地震と津波の被害を受けた方々に、お見舞いを申し上げます。
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子供たちがぺったん、ぺったん
浦安市郷土博物館でもちつき
元気よくもちつきを楽しむ子供たち
浦安市郷土博物館で先月23日、一年の無事を感謝し、翌年の無事も祈念しようと、伝統行事のもちつきが開かれた。参加した208人の子供たちは杵と臼でもちをつき、昔ながらの手作りのもちを食べていた。
子供たちは、同博物館のボランティア・もやいの会会員から「杵をおもちに向かって落とすようにするのが秘けつだよ」とアドバイスを受け、同会員がまきの火で蒸したもち米20㌔分を子供用の小さな杵でぺったん、ぺったんと代わる代わるついた。参加した小学5年生の板橋優梨さんと重永佳那さんは「おもちつきがあると聞いて久しぶりにやってみたかった。杵におもちがついて伸びるのが楽しかった」と話し、振る舞われたあんこもちときなこもちをおいしそうに食べていた。
国内外からの観光客に「日本」PR
全国アンテナモールを提案
浦安JC、浦安市に政策提言書
高梨理事長(当時、右から2人目)が松崎市長(右)に提言書を手渡す
浦安青年会議所(JC)は昨年12月19日、浦安市に対して政策提言書を提出した。テーマパークを訪れるために世界から集まる人々に日本各地を伝えるアンテナモールを市内に設けることを提案した。
同JCは「浦安という地名は『浦(海辺)安かれ(穏やかになってほしい)』という願いから命名され、日本そのものを指す美称。年間2700万人の観光客に浦安から全国各地の食や物産、風習などの文化を発信したい」と議論を重ね、提案を作成した。
全国各地のアンテナショップは主に都内にあるが分散している。そこに着目し、アンテナショップの集合体であるアンテナモールを浦安市内に設けて各地の情報発信基地とし、次に行きたい町を探せる場所にする。提案は5カ年計画で、当初はイベントとして、最終的には常設のモールとすることが念頭にある。日本だけではなく、世界の情報発信基地にする考えもある。
高梨健太郎理事長(当時)は「テーマパークを訪れる人のほとんどは市内を訪問しておらず、現状は浦安独自の観光に呼び込めていない。20~40歳で構成するJCとして、青年らしいダイナミックでワクワクする、まちの魅力を創出する提案を作った。浦安だけではなく日本全体のことを考えたもので、浦安にとっても第2のテーマパークになる。JCの全国ネットワークを生かして参加自治体を確保し、拡げていきたい」とアピールした。
提案を受けた松崎秀樹市長は「浦安JCから初めて提言書をもらった。まだ検討すべき余地はあるが、議論の成果が感じられる。イベントならばJCでもすぐにできるだろう。提案に感謝とエールを送りたい」と語った。同JCは市議会議員向けにも説明会を開き、市議12人が出席。議員は「火がつくまでは大変だが、いい案だと思う」「市主催イベントは記憶に残らない。浦安フェスティバルのように市民が作ったものはとても記憶に残っているので、期待している」などと話していた。
「ゴッホ」3回シリーズ講座
市川市文化振興財団
ゴッホに浸る3日間―。市川市文化振興財団は21日と2月10日、同16日の午後2時から、講座「フィンセント・V・ゴッホ」を市川市文化会館(大和田1の1の5)で開く。
映画を交えて真のゴッホに迫る3回シリーズの講座。
初回は芸術講座で、「情熱の画家ゴッホの作品と人生」がテーマ。多摩美術大学の中村隆夫教授が絵画論の専門家の立場から、ゴッホの生涯と作品を語る。2回目は映画『炎の人ゴッホ』(1956年、米国、122分)を鑑賞。最終回は美術講座で、市川市民芸術文化賞を受賞した洋画家・竹内庸悦さんが「ゴッホの旅路を追って~その原風景に立って心と美術の糸をたぐる」と題し、ゴッホに魅せられた洋画家として講演する。
各回とも申し込みが必要。料金は、初回の講座(全席指定)が500円(映画鑑賞券付き)、映画鑑賞(全席指定)のみは500円、最終回の講演(定員100人)は無料。
申し込みは同財団(☎379・51111番)。
中一ギャップ解消、学力向上図る
塩浜小と塩浜中、平成27年度から一貫校に
市川市立小中学校では初
市川市立塩浜小と同塩浜中が、平成27年度から市川市立の学校では初めての小中一貫校として生まれ変わる。市教委は、9年間を見通して一貫した教育を行うことで、中学校進学時に環境の違いから不登校になる「中一ギャップ」の解消や、学力の向上につながるとしている。
両校は校舎が校庭を挟んで向かい合うように設置されており、すでに平成22年度から運動会を合同で開くなど連携を始めている。昨年度からは同じ音楽教師が両校で授業を担当。小学生が中学校の文化祭で演奏を鑑賞・発表したり、中学校の音楽の授業を見学したりして交流している。
両校を一貫校にする最大の目的は、9年間という長期的な見通しを持ち、小・中学校が連携して一貫した教育を行うこと。両校の教師が情報を交換し、中学校の授業における課題や実態を踏まえた授業を小学校で行うことなどにより、学習面の向上が図れるという。
これまでと大きく変わるのは、9年間を前期4年間と中期3年間、後期2年間に区分して指導する「4―3―2制」の導入。中期では、小学5年生から一部で教科担任制を取り入れる。小学5、6年生が、中学校の教室で中学校の教師から授業を受ける科目を設けることも検討。さらに、同じ区分の小学5、6年生と中学1年生が一緒に行動する機会を増やしたり、校則の一部を共通化したりすることで「中一ギャップ」の解消につなげるとしている。
ただ、同中学校には市立富美浜小の卒業生も一部入学するため、塩浜小・中学校の関係のみが強化されると、ただでさえ人数的に少ない塩浜小以外からの新入学生徒が、不安や疎外感を抱くことになりかねない。
市教委は、富美浜小と塩浜中が指定校となっている南行徳3・4丁目について、小学校の指定校見直しを2月の通学区域審議会で諮問する予定。さらに、現在は理由があって指定校以外への入学を希望する人には、隣接する学区への通学のみ承認しているが、同一貫校への入学希望者については柔軟に対応し、公共交通機関や自転車を利用した通学を認めることも検討している。ただ、南行徳3・4丁目の指定校や自転車通学については、交通安全上の配慮から現在の状況になった経緯があり、変更には慎重な検討が求められる。
なお、一貫校になっても、校舎や校庭は小・中学校で区別され、学習内容も小・中学校それぞれの範囲を逸脱することはない。両校統一の校名や校歌、中学校の制服のあり方などについては今後検討していくという。
市川市の小学校で書き初め教室
地域の高校生や書家が指導
筆を持って優しく指導する高校生
市川市立若宮小、同国府台小、同菅野小でこのほど、地域の高校生や書家が講師を務める書き初め教室がそれぞれ開かれ、児童たちが書き初めの基礎や技術を学ぶとともに、世代を超えた交流や地域との連携を育んでいた。
国府台小と菅野小には、5・6年生の書き初めの時間に、県立国府台高の書道部員12人が指導に訪れた。
この取り組みは、昨年度に国府台小で初めて行われ、児童・生徒にも好評だったことから、今年度は菅野小でも実施。先月12日と13日は国府台小、同18日は菅野小で学年ごとに一斉に行われた。
菅野小6年生の授業では、すでに高校生たちも小学生との触れ合いに慣れた様子で、照れる小学生に笑顔で語りかけたり、筆を一緒に持って書いたりと、丁寧に指導。そんな優しい高校生の指導に小学生たちも徐々に緊張がほぐれ、積極的に自らアドバイスを求めるなど、書を通じて交流を深め合っていた。
女子児童は「すごく優しくて、話しかけやすいし教え方も上手」と大満足。男子児童も「指導が丁寧で分かりやすかった。言われた通りに書いたらうまく書けた」と高校生の指導力に驚いていた。
一方、同部部長の持田さくらさんも「大会に向けていま大変な時期だが、子供たちが喜んでくれたのですべてを忘れて楽しめた。やってよかった」と満面の笑み。各学年2時間程度の交流だったが、児童生徒の双方にとって、かけがえのない時間となったようだ。
亀山さんのお手本の書き方を熱心に見つめる児童たち
若宮小では、近隣在住の書家・亀山京子さんが3年生から6年生までを指導する書き初め教室が開かれた。地域で書道教室を主宰している亀山さんは、この活動を10年ほど続けている。今年度は先月13日と16~18日の4日間同校を訪れ、学年やクラス別で書き初めを指導。タイトなスケジュールだが、子供たちの成長する姿を見る喜びが活力になっているという。
最終日の全6年生を対象とした教室では、まず亀山さんが「止めるところはしっかり止める」「筆の先をゆっくり払えば失敗しない」などとアドバイスしながら、お手本を書いて見せた。その後、亀山さんの教えを忘れないうちに書き初めに取り掛かった児童たち。亀山さんから受けた過去3年分の教えを思い出したりしながら、納得の一枚を仕上げようと真剣に取り組んでいた。 このページのトップ
開通目標、平成29年度に延長
外環道路千葉県区間
国土交通省首都国道事務所と東日本高速道路(NEXCO東日本)はこのほど、これまで平成27年度末としていた外環道路千葉県区間の開通目標を、同29年度に延長したと発表した。
同道路と鉄道との交差部の地盤改良工事や、用地取得に想定以上の時間を要していることが理由という。
中学生が東日本大震災の被災地で研修
現地で見聞きしたこと、地域に伝える
ふるさとうらやす立志塾
研修後、市関係者に向け報告する中学生たち
浦安市が昨年8月に中学生のリーダー研修として開いたふるさとうらやす立志塾で東日本大震災の被災地研修に参加した各市立中学校の生徒たちがその後、自分たちが直接見聞きし感じたことを、市関係者向けの報告会でそれぞれ発表するとともに、各学校でも同様の内容を全校生徒や全教職員、一部保護者に伝えた。地域の防災訓練に参加して伝えた生徒もいる。
同塾は、未来のリーダー育成を目指すもので今年度が3回目。昨年度は宮城・石巻市で、今年度は同市と宮城・南三陸町で被災地の現状を視察し、地域住民と交流を図った。
南三陸町では、地元高校生による被災地の状況を伝えるボランティアグループ「まずもって」のメンバーと津波で流された市街地などを歩き、経験を聞いた。石巻市では、石巻NEWSee館長(石巻日日新聞社常務)の武内宏之さんと視察後、仮設住宅の住民から話を聞き、人命救助に取り組んだ消防署員の講話などを受けた。
参加した生徒は、市立中学校8校から2年生3人ずつ、計24人。生徒たちは街を飲み込んだ津波の恐ろしさを被災地の様子を見て感じ、「津波を見た子供たちの心は絶望のどん底に落とされたと思うと、子供のメンタルケアが本当に大事」と話す。救助にあたった消防署員から聞いた被災後の状況については「怖く、悲しい。悲惨な状況を本音で語ってくれた顔がいまでも忘れられない。この講話は多くの犠牲によって生まれた教訓」と報告している。
生徒たちが学んだのは、大震災と大津波の恐ろしさだけではない。話を聞いたさまざまな人に共通することとして「何事もあきらめない。何かできることを探している。前向きに生きている」などを挙げる。被災後に「まずもって」を立ち上げた高校生の話からは「年は私たちと余り変わらないのに、自分が何もできていないことに気づき、自分からすぐに実行している」、避難所で手書きの壁新聞を発行した石巻日日新聞社の武内さんの話からは「何もできないような所でも、やる気さえあればやることが見つかる」などを教訓としていた。
「テレビや新聞では見たことのあった被災地だが、実際に行ってみて、被災地への印象は大きく変わった。被災した方々は、いまの現状を知ってほしいと願っている」という生徒たちは「生きたくても生きられなかった人のために、一生懸命、復興に役立とうとする人たちがいる。亡くなってしまった命を無駄にしないように、問題点があったら議論して、一秒でも早く改革する。決して議論だけで終わらせず、実行まで成し遂げる大切さを学んだ」という。
報告に際し、生徒たちが口にしていたのは「現地へ行って、話を聞いて、その場で見た者だからこそ伝えられることがある。僕たちにできることは伝えていくことと忘れないこと。忘れたら、またこうした被害が起こる」という思い。今後は、3月に予定されている浦安市復興祭の会場で、研修報告のパネル展示を行う予定。
整理を通じた備蓄促進を提案
岡部梨恵子さん最優秀賞に
日本災害食学会の発表会
表彰状を手にする岡部さん
浦安市富岡在住で整理収納アドバイザーの岡部梨恵子さんが昨年12月、都内で開かれた日本災害食学会の第1回研究発表会で、整理を通じた備蓄促進を訴える提案をし、最優秀賞に選ばれた。
提案のタイトルは「家庭の災害食備蓄を促進する提案」。東日本大震災後、家庭の備蓄は3日分から1週間分とすることが求められているが「実際、3日分でさえ備えられていない家庭は多い。それは家の中に備蓄品を収納するスペースがないから。押入れの奥に仕舞い込んだら、いざという時に見つけられない」と、整理収納アドバイザーの経験から着想。提案では「広く一般の人に災害食を知ってもらい家庭での備蓄を促し、また、災害時にすぐに取り出せる収納を伝えるため、確かな知識を持つ災害食アドバイザーという資格を設けることが必要」と訴えた。
専門家からの提案も数ある中で最優秀賞に選ばれた。同学会は「唯一の視点であり、食料備蓄に有効な手段を訴える真摯な内容が高い評価を得た」、同発表会の参加者は「整理と備蓄食をセットにした提案は斬新で、一般にも広く受け入れられる」と評価。岡部さんは「災害食は、阪神・淡路大震災後もその前からほとんど変わっていないと聞く。新しい切り口で進めていかなくては十分な備えはできない」と話している。
岡部さんは同12月、物への執着を捨てることをコンセプトにした片付けの一手法・断捨離の実践者による経験談発表イベントでもグランプリを獲得。同市内の公民館などで開いている整理収納セミナーでは、備蓄についても訴えている。
「子供たちに同じ経験してほしくない」
市川被爆者の会 若宮小6年生に体験語る
被爆者の写真を見せながら戦争の恐ろしさを子供たちに伝える井上さん
市川市立若宮小(押田敏郎校長)で先月17日、「被爆体験者の話を聞く会」が開かれ、6年生114人が市川被爆者の会の会員3人から平和の大切さを学んだ。
市川被爆者の会は、市内在住の被爆者約60人が所属。市内の小学校や公民館などで被爆体験を語って、戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えており、同小にも毎年訪れている。
今回、同小を訪れたのは、城坂博文会長と井上勇副会長、里見香世子さんの3人。城坂さんは原爆が投下された瞬間について「突然『ぐわーん』と音がしたと思うと、一瞬で目の前が真っ暗になり、ものすごく熱くなった。被爆直後、建物は全てなくなり、街はけが人や死者であふれかえっていた」と話した。井上さんは、被爆で皮膚がなくなった人の写真を見せながら「真っ黒に焼け焦げた人に足首をつかまれ『水がほしい』と助けを求められた。『必ず戻ってくる』と嘘をつき手を放してもらうと、足首に皮膚が張り付いていた。いまでも嘘をついたことが心に残っていてつらい」と、悲痛な表情を見せた。被爆者であることを理由にいじめや差別を受けてきたという里見さんは「戦争が終わっても核兵器を作り続ける限り、また悲惨な世界は生まれる。未来を生きる子供たちに、もう同じ経験をしてほしくない」と力を込めて訴えた。
3人の話を目を丸くして聞いていた児童たちは「悲惨過ぎる」「怖い」と戦争の恐ろしさを感じていた。4年生の時に原爆ドームに行ったという日下主税君は「いまは幸せだ。ずっと平和であってほしい」と、いまある平和に感謝していた。
市川手帳
子供はすぐ中身を確認する。お年玉の話。正月の伝統の習慣の中で最後までなくなりづらいものではないだろうか▼大人は、いくら包めばいいのか、いつまであげればいいのかなどと悩む。経済政策の影響もまだ見えず、少子化ではあるが、負担は小さくない▼この正月、親戚と会った人も多いだろう。正月らしい遊びは昔とはだいぶ変わったが、子供たちと遊び、笑って過ごすのは楽しい。そういえば、ポチ袋の中身を見て「紙のが欲しい」と言ったと、いまだに話の種にされる▼習慣や価値は移ろい変わる。現金な世の中がさらに進んだようにも感じるが、お年玉で生まれる触れ合いもある。喜ぶ顔が見られるのだから、しばらくは残ってほしい習慣かもしれない。
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