立派な姿を見学
国府台・赤レンガ建築
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普段は見られない貴重な赤レンガ建築を見学 |
市川市国府台の赤レンガ建築(旧千葉県血清研究所跡)でさきごろ、「赤レンガをいかす会」主催の現地見学会が開かれ、訪れた多くの参加者が、普段立ち入ることができない同建築物内を物珍しそうに見学した。
県が所有する同建築物は、県内最古の赤レンガ建築であることや、市内に唯一残る軍の歴史的産物であることなどから、保存や有効利用が叫ばれている。これまでに市川市への譲渡などが検討されてきたが、いまだに今後の対応については白紙という。
そんな中、同建築物の保存を目的とした同会が今年2月に発足。同見学会は、同会の強い希望を県が受け入れ、「当面最後のチャンス」として実現した。
見学会には、地域住民や興味のある人など大勢が訪れ、外壁や内装などを手で触ったり、写真を撮ったりしながら見学。参加者は「こんなに立派な姿のまま残っているとは」などと話しながら、同建築物が血清研究所として使われていた時代に思いを馳(は)せていた。
赤レンガはもっと古い?
建造年巡りさまざまな憶測
これまで明治37年ごろとされていた同建築物の建造年を巡り、さまざまな憶測が飛び交っている。これまでは、建物内の梁(はり)に打ち付けられていた板片に「明治三十七年」と書かれていたという同研究所元職員たちの記憶などを根拠としていたが、長年所在不明だったこの板片がこのほど県の調査で見つかり、同建築物の建造年を指し示す根拠としての問題点が浮上。建築工法の違いから、明治37年ごろより前ではないかという専門家の指摘も聞こえている。
このほど見つかった板片には、記憶内容より1年早い「起工明治三十六年三月六日竣成同三月三十一日」と書かれていた。この内容が同建築物の建造を示すものとすると、起工から竣成までの工事期間はたったの26日間。2階建てで、延べ床面積約323平方㍍の同建築物の工期としては短すぎるとの見解から、同会内では「板片は改修工事か何かのもので、実際の建造年はもっと古いのでは」との推測も浮上した。
しかし、この推測に対し、同会役員で専門家の藤谷陽悦日大教授は「板片を見ると、起工から竣成、設計者、請負人などまで書かれている。改修工事にここまでしっかりした記録を残すことはない」と否定的。「板片は別の建築の記録で、何かの関係でこの赤レンガに保管されていたのでは」との見解を示した。
一方で、藤谷教授はレンガの積み方が明治初期全盛のフランス式であることや、レンガとレンガをつなぐ目地に同20年ごろから主流となったセメントが使われていないと思われること、レンガを生成する工法が明治初期のものと思われることなどを挙げ、「建造年は明治37年よりもう10年、20年は前ではないか。そうなると関東でもほとんど残っていないほど貴重な赤レンガになる」と話した。
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