することができ、朝食選手権に参加できたことはみなさん幸せです」と講評した。  

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提灯と拍子木で「火の用心」
浦安市地域見守り運動


猫実四丁目自治会による拍子木とじゃらん棒を鳴らす昔ながらの啓発

 「火の用心」を広く呼び掛ける浦安市の「地域見守り運動」が11月15日から市内全域で始まった。来年4月15日まで続く。

 同運動は明治の大火を機に始まった「夜間路上禁煙運動」の流れで、タバコに限らず火の用心を訴える活動として名称変更した。15日には市内鉄道3駅周辺で啓発キャンペーンが行われ、消防団員や自治会員らがチラシやポケットティシュなどを帰宅する社会人や学生らに配布した。

 市内各地では、自治会員らが各地域で火の用心の啓発を実施。猫実四丁目自治会は、電灯式の提灯と拍子木、じゃらん棒(鉄の棒の上部の鉄輪に複数の鉄輪が付いた仏具の錫杖)を使った昔ながらの啓発を続けており、住宅街と東西線浦安駅周辺を細かく巡り、「戸締り用心、火の用心」と訴えた。  

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市川市 市制施行の祝い歌
坂東太郎~天与の地~
市域全体歌う1番の歌詞か


行進した道のりを紙に書いて説明する前田さん(中国分の自宅)

 11月3日に、市制施行90周年を迎えた市川市。ちょうど90年前、市制への移行を祝賀する「お祝いの歌」を歌いながら、学校から八幡の市役所まで行進した小学生たちがいた。その祝い歌について、新たな歌詞が22日までに明らかになった。当時、中山尋常高等小学校(現在の中山小学校)5年生だった101歳の前田進三さんが記憶しており、市内の自宅で自ら歌い、披露した。合併4町村の個々の情景でなく、市川市域全体を表す内容から、祝い歌の1番だった可能性がある。

■4町村合併
 市川市は1934(昭和9)年11月3日、東葛飾郡の市川町、八幡町、中山町、国分村の4町村が合併して誕生した。

 口承文芸学研究者で、市川市の市史編さん委員も務めた米屋陽一さん(78)は今年6月半ば、南八幡に住む松丸喜美子さん(98)のもとを訪ね、松丸さんが八幡小学校3年生の時に市制施行当日を迎え、みんなで祝い歌を大声で歌い、市の中心部を行進した話を聞いている。

 今回、前田さんによって新たにわかったのは、

《坂東太郎の 流れの清き 風光明媚 天与の地
歌えや歌え 声高らかに かがやく市川 市川市》
という歌詞だ。

 利根川を意味する《坂東太郎の 流れの清き》、また、《風光明媚 天与の地》と、広域の地理や成り立ちを表すことから、祝い歌の1番だったのではないかと、推測できる。

■中山小の行進

 前田さんは、現在の北区滝野川から、まだ家が一軒も建っていなかった鬼高に移り住み、中山小に入学した。

 家からは、共立モスリン中山工場(のちの日本毛織、現在のニッケコルトンプラザ)が見えた。当初は電気も通っていないランプ生活で、新川と呼ばれていた真間川で、アユが釣れたという。

 5年生の時、全校児童ではなく、歩ける子供たちだけで、中山小から京成電鉄の線路を超えて千葉街道(国道14号)へ出て、市役所まで行進したのをはっきりと記憶している。

■八幡の藪知らず

 一方、 東京・浅草から市川市に転居し、八幡小3年だった松丸さんは、集合場所の市役所から中山へ、中山で折り返して国府台方面、そして再び市役所へと歩いたという。

 米屋さんが訪れた際、松丸さんが口ずさんだ歌詞は、

知らずの森に そびゆる庁舎は わが市川のいしずえぞ
歌えや歌え 声高らかに かがやく市川 市川市》

 《知らずの森》は、現在も市役所の本庁舎前にある「八幡の藪知らず」のことだが、松丸さんは、歌が4番くらいまであり、《手児奈さまから》《真間山から》といったフレーズを覚えていた。

■町村ごとに歌詞

 米屋さんは、中山小(中山町)の前田さん、八幡小(八幡町)の松丸さんのほか、合併前の町村ごとに、松丸さんが覚えている《真間山》などが登場する市川町や、国分村を歌った歌詞があると考えている。

 前田さんの歌も、中山町の情景が含まれていないため、今回確認できたものとは別に、中山町の歌詞が存在することが推測される。
       ◇
 米屋さんは引き続き、市川市の市制施行の「祝い歌」の情報を集めている。米屋さん(米屋陽一民話・伝承研究室)のメールアドレスは、aurinkoy@gmail.com  

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昔の脱穀・籾すりを体験
浦安・弁天ふれあいの森公園


人力の脱穀機、杵と臼、唐箕で脱穀、籾すりをする子供たち

 コメの脱穀・籾すり作業の体験イベントが16日と17日、浦安市弁天ふれあいの森公園で開かれ、2日間で約50人の子供が参加した。

 同公園では住民ボランティア「ふれあいの森公園をはぐくむ会」が田んぼを設け、子供たちを募って古代米(赤米)を生育。代かきから田植え、かかし作り、稲刈り、天日干しなどを行っている。

 今回は、学校で稲を育てていても、なかなか体験できない人力の脱穀機と杵と臼、唐箕を使用。脱穀機では足で回すローラーに付いた突起で稲穂から籾を外し、杵と臼で籾を押しつぶして籾殻を外し、唐箕では風力で籾殻を飛ばして玄米を選別。参加した小学4年女子は「昔のことを体験したかった」、3年男子は「昔の機械が好き」と話し、何度も体験。手作業で選別した後に電動機による作業を見ると、「電動は楽だし、すっごく速い」と話し、感動していた。  

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市と自治会、各種団体が連携
浦安市総合防災訓練



自治会員が避難所開設運営訓練としてパーティション㊧やトイレ㊨などの組み立てを実施

 浦安市総合防災訓練が17日、市立見明川中と同見明川小で開かれた。市職員と、近隣自治会(見明川、弁天、今川)、消防団、自衛隊、医師会、企業など約40団体が参加し、日ごろの訓練を再現するとともに、協力・連携して行う訓練も実施した。

 発災時に必要なこととして参加者は、その場で姿勢を低くし、頭を守るシェイクアウト訓練を行うとともに、弾道ミサイル発射を伝えるJアラートを合図に地下、建物の中や陰に隠れ、身体を守る訓練を行った。

 同市の総合防災訓練の開催地は中学校で、毎年変更し、地域住民の参加型として実施。今回は5つの自治会自主防災組織が、避難所で利用するトイレやパーティション、段ボールベッドなどの組み立て訓練を行うとともに、製造・販売する事業者からアドバイスを受けた。参加者は「うちは訓練をしていないので良い機会だった」「市の要請で届くパーティションは通例1~2週間以内に届くと教わった」と話した。  

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地域で楽しみ、関係づくり
富岡小お父さんの会 活動20年超


お父さんが手作り窯でピザを焼く

宿泊用テント(奥)と食事用テント

カレーの調理と盛り付けもお父さんが担う

 浦安市立富岡小の富岡小お父さんの会(田畑成之会長)が20年以上活動を続けており、10月にはメーンイベントの親子キャンプが同小校庭で開かれた。活動は学校や自治会など地域ともつながり、男性の地域での楽しみ、関係づくりに役立っている。

 同会は2001年発足。お父さんによる星の観察会開催の要望、また、学校による校内LAN整備協力の呼びかけなどをきっかけに、「せっかく集まった」と感じたお父さんたちのアイデアで「校庭DAYキャンプ」を開催。これが親子キャンプ、同会の結成へとつながる。

 その他の活動は、それぞれの趣味や仕事、アイデアを生かし、フリーマーケットや高座の開催、国際宇宙ステーションとの交信、お母さんと子供への恩返しのクリスマスパーティーなど幅広い。学校では運動会などの準備、窓ふきや枝切り、プール清掃などを、自治会では祭などイベントの準備や出店などを担い、「境川にこいのぼりを泳がせよう」などの地域イベントも手伝う。子供とお父さんが「ワクワクする」ことを大切に取り組む。第2代会長で、いまも積極的に携わる杉本敏之さんは「お父さんが楽しみながら力を発揮できる、格好いい姿を見せられるのが魅力。小学校とお母さんたちの理解、協力のおかげできている」と言う。

 コロナ禍を除いて継続してきた親子キャンプでは、テントを張り、手作り窯でピザを焼き、校庭ではキャンプファイヤー、体育館では障害物をクリアするアトラクション、校舎内では肝試しを設け、子供たちを楽しませる。遊びながらの防災訓練の面もある。運営側として参加する中学生から社会人までの卒業生もおり、ある20代の女性たちは「家族や友達とワイワイ過ごせる非日常で貴重な体験だった。いまの子供たちにも味わってほしい」と言う。

 同会各行事への参加は強制ではなく、興味があるものに都合の合うときに参加することが原則。子供が卒業後に継続して参加するお父さんもおり、会員は200人を超える。杉本さんは「ここは子供にとって地元、お父さんにとっては第2の故郷。男同士、同じ地域で年代関係なく付き合える。楽しいから頑張れ、つながりは強くなる」と魅力を語る。  

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戦時下の市川伝える19枚
「平和を見つめる写真展」
平和都市宣言40周年 20日まで


小島染雄さんが撮影し、今回公開されているうちの1枚「出征兵士を見送るー松戸街道」

市川市に資料を提供したIPEC代表理事の田中正文さん

 市川市役所2階エレベーターホール前で、市主催の「平和を見つめる写真展~戦時下の市川~」が開かれている。一般社団法人の市川市平和教育推進会議(IPEC)が、市川歴史博物館に保管されていた記録写真と、市内の写真家が所有する同じく写真家の父、小島染雄さんが撮影したものを借り受け、展示用に大型パネル化し、市に提供した。市の平和事業の一環で、19枚の写真が平和の大切さを訴えている。

 IPEC代表理事の田中正文さん(65)によれば、IPECは、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下、沖縄の地上戦などに比べ、あまり語られてこなかった「市川と戦争」に焦点をあて、写真や証言の収集と保存を進めている。

 今回の展示のうち、市川歴史博物館の写真は2017年当時、同館の協力で、公開されずに館内で保管されていたものからIPECメンバーが選び、パネル化した。

 出征し、戦地も経験した小島さんの写真とともに、「軍隊の町―市川」「市川を襲った空襲」「銃後の人々」「出征―市川から戦地へ」という4つの視点から、国府台駅付近を行進する兵隊や、被災した市内各所、千人針のお願い、防空、防火訓練、大日本国防婦人会、春日神社の出征式、市川駅での見送り―などの様子を展示。

 田中さんの説明分を加え、けして無縁ではなかった「市川と戦争」について、伝えている。

 18年夏には、市川市文化会館で同名の写真展を開催し、写真家でもある田中さん自らが、太平洋戦争の激戦地パラオで撮影した戦争遺跡などとともに、展示した。

 田中さんは今回の写真展を通じ、「自分の町のこととして、戦争のことを知ってもらいたい。平和には実態はなく、戦争の対極にあるのが平和。ぜひ、説明文を読み、その写真の意味を理解してほしい」と話している。

 写真展は、日曜日を除き、20日まで(午前9時から午後8時)。

 今年は、1984(昭和59)年の市川市の「核兵器廃絶平和都市宣言」から40周年にあたり、市では平和啓発事業を展開している。  

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ソフトバング4位指名の宇野選手
浦安市長に喜びを報告


内田市長(左)と記念撮影する宇野選手

 プロ野球・福岡ソフトバンクホークスにドラフト4位指名された浦安市出身で早稲田実業高等部の宇野真仁朗選手が5日、浦安市役所を訪れ、内田悦嗣市長に報告した。

 野球好きの内田市長は「プロになる夢を叶え、おめでとうございます」と語り、報告を喜んだ。宇野選手は「(4位よりも)早く呼ばれたかったが、小学4年から野球を始め、夢だったプロの世界に入れる。走攻守、特にバッティングが武器なので、トリプルスリーを狙いたい。そして、成績だけだけでなく人格も含めて一流の野球人と呼ばれる選手になりたい。これから、特に同級生が大卒でプロ入りするまでの4年間が勝負」と語った。  

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市川市90歳の誕生日
「卒寿の卒業式」も開催
市制発展と市民の健康祈る


1935(昭和10)年3月竣工の市役所庁舎

現在の庁舎に建て替わる前まで使われていた1959(昭和34)年6月竣工の庁舎

卒寿の卒業式では、卒業証書を手に涙ぐむ姿も

記念式典の最後を盛り上げた行徳神輿


記念式典では、パリ2024パラリンピックでの羽賀、辻内両選手の活躍に、市民栄誉賞が授与された

 市川市は3日、90歳の誕生日にあたる市制施行90周年を迎えた。記念式典は、市の象徴の一つである行徳神輿で90周年を祝ったほか、前日には、終戦直後の混乱期に小学校を卒業した市川市と同じ90歳の市民を対象に、「卒寿の卒業式」を開催。手にした卒業証書を見つめて涙ぐむ卒業生もいて、会場の涙を誘った。「健康寿命日本一のまち」を目指す市川市。祝辞や卒業生あいさつでは、「市制とともに100歳、そしてその先まで」との思いが語られ、市川市の発展と市民の健康を祈った。

 ■八幡VS市川

 市が発行する「広報いちかわ(2024年1月1日号)」によれば、「市川」の地名は、江戸川が坂東(関東地方)で1番大きな「一の川」と呼ばれていたこと、川船が集まり、市場が開かれた場所だったこと―などに由来するという。

 1934(昭和9)年11月3日には、東葛飾郡の市川町、八幡町、中山町、国分村が合併し、市川市が誕生した。

 大柏村や行徳町、南行徳町が編入されるのは、1949(昭和24)年から1956(昭和31)年にかけてだ。さらに、1963(昭和38)年以降、埋め立てによって臨海部に市域が拡大した。

 ちなみに、市役所が本八幡にあるのは、市川町の希望で市名を市川にする代わりに、庁舎は八幡町に置くことで、各町で折り合ったためらしい。

 ■卒業証書

 全日警ホールで2日に開かれた「卒寿の卒業式」には、44人の卒業生と家族、対象の小学校の現役校長のほか、当選証書を手にしたばかりの自民党、立憲民主党の衆院議員らも出席し、お祝いの席を盛り上げた。

 式では、国歌斉唱と八幡小学校児童の合唱に続き、78年ぶりの卒業証書が授与された。

 勝山浩司教育長が、着席している卒業生を一人ひとり回り、名前を読み上げて卒業証書を手渡すと、証書に何度も目を通し、涙を流す姿も見られた。

 勝山教育長は式辞で、「みなさんは市川市の歴史そのもの。戦後の復興に尽力されて来られたことを私たちは忘れません。本日の卒業式は、戦時下で、きちんとした小学校生活を送れなかったみなさんへの市川市からの贈り物です」とあいさつ。

 八幡小学校卒業生の岡野谷守利さんが卒業生を代表し、「食糧難で、空腹で授業に集中できなかった」「警戒警報のサイレンが鳴ると逃げ帰った」思い出などを語った。

 岡野谷さんはまた、田中甲市長、稲葉健二市議会議長が祝辞で、「健康寿命日本一のまち」のスローガンに触れたのに対し、「(その目標の)実践者として、これからも健康で生活したい」と誓った。

 式の最後には、南行徳中学校の吹奏楽部が「仰げば尊し」や「蛍の光」を演奏し、ハンカチで目頭を押さえる卒業生や、家族の姿が印象的だった。

 ■神輿でお祝い

 3日の「市制施行90周年記念式典」は、市川市文化会館に顕彰者1200人、来賓、招待者300人を集めて開かれた。

 式典では、9月に名誉市民に決定した全日警創業者の片岡直公氏と、作家の中津攸子氏に対する顕彰と、パリ2024パラリンピックの車いすラグビー金メダルの羽賀理之選手、水泳女子100㍍自由形銅メダルの辻内彩野選手への市民栄誉賞授与が行われた。

 また、「行徳の神輿文化と祭礼」について、市の無形民俗文化財への指定が発表され、檀上で行徳神輿の「差し」や「地すり」「放り受け」といった「行徳揉み」を披露。最後は、白装束の担ぎ手とともに、三本締めで式典を締めくくった。  

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救命処置に消防長感謝状
浦安市消防本部


消防長の感謝状が贈られた

 浦安市内の体育館で救命処置を行った60~80代の男女に10月29日、浦安市消防本部から消防長感謝状が贈られた。

 事案は7月7日午後1時台、市内体育館で発生。卓球サークル活動中、女性(70代)の意識・呼吸がないことに気づき、熱中症を疑ったことから、119番通報をしつつ、冷却剤とぬれタオルで体を冷やし、胸骨圧迫などの救命処置を協力して行った。女性はその後、病院に搬送され、現在は社会復帰している。

 市消防本部は「いざというときに人の命を助けられるように、毎月3回、平日と土・日曜日に行っている救命講習をぜひ受けてほしい」と言う。  

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町中華67年の歴史を事業承継
〝三代目〟は商大生
千葉商大正門前「萬来軒」


生まれ育った店を託す藤ノ木さん(左)と、〝三代目〟の芹澤さん。店の再出発にふさわしい、二人の表情が印象的だ

 千葉商科大学の4年生が、大学の正門前で67年間、親子二代で営業を続け、2年ほど前から休業していた町中華の店「萬来軒」の事業を承継し、学生主体の店として営業していくことになった。1日のオープンには、この店で生まれ育ち、親の代からの店を守ってきた二代目店主の藤ノ木政勝さん(61)と今井重男副学長も参加してテープカットが行われ、再出発を祝った。

 萬来軒は、2028年に100周年を迎える千葉商科大学の歴史とともに歩んできた。

 自らも同大OBである今井副学長は「67年前に開店し、今回、第二の開店を迎えたことは感慨深い。学生や教職員にとっては大学の『オフィシャルレストラン』だった」と笑いを取ったうえで、「これからも10年、20年と続いて、学生や教職員の胃袋を満たしてほしい。ディナーの焼酎やビールにも興味がある」と締めくくった。

 事業承継を企画し、実質的に経営を引き継いだのは、商経学部4年の芹澤孟さん(22)。

 芹澤さんは、受験生として訪れたオープンキャンパスで、学生ベンチャーの活動に興味を持ち、2年生だった21年11月から3年生の23年1月末まで、学内の食堂スペースで、中華料理の学生ベンチャー食堂「新天地」を開いた。

 ラーメンやテイクアウトの中華料理を提供して人気を集めたが、23年春からの芹澤さんの台湾留学で閉店した経緯がある。

 「留学から帰国したら再開してほしい」という学生たちの声があり、模索した結果、たどりついたのが、藤ノ木さんの体調不良で休業中だった萬来軒の再開だった。台湾でも、食を通して経済的に苦しい家庭の子供たちを支援するイベントを経験し、今回も、「再開の要望になんとか応えたいと思った」という。

 大学を通じて交渉し、大学の関連会社の出資も得て、ハード面では、壁紙を張り替えたり、照明をLEDに交換したりした。運営面は、大学の学食で長年働いていた調理師を店長に、また、学内や近隣でアルバイトを募集し、ローテーションを組んだ。

 肝心のメニューは、昔からの常連客もいる藤ノ木さんの味を大切にしながら、みそラーメンの味噌をブレンドにしたり、若者向けのメニュー新たに加えたりした。

 〝三代目〟の店開きの直前、店の前で藤ノ木さんは「店を手放すのは複雑な気持ちだったが、事業承継が決まってから、芹澤さんがよくやってくれているのを見てきた。陰ながら応援している」と話し、芹澤さんは「まだまだ教わることがたくさんある。これからもお願いします」と笑顔で返した。

 芹澤さんは卒業後、中小企業向け金融機関への就職が決まっており、事業継続可能なスキームを構築して、現役学生に引き継ぐ計画。大学側も、教育の一環で、学生主体の経営と運営を全面的に支援するという。  

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6歳児が正式メンバーに
浦安D―Rocks


(左から)下沖社長、ユニフォームを着た瀬戸口君、本郷選手

 ジャパンラグビーリーグワンのディビジョン1に返り咲いた浦安D―Rocksに4日、病気療養中の瀬戸口長勢君(6)が入団した。病気で長期療養を必要とする子供のスポーツチーム入団事業「TEAMMATES」(NPO法人Being ALIVE Japan)に同チームが賛同。受け入れは昨年度に続き、瀬戸口君で2人目。瀬戸口君は股関節の病気のペルテス病で、完治まで数年かかる。

 4日には入団会見が開かれ、契約書に調印し、本人希望の背番号「7」と「NAGASE」の名前が入ったユニフォームが贈られた。下沖正博社長は「2年間の活動が瀬戸口君の勇気につながってほしい」、CTB本郷泰司選手は「一緒にラグビーをすることが楽しみ」と歓迎。瀬戸口君は今後、練習やファンサービスなどに参加していく予定。  

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市川市、ゆるキャラ以上の存在感
名前はないが人気者 その正体は
市制90周年記念イラストで大活躍




 あす3日に市制90周年を迎える市川市。90周年を記念し、この1年間、市のイベントや事業で活躍してきたかわいらしい、市川市ゆかりの動物のイラストはご存じでしょうか。梨の帽子をかぶっているものいないもの、あごのフェイスラインがあったり、なかったり、あまり見かけない全身バージョンも実は存在する。ゆるキャラ風だが、市のマスコッキャラクターではなく、名前もない。とはいえ、架空の生き物でもないその正体は…。

 ■生みの親は

 市のマスコットキャラクターではないため、着ぐるみなどもなく、イラストとして描かれているだけなのだが、かなりの存在感がある。

 イベントや記者会見のたびに設置される市制90周年記念のパネルには、レッサーパンダと一緒に気球に乗っている姿で登場し、子供たちに配られる缶バッジは大人気だ。

 商店街の店舗などに立てられているデジタル地域通貨ICHICOののぼり、いちかわかるた、最近では125㏄以下のバイクのオリジナルナンバープレート、「い・ち・か・わ・に・さ・あ・ゆ・こ・う」というオリジナルフレーム切手にも、採用された。

 イラストは、広報広聴課の政策プロモーショングループのデザインチームが制作したもので、その正体は、市川市動植物園の小獣舎にいる人気者、コツメカワウソだ。

 遊具の水路で遊ぶ「流しカワウソ」として人気を集めた中で、最後まで動植物園にいたナオは昨年9月に亡くなったが、今も小獣舎には妹のマロン、弟のコロンがいる。

 ■誕生秘話

 原型とも言える誕生時のイラストは、流しカワウソをデザインしたものだった。コロナ禍初期の2020年5月、市の公式Webサイトのトップページと、新型コロナウイルス対策のページに初めて登場した。

 コロナ禍の不安な時期、24時間対応のチャットボットで質問しようとWebサイトを開くと、遊具を流れるかわいらしいコツメカワウソが目に留まった。

 生みの親であるデザインチームの女性職員は「コロナ禍初期のピリピリとした雰囲気を和らげたいと考えた」と、振り返る。動植物園まで足を運び、デザインしたという。

 水に濡れるため、服も帽子も身に付けていなかったが、その後、「市川市感染ナシ宣言」では、シャツを着て梨の帽子をかぶった。

 そして、ちょうど1年前、大洲防災公園で開かれたいちかわ市民まつりで、気球に乗るレッサーパンダとペアの市制90周年記念のイラストが、お披露目された。

 ■変幻自在

 基本デザインが誕生した後は、デザインチームのメンバーが、媒体に応じてイラストに変更を加えている。

 かるたと、ナンバープレートは目、鼻、口だけで、ナンバーは省スペースのためか、二重あごのようなフェイスラインはない。

 ICHICOは梨の帽子なしで、他にも、あまり見かけないが、スーツ姿で足元まで描かれているものもある。ちなみに、かるたは44枚あり、動植物園の動物がすべて登場する。

 動物たちの〝育ての親〟でもある市川市動植物園の水品繁和園長は「人気のコツメカワウソ、レッサーパンダだけでなく、園の動物たちを市の情報発信で取り上げてもらい、うれしく光栄なこと」と、イラストに採用された動物たちとともに、喜びを語っている。

 コロナ禍で初登場 感染ナシ宣言 スーツ姿の全身もあるよ いちかわかるた 街で見かけるICHICOののぼり オリジナルナンバープレート 会見場ではいつも一緒  

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一票の行方に戸惑い
衆院小選挙区 市川市域を二分
5区は3位まで比例復活


小選挙区敗北についておわびする英利氏(28日未明、八幡の事務所)

 10月27日に投開票された衆院選は、千葉4区、5区ともに、小選挙区で立憲民主党が議席を確保した。自民党元職、前職が接戦を展開したが、選挙戦終盤に、党が非公認候補側に2000万円の政党交付金を支給していたことが発覚して失速。5区の英利アルフィヤ氏は、比例で復活して再選を果たし、市川市が地盤の唯一の代議士として議席を守った。ただ、市川市は区割りで市域が二分され、5区では得票数3位の候補まで比例復活するなど、一票の行方がよく見えない結果になった。

 衆院選は、候補者に今後の国政運営を託す選挙だ。地域への利益誘導を期待するものではないが、市民や自治体にとって、国政へのパイプを担う議員は必要だ。防災、減災対策の面でも、地元議員の存在は大きい。

 しかし、市川市は、4区が市川市域よりも有権者数の多い船橋市の一部と、5区が浦安市と一緒の選挙区で、地元議員を生み出しにくい構造がある。

 英利氏の出陣式には、市川市の田中甲市長から激励のメッセージが届いたが、地元議員に対する再選への期待の裏付けともいえる。

 □現職不利□

 ただ、自民党が自ら仕掛けた石破政権発足後の早期解散によって、2023年の衆院補選初当選以降、地元の組織固めが進んでいなかった英利陣営の出遅れは、否めなかった。

 加えて、千葉県内で根強い支持のある首相経験者の野田佳彦氏の党代表就任も、立民の勢いにつながった。

 それでも、英利氏は、立民の矢崎堅太郎氏との接戦の末、惜敗率で比例復活を果たしたが、4区の自民、木村哲也氏は、14区に移った野田票を引き継いだ立民の水沼秀幸氏に大きく離され、比例復活もかなわなかった。

 □英利事務所□

 27日深夜の英利事務所は、立民躍進、自民苦戦の報に、重い空気が流れた。

 日付が変わってまもなく、矢崎氏の当確が伝えられると、英利氏は「(衆院補選から)1年半育てられ、ともに歩み、選挙戦も地元の方を中心に戦えたが、小選挙区で市川代表、浦安代表として勝ちに至らなかったことをおわび申し上げます」と頭を下げた。

 □応援も分散□

 4区は、水沼氏が9万0011票のうち6万4193票、木村氏が6万6629票のうち4万3199票を船橋市域で獲得した通り、票のボリュームゾーンは船橋。水沼、木村氏ともに地盤も船橋だ。

 5区に関しても、矢崎氏の地盤が浦安市ということで、主戦場が浦安にシフト。県議、市議の応援も船橋、市川北部、南部、浦安と分散を余儀なくされた。

 さらに今回、5区は、矢崎、英利氏に次いで得票数3位の国民民主党、岡野純子氏までが比例で復活当選した。1選挙区で3人当選という、かつての中選挙区のような状況も、有権者には戸惑いとして残る。

 見えにくい一票の行方が、今後の国政選挙の投票行動にも、影響を及ぼす可能性がある。  

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大野の寿司店で古典落語
~ 古今亭菊太楼師匠 ~
市川市にゆかり 定期開催へ


間近で芸を楽しめるのも、お店での寄席の魅力

(左から時計回りに)桐ヶ谷さん、師匠夫人の晶子さん、菊太楼師匠、米屋さん、政竹さん

 市川市南大野の寿司店で10月22日、地元にゆかりのある古今亭菊太楼師匠(56)を招いた落語会が開かれた。大野地区での開催はめずらしい。師匠の長年のファンも集まったが、導入のまくらや演目は、初心者でも親しめるものを選び、30人近いお客さんが、12畳の座敷に設けた高座から繰り出される古典落語の魅力と笑いに酔いしれた。

 舞台は、JR武蔵野線市川大野駅から徒歩15分ほどの喜久寿司で、「喜久寿司寄席」と銘打った。

 縁をつないだのは、市川市の口承文芸学研究者、米屋陽一さん(78)。米屋さんが、菊太楼師匠の知人である説経節の政竹さんの公演に足を運んだのが、きっかけだ。

 米屋さんは地元の喜久寿司の常連で、店の大将の桐ヶ谷洋平さんも、貸し切りにして応援してくれた。

 そもそも、師匠と政竹さんは、2020年から始まったコロナ禍で公演ができなくなった苦しい時期、YouTubeの動画配信について相談し合うなどして、交流するようになった。

 コロナ禍後も、お互いの公演案内のチラシを置き合う関係が続いていて、政竹さんは喜久寿司にも訪れ、寄席を盛り上げた。

 師匠は、長崎市生まれだが、父の仕事で大野に来て3歳まで暮らし、市外に出た後、北国分で小学校から中学卒業まで過ごした。

 小学校時代は野球に夢中になり、クワガタやカブトムシを探しながら下校した通学路には、小説家で劇作家の井上ひさしさんや、漫画家の本宮ひろ志さんの自宅があったのを覚えているという。

 師匠は、市川市の地域FM局への出演や、中国分の老人福祉施設での落語会など、「気づけば、自分が育った市川での仕事が多くある。長い人生の中で、これも縁なのかもしれない」と話す。

 寄席の前に演目をたずねると、「お客さんを見て決める」と語っていた師匠。この日は、初めての顔ぶれを意識し、気長と気短な幼馴染みが登場する古典落語の「長短」と、蕎麦の屋台で起こる滑稽な噺で知られる「時そば」を演じた。

 まくらでは、落語の楽しみ方を題材に、面白おかしく客席を惹きつけた。演目に入ると、その語り口だけでなく、扇子や手ぬぐいを使う所作を間近に見ることができ、座敷や店の椅子席まで埋まったお客さんを魅了した。

 師匠と政竹さん、米屋さん、桐ヶ谷さんで、「喜久寿司寄席を定期的に開こう」と意気投合し、これからは、政竹さんの説経節も含め、さまざまな演目が楽しめそう。

 高座の後には、師匠も参加しての懇親会もあり、演芸場とは違う寄席を楽しんだ。  

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市川の児童6人が入賞
千葉の伝統郷土料理「太巻き祭りずし」デザインコンテスト


表彰式に参加した市川市の受賞者

(左から)デザインを基に作られた太巻き祭りずしの「にじアイス」「千葉県のマキ」「ちょうと花」「ただのヒツジ」「シマエナガ」「くらげ」

 千葉県内の伝統郷土料理の一つに「太巻き祭りずし」がある。主に農村部の冠婚葬祭時のごちそうで、さまざまな色の食材を組み合わせて巻き、切り口に図柄が浮かび上がる。その図柄のデザインコンテスト(主催=千葉県、千葉伝統郷土料理研究会)の表彰式が10月5日に千葉市内で開かれ、市川市立小の児童6人が受賞した。

 同コンテストは、太巻き祭りずしとその伝統技術を次世代につないでいくことを目的に開催。今回の応募(1人複数可)では、キャラクターものではない新作のデザインで、小学生449件、中学生580件が集まった。

 審査は書類選考を経た後、同研究会員が実際に巻いたもの=写真㊦=で最終選考した。

 大賞を受賞した皆川真歩さんは応募にあたり、「いろいろな世界の人に和食や太巻き祭りずしがおいしいことや有名なことを伝えたい」としている。

 受賞した市川市の児童とその作品名は次のとおり。 〈敬称略〉

 ▽大賞=皆川真歩(南行徳小)「ちょうと花」
 ▽準大賞=大山雪咲(中国分小)「千葉県のマキ」
 ▽優秀賞=星野允(中国分小)「シマエナガ」、姉崎孝太(同小)「にじアイス」、桑原華(南行徳小)「ただのヒツジ」、山縣真結子(若宮小)「くらげ」  

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子供と大人が仮装で交流
舞浜でハロウイーン


大人も仮装をして子供たちにお菓子をプレゼント

 「トリック・オア・トリート!」――。地域住民の協力を得て行うハロウイーンイベントが10月20日、浦安の舞浜三丁目子ども会主催で行われ、子供たちは袋一杯のお菓子を笑顔で携えていた。

 参加した中学生以下の子供たち約60人はディズニーやハリー・ポッター、ミニオンズ、スーパーマリオ、魔女や骸骨などの衣装をまとって集合。ほとんどは既製品の衣装だが、フェルトで手作りしたジャック・オー・ランタン(カボチャ)をまとった子供もいた。

 子供たちは2グループに分かれ、お菓子のプレゼンターとして有志参加した約30軒を半数ずつ回り、声をそろえて呼びかけ、お菓子をもらった。あるプレゼンターは「私の子供はもう大きくなったが、元気でかわいい子供たちが地域にいっぱいいてうれしい。一緒に過ごせて、お菓子を用意したかいがあった」と話していた。  

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