市川浦安よみうり online

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行徳・浦安三十三カ所霊場巡り
行文懇が昭和に復活 35回目開催
江戸開創―明治廃霊場の歴史越え


桜のまだ残る1番札所の徳願寺。山門前で、峰崎進会長が霊場巡りについて説明した

2日目の最終地点、33番札所の大蓮寺で記念撮影する参加者

霊場巡りの復活当時、行文懇が納めたものとみられる札所の看板

峰崎進会長らとともに長年、行文懇の活動を支えてきた前会長の田中愛子さん(4番札所の自性院)

伽藍整備で市川市景観賞を受賞した18、19番札所の徳蔵寺境内

 古くから塩田が広がり、江戸時代には成田山詣での街道の起点として栄え、小江戸の雰囲気を残す行徳。徳川幕府の天領になってからは、「行徳千軒寺百軒」と言われるほど多くの人が集まり、寺ができ、「行徳・浦安三十三カ所観音霊場(札所)」が開かれた。明治時代に霊場巡りは途絶えたが、行徳郷土文化懇話会(行文懇)が、歴史を紐解いて1984(昭和59)年に復活させ、以来、徒歩巡礼は今春で35回目を数えた。

 ■23人の参加者と

 小江戸とよばれる街並みや、古刹を訪れるのが人気だ。行文懇の霊場巡りも同様で、昨年は定員オーバーで諦めた人たちが、1年待って参加するほどの人気ぶり。

 そうした中で、4、5月をまたぐ3日間の日程の初日と2日目、23人の参加者に同行させてもらった。

 長い歴史を思えば、極めて簡単な説明になるが、行徳・浦安三十三カ所観音霊場巡りは、1番札所の徳願寺の十世覚誉上人が、各寺に木彫りの観音像を配ったのが始まりと、伝えられている。

 神仏分離令が出された明治時代には廃霊場になり、戦火で焼失したり、水害に遭ったりして失われた観音像も多い。現在も、1877(明治10)年に建てられた旧家に住む行文懇前会長の田中愛子さん(86)は「行徳は米軍のB29爆撃機の通り道で、伝わっている以上に大きな被害を受けた」と話す。

 廃寺によって統廃合され、2カ所の札所を兼ねている寺もある。明治、大正、そして戦後30年以上も途絶えたままの霊場巡りだったが、行文懇が文献を掘り起こし、聞き取りし、復活させた。

 記憶も失われていて困難を極めたが、復活の際には、1番から33番まで札所の看板もつくり、各寺に納めた。

 ■1番札所徳願寺

 初日の4月13日、集合場所になった1番札所の徳願寺にはまだ、桜の花が残っていた。 徳川家康が帰依した浄土宗の寺で、屋根瓦などに徳川家の三つ葉葵の御紋が施され、本堂には、歴代将軍の位牌が安置されている。

 行文懇会長の峰崎進さん(76)によれば、「徳川家の菩提寺である増上寺の影響で、浄土宗の寺が多く存在し、中山法華経寺から広がる日蓮宗の寺は、行徳辺りを境に姿を消す」という。

 ■3日間の小旅行

 初日は❶本行徳の1番札所の徳願寺~押切の21番札所の光林寺の12寺、翌週の2日目は❷湊の22番札所の法伝寺~浦安の33番札所の大蓮寺の12寺、5月の最終日は❸江戸川の行徳橋北詰め先の9、10番札所の雙輪寺~番外の船橋市の藤原観音堂の5寺。

 三十三カ所を3回巡って番外に向かうと百になることから、藤原観音堂は100番札所とも呼ばれる。

 行文懇副会長の田中祥一さん(51)が先頭で寺の紹介をし、他の役員や事務局の北田美奈子さん、横塚かおりさん、会のメンバーも道すがら、見どころを解説してくれる。

 伽藍の整備(鐘楼と対のデザインで経蔵を新設)で、2月に市川市景観賞を受賞した18、19番札所の徳蔵寺▼押切の船着場で夫婦の約束をした船頭を待ち続け、亡くなった吉原の遊女おかねを供養した「おかね塚」▼家康が東金に鷹狩りのために通ったとされる権現道▼田中内匠と狩野浄天が開削した灌漑用水路の内匠堀…。

 「山号」「院号」「寺号」に関する発見や、寺町の形成が、水害や街道での行き倒れの供養の側面もあったとする住職の話なども、興味深かった。

 ■ご利益を求めて

 転勤で3年前に広島県から欠真間に引っ越してきたという大川浩さん(54)は「自分の住む街のことを知りたくて参加した。一人ではできない貴重な体験」、やはり地元から参加の國友美佳さん(50)も「古事記や古文書に興味があり、地域の歴史を学びたかった。同じ行徳でも、街道まで来ると違う世界」と話した。

 浦安市当代島の加藤千恵子さん(77)は、40代の娘と2人での参加。「四国八十八カ所のお遍路さんには行けないが、ここでご利益を得たい」、娘さんは「母とはよく出かけるが、みなさんと一緒に歩けるのが楽しい」と。

 前会長の田中さんは「新しい人たちが参加し、驚き、喜んでくれるのを見ると、ずっと続けていきたい」という。

 副会長の田中さんも「札所があったことも忘れられていた当時(代替わりなどで一部の寺も例外でなく)、行文懇の先輩方の努力があって今がある。若いメンバーも加わっており、霊場巡りの継承そのものが、行徳の歴史にとってとても大切なことと考えている」と、決意を語る。  

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