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「農家は頭が良くないとできない」

 「農家は、頭がよくないとできない」。これは今年開かれた安曇野市豊里区での「豊里今昔を語る会」で語り手から出た名言。今では風光明媚で景観保全地区にも指定されているこの土地も、かつては陸軍の演習場で、荒れ地の原野だった。それが戦後、全国からの入植者によって開拓され、「豊里」の名が示すように豊かな自然と実り、豊かな文化を併せ持つ理想郷として発展を続けている。近年都会からの移住者も多く、今では開拓者家族の人口を超えるほどになった。
 
 筆者がこの土地の一部を譲り受けて今年で15年が経つ。それまで牧草地と雑木林だった土地は、まず、鍬と鋸という原始農具だけでの開墾から始めなければならなかったが、その作業を通してこの地の開拓に力を尽くした先人たちの苦労や思いを身に染みて感じることができた。そして、農作業をする中で学んだのは「作物づくりは頭が良くないとできない」ということだった。
 
 作物は人間同様、生き物であること、それに植物故に多種多様である。そのうえ黒土・赤土・粘土・砂土など土質による適不適があり、日照時間や雨量などの気候によって発芽や生育、開花・結実も違う。また、同種であっても生育に差がある。人間でいう個性である。この違いを受け入れ、作物個々にきめ細かな手入れをする。農家の人たちがよく使う「丹精」という言葉がぴったり合うのも作物づくりである。更に、種蒔きや苗植えはその土地の気候によって毎年同じではない。特に近年の気候変動が与える影響には頭を使う。
 
 このように、その土地、その年の気候などに合わせて作物づくりをするのが農家であり、それが「作物づくりは頭を使わなければできない」といわれる所以でもある。
 
 一方で、作物づくりを学問の分野からいえば、生物学(含病虫害)は勿論、気象・地質・化学(肥料・農薬・PHなど)・天文学(日周運動など)・数学などに及び、しかも、それらを総合的に判断していかなければならない。例えばこの地方では、雪形や山の残雪などを目安にするが、その方が気象情報より優れる。この他、土質にあった鍬が使われるなど農機具にもその土地ならではの工夫があり、農家の人たちの知恵が随所に生かされている。
 
 会社や役所勤めと違って相手は想定できない自然である。マニュアル通りにはいかず、経験則も全てが当てはまるとは言えず、自分の頭を使うしかないのが農家である。

  (2015年12月19日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「頭の良い悪いと学校の成績」

 近頃の日本では、学校の成績の良否と頭の良い悪いが混同されているようだが、この思い違いが子供たちの不幸を招いている。

 例えば、テストで良い点数をとった子は頭が良くて、悪い点数をとった子は頭が悪いと決めつけてはいないだろうか。また、一流大学に進学した者、一流企業に就職した者は頭が良いと思い込んではいないだろうか。

 筆者が子供の頃は「勉強ができる」と「頭が良い」という言葉の使い方をはっきりと区別していた。テストの点数が良く、成績の評定が優れている者は「あいつは勉強ができる」といい、遊びの中で誰も思いつかないようなことを唐突に言い出したり、遊び方を工夫したりするなど創造性や発想性に富んでいる子を「頭のいい奴」としていた。この言葉の使い分けは、筆者が教員になった昭和30年代までは子供の間で受け継がれていた。また、「運動神経のいい奴は頭もいい」ともいわれ、そんな彼らは遊びから学校生活まであらゆるところで常にリーダー的存在であった。

 では、「頭が良い」とはどういうことか。脳科学からは「前頭前野の活性化」だというが、脳が活性化するのはどんな時か。それは脳に負荷がかかるような困難に直面し、それを乗り越えようとする時で、例えば、難しい問題や新しいこと、不得手なことへの挑戦、意見調整などで、これとは逆に、得意なことをしている時には脳は働かないというのだ。つまり、自分は頭が良いと思い込んでしまうと脳は活性化しない。これを「自慢高慢、馬鹿のうち」というのであろうか。養老孟司氏は思い込みや偏見が馬鹿の壁だという。

 もう一つ、「頭が良い」とは「先を読む力がある」ことだともいわれる。生活や仕事の場での対人関係で、その場、その相手に応じた的確な判断ができ、適切な言動ができるということ。言い換えれば優れたコミュニケーション能力である。

 世界の「頭が良い人」の代表例に挙げられるアインシュタインが小学校時代に勉強ができず「のろまな奴」として退学を進められたことや、ビルゲイツが問題児として転校相談を受けたという話はあまりにも有名である。これらの話からも、子供時代に勉強ができたとか、問題行動があったとかいうことと「頭の良い悪い」に直接の関係はないことが分かる。学力テストや成績を競い合う教育が人生にとってはいかに愚かであるかを再認識する必要がありはしないか。

  (2015年12月5日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「子供の教育と家庭の責任」

 「子供が子供を育てる時代」と言われたのが今から20年以上も前のこと。また、「学校はコンビニエンス・スクール」と言われたのも20数年前。後に「学校はサービス業」とまで言われるようになった。そんな時代に育てられた子供たちの多くが大人になれずにいるのが、現代日本社会の現実である。大人とは自主性が身に付いている人間のことをいうのであるが、その形成期は子供時代に遡る。

 人間の発達は自己中心的な欲求・情緒などの自発性から始まり、社会化の過程において社会の行動基準による親の躾が行われるが、この他律的に行われていた躾が内在化され、自律化されることで自主性が発達する。つまり自発性と自律性を基礎にして発達するのが自主性である。具体的に言えば、自己の欲求・情緒などを抑制し、社会生活の中で困難な事態に遭遇してもそれを自らの力で乗り切ることができるようになり、物事に対して自発的、積極的に当たり、責任をもって行動をとるようになることである。従って、何かといえば人のせいにするのは、自律性も自主性も身に付いていない依存的な人間の言動であり、大人とは言い難い。

 子供の教育でいえば、自分の子供の教育についての責任は親・家庭にあり、学校でも社会でもない。作家で中教審委員を務めた曽野綾子氏に言わせれば、小学校高学年ともなれば自己責任が半分で、半分の半分、つまり四分の一が親の責任であり、あとの四分の一の二分の一、つまり八分の一が学校、更に八分の一が社会の責任だという。この考え方からすれば、責任の四分の三が家庭と本人で、四分の一が学校と社会ということになる。それを、自分の子供に何か問題が起こればなりふり構わず学校を追及する現代の風潮は、理にかなうものではない。いじめも不登校も、万引きや暴力行為など各種の非行行動も責任の大半が親と家庭にあるが、その責任を全て学校や社会のせいにするというのは不条理でしかない。学校は勉学する場所である。いじめの現場をとらえろ、正確な調査・報告をしろ、などと勉学以前の仕事に注力しなければならない現況は本来の学校の姿ではない。国・行政に依存することなく自主的に家庭・学校そして地域社会が、そのことを確りわきまえてかかる必要があるのではないか。

 子供は大人の一言一行を日々見聞きしながら育つもの。大人が変わらなければ日本社会の依存・責任転嫁の連鎖はこれからも続く。

  (2015年11月21日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「教育に「競争原理」はなじまない」

 昭和59年に設置された臨時教育審議会。その答申が新自由主義的、市場主義的な日本教育への端緒になったと言われる。それまでの文部省(旧)主導から官邸・政治主導になったのもこの時からである。

 当時、市場原理・競争原理は教育にはなじまない、子供たちの人間形成に歪みを生じさせる、人間的価値意識や人格意識などへの悪影響が出るのではないか―などの批判が多くあった。本来教育は相対的ではなく絶対的であるべきものであって、人間形成そのものが個性的なものなのであるからという教育の本質から出た批判であった。

 平成16年、中山成彬文科相(当時)は国際学力調査の結果を受けて「今までの教育に欠けていたものがあるとすれば競い合う心や切磋琢磨する精神だ。学校時代は『競争は悪だ』と言わんばかりの温室の中で育ち、実社会に出ると激しい競争社会が待っている。そのギャップに子供たちは戸惑っている」と述べ、競争の教育を推進することを一方的に表明した。しかし、教育というものは自由で個別に行われるものであることから、教育のすべてを『競争』という枠で括って画一的に行うべきではない。また、競争には勝ち負けがあることから、単に結果を争わせるだけではなく、その教育的意味付けを子供たちに分からせる必要がある。しかも、それらは教科、教材によっても異なるのだが、その時の中山文科相の頭の中には「国際学力調査」のことしかなかった。

 教育に競争原理が導入されてから30年余経った今、国際学力調査で世界一になっただろうか。それだけではない、子供たちの人間形成に与えた影響はどうだったか。教育に競争原理が導入されてからの子供たちの現象の一例を紹介する。

 学級・学年という閉鎖集団内部で相対的な優劣を競わせるとどうなるか。自分の成績を上げるには努力する方法と、まわりの成績を下げる方法とがあるが、後者の方が費用対効果(市場原理)は高いと無意識に感じた子供たちは、互いに争って他の子供の学習意欲を失わせようとする。結果として集団の平均点は下がる。授業中の大声・立ち歩きや高校生がテストに関わる話は友人間で極力避けるなども同様な心理を包含している。まさに競争とはこういうものである。

 政治家・官僚、それを追従する教委が決して責任を取らない社会の中で、子供たちの将来を決めるのは親の人間観であり、教師の教育観であるとの自覚を持ちたい。

  (2015年11月7日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「ゆとり教育の狙い」

 国による教育制度改革は、不登校やいじめをなくすことにも何の役にも立たないことが脳科学の進展から分かってきた。むしろ、子供たちの自信を失わせ、希望をなくすことへの影響が大きいという。その証拠ともいえるのが、ここ数十年にわたってこれらの問題が解決に向かうどころか深刻度を深めていることからも分かる。

 更に、学力向上政策に突然転換したからといって、子供たちが転換前よりも主体的・意欲的に学ぶようになり、その結果として学力が向上したといえるだろうか。国も地方教育委員会も毎年、平均点がいくら上がっただの下がっただのと騒いでいるが、それが教育の目的とどう関わってくるのか説明されることはない。それだけではない。子供たちが学力競争の渦の中に巻き込まれて負け組・勝ち組などの差別化にさらされ、更に経済格差が学力格差を生むなどと保護者ぐるみで突き放される。このような負の連鎖を生んでいるにもかかわらず、国は性凝りもなく制度改革と学校・教師批判を繰り返し、結果の責任を現場に負わせ、自らは反省することはない。

 子供の学力を高めるには、子供が学習することの意義が分かり、意欲を持ち、学ぶことに喜びや充実感を感じることが何より必要なことは言うまでもない。筆者自身の経験からも、学力を高めるには教える量や時間ではなく学ぶ意味や学ぶ楽しさ、学びによって分かる喜びや感動が何よりも主体的に学ぶ意欲につながるとの確信がある。学ぶのは子供であることを忘れてはならない。いくら親が塾などの学ぶ環境を与え、教師が研修などで指導技術を高めても、子供に自主・自律性が身に付いていなければ子供の学びにはつながらないのである。

 一方で、国や一部の教育学者が学力低下を《ゆとり教育》のせいにしているが、その論拠ははっきりせず、論証も定かではない。当時の文部大臣・有馬朗人元東大総長が語っているように《ゆとり教育》の目指したものは「生きる力即ち、変化の激しい現代において不測の事態への適応力を高めるのが目的」であった。また、「適応力を高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考などが7割というのが心理学の定説だ」という渋谷教育学園の田村哲夫理事長(元中教審委員)の言葉からも学力だけ向上させても意味の無いことが分かる。安易に「改革」などという言葉に惑わされてはならない。

  (2015年10月17日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「改革で教育が蘇るとは言えない」

 現代の流行り言葉「改革」には魔性が潜んでいると言われるが、筆者の経験からもそう思うのである。一つには、なんでも改革といえば何か物事が今より良くなるというイメージがあること。しかし、実際には良くなるどころか悪くなることさえあるのだが、そのイメージ通りに思わせ、語られることが多い。二つには、そのものの本質を見失わせるという重大な過ちを誘うこと。つまり、本質を見えなくしてしまう魔力がある。更には「改革」という言葉の意味すら曖昧にし、安易に使っていることも多い。本来、改革とは(制度・機構などの)悪い点を改め、変えることであり、英語では《reform》であるが、変革や革新(刷新)《innovation》、或は、変化《change》と混同した使い方をしている場合すらある。

 「教育改革」という言葉も1980年代後半の臨教審以来たびたび登場し、その都度、時代の要請とか教育問題解決の為とかそれなりの理由をつけてくるが、改革をしたからといって教育そのものがよくなってきたかは別問題であって、むしろ悪くなってきているといった方がよい。筆者が教育関係に身を置いてからの教育改革で、教育の本質を捉えたものとしては、1996年の「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の中教審第一次答申がある。いわゆる「ゆとり」の中で、子供たちに「生きる力」を育むということを基本に、学校の教育内容を厳選するとともに、家庭や地域社会における教育の充実を図ることが必要であるとの考え方に立っての提言である。これまでの学校依存の教育から脱して、子供たちが健やかに成長していくためには、何よりも国民の子供に対する理解と協力が不可欠との考えから、これを機に国民一人一人がそれぞれの立場から取り組みを始めて欲しいとの願いが込められた答申であった。

 この答申は「改革」というよりは、変革や革新《innovation》というべきものであり、教育制度だけに限らず、期待する人間像から教育内容までに及び、更に家庭や地域が一体となって子供たちの人間的成長を国民一人一人誰もが支えていかなくてはならないという教育の本質に基本を置いたものであった。

 ところが、この改革は完全実施される直前に文科省によって学力向上政策へと急転換させられ現在に至っている。その弊害が子供たちの人間形成に強く反映されているが、誰もその責任を取ろうとはしていないのである。

  (2015年10月3日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「学校・教員に期待すること」

 「日本の教育は明らかに悪い方向に向かっている」、そして「不思議なことに、よくなっているという人はどこにもいない」と言うのは、内田樹・神戸女子学院大学名誉教授。筆者の考えも、筆者に届く声も全く同じである。

 理由は明らか。政治主導による市場原理主義的教育観の結果である。つまり、学校教育に能力主義と差別的資源配分を導入して競争を促し、イイものには飴をダメなものには鞭を与え、市場ニーズに応えられなかった学校や教員、そして子供までを市場から退場させるというものである。

 現在、教育改革と称している政策・施策は全てがこの教育観に基づき、既にアメリカやイギリスで失敗している。それを何故、日本の教育に持ち込もうとしているのか。しかも、教育の専門家の集まりであるはずの教委がこの教育改革を絶対的なものとしているのは筆者には理解できない。

 政治が教育や歴史に口を出すのは、政治が追い詰められた時だと昔から言われ、その時、必ずと言っていいほど政権の望む人間作りを考える。今でいえば一握りのエリートと使い捨て出来る従順な労働力。その為の教育システム作りが着々と進んでいると考えてよい。

 「このような日本の教育システムは学校そのものが子供たちを学びから遠ざけ、子供が持つ潜在能力の開花を阻害し、健全な子供たちを脱落させる。そして、日本の学校を逃れ自分に合った学びの場を得た若者だけが輝いている。これは日本の学校教育にとり恥ずべき事態だ。日本の未来を担うのは子供たち。知的で感性豊かで器が大きく包容力がある、そういう輝く子供が育ってくれるのを教育に携わる人たちは何よりも考えるべきで、試験で計れる点数なんてどうでもいいのである。

 教師に必要なのは、手だてを尽くすことのできる教育上のフリーハンドと教育成果をひたすら待つ余裕、それだけだ。つまり『教育方法の自由と数値的評価の自制』、それが一番大切なことである。教師に創意工夫が許されていれば、子供たちはいずれそのポテンシャルを開花させる」(内田名誉教授)。

 筆者の経験からも教師の殆どが自己利益よりも子供たちの成長を願っている。「学力テストの結果は私が責任を持つ。先生方は子供たちの成長の為に創意工夫をして欲しい」と話す器の大きい校長が市川市にもいる。このような学校では教師は本来の力を発揮し、子供たちも伸びる。この広まりを期待したい。

  (2015年9月19日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「政治が関与する日本の教育」

 「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与してほしくないということです」。これは大阪市の平松邦夫元市長から教育の特別顧問を委嘱された内田樹・神戸女子学院大学名誉教授による、市長同席の記者会見での冒頭発言である。

 「政治家が教育行政に関与して自身の教育理念を現場に押し付けるようなことをされては困る。このことを一度認めたら、その後の教育現場は首長が替わるたびに異なる教育理念・教育方法・教育プログラムにその都度変えなければならない。それによって一番混乱するのは現場の教師であり、一番被害を受けるのは当の子供たち。教育現場に朝令暮改はあってはならない。これは教育を語る場合の基本ルールであり、教育で重要な『教育権の独立』である。

 子供たちは学校に来る前に既に様々な思想信条、信教、イデオロギーを持った周囲の大人たちの影響を受けている。その子供たちを学校は迎え入れて、ある種の方向付けをしていく。子供たちの中に深く内面化し、血肉化して行く仕事。だから、ゆっくりやるしかない。それぞれの子供の個性や子供たちが受けてきた家庭教育によって子供たちは教師の働きかけに違う反応を示す。全級一斉に同じことを教えるわけにはいかない。子供一人一人について、やり方を変えなければならない。

 それに、一つの教育実践について統計的に有意な命題を引き出すためには、少なくても20年はかかる。それくらい時間をとらないと、やってみたことがよかったかどうか、本当には分からない。本気で科学的に教育方法の有効性を評価しようとするなら、あらゆる教育方法について、それを適用するグループと適用しないグループに分けて、その10年後、20年後の教育効果を比較するしかないが、教育においてはそんな実験はできるはずはない。医薬品の治験やビジネスモデルとは違うのである。

 教育はビジネスと同日には論じられない。失敗は許されないのである。だから『社会のスピードに対応していない』などというような批判を向けるのはナンセンス。生身の人間が相手なんだから」(内田教授の講演録から)

 これが教育の本質であり、政治や市場と全く違うところだが、この一番基本的なところを理解していない人たちが教育を主導しているのが今の日本。この政治主導の教育崩壊進行を止められるのは教委と学校なのだが…。

  (2015年9月5日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


今の日本の教育観

 教育荒廃をもたらしている原因が市場原理主義的教育観にあると前回書いた。今回は教育観の類型と日本の教育観について書いてみたい。

 本来教育は、人間の発達を課題とする最も人間的な活動であるから、教育観は本質的に人間観によって規定される。類型的に見れば、既存の文化遺産や社会秩序に人間を適応させることを主眼とする保守的な立場と、各人の個性と人格を重んじ、その自己実現を志向する近代ヒューマニズムの立場に大別される。従って、教育を単に社会的・文化的再生産の作用と見なしたり、経済成長の人的資源とみたりするような教育観は前者の立場である。人格の尊厳と個性の価値を自己目的として尊重し、人間性と科学によってその全面的発達を目指す教育観は後者に属する。現教育基本法の理念もこの後者にある。

 ところが、現在、国が目指している教育は前者「教育を単に社会的・文化的再生産の作用と見なし、経済成長の人的資源とみるような教育観」であることは論を待つまでもない。子供たちが、人間的には発達途上にある学童期において既にテストの点数で優劣を競う学力競争の世界に放り込まれ、点数によって序列化されてしまう今の教育の在り方は、教育基本法の理念とは相容れない教育観である。学童期から青年初期にかけては、正に人間形成・人間的発達にとって極めて重要な時期に当たり、身体的、知的、情的、社会的な側面が発達する時である。それらの発達を促すものは環境であって、子供たちがどのような環境の中でどのような経験(学習)をするかによって変わってくる。なかでもとくに重要なのは幼児期に育つ自発性・自律性を基礎にして発達する自主的な事実認知、自主的な判断力と実践力とを育成していくことによって発達していく自主性である。自主性は自立した大人へのステップであり、この発達が阻害されると大人にはなれない。所謂大人の幼児化である。

 このように学童期・青年期初期において、学力競争よりも大事な人間的な成長発達に傾注すべき時期であることは教育科学や脳科学からも自明である。にもかかわらず、それを無視した教育を強制しているのが今の日本教育の実態であるが、それに無批判に追従している教育委員会・学校の人間観・教育観は何なのか。子供たちの発達阻害条件増大の現在、人間性の育成という教育の本質に背を向ける教育観に立つのは何故なのか問いたい。

  (2015年8月1日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


日本教育の混迷と学校

 日本社会における教育観が今、混迷の度を深めている。1990年代に入って学校教育に競争原理や数値で評価するシステムが導入された。子供たちを競争させ、極めて短期、それも目に見える数値で評価、格付けをするという市場原理主義的な教育観が流行り出したのはここ20年である。そのため、学力競争が教育だなどといった僻見が日本社会を支配している。要するに経済同様、教育を市場原理で行えば最高の成果が期待できるというものである。この考え方が、教育は学校がやるものだという学校依存・責任転嫁に繋がってきている。

そもそも教育とは何か。一般的には、哲学であり文化であるとか、人間づくりの崇高な営みだとか言われているが、筆者が教員になった頃は先輩からそう教えられた。従って、その頃の学校では学力だけでなく子供一人一人を見つめ、人間性や個性を大事にし、それぞれの資質・能力を引き出して開花させていくのが教育である、といった教育観で学校教育がなされていた。

このような考え方からすれば、子供一人一人の性格、育ってきた家庭環境(兄弟姉妹の数、親の職業、子供に対する親の考え方、地域の人々との関係など)、住まいの立地環境、街中であるのか自然の多い地域なのか、林・川・池、海岸などや空地(遊び場)の有無、さらには危険な場所など、あらゆる教育環境を知ることが不可欠である。

また、現在のような学力至上主義とは異なり、子供たちの多様な資質・能力、人間性や性格などを幅広く考慮した本来の教育であったから、成績だけではない評価が行われていた。教師の学習指導案にも必ず『子供の実態』を書く欄があり、担任はソシオメトリック・テストで学級の中での人間関係を客観的に捉え、子供たちの間での好悪、対立、協調などを調べ、指導に役立てていた。

このように、子供一人一人の成育歴や家庭環境、住まい周辺の立地環境から学級集団における人間関係に至るまで詳細に把握しての教育だったが、現在ではプライバシー保護という理由で、これらの情報は得ることができない。

国は市場原理主義的教育観を押し付け、一方では個性・資質・能力を重視した本来の教育観を学校に求めるが、必要な情報は得られない。この矛盾の中で苦悩する教師、犠牲になる子供たちがいるのが今の日本の教育であり、学校である。

  (2015年7月18日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「教育現場の実態は」

 今年から教育委員会制度が新しくなり、日本の教育が変わると期待されている向きもあるようだが果たしてそうだろうか。この十年、ころころと変わる教育政策に翻弄されてきた教育現場だが、改革とは名ばかりで未だに前時代的な学校・教委があることを知り愕然としている。
 
 その一例だ。学校部活動で「試合に負けたら、無断欠席したら、違反所持をしたら、定期試験の成績が悪かったら…坊主にする。それが嫌なら退部する」という決まり(?)が有り、それを顧問に強要される。事実、坊主になるのが嫌だからと退部した生徒、不登校となり私学に転校した生徒、また、高校進学でスポーツ推薦を受けたいので嫌々ながらも坊主になったなどの事例がある。
 
 この学校に子供を通学させる保護者の間では以前から問題になっていて、県・市の教委に訴えたが改善することはなかった。しかし、このまま見過ごしては子供の心の成長に悪影響があると再度改善を求めることにした。
 
 まず、生徒の担任に相談、顧問と話し合ったが「これまでそうしてきたのだから変えることはできない」とのこと。最後に校長との話し合いに臨んだが、結果は「顧問は方針を変えることはないので坊主になることは止むを得ないだろう。但し、坊主になるのが嫌なら試合に出さないという選択肢もある」と言われた。その為、生徒は好きな部活動ができないことを毎日のように悩んでいたというのだ。
 
 親としては、これは子供の心を踏みにじるものであり、今時こういうことが罷り通るとは時代錯誤も甚だしい。一日も早く生徒が未来に希望を持ち、安心して学校生活を送らせたいとの一心で教育長に手紙を出した。ところが、返事は一部言葉の誤解と、その齟齬について拘り、体罰・人権問題という大局的なところには踏み込むこともなく、また、部活動は顧問の独自性が許される、当該校長は信頼できるなどと自分たちの言動の正当化と身内保身に終始し、狭量で子供の心を考えない冷酷な内容である。
 
 これは一つの事例ではあるが、改革とは不可分の関係にある教育現場で、改革に光を当てれば必ずその影ができる。制度改革の恩恵に浴する子供がいる反面、その影で希望を失う子供がいるという現実がある。そういう子供に目を向け、全ての子供が希望を持ち、自ら学べる教育環境を目指してこそ教育であり、そういう教育環境をつくるのが教委や学校の使命であるのだが。

  (2015年7月4日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「教育の不易流行」

 松風俳諧の理念の一つ「不易流行」という言葉に、本紙連載「人をつなぐ未来へつなぐ」(4月25日号)で久し振りに出合った。教育において不易流行を説いたのは今から30年以上も前の「臨教審」。その後も、不易流行論はしばしば取り上げられ、平成8年の中教審第一次答申では次のように指摘した。

 《教育においては、どんなに社会が変化しようとも、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」(不易)がある。豊かな人間性、正義感や公正さを重んじる心、自らを律しつつ、人と協調し、他人を思いやる心、人権を尊重する心、自然を愛する心など。また、その国の言語・歴史・伝統・文化などを大切にする心を育むことも時代を超えて大切にしなければならない。

 しかし、また、教育は同時に社会の変化に無関心であってはならない。「時代の変化と共に変えていく必要があるもの」(流行)に柔軟に対応していくこともまた、教育に課せられた課題である。》

 さらに、次のような力を子供たちに付けさせることを望んだ。

 《これからの子供達に必要になるのは、如何に社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性である。更に逞しく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を「生きる力」と称することとし、これらをバランスよく育んでいくことが重要であると考えた。

 「生きる力」は、全人的な力であり、幅広く様々な観点から敷衍することができる。(中略)今後、「生きる力」を育んでいくためにも、個性尊重の考え方は、一層推し進めていかなければならない。(中略)個性尊重の考え方に内在する自立心、自己抑制力、自己責任や自助の精神、更には、他者との共生、異質なものへの寛容、社会との調和といった理念は、一層重視されなければならない。》

 このように、不易流行は物事の本質に基づいた理念を表しており、単に物事の古さ・新しさや施策(制度の改革)などをいうものではない。流行を追うのはよいとしても、不易と流行の根本は一つであるから、教育の本質を追究する精神が無ければ「軽佻浮薄」に堕することになりかねない。

  (2015年6月20日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「 教育委員会は残ったが… 」

 最近、よく聞かれるのが「教育委員会制度は残ったものの、教育の現場は何も変わらない、むしろ、以前より悪くなった」という指摘である。何故だろうか。よくよく聞いてみると、これまでのように、教育委員会から子供のためという当たり前の理念が見えにくくなり、時として、教育長ではなく首長から突如、教育施策が教育現場に示されるという事態が起きているというのだ。今年の4月から新しい地方教育行政法が施行されたが、基本的にはこれまでと殆ど変わってはいない。にもかかわらず、あたかも首長の権限が大きくなったとの錯覚か、思い違いか、教育行政に対して一方的に口出しや指示をするなどの行為を平然とする首長が現れ始めたとも聞く。

 そういえば去年、静岡県の知事が学力テストで成績の悪かったワースト10の校長名を公表すると言い出し、それが批判されると、今度は学力テストの成績の良かった10校の校長名を公表した。知事にどのような教育の理念があるのか分からないが、少なくとも学力テストの結果、その成績の良否をもって校長名を公表することが子供達の人間形成にどのような効果をもたらすのかを考えてのことだろうか。

 だが、首長主導型の教育がすべて悪いというわけではない。今年4月、佐賀県武雄市に官民一体型の学校が開校した。これは樋渡前市長が打ち出した教育改革の一つであるが、何年かをかけて教育委員会が中心となり、協議を重ねて練り上げて示された案であり、民の「はなまる学習会」と地域住民と学校(官)が連携して新しい公教育をつくっていくというもの。はなまる学習会は民間の塾ではあるが、受験・進学指導とは一線を画し、数理的思考、読書と作文を中心とした国語力に、野外体験学習を加えた三本柱にし、一斉授業からの脱却も狙う。

 教育、即ち人間形成にとって重要なのは、人間性や人格を育てるための環境(家庭、学校、地域の文化・人・自然等の教育環境)である。それらの環境を豊かにすることが子供の心を豊かにし、健全な成長を促すことになるのであって、一斉・同一の到達目標を決めて学力を競い合うことが教育ではない。

 これらは教育のイロハといわれるもので、子供の教育に関わろうとする者ならば当然の知見であるはずだが、首長はともかく教育の専門家である教育長が学力テストの先棒を担ぎ、その結果(平均点)に一喜一憂する姿は何と情けないことか。

  (2015年6月6日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「将来を考えた学校選び」

 コミュニティスクールから誕生した信州・上田市のさくら国際高等学校。同校の取り組みの中でも、とりわけユニークで特徴的なのは生徒と地元保育園との交流。共に活動する中で頼りにされ、慕われることで、生徒は人と人との絆に思いを馳せ、目上の人間としての立ち居振る舞いを身に付けていく。幼児たちと関わることで、自分が生きて生かされていることに気付く新しい学びの場でもある。

 国際交流からも多くを学ぶ。同校はラオスに学校を贈る取り組みに参加しているが、生徒たちはバザーの売上金を寄付するだけでなく、自分たちで何かをしたいと建設工事の一部を手伝う。村でホームステイをし、そこでしかできない貴重な体験をすることで、自分たちが如何に恵まれていたかを思い知り、その後、生まれ変わったように自信を取り戻す。ラオスの人たちはこう言う。「経済的支援はいくつもの国から受けているが、心をシェア出来るのは日本人だけだ」と。

 また、ラオスにはこんな諺がある。「一人の子供を育てるのには村中の人が必要!」。つまり村中の人たちが協力して一人の子供を育てるということ。さくら高校も同様の理念で教育に当たる。生徒主体の教育であり、一人一人に寄り添って柔軟な対応をする教育である。学校では勉強も大事だがそれが全てではない。世代を超え、世界を超えた交流と様々な体験を通して生徒の自立心を育んでいく。これが本当の学校で、本来の教育というものだ。

 学校は勉強する所という考え方は昔も今も変わってはいないが、経験から切り離された知識(情報)教育一辺倒の学校教育に疑問を持つ人たちが日本では確実に増えてきている。その実例を一つ。 【2012年夏、東京で開かれた島根県・隠岐諸島の県立隠岐島前高校の「島留学」説明会。中学三年生だった三男の進路探しのため参加した母親は「親元から離れて暮らした子がしっかりしている。ここなら息子も変われるかも」と考えた。「家を出て新しいことに挑戦したい」。決断したのは三男だった。

 全国から集まった約60人の寮生活。「島へ来て親のありがたさがわかった」と語る三男。「離れたおかげで成長できた」と親子は口をそろえる】(日本経済新聞3月20日朝刊要旨)

 国追従の画一・硬直的な公立学校に見切りをつけ、子供の将来を考えた保護者の学校選びが今後急速に広がることを予感する。

  (2015年5月16日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


地域と一体の「さくら国際高校」

 2005年、不登校や引きこもり、高校中退など、さまざまな事情を抱える子供たちのために、信州・上田市に開校した『さくら国際高等学校』がこの4月、学校法人となった。
 
 「楽しくなければ学校ではない」をキャッチフレーズの一つとして掲げる独特な通信制の学校。目指すのは「一人一人を大切にする個別支援教育の実践」だ。ただ、楽しければいいというのではなく、生徒それぞれの個性に合った授業やさまざまな課外活動と体験活動を通して、これまで知らなかった感動や喜びを発見してほしいと考えている。
 
 不登校や引きこもり、高校中退などの経験を持つ子供たちが自主性を伸ばし、勉強面においても自信を取り戻せるように、登校可能な生徒には「通学型コース」、不可能な生徒には「集中スクーリング型コース」を設置しているのも特徴だ。広域通信制高等学校のため全国から入学が可能で、年度途中からの転入学・編入学も受け入れている。通信型は生徒の学習レベルに合わせた授業を少人数体制で行う。集中スクーリング型はレポート作成、スクーリング出席、テストによって単位を修得する。こうしたさまざまな取り組みの結果、将来の目標が明確になり、社会的自立を果たしている卒業生は数多い。
 
 「いつか咲く、思いどおりにきっと咲く」。まだ蕾だった一つの桜が、やがてほころび見事に花開くように、逞しく成長した生徒たちの姿がそこにある。これは「さくら」国際高校という名前の由来でもある。
 
 「学校は教育の専門家ばかりでなく、地域の人々や各界の人材と英知を集めて子供たちを育むところ」という学校方針に基づき、同校では地域と一体となったユニークで楽しい授業が行われている。地元の講師を招いて行われる選択授業は、世代や職業を超えた人々との関わりの中から「生きる知恵」を学び、実践することを目標とした「コミュニティスクール」から誕生したもの。また、毎年開催される夏祭りも生徒が心待ちするイベント。生徒が中心の神輿担ぎ、出店の準備や呼び込みも行う。そこには穏やかな交流が自然と生まれ、笑顔があふれる。地域の人々と共生し、学び合い、同じ感動を分かち合うことで、社会から必要とされる喜びを感じることができるのだ。今では生徒たちも地域に貢献したいという思いが強くなっているという。
 (次回に続く)

  (2015年5月2日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「小中一貫校の問題」

 市川市にも小中一貫校が開校した。政府の教育再生実行会議が学校運営を一体化し、効率化を図るために提言したもので、「学力向上」と「中一ギャップの解消」を目指し、小中学校の義務教育9年間のカリキュラムを弾力的に運用する公立の義務教育学校である。

 だが、今までに開校した小中一貫校は「机上の空論」「子供を実験台にする」などと評判は極めて悪い。中学校の学習や生活の変化になじめず、不登校やいじめなどの問題行動につながる「中一ギャップ」に対応できる制度というが、現実にはその逆で、解消どころか人間関係の固定化が新しい人間関係づくりへの道を阻み、そこから抜け出せない状況に苦しむ9年間になるという。人は成長の過程で様々な人と出会い、交流しながら人間の多様性や人間関係などを学び、心豊かに成長していく。特に幼児期から学童期が重要だが、その機会を与えられずに育った子供にとって、中学校進学は新たな人間関係づくりのチャンス、不登校やいじめから抜け出すチャンスでもある。小学校でいじめを受けている子供たちが「今の人間関係から抜け出せる」と、中学進学を歯を食いしばって心待ちにしている現実もある中での制度改革。子供たちの環境変化に対応する力を付ける機会を奪う小中一貫校であってはならない。幅広い人間関係をつくる経験のないままに成人ともなれば、仕事場の人間関係になじめず会社を辞めるとか、引きこもるという道に迷い込まざるを得ない。

 「学力向上」についても厳しい評価がある。学力はいくら学校制度を変え、教師の研修強化をしたからといって向上するという単純なものではない。そんな知見も無しに学校が子供たちに学力競争を促すことにでもなれば、地域の受験競争を煽る事必至。事実、既存の小中一貫校で進学校化している学校も現実にある。

 更に、小中一貫校は高校進学時に課題がある。人間関係が9年間固定化されてきた生徒と、中学進学を経験した他校生徒とのギャップである。筆者の経験からも、思春期真っ直中の高校進学は、中学進学時よりギャップが大きいと認識しているが、そのことについては全く考慮されていないのが現行の小中一貫校だ。

 「統廃合無しの一貫校と全国から注目されている」と胸を張るが、注目しているのは制度や施設利用の効率化。それより、子供たちを大事にする一貫校にしてもらいたいものだ。

  (2015年4月18日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「保育・教育環境の悪化」

 「子ども・子育て支援新制度」がこの4月にスタート。ただ、あまりに複雑で分かり難い。政府の狙いは待機児童を減らすことだけにとらわれていて、例えば小規模保育事業になると職員の半分以上が保育士であればよいとしているが、乳児の保育は専門知識と技術が無ければ安全面から不安が残る。その一方、職責に賃金が見合わないとして保育士不足が深刻化しているという。

 また、首都圏で、子供の声が煩いとして保育園が迷惑施設になっている所もあるという。また、高架下に建設されるなど、子供たちが遊ぶ園庭の確保が難しいなどの問題もある。

 特に、乳幼児期は体全体を使って思いっきり遊ぶことが大事であり、遊びを通して人間観察や人間関係など大切なことを学んで成長していくものであるから、遊ぶのを制限するとか、室内でしか大声を出せないなどというのは子供にとっては抑圧的であり、健全な成長にはマイナスの影響でしかない。その点、自然に囲まれた保育環境にある地方の子供たちは恵まれている。保育園や保育所をただ増やせばいいというものではない。保育施設だけでなく同時に保育環境のことも考えるのが子供のことを考えた本来の保育政策であろう。

 近年では、子供の声が煩いなどという苦情で対応を迫られている自治体が多くあるようだが、本来子供は遊んだり運動したりするときは思い切り体を動かし大声を張り上げるのが当たり前であり、それが子供というものだ。

 このような育児や養育、学校教育の場である地域の教育環境悪化は今に始まったことではない。30年以上も前のこと、1980年代半ば頃だったと記憶しているが、その頃から都会では学校から出る音を地域の騒音とされるようになった。運動会練習のスピーカーから出る音や応援する児童生徒の声が煩い、吹奏楽部の楽器の音が煩いなど、近隣住民からの苦情が多くなってきた。各学校では、その対策に追われ、音楽室に防音とエアコンなどの設備を施すとか、運動会の練習時間を減らす、応援歌や声援の声、スピーカー音を絞るなどして対応してきた。

 コンラート・ローレンツの言う「感性の衰滅」は日本人にも起こってきたと筆者が感じ始めたのが、クツワムシなど虫の鳴き声が煩いと言い出した頃である。今では子供の声まで騒音にしてしまった日本。このような環境で子供に健全に育てと言うには、余りにも無理がある。

  (2015年4月4日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「 学校の本当の役割 」

 数十年前に始まった家庭崩壊に続き、地域の崩壊、その次は学校崩壊だといわれ、一時は学級崩壊を引き金に学校崩壊が一気に進むかとの危機感を持ったが、そこは教師たちの教育愛という底力が発揮され、見事回避した。その後も、ゆとり教育だ、学力向上だところころ方針を変える文科省や教育委員会、そしてモンスターペアレントなどからの大波が押し寄せるなど幾度となく崩壊の危機にあったが、忍耐と努力の末に立て直しに成功しているかのように見える。

 しかし、学校の役割という前提で今の学校の置かれている状況を見る時、多くの理不尽なことが目に付く。

 いじめや不登校に始まり、子供時代の非行から成人した後の引きこもりや人間性・人格の問題まで、教育が悪いから、学校がだめだからという。本当にそうなのだろうか。

 本来、学校教育は万能ではなく、できることは限られる。学校がきちんと教えれば何とかなるというのは学校依存社会が生み出した幻想に過ぎない。学校にはとてもそんな力はないし、あれもこれもと押し付けられれば、いずれは本来の役割もろともパンクする。

 1990年代に学校をコンビニエンス・スクールと名付けた人がいたが、名言である。当時は交通安全、麻薬、エイズ・性教育と次々と社会問題化したものは何でも学校教育へと持ち込んでくる時代だった。その後も増えることはあっても減ることはなかった。

 最近では、英語指導を小学校からやると言い出し、教員養成や教員増をしないまま担任任せの見切り発車。脳の発達の面からは母国語と外国語の混乱を招くというが、その議論もないままに。また、今度は道徳教育の教科化だと言い出す始末。道徳は心の問題であって、教えるものではなく育てるもの。しかも、本来学校は一つの真、一つの善、一つの美といった単一の価値観を教える所ではない。世の中にはいろいろなものの考え方がある、と知らせる所。それを自ら体験し、自分なりに選択ができるように時間をかけてゆっくりとたくさんの可能性を見出していくべきなのであるが、今の教育はこれが正しく、これ以外はだめと決めつける。

 人間は間違ったり失敗したりしながら成長する。間違いや失敗の体験を反省し、次に生かせるようになれば、自分を認められるようになる。それが成長である。問題の応急処置ではなく、人としての成長を支えるのが本当の教育であり、学校の役割ではないのか。

  (2015年3月21日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト



「地域の教育力を取り戻す」

 日本で「家庭崩壊」による子供の変化が見られ始めたのは、高度経済成長期初頭の1960年代。その頃の人々は仕事に傾注し過ぎ、子供の教育は学校任せであったことは否めない。従って、子供の人間形成に不可欠な教育環境に特別な関心を示すこともなく、豊かになった家庭経済によって物や金で子供を育てるという手軽な方法を選び、心を育てることを忘れていたのである。

一方、心の成長を支える地域も教育環境としての価値を失って行くが、それは地域に対する人々の意識が変わり、子供を育てるためには地域が重要とは考えなくなってきたことによるものと思われる。しかも、当時は地域そのものが崩壊に向かっていた時期でもあり、隣近所は勿論、地域の人間関係の希薄化が地域活動への参加人数の減少を招くなど多くの課題を抱えていた。

そんな中、市川市は1980年という極めて早い時期から地域の教育的価値を重視した教育施策を展開してきた。その結果、子供の自立に良い影響がみられたことは勿論であるが、地域社会自体も活性化し、教育力を回復してきたことは大きな成果であった。人々は地域を一つの家庭と見なし、地域の子供は地域で育てるとの理念を持ち「家庭・地域・学校が一体となって子供を育てる」との合言葉の下、人々が協力して子供の人間形成に関わったのである。

主な成果としては、核家族で育つ子供が自分の家にはいないお年寄りとの接触を体験できる、兄弟の少ない子供が地域の大勢の友達と交わることができ、しかも異年齢の子供との交流も経験できる―というように人間形成に相応しい教育環境となったことだった。また、大人同士の近所や地域での付き合いの広がりが子供の人間関係の広がりにも繋がっていったのである。現代の子供が抱える社会体験や自然体験など体験の貧困化やコミュニケーション力の不足をも克服できた。こうした地域で育った子供は成人してからも地域に対する感謝の念を持ち続け、あとに続く後輩のために力を貸したいと、地域行事の企画・運営などに携わるなど現在でも積極的に活躍している。

子供が人間形成をする上で家庭以上に重要な地域の教育力を軽視する日本では、子供の健全な成長発達は望めない。国にその認識が全く無いので地方の教委に期待したいが、それもダメなら、地域・家庭・学校が一体となり地域の教育力を取り戻さなくてはならない。

  (2015年3月7日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「重要な家庭での躾」

 1990年代前半、日本では政府は疎(おろ)か、文部省や地方教育委員会にも危機感が全く無い中で、現実には子供の成長を左右する教育環境の劣化は急速に進んでいた。
 
 日本で「家庭崩壊」などという言葉が聞かれ始めたのが1960年代前半。ほぼ時を同じくして「不在家庭」「鍵っ子」などの言葉が生まれた。
 
 この頃、ある少年院で筆者と少年達との出会いがあり、一人の少年が書いた「親への手紙」を見た。手紙には「自分はいつも悪者扱いされてきたが、どんな悪さをしても、親も先生も本気で叱ってはくれなかった。一度でいいから本気で叱ってもらいたかった」との気持ちが綴(つづ)られていた。当時、教育現場では「子供の為(ため)になる叱りは愛情であり、教育の場においても必要な要素」と言われていたが、子供達も叱られることを求めていたのだということが分かったのはその時であった。
 
 「幼い頃、叱られた子供ほど、人生のショックに耐えられる」という。叱られることでショックに対する耐性が付き、人生のさまざまな出来事に耐えていけるというのである。また「幼い頃によく叱られた子に精神異常者は少ない」(当時の松沢病院長・三宅礦一氏)ともいわれ、子供を精神的に健全に育てるには叱ることも必要である。
 
 但し、何でも叱ればいいということではなく、叱らなければならない時に冷静な叱り方ができるということが大切である。決して、その時の単なる感情で叱ってはならない。それに、叱ってばかりでは子供の生きる力は育たない。よかった時は思い切り褒めることも必要である。この「褒める」「叱る」には大人の側には子供に対する愛があり、子供はその愛を感じるという、両者の間に敬愛を基礎とした心理関係が無ければ教育効果は期待できない。
 
 筆者が担任した生徒の一人で番長といわれ、家でも学校でも叱られてばかりいた生徒に成人して再会した時「俺は子供の時いつも叱られてばかりいたけど、先生は俺を叱ることがなかった。それが嬉(うれ)しかった」といわれたことがある。叱る、褒めるに、叱らないことも加えて、バランスある対応が人を育てるようである。
 
 昨今では、家庭での躾(しつけ)不足や躾と体罰・虐待との混同などが問題となっているが、正しい躾が人間形成(脳の発達)の重要な要素である限り、それが疎(おろそ)かになっているとすれば健全な成長は望めず、子供にとっては不幸である。

  (2015年2月21日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「少子化の懸念(1)」

 子供が人間として成長するには育つ環境の良否が大きく影響する。
 
 1993年教育長就任直後、当時市川市教育委員で青山学院大学坂井正廣教授(故人)から手渡された一冊の本がある。それは日本教育経営学会紀要―第35号「教育人口の変動と教育経営の課題」(第一法規)、その中に、少子化現象は「家庭教育機能の低下」と「地域社会の養育機能の弱体化」をもたらす、としてこう論述してあった。「兄弟の数や隣近所の子供の数が少なくなるために、多くの兄弟間の接触や地域での同年齢・異年齢の様々な子供同士の接触が少なくなり、地域における多様な子供集団の形成が難しく、子供の社会性の育成の面で困難が生じることにもなる。それは子供の自立の遅れや主体性の無さをももたらすことにもなる」また、「少子化は、家庭での躾や教育の低下をもたらし、更には人間関係の希薄化が、それだけ社会体験は勿論自然体験など様々な体験が乏しくなるという事態をもたらし、子供の生命力・意欲の低下の傾向は集団教育や生活体験を前提としている学校教育の成立に困難をもたらすことになる」(高知大学・小泉祥一氏の論文から)とあった。
 
 この論文で指摘されていた少子化による子供の養育や教育への悪影響が現在では現実化している。家庭での躾が十分になされないため子供の社会性や善悪の判断・規範意識などの発達が十分でないこと。また、生命力・意欲の低下傾向が子供の集団形成や様々な体験の蓄積の障害となることから、集団生活になじめず自分勝手な行動をとることで学級崩壊といった学校教育成立が危ぶまれる事態が起きているなどがある。
 
 一方、その頃のアメリカでは「親の離婚、家庭の貧困などで多くの子供たちがストリートチルドレン化している等、子供を取り巻く養育や教育環境の悪化が進み、しかも家庭崩壊に続き、地域までもが崩壊という最悪の環境に苦しむ子供達」というレポートが出ていた。その中に「近い将来日本も同様の道を歩むであろう」との記述があった。
 
 唯、当時のクリントン政権は、この問題を真正面から受け止め素早い対応を見せていた。20人学級の実施とそれに伴う教師養成と教室など学校施設の増設。それと、子供に対する地域の責任を説き協力を求める政策を発表。いずれも大幅に予算をつけるというものであった。では日本はどうだったか。(次回へ)

  (2015年2月7日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「理想的な育児・教育環境とは」

 日本の教育政策「学力向上と制度改革」はなぜ問題なのか。それは政治主導で決められた教育政策であって、教育の本質とはかけ離れたものだから。政治という性格からすれば、その時の政権の都合が優先されることは避けられない。その例を世界的に見れば、最もよく知られているのが、イギリス・サッチャー政権時の教育改革である。当時のイギリスの深刻な不況を立て直す為の教育改革とされたものだが、結果は失敗に終わっている。
 
 日本に目を転じると、代表的なものに偏差値を教育に導入した「偏差値教育」がある。その目的が「国に従順な日本人をつくる」ことにあったということが、導入に関わった元政治家の話から明らかになっている。当時は、ベトナム戦争や日本の政治に反対した学生運動が大きく広がった時代。その火消し目的に使われた道具が偏差値だった。このように、政治主導の教育改革は、そこに働く政権の思惑が色濃く反映されるものであって、「未来に無限の可能性を有する子供が学習によって自らの人間性を開花成長させていく過程を支援していく」という教育本来の目的とは全く違ったものになる。
 
 ここで改めて、教育について考えたい。教育の原点は「『育』児」であり、「教『育』」とは教え『育』てることであるが、現行教育は教えることに偏り、『育てる』という視点が欠落している。もし『育てること』に目を向けるならば、子供の健全な成長を担保する「環境と経験」が重要であることが分かる。
 
 かつて、子供の教育は学校だけが担っていたわけではない。地域社会全体が子供を育て教育することに関わってきた。それが、現代では、家庭、地域社会、学校が分断され、孤立してしまった。
 
 このような教育環境の破壊に目を向け、子供たちの健全な成長に相応しい教育環境にしていく努力改善をすることが地方教育行政(教育委員会)の使命であり責任でもあるのだが、現状は文科省の進める「学力向上」「学校制度の改革」などの政策をひたすら追従するだけというのが大方の実態である。
 
 理想的な育児・教育環境とは、地域社会の文化や人々、自然などが持つ優れた教育力が豊かであり、その活用がなされること、及び教師の優れた力量が存分に発揮できる教育現場がある所である。このような教育環境づくりこそ、教育行政の果たすべき役割ではないのか。

  (2015年1月17日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「ISAKの開校」

日本の学校教育の行き詰まりが指摘されている昨今だが、そうした中で、これからの学校教育の在り方を示唆する全寮制インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)が昨年9月、軽井沢町に開校した。

理念は「全ての生徒は経済状況に関わらず優れた教育を受ける権利がある」。ISAKミッションは「太平洋地域そしてグローバル社会の為に、新たなフロンティアを創り出し変革を起こさせるリーダーを育てます」。つまり、グローバル社会の為に教育を通じて世界の未来に貢献できる人材を育成する場をつくりたいというのである。特徴として①国籍や家庭の経済状況、強みや個性が異なる生徒が集い、寝食を共にし、多様性への寛容力を養う②問題を解く能力に加え、『何が解かれるべき問題か』を発見できる力を養う③生徒主導の寮生活の運営やアウトドア活動を通じ、生徒自身が判断する経験の場を提供。リスクテイキングのトレーニングを行う―の3点が挙げられている。

ISAK設立に情熱を傾け奔走したのは主婦の小林りんさん。高校生の時に経団連からの全額奨学金を受け、カナダの全寮制インターナショナルスクールに留学。大学では開発経済を学び、2008年までユニセフのプログラムオフィサーとしてフィリピンに駐在。ストリートチルドレンの非公式教育に携わる中で、圧倒的な社会の格差を感じたという。その時の実体験がもとで「貧困層から変革する人が出てこないとだめだと考え、リーダーシップ教育の必要性を痛感した」と小林さんは語る。

学校建設に必要な経費数十億円を全て寄付金で賄うことができたのも、開校までボランティアが携わってくれたというのも小林さんの人柄があってこそ。

生徒は15歳から18歳という多感な年齢で、自分の生きていく道を見極める高校生という年代にターゲットを絞り、世界中からの留学生を受け入れる。

ISAKの教育現場は「先生と生徒が全て」といわれ、教育内容や授業のやり方など教育全てが教師に任され、教師がそれをゼロからつくりあげることになるから、教師の力量が問われるのは言うまでもない。

教育内容から授業時数・授業方法までこと細かく決められ、教師は自らの考え、方法を実践することすらできない日本の学校教育の現状からすれば画期的なことで、日本の教育の正のフィードバックがここ軽井沢から起こることを期待したい。

  (2015年1月3日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト