市川浦安よみうり online

行徳・浦安三十三カ所霊場巡り
徳願寺から離れた2番札所の謎
3巡+番外で「結願」達成者も


番外の藤原観音堂に向かう前に、そろって記念撮影

三十三カ所目の2番札所、福泉寺では、地元の人たちのありがたいおせったいも

高谷の安養寺の本堂の回廊には、四国八十八カ所霊場の石が埋められ、はだしで歩いてお参りした

 塩田や舟運で栄えた行徳地区の歴史と文化の継承に取り組む、行徳郷土文化懇話会(行文懇、峰崎進会長)の「行徳・浦安三十三カ所観音霊場(札所)巡り」が、3日間の日程で開かれた。昨年は初日、2日目に、今年は最終日に同行取材をさせてもらい、2年越しで、三十三カ所と番外の藤原観音堂(船橋市藤原)を歩くことができた。3回巡り、番外の100札所目で「結願」し、ご利益を得られるとあり、これからも歩き続けたい。

 ■明治に廃霊場

 三十三カ所霊場巡りは、行文懇が明治で途絶えた歴史を紐解き、1984(昭和59)年に復活させ、江戸に始まる伝統を守り続けている。今年で、36回目を迎えた。

 初日は、妙典駅近くを起点に、徳願寺(1番札所)~光林寺(21番)▼2日目は、行徳駅近くに集合し、法伝寺(22番)~大蓮寺(33番)▼3日目は、行徳橋北詰から、雙輪寺(2寺合併で9、10番)~福泉寺(2番)、武蔵野線に乗り、番外の藤原観音堂へ。

 ■浮島の海中山

 3日目の行程も、見どころは多かった。

 高谷は鎌倉時代、海に浮かぶ小島のような砂州の村だったことから、「浮島」と呼ばれ、この地に1275年創建の了極寺の山号は、「海中山」。現在でも、境内の碑や墓の一部が、液状化で沈んでいるのが確認できる。

 1番札所の徳願寺から遠く離れた二俣の福泉寺は、2番札所だが、同寺によれば、享保年間(1716~1735年)に廃寺になった行徳山金剛院の観音菩薩像を移したため、飛び地のような2番札所になった。

 この日1カ所目の雙輪寺も合併寺の一つで、長い歴史の中で、札所の寺も移り変わってきた。

 ■「おせったい」

 福泉寺は、霊場巡りの際に、地元の人たちが「おせったい」をしてくれるありがたい札所でもある。

 ■欠番を穴埋め

 参加者の思いもさまざまだ。

 大手メーカーを退職し、市内でNPOの運営などに関わっている熊野健志さん(61)は、5月5日のこどもの日に、誕生日を迎えたばかり。3回目の参加で、100の札所を巡り終え、結願した。

 2日目の途中から所要があり、巡れなかった浦安の寺があるため、「(この日の)100札所目を迎える前に、自分で足を運んだ」という。

 愛媛県出身のため、「四国八十八カ所巡礼は、お遍路さんをお迎えするという意識でいた。行徳の三十三カ所霊場巡りと出合えたのも、ご縁。毎年開催していることは、すばらしい」と話した。

 英文学の研究者でもある吉田郁世さん(47)は、代々の行徳暮らしだが、今回初めて参加し、「地元の歴史を深掘りすることができた」と振り返る。

 寺町を守るように、神社が建立されているのを目の当たりにし、「神仏習合は教科書に出てきたが、改めて理解することができた」と、新鮮な驚きも。

 ■行徳とゆかり

 番外の藤原観音堂のある船橋市藤原は、江戸時代初期に幕府の許可を得て、行徳の人たちが藤原新田として開墾。行徳と、歴史的な深いつながりがある。

 氏子の植草忠雄さん(98)によれば、本尊の観世音菩薩立像は、1690(元禄3)年に徳願寺から請い受けて安置したのが起源で、船橋市の有形文化財に指定されている。

 「身代観世音」として、災害や戦時下などでも、地域の人たちの心の拠り所になってきたという。

 秘仏とされていて、33通りに姿を変えて衆生を救うことに由来し、33年に一度しか開帳されない。来年はその御開帳の年に当たり、ご利益にあやかりたい。

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