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「自然や文化を地域の教育力に」

 【昔、松本平が湖だった頃のことだ。湖のはるか東、鉢伏山のふもと、中山の産ヶ坂に、泉小太郎という男の子が、おばばと住んでおった】(民話集・峠の旗第161号)。信州の民話「泉小太郎」はこうして話が始まる。これは松本平と安曇野平に伝わる民話で、このあたりでは誰もが知っている。母親である辰【龍】(諏訪大明神)の背に乗った小太郎は狭く貧しい土地に苦しむ民を救うため、力を合わせて命がけで岩を砕き、肥沃な土地を切り開いたが力尽き、犀川の濁流の中に姿を消す。母と子の固い絆、他者への思いやりが、水に苦しんだ民の叫びとともに、民話を通じて伝わってくる。

 安曇野市の犀川の畔で毎年、夏に開催される『薪能』でもこの民話が演じられる。薪能は、この地の出身で国の重要無形文化財保持者の観世流能楽師、故青木祥二郎先生が「故郷に恩返しを」と平成3年に始められたものであり、この夏で23回目の開催を迎えた。演目の『(犀龍)小太郎』は祥二郎先生の長男、青木道喜先生(無形文化財・能楽師)によって創作された安曇野薪能のオリジナル作品である。評判は高く、京都薪能、島田薪能など各地で上演され、大好評というもの。筆者もこの「薪能」を平成19年から6回鑑賞しているが、演目『小太郎』に出会ったのはこれまでに2回。原話にはない魚たちや水の精が間狂言として登場するなど、子供にも楽しめるものになっている。また、同時に青木能楽師指導による市内小中学生の連吟・仕舞いも毎回披露される。

 安曇野に限らず長野県では「民話を伝える会」が至る所にあり、語り部を通して地域の歴史や昔の人々の苦労と努力・知恵などを伝え、先人たちへの尊敬と感謝の念を育むとともに、子供たちの「生きる力」を養っている。

 他にも、全国に名だたる諏訪太鼓の影響もあってか、県内各地に太鼓連があり、穂高では中学生が総合学習の時間を使って公民館で太鼓を学んでいた。お舟祭りでのお囃子や三九郎(どんど焼き)、芋ほりと焼き芋祭り、菜の花祭りなど挙げれば限がないほど、地域の行事(教育力)はふんだんにある。

現在行われている国依存の画一的な教育だけでは子供の豊かな人間形成はできない。豊かな自然や文化を地域の教育力とするには教育委員会・学校によって自主的にカリキュラム化してこそ、本来の教育が達成されるのである。

  (2013年12月21日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「いちかわ村は貴重な教育環境」

 長野県須坂市にある「菅平高原いちかわ村」の廃村が決まった。理由は、市の財政難で施設の維持管理が困難だからというのだ。
 
 財政が厳しいから、負担の重い施策を廃止するというのでは、余りにも発想が短絡的で、知恵が無さ過ぎる。例えば、「いちかわ村」を地域に開放するとか、そこを起点に周辺の景勝地や観光地を訪ねる自然体験プログラムをセットするなど工夫されてもよかったのではないか。昔は市川市にもあった臨海・林間学校などに代わる自然体験学習を考えてもいい。
 
 安曇野市には「いちかわ村」同様の東京都江戸川区の施設「穂高荘」があるが、宿泊者は年間を通じてほぼ満室。その理由は、宿泊のほか気球の乗船、それに上高地や黒部渓谷、白川郷などへの探索、その他季節に応じて多くのプログラムがセットされているからだという。勿論、地域にも開放している。
 
 そもそも、「いちかわ村」は市川市民の財産であり、唯一豊かな自然にとっぷりと浸り、ゆったりとした時間の流れを感じられる場所であった。特に、子供たちの成長には欠くことのできない本物の自然との出会いの場であり、豊かな人間性を育み、幼少年時代の好奇心を存分に発揮して知性を育む上での唯一無二の教育環境であった。
 
 教育について或る程度の知見があり、真剣に子供たちの成長を考えられる大人ならば、何にも代えがたい貴重な教育環境である「いちかわ村」を廃村にするなどできないはず。長年、市川の子供たちの成長を見守ってきた筆者としては、子供たちの将来を考えると本当に無念である。
 
 かつての市川市は、文化と教育の街・文教都市として世に知られてきた。教育施策・学校教育ともに先進的・創造的であり、常に日本の教育に大きな影響を及ぼす存在であった。特に、コミュニティ・スクール事業は市川市が全国に先駆け1980年から取り組んだ画期的な事業であり、現在では長野県は勿論、全国で取り入れられている。
 
 この事業を廃止した辺りから、市川教育は廃れ始めたといってよい。教育分野では、聖域なき一律の人件費等削減が貴重な多くの人材を遠ざけ、子供の成長には不可欠な地域の教育環境を蔑ろにしてきた。追い打ちをかける今回の決定。教委をはじめとして市川市の行政は、子供の豊かな成長を本気で考えているとは思えない。

  (2013年11月16日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「地域教育の良し悪しは首長次第」

 信州教育を阿部守一長野県知事(就任3年目の県民支持率84%)がどう感じ、どう考えているか。以下、信州の情報誌KURAの特集「信州人を育む教育」のうち、知事インタビュー「活気あふれる信州っ子を育む長野県らしい教育」から抜粋。
 
 長野県らしい教育とは―。「長野県の教育環境はとにかく素晴らしい。自然の中で子供を育てていこうという動きが民間から始まり広がっているし、子供たちを自然のある環境下にと、引っ越してくるご家族もいる。農業体験や林業体験は、すぐ近所でもできるし、指導をしてくれるエキスパートもいる。また、農業や林業に携わる方々の姿を間近で見られたり、お話を聞いたりするのも都会では容易ではない。ある意味、都会の子供たちは自分の人生の選択肢を広げられにくい環境下にいるのではないか。教育の中で地域の伝統や文化などを実際に体験してみると、机に座って勉強することの何倍もの思いを感じ取れるし、いろいろな気づきを得られると思う」。
 
 地域とのかかわりの大切さを、子供たちにどう伝えていったらよいか―。「やはり学校を開いていくこと。開かれた学校というのは、子供たちが地域と交流できるという環境をつくるということだ。教育タウンミーティングで子供たちと話をすると、『もっと地域のことを知りたい』という子供が多い。この想いに対して私たち大人はしっかり応えていかなければならないし、その中で長野県が持っている自然環境や農業、林業という身近だけど重要な産業が、その環境をもっと子供たちのために活かしていくことが必要なのだ。その上で学校を開いて学校内外の交流を盛んにし、自分たちの体験とか、これまで培ってきた経験や知識などをしっかり伝えていける関係をつくっていく必要があると思う。最終的には郷土愛を育むことが学校教育にはとても大切なことだと考えている」。
 
 このほかにも、知事が新しく作った『次世代サポート課』への期待や「長野県が競争力を高めていくうえでも行政の分権だけではなく『知の分権』の推進を考えての高等教育の充実も欠かせない。近いうちに『産学官協働人財育成円卓会議』を設置(9月6日開催)し、産業界や大学、行政が一緒になって人材育成を進めていきたい。人は地域の財産ですから」とも語る。
 
 地域教育の良し悪しは首長次第とつくづく思う。

  (2013年11月2日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「教育改革、危うい方向へ」

 今、教育制度改革が危うい方向に向かっている。「教育改革を議論している中央教育審議会教育制度分科会が先月26日開かれ、小川正人分科会長(放送大学教授)は中間まとめ案を提示した。教育行政の執行機関を現在の教委から、首長に替える案と、現行通り教委としつつ役割を限定する案の二つ。(以下略)」(日経新聞9月27日朝刊)
 
 この報道を受けて急遽、連絡を取った小川教授によると「改革の方向性の現状は教育委員会を廃止し、教育行政は首長の下に置かれる方向で改革案がまとまっていくことになりそうだ」という。
 
 もし、その方向で決まるとしたら、民主教育の大転換となる。教育委員会制度の意義は「①政治的中立性の確保②継続性・安定性③地域住民の意向の反映」であり、民主教育の要。それが崩壊することになるのだ。
 
 選挙で選ばれる首長が教育の全権限を握ることになれば、人気取りのために教育の本質とかけ離れた教育政策を掲げてくることも考えられる。現に、現行法下においても大阪市や静岡県の首長に代表されるような言動がみられる昨今である。
 
 筆者も同様な経験をした。首長が替わった途端、財政難の名の下に教育施策を次々と潰しにかかったのである。そこには教育的な配慮・判断など全くなく、首長の個人的感情が色濃く反映されるものであった。ただ、当時は教育委員会が正当に機能していたので、首長の不条理な要求も教育的であるかどうかを議論し判断することができたが、教育行政が首長の権限下ともなれば首長の直接的な指示で教育行政が動くことになる。教育に対する知見が無く、独断専行型の首長ならば更に危うさが増す。
 
 子供の人間的成長発達を支える教育においては、教育の継続性・安定性が求められる。仮に、首長の任期が短期だとしても、子供たちの成長発達への負の影響は計り知れないほど大きく、取り返しのつかないものとなる。
 
 教育に携わってきた筆者として、この危機を黙って見過ごすわけにはいかないと、交流のある何人かの識者と連絡を取り合った。その一人の与党前議員からは「『権力は魔性』。本当に危ない時代。正義の連帯を広げないと。特に教育は、権力の支配下に入らないよう、子供たちの将来のために有識者と連携し挑戦します」との覚悟を伝えてきた。当事者である教育委員・教育長の奮起を求める。

  (2013年10月19日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「『自由・多様性』のある信州教育」

 《ほかにはない、この地域ならではの教育プログラムを教えてください》
 
 昨年末、長野県の地元月刊情報誌KURA編集部が県内各市町村の教育委員会にアンケートを行い、46市町村から97の教育プログラムが報告された。いずれの取り組みも、子供たちの未来を見据えるという共通性はあるものの、地域の個性があり、一様ではない。
 
 前回までに取り上げたもの以外では
 ①地域の歴史、伝統・文化の継承プログラム=
 ▽塩の道遠足や山菜採り遠足をして地域の文化や伝統に触れ、歴史を学ぶ(小谷小・中)
 ▽手先を器用にしようという目的から、肥後守ナイフを使って地域の素材を利用した工作を行い、創意工夫する力や自校の伝統文化に誇りを持つ気持ちを育てる(池田町A小)
 ▽安曇節の継承(松川村M小)―など
 ②地域の資源を生かした体験活動=
 ▽市の「棚田オーナー制度」に協力し、姨捨の棚田で米づくりを体験することで、棚田の果たす役割など環境保全や環境教育を進めている(千曲市Y小)
 ▽ブッポウソウの保護活動に参加(天竜村)
 ▽蛍の里づくりと連携した蛍の飼育と蛍学習(高森町小中)
 ▽国有林の一部を学校林として、地域の学校運営協議会などの支援のもとに体験しながら森林の学習をする(長和町・W小)
 ▽森林の伐採現場、間伐材の加工工程を見学、クラフトや椅子づくりなどをしながら地域の森林保全を学ぶ(川上村K第二小)
 ▽地域活性化に取り組む団体と連携し、地域や人と触れ合う会「観郷ウォークラリー」(上田市Y中)
 ―などがある。
 
 自治体も同様に、横並びではなく地域性がある。例えば、
 5年生を対象に全員が村内の施設に宿泊して学校に通学する「通学合宿」(阿智村)、
 宇宙との関わりについて考え、探求心と広い視野で未来へ夢や希望を育める人を育てる「JAXAの授業支援」(下諏訪町)、
 地域単位で教育全般にわたった懇談会「エデュ・カフェ(教育未来会議)」の開催(富士見町)、
 18歳まで育ちを応援する「元気っ子応援事業」(塩尻市)、
 特別支援教育への取り組み強化「早期発見、療育、幼保小の連携による相談や指導体制の充実と予算の加配」(大町市、安曇野市)
 など。
 また、小中一貫校も売木村(昭和46年から)・飯田市・大町市など数校がある。海外の学校との交流も盛んだ。
 
 学校も自治体も、教育の本質「自由・多様性」という筋の通った信州教育である。

  (2013年10月5日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「食で育む信州人」

 国依存ではない自立した長野県の教育、その取り組みを、地元の月刊情報誌KURA(くら)から紹介する。
 
 【「信州人を育む教育」これが信州教育の理念でもあり目標でもある。様々な問題を抱える世の中でも、すくすくと成長を続ける子供たち。彼らが大人になった時、自分の故郷を、そして日本をどれだけ愛する大人になるだろう。
 
 長野県内の小中学校では、地域の伝統や文化を積極的に授業に取り入れ、故郷の魅力を児童・生徒に伝えている。学校や保護者はもちろん、地域や企業なども様々な形で学ぶ場を支援している。信州教育に共通するのは、〝信州を愛する『信州人』を育てたい〟ということ。】
 
 その具体例として、今回は「食で育む信州人」をテーマにした取り組みを紹介する。
 
 木島平小学校の学校教育目標は「故郷を心に刻む教育を通して心と体をひらいて学ぶこども」。子供たちがより健やかに成長するために、学校、家庭、地域が一体となって子供を育てたいという想いが込められている。故郷を知るための米づくり体験を5年生中心に全校が団結して取り組む。講師は地域の人たち。「米づくり体験をはじめとする授業には、地場産業や伝統文化を大切にし、継承していきたいという強い想いがある」と校長。地域と一緒にたくさんの体験を通して子供たちに『郷土愛』を育ませることが学校のさらなる使命といえるだろう。
 
 次に、食育先進都市・塩尻市の広陵中学校。「食の自立」を目指し、市特産品の生産活動を行っている。中でも革新的取り組みとして「生徒自身による給食献立の考案」と「オリジナル献立を全校生徒が給食で体験する」というカリキュラムが全国から注目を集めている。塩尻市は「楽食・育膳」をスローガンに市民一人一人が「食」に対する知識を体験を通して深め、健全な食習慣が定着するよう食育活動を市民運動として展開している。市は学校給食に関する取り組みを最重点課題として位置づけ、市内全校に栄養士を配置し、自校給食を行うなど、全市を挙げて生徒の「食育」を支援している。現場では生産者・学校・行政が連携し、食を通した生活習慣の改善、農産物生産に携わることによる情操教育などが行われている。他に、キムチとたくあんなどを混ぜた「キムタクごはん」も全国区だが、いずれの場合も一人の栄養士の発想を市全体で支えているのである。

  (2013年9月21日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「信州教育 市町村の判断で学級編成」

 信州教育が国依存でなく独自性を貫けるのは、信濃教育の精神が教育関係者に止まらず県民にしっかり根付いているからである。

 例えば、県独自施策でなければできない30人規模学級。平成15年には、既に全県で推進していた。しかも、前年まで小学校3年生までだったものを、この年から6年生までに拡大するとの方針を打ち出した。これも県民の後押しがあればこそ。

 そして、自治体のこの姿勢。当時の長野県教委発行『教育ながの』には次の文が掲載された。【30人規模学級拡大方針の真意は「『学級編成弾力化』の実質的権限を市町村教委に持っていただきたい」という思いからです。現在の法制度上で、学級編成は「国が標準」を定め、国の規定により「県教委が定めた基準」に従い、「市町村教委が行う」となっています。法律の規定上は「市町村教委が学級編成の決定をできる」はずですが、県教委が教員採用・配置の権限を持っているために、これまでは現実的には市町村教委が主体的に学級編成を行うことができませんでした。「この状況を変えたい」という強い思いを県教委は持っています。】

 どうだろう。当時の全国の教育委員会の中でどれだけの都道府県教委がこのような考え方をしていただろうか。殆(ほとん)どが国従属で、学級編成を市町村に持たせるという発想などなかったのではないか。

 更(さら)に【30人学級をどの学年まで導入するかは、市町村の判断(保護者の要望、教室の確保や教員人件費について総合的に判断する)を尊重することにし、県教委としては、市町村が希望すれば、4年生だけでなく、5年生にも、6年生にも拡大できるような環境設定を行うこととしたのです。】具体的な解説もある。【学級編成の弾力化により、クラスの児童数が41人から2人減って39人になった場合でも国の基準では1クラスであるが2クラス編成が保たれる。逆に、35名2クラスだったところへ2人増えて37名になったとした場合、クラスの継続性を考えて2クラスでも、24名3クラス編成でもよいということになる。いずれも、「地域の実情や考え方」が反映された学級編成を市町村が自らの判断で実施できることを重視した制度としております。】

 現在では、中学3年生までの30人規模学級が実施されている。「財政難だからできない」という詭弁は、長野県にはないのだ。

  (2013年9月7日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「いまも受け継がれる信濃教育」

 筆者が信濃教育を知ったのは20代半ばのこと。当時は、教職員の研修体制が確立されてはおらず、国や教育委員会主催の研修などというものは殆どなかった。従って教員研修は、国・県・市の研究指定校の研究会の授業研究が主であった。ただ、夏季休業日を利用しての自主研修は盛んに行われていた。主催は各種教育団体や書籍会社など民間で、会場は東京が多かった。幸いにも会場に近いという地の利に恵まれた市川にいたので、多くの研修から選んで自主的に参加が可能であり、信濃教育を学んだのもこのころの研修会である。

 当時、信濃教育といえば、ずば抜けた知名度があり、研修内容に「信濃教育」という文字を見つけただけで参加者が殺到した。それだけ、長野県の教育は優れていたということであろう。

 あれからほぼ半世紀の間に教育の国家統制は年々強まり、教育現場は国と国に従属する教育委員会によって管理統制される場となり、学校・教師は本来の主体性・自律性を発揮できず、国依存への道を歩まざるを得なくなったのである。

 このような歴史的背景の中でも、信濃教育の精神が教育者のみならず信州の人々の中に脈々と流れ、現在まで受け継がれているということをこの地に来て実感した。

 小欄では、自立した信州教育(現在の名称)の実情を教育行政・学校・地域の民間団体・企業などの視点から見ていきたい。

 まず、長野県総合五か年計画を見ると、政策推進の3つの基本方針の一つ【『人』と『知』の基盤づくり】を進めるために、県教委は「教育再生プロジェクト」を設定している。タイトルは「よき人生を築き社会に貢献できる人材の育成」。目標は「子どもたち一人ひとりが、学力や体力、人間性などを身に付け、自らの人生を切り拓き、社会に貢献できる人材として育つとともに、県民誰もが生涯にわたる学びを通じて自己を磨き、豊かな人生を送ることが出来る教育県を目指します」。【未来の姿】としては「全ての子供が個性を輝かせている」「学校の自主性が確保され保護者・地域住民が学校運営に参画し、よい教育が提供されている」「実社会で必要となる実践力やコミュニケーション力を身に付けている」「生涯学び続けることで自らを高め、一人一人が人生を充実させているとともに、学んだことを地域社会に活かすことで地域に活気があふれている」などとある。

  (2013年8月17日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「学校現場からの改革」が長野教育

 平成15年、県教育委員会発行『教育ながの』の原稿依頼があった。その時の「国には依存せず、県としては独自の方針を貫いている」という担当者の言葉から、自立した長野教育を知ることとなった。
 
 筆者の原稿の概略は【そもそも日本の教育は国の統制管理のもとに行われてきたという長い歴史を持っている。戦後、本来は規定になじまない「教育理念」を法(教育基本法)に定めながら、その法の精神である「教育の自由・自主性の確保」「教育権の独立」「教育行政の一般行政からの独立」などは保障されないなど矛盾がある。
 
 このような背景の中で子供たちの教育環境は悪化の一途をたどり、子供たちの悲鳴に似た行動が次々と起こってきた。然(しか)しいずれも学校だけに責任をかぶせ、対処療法でその場を凌(しの)いできたため根本的な解決には至らなかった。勿論(もちろん)、市町村教委も国の方針に追従しただけ。(中略)この機に、国依存から脱却し地方それぞれが戦後教育改革における教育の地方自治、教育の民衆統制、一般行政からの独立の理念に立ち返り教育委員会と学校が一体となり、独自の地域教育確立に全力を傾注すべき時である。それには教育委員会・学校・地域社会がまず自立することからだ。】
 
 同時に原稿依頼を受けた東京大学の稲垣忠彦名誉教授も【ここ20数年来、教育改革の声がかまびすしく、特に中央の審議会からの提言が相次ぎ、マスコミもそれに同調している。言うまでもないことだが、教育改革は、一人一人の教師、一つ一つの学校が基本の単位である。「総合的学習における教師の主体性」、「教師と学校の主体性・自律性」、「特色ある学校づくり」などの掛け声は、個々の教師、学校の自己変革によってのみ実現が可能となるのである。】
 
 もう一人、古山教育研究所長の古山明男氏も【日本の教育制度は、とにかく学校と教員に任せない・任せられないという前提でつくられている。法によって二重三重に支配されていて、現場が何も決められない。学校は子供と教師の関係が生命線であり、そこからすべてが生まれるものである。】と書いている。
 
 県教委の「あとがき」には【テーマ無しの依頼に3名の提言が期せずして一致した。それは「学校現場からの教育改革」であり「長野教育は現場の先生の創意工夫が生み出している」】とあった。これらからも、長野県民の自立への自負を感じた。

  (2013年8月3日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「信州人の県民性」

 県民歌『信濃の国』が長野県の教育の根幹になっていることは前に書いたが、成果が端的に表れているのが信州人の県民性である。
 
 『出身県でわかる人の性格』(岩中祥史著・草思社)によれば「信州人(長野県人とは言わないのには歴史的な理由がある)は理屈っぽくて議論好き、教育熱心で郷土愛が非常に強い…」というのだ。更に、「それにしても、信州人の理屈っぽさは伝統的なもののようである。その分ユーモアを解する余裕に乏しいところもある。長野県からは喜劇役者は生まれないといわれるほどだ。『新人国記』にも、『尤も才覚もある国なり。但し頑なに野鄙なることは有りぞ』とあるように、理が勝ちすぎて柔軟性に欠けるのだろう」。一方で、「理屈に負けたくないために、信州人はとてもよく勉強する。本も読む。それもどちらかといえばお堅い本が多い。信州人と口論になっても、なかなか勝てないのはそのためだし、仮に一時的に言い負かしができたとしても、必ず再戦をいどまれることだろう。勝つまではけっして引き下がろうとしないからである。『仮令の雑談にも、弱みなる事を言はず、若し柔弱にして臆したる事、少し有るものは、人これを嫌ひて交はらぬ風なり』(『新人国記』)とあるくらいだから、必死にならざるをえない」のだろう。
 
 また、昭和初期、信濃毎日新聞主筆の桐生悠々はコラム『関東防空大演習を嗤う』で、敵機を迎え撃たねばならない状況こそ敗北だと断じ、首都空襲に備えた演習を「滑稽」と喝破したという。かつて世の大勢に抗した硬骨のジャーナリストを生んだ信州でもある。(日経新聞2013年7月5日朝刊から)
 
 一方、健康志向も県民気質といえよう。著書の中で岩中祥史氏は次のように書いている。「若い時からよく頭を使っているせいか、それとも几帳面で規則正しい生活を送っているためか、信州人の寿命は長い。」
 
 更(さら)に、県民性は信州の方言からもわかる。それは今でもよく使われている「ズク」という言葉。意味は、働く意欲、骨惜しみをせず精を出して働くこと、まめな人などを言う。「ズクがある」は働き者、「ズクなし」は怠け者をいう。「ずくだせえぶりでい」というラジオ番組もあるほどだ。これまでに筆者が出会った信州人は、確かにまじめで勉強好き、気骨があり、まめで働き者であることは間違いない。

  (2012年7月20日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「“やる気を育てること”こそ教育革新」

 文部科学省は土曜日の授業も行う週6日制に戻す検討を始めたという。保護者へのアンケート調査によれば、賛成・どちらかというと賛成が74%、反対・どちらかというと反対が18%。賛成の主な理由は、5日制では授業時間が足りない、私立との格差が拡大するなど、学力の向上と授業時間の関係から考えているようである。しかし、その考えの裏には、子供の教育というよりは大人の論理や都合が潜んでいるように思える。対して、反対の理由は、授業時間を増やせば学力が向上するとは思わない、世の中で週休2日制が広がっている、家族団欒の時間が減るなど、子供の成長を心から願う親の気持ちが表れている。反対は少数ではあるが、教育の本質を的確にとらえている。

 学力が下がるのは授業時数が少ないゆとり教育が原因だなどといった考え方は、何かの所為にするという現代日本人特有の思考である。裏返せば、授業時間と学習内容を増やしさえすれば学力が上がり、日本教育の再生ができるということになるが、本当にそういえるだろうか。筆者自身の学校生活や教え子たちの勉強の様子などの経験からも、授業時間と学習成績に正の相関関係があるとは思えない。

 昔からスポーツをする人は学習成績もよいといわれてきた。教師経験があれば分かっているはずである。最近ではスキージャンプの高梨沙良選手(16)がそれを示している。ジャンプの練習に時間を奪われ勉強時間は限られるが、それでも学習成績は優秀で、高校1年だった昨年夏には高校卒業程度認定試験(旧大検)にも合格している。少ない勉強時間を補う為に列車通学の時間をも活用するという努力家である。ジャンプ競技に見せる無類の集中力もその一つのようだ。

 学習するのはあくまでも学習者であり、教師でも親でもない。従って、学力が向上するか否かは学習者の努力次第で決まるものであるから、子供たちの学ぶ意欲(やる気)を親や教師がいかに高められるかにかかってくる。時間がないから、塾に行かないから成績が上がらないなどというのは言い訳に過ぎない。学力を向上させたいというなら、時間を増やすことより、学習者の「やる気(心の働き)」を育てる教育課程なり教材の開発、そして何よりも大切なのは、親や教師の励まし(気)である。それが教育革新であり、真の教育である。

  (2013年7月6日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「三浦雄一郎さんの成功を教育にどう生かすか」

 【三浦雄一郎さんが昨日、世界最高峰エベレスト登頂に成功。80歳での登頂は世界で最高齢。ニュースを視て鳥肌が立ちました。日本男子の存在が世界に知れ渡りました。

 これまでの冒険家は若くして、その夢半ばで野に倒れるのが常でした。それが冒険家らしいと人々は認め、社会は賛美し、さらに英雄化する傾向がありましたが、それを彼は覆してくれました。かつて彼は75歳で登頂すれども一歳上のネパール人が登頂したので世界一にはなれず、再度挑戦すると公言。しかし、ケガや不整脈などに見舞われ、それでも努力に努力を重ね、不屈の闘志で病とケガを克服。人間の強さ、ひたむきさを実践しました。そして、この歳で成功です。

 三浦さんはあの歳でなぜ挑戦したのか―と考えました。それは彼が今、高校の現役校長だったからではないでしょうか! 高校生に本来のチャレンジ精神を身をもって教える。日々訓練すれば歳は関係ないと。夢は語るものではなく、実行するものだと。その熱い思いと覚悟を三浦さんは有言実行し、世界一の山に挑戦し、世界一の高齢でその山頂に立った。その事実。子供たちにはもう言葉はいらないでしょう。大人が本気になればこんなことができるという凄味。それも生還して、子供たちの前に姿を見せる―という命の大事さ、尊厳さ、大切さを身をもって示したのです。冒険といえども死んでは意味がない―と。子供たちに強烈なメッセージを与えたと思います。

 高校生たちも大興奮です。世界最高峰に我らの三浦校長が80歳で登頂したんですから。どんなヒーローもこの人にはかなわないでしょう。世界の登山家に衝撃を与え、そして、年齢を超え、すべての人々に希望を与えました。最首さんが日頃から言っている「いい社会はいい子供をつくる」。彼を教育再生会議の特別講師とし、これからの日本、いや世界の教育について話を伺いたいものです。】

 これは、三浦氏がエベレスト登頂に成功した直後、友人から私に送られてきたメールで、教育の本質を鋭く突いたメッセージとして共感した。ただ、国レベルで話を聞くのもいいが、教育内容は国に依存するのではなく、教育現場が主体的に取り組むべきもの。教育委員会・学校がこの登頂成功を子供たちの教育にどう生かすかが試される。

  (2013年6月15日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「改革私案『すべての権限の地方移譲を』」

 【国の教育再生実行会議が4月15日にまとめた提言は、首長に任免権を与え、教育長の権限を強化する内容であった。所謂、現行制度の維持と運用を見直す案と、教育行政を首長の権限下に置き直接指導する案との折衷案。鎌田薫座長は会見で「迅速な対応が必要な問題は常勤の教育長が担い、大きな方向性は教委で深い論議をする。より迅速で適切な教育行政の執行が期待できる」と強調した。

 しかし、現行制度下でもいじめなど迅速な対応が必要なものは、教育委員会議を開くまでもなく、教育長の指揮の下に行ってきた。教育長の権限を強化するとか、首長に任免権を与えるなどは全く意味がない。それよりも予算は首長権限、教育の執行権は教育長という責任分担は変わらないまま、首長が教育行政に介入しやすくした改革案でしかない。

 そこで私の改革私案。第一に、国は方針の大綱を決めるにとどめる。国の教育予算は国際社会並みに獲得し、地方に対して公平に配分する。

 第二に、中央と地方教育行政の政治的ねじれを解消する。具体的には文部科学大臣は政治家ではなく、教育学者や実践者、哲学者、心理学者、科学者など教育関係者を充てる。都道府県の教育長も同様とする。

 第三に、教育委員の選出は首長一人ではなく、教職員代表、保護者など地域の代表、学識経験者、首長及び教育行政職員などによる「教育委員選出委員会」(仮称)が決める。委員は公募制が望ましい。

 第四に、選ばれた教育委員は準常勤(週何日かの常勤と必要に応じた出勤)として権限と責任を強化する。

 第五に、教育予算は別枠で確保し、予算編成と執行・決算は教委に任せる。予算権は首長、執行権は教育長と分けたままでは責任の所在が曖昧のままで、首長に逆らえば予算がつかず、委員の再選も無くなる。教育長が首長の顔色を見て教育行政を行うことだけは絶対に避けたい。そうでなければ真の教育は行われないと経験から断言できる。

 第六に、現在は文科省や教委の決めたことを要領よく捌くだけの校長に、教育課程の編成や人事・予算権などを与え、経営責任を求める。】

 提言を求めた知人が5月6日に訪ねてきた。その時「新教育基本法第16条(旧10条)は改悪であり、教育の法治主義は誤りである」との認識で一致した。

  (2013年6月1日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「司法権と同様の独立を」

 知人の前国会議員から、現在、教育再生実行会議で議論されている教育委員会制度改革についての提言を求められた。急遽まとめた概要を、今回と次回にわたり掲載したい。
 
 【同制度の最大の課題は政治的中立性の確保にある。教育は基本的に自由でなければならない。しかし、日本の教育は教育基本法(以下教基法)をはじめとして、法律によって統制され、世界的に見ても特異な状況だ。戦後、教育勅語に代えて新しく教基法を成立させた、法哲学者でもある当時の田中耕太郎文部大臣は、国会で「教育は崇高な営み、教基法は戦後の混乱した社会の一時期には必要だが、いずれは無くすべきものである」と答弁。ところが未だに教基法に依存したまま、その上更に首長が公然と教育に介入しやすくしようというのが、今回の教育委員会制度改革である。
 
 教育改革、教育革新などは政治が主導すべきではないが、なぜか日本では政治が教育を決めたがる。前出の田中文部大臣は当時の教育改革指針の中で「教育を政治から分離し、司法権の独立と同様の『独立』を保障すべきである」と明確に教育の自主性と中立性について述べた。
 
 教育は国の為(ため)、社会の為にするのではなく、人格の尊厳と個性の価値を自己目的として尊重し、人間性と科学によって、その全面的発達を目指すのが戦後教育の教育観である。社会のための教育から、教育のための社会へ。社会が確(しっか)りしていれば子供も確り育っていく。教育制度や法律を弄ったからといって社会が良くなるものではあるまい。
 
 若(も)し、教育委員会制度を改革するのであれば、基本的に国依存からの脱却により、地方の自律と自立を目指すべきである。つまり、教育の権限を地方教育委員会に移譲することから改革は始まる。現在、教育界以外の分野では分権・規制(緩和)改革が時代の主流となっている。しかし、教育界ではそれに逆行する形で、教科書検定に見られるように、教育内容にまで国家が統制(規制)するような集権化が今なお進む。
 
 前回の教基法の改正では、教育の自主性尊重の見地から教基法の命といわれた旧法第十条「国民全体に対して責任を持って行われるべきものであること」を「この法律および法律の定めるところにより行われるべきである」と改正した。これは教育の精神を抹殺するものであり、法による教育の支配である。】

  (2013年5月18日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


県民歌『信濃の国』

 ♪ 一、信濃国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき(二~四番略)五、旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も 春台太宰先生も 象山佐久間先生も 皆此国の人にして 文武の誉れたぐいなく 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず(六番略) ♪
(長野県歌『信濃の国』作詞=浅井冽、作曲=北村季晴)

 長野県では今、県民歌になった『信濃の国』の教育的価値が見直されている。この歌は信濃、現在の長野県について地理・歴史をはじめ、産業、名所旧跡、偉人など幅広く詠われていることから、郷土への関心と愛着を高める効果があるとともに、人々の心を一つにする不思議な力をもつからだという。

 この歌ができたのは明治31年。この頃は日本中が日清戦争の戦勝気分のなかで、学校でも軍歌を歌わせていたことを長野師範学校長であった正木直太郎が大変心配し、子供達の為に信州の唱歌を作るよう師範の浅井・内田の両教諭に依頼した。そして出来たのが『信濃の国』であり、作曲は初めは師範の依田であったが、それを日本の歌劇の創始者として有名な北村季晴が作曲し直して、現在の曲になった。

 発表以来、今日まで1世紀以上にわたって県民の愛唱歌として歌い継がれてきたこの歌には、不思議な力があるという。それは、この歌を合唱することにより人々の心が一つになるという力である。その事実が発現されたのは、戦後信州の二大危機といわれる昭和22年の県議会における分県問題と米軍浅間山演習地化反対県民大会でのこと。誰ともなく自然発生的に歌いだされた『信濃の国』の大合唱が問題を解決したという実話が元になって語り継がれている。

 集まればこの歌を自然に歌い出すという県民性は現在も続いている。あらゆる地域の会合はこの歌を合唱することから始まる。勿論、学校行事や仕事始め式、議会の一鈴、電話の保留音から他県での県人会の集まり、飲み会、そしてカラオケに至るまで、いたるところで聞くことができる。長野県では今、教育関係者を中心に『信濃の国』を教育にもっと生かすべきだとの意見が多い。

 現在に於いても長野教育が目指すのは、学力向上、所謂「知の教育」ではなく、教育の本質である「人間教育」である。

  (2013年5月4日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「教育県、長野」

 明治の頃から教育県と言われてきた長野県。しかし、平成23年に県世論調査協会が実施した調査では「教育県だとは思わない」と答えた県民が6割もいた。昨年、叙勲受章の取材に来た30代の地元紙記者とその話で持ちきりとなり、2時間余りの取材時間の3分の2を費やした。記者も現在の長野を教育県と呼ぶことには否定的であった。その理由は、高校卒業までに尊敬できる教師にまったく出会えなかったからだという。「昔、長野が教育県と言われていた頃の学校には尊敬できる教師が沢山いたと聞いていたが、今はいない」と嘆いていた。
 
 県としてもこうした危機感を受けてか、知事と教育委員会が連携し、教育長のリーダーシップの下、教育県再興に向け官民一体となり、教育力の強化を現在着々と進めている。その一つが去年4月に開校した県内初の公立中高一貫校。全国的には決して早い設立ではないが、10年以上もの長い期間検討を重ねてきたもので、その指針が他県のものとは全く異なるものとなっている。国が示した中高一貫校設置の目的は、学力向上や受験勉強偏重による不登校やいじめが起きる「中一ギャップ」解消などのためというものだが、県の指針は勉強に偏らず、社会に出てから必要となる人間性や表現力・コミュニケーション力を伸ばすことに重点を置くもの。開校式で山口利幸教育長は「どんな社会にも背骨となる人材が絶対に必要」と挨拶。「県を支えるリーダーを育成し、新たな長野教育の伝統を築く」と力説。
 
 また、県立大学の設置に向けても県は動き始めた。「グローバルな視点を持ちながら地域に役立つ人材の育成」を目指すというもの。更に公立だけでなく、民間も多様な学びの場の提供に動いている。例えば、軽井沢町のインターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢は全寮制高校でアジア各国から生徒を募り、国際社会で通用するリーダーの育成を目指すという。
 
 他にも、NPOによる発達障害など支援を必要とする子供たちのための地域での就業体験「ぷれジョブ」。これは、地域社会に溶け込めない障害を持つ子供たちが、地域の人々との触れ合いを通して顔見知りを増やし、地域で生きていく自信につなげることを目的としたものである。
 
 長野教育は、ぶれる国の方針とは一線を画し、一貫して教育の原点である人を育てることに力点を置く(教育委員会の話)。

  (2013年4月20日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


農業は芸術だ

 「農業は芸術です」と言い切る若者がいた。長野県の県立北佐久農業高校の3年生である。「想像力を働かせて一生懸命、創作することによっていい作品(収穫物)に仕上げることができる。それを皆さんに喜んでもらえるのはこの上ない喜びであり、遣り甲斐になります」というのである。

 何気なく見ていたテレビのローカル番組でのひとこま。この言葉に引き付けられ、思わずテレビ画面に目を凝らすと、そこには今年3月に卒業を迎えた高校生2人がインタビューに答える姿があった。卒業式ということで一様に身なりは整えてはいるものの、普通の若者である。しかし、この言葉を裏付ける知性と感性がそこはかとなく滲み出ているように感じられる。それよりも何よりも「農業は芸術」という発想ができるというのが凄い。この言葉を聞いた瞬間、身体全体に電撃が走る思いがした。それは、筆者自身の農業体験から得たのも「農業は教育そのものであり、作物づくりは創造活動」であったからである。

 さらに驚くことは、この「芸術」という言葉の語源が植物を育てることにつながっているということである。漢和辞典などいくつかの辞書で「芸」という字を調べてみたところ、1つ目あるいは2つ目の意味に、草木を植えること、あるいは栽培することであると書かれていた。さらに、「芸」の旧字「藝」の原字である「埶」は、木と土、人が両手を添える様を表した会意文字で、やはり人が手を差し出して植物を植えたり育てたりすることを意味するという。その後、この字に草冠(艸)と「云」が付いて、「藝」という字になったようである。

 こうして芸術という言葉を掘り下げてみると、農業と芸術には深い関係があることがわかる。そのことを知ってかどうかはわからないが、それだけの体験と知性がなければこの言葉は出てこないだろう。それにつけても、農業高校の18歳の若者が目を輝かせて「農業は芸術です」と自信をもって話す姿に感動すると共に、日本の農業、延いてはこの国を安心して託せると期待できる若者がいるということは如何にも頼もしい。これからの教育が人を育てる本当の教育であることによってのみ、希望有る明るい日本の将来を展望することができるのだと、この時強く思ったものである。

  (2013年4月6日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「学校道徳教育への依存」

 またもや政府は道徳教育の教科化を言い出した。過去にも何回となく論議され、その都度改善してきたが、期待したほどの効果が見られていない。その理由を学校での道徳授業の所為にしているが、教科にすれば子供たちの道徳心や規範意識が身につくと本気で思っているのだろうか。

 文科省の道徳の副読本「心のノート」を見た。内容は、子供というより、人として身につけておかなければならないことばかりであり、子供に教えておかなければならないことである。思い遣り、友情、感謝、礼儀、協力などなど、どれも人間性の大切な要素として欠かせないものだが、これらを教え、身につけさせるのは家庭である。学校は知育の場。知識としての理屈道徳を教えることはできても、それ以上は望めない。それに、子供が学んだことを実践する場は家庭であり、地域であり、大人になっての社会である。従って、単なる学校内完結型の道徳教育など全く意味を持たない。

 筆者が子供の頃は、「心のノート」にあるような内容は家庭や地域、そして遊びの中で学んでいた。また、それぞれの家には先祖代々伝わる家訓があった。「嘘をつくな、誤魔化すな」「弱い者いじめをするな」「「世の為、人の為に生きろ」「卑怯な真似はするな」、そして「努力、忍耐、礼儀」などである。中学生ともなると「石に布団はかけられぬ」「実るほど頭の下がる稲穂かな」「「わが身を抓って人の痛さを知れ」「雨垂れ石を穿つ」「「衣食足りて礼節を知る」「勉強ばかりして遊ばない少年は愚鈍になる」「天道様はお見通し」「三尺下がって師の影を踏まず」「一寸の虫にも五分の魂」などの故事諺で人生訓を教えられた。今になっては、我が家の道徳教育は故事諺であったのではないかとさえ思う。このように生活規範を学ぶのは家庭であり、学校での道徳教育(修身)は「先祖を敬う、忠孝、正義、誠実・勤勉」などといった日本人としての価値観を学ぶ場であったのだ。

 子供の道徳性は、人間形成の過程で幼児期から段階的に発達する。道徳教育は家庭・学校・地域、広くは社会全体で行われるべきであり、学校教育だけに依存していたのでは効果が上がらないのは当然である。道徳性の豊かな発達を願うならば、まずは家庭が当事者意識をもち、三者一体で道徳教育をしなければならない。

  (2013年3月16日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「日本教育の革新を」

 前回不評だった教育再生会議が蘇った。しかし、いま、日本の教育に必要なのは教育再生でも教育改革でもない、教育革新である。

 変化の急な現代において、目先の問題だけを追いかける対策中心の教育再生は机上の空論になりかねない。教育の効果が表れるのは子供たちが成人する少なくとも10年以上先。将来を見据えた教育の方針、例えば臨教審のような先見性のある日本教育の屋台骨が必要である。現在、半死状態にある日本教育は、組織やシステムをいじる教育改革や教育の蘇生(教育再生)などといった小手先で何とかなるレベルではない。

 これまで国は、教育問題が起こる度に原因を現場だけに求め、責任追及を繰り返してきた。いじめ問題が起こると、学校にいじめを撲滅しろと指示。減らないとみると、実態を厳密に調査し、隠さずに報告しろという。不登校児童・生徒の増加では最初、家庭訪問などをして登校するように促させ、クラスになじめないなら保健室登校でもよいとした。ところが、登校を最終目標にすることに異論が出ると突然、学校以外でも出席と認めると方針転換する。挙句の果てに不登校やいじめが減らないのは学校が悪いからだという。この様に次々と出る通達と、個別の問題ごとにころころ変えてくる国の方針に振り回され、対応に追われているのが教育現場である。教員増もない中では、教師が本務の授業を疎(おろそ)かにしなければならないことさえ起こる。

 自由と責任は対のもの、自由のない者に責任は問えないのが筋である。若し責任を負わせたいなら、教育の自由と権限を現場に与えるべきである。そうすることで、教師は自らの責任において子供の教育に当たり、責任は当然のこととして教師に帰属する。

 その為には、学力競争一辺倒の教育方針を転換し、人間形成に基本を置いたうえで、新しい教育の考え方や技術・方法などを導入する所謂(いわゆる)、教育革新(教育イノベーション)が必要である。ここで最も重視されるべきは、革新内容が学校レベルでどう取り込まれ、どう教育を展開していくかということである。その原動力は、個々の教師の意思と意欲、そして実践力である。つまり、教育の実践者は教師であるという原点に立ち、教師の力が十分発揮できるようなシステムづくりこそが、いま求められている教育革新である。

  (2013年3月2日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「政治で体罰やいじめはなくせない」

 「入試の中止は、これまで桜宮高を目指して努力してきた受験生の夢や希望を奪うこと」「体育科を無くしたからといって、体罰がなくなるとは思わない」「事件で負った心の傷を癒すことができるのは今いる先生方であり、皆(先生と生徒)で学校を変えてこそ亡くなった子の命の償いになる」「これ(体育系二科の廃止)では、亡くなった子が命を絶ってまで訴えようとしたことを達成できないのではないか」「結果的に大人たちは亡くなった子の命を無駄にすること」

 これは、大阪市立桜宮高運動部生徒の元主将8人が「学校を守りたい」と、橋下徹市長による体育系二科の入試中止発表に抗議する記者会見で発言した要旨である。生徒たちが涙ながらに訴えた言葉には、教育の本質にかかわる重要なメッセージが含まれている。

 大人は子供に夢を持てとよく言う。最近の子供は夢がないとも言う。一方で、夢や希望を奪うような言行を無神経にするのも大人である。今回、橋本市長の唐突な「入試の中止」発表に続く「生きていればまたチャンスもある」などの発言は、子供たちの夢を奪っておきながら、忖度することなく、心を踏みにじる冷酷な仕打ちであり、いじめである。これを大人の無責任、身勝手さと言わないで何と言えようか。

 亡くなった子のことを一番思っているのは生徒たちである。入試中止や校長・教員の総とっかえなどより、まずは、亡くなった子が訴えようとした体罰の根絶を全生徒と全教職員、保護者が一丸となって実現することが命の償いになるのだという生徒たちの心に応える努力をしたい。

 他にも、「暴行が常態化している」「桜宮は腐っている」と決めつけ、校長会の入試中止撤回要望に対して、そんな校長はいらない(人事の私物化)、言うことを聞かなければ予算の執行をしない(恫喝)などという短絡的・感情的な発言をしたことは幼児性そのものであり、生徒たちの方がよほど大人である。

 それにつけても、子供たちと教育を守るべき教委が市長の言いなりになっているのはやはり保身の為か。真の教育者なら、体罰やいじめは政治では無くせないことを知っているはず。なぜそれを訴えようとしないのか。同様な経験をした筆者には、今回の騒動が教育の首長権限化後の教育現場を暗示しているようで心配になる。

  (2013年2月16日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「教育は制度改革より人選が重要」

 またしても教育委員会廃止論が浮上してきた。今回は、大津市のいじめ自殺の教委対応がきっかけとなったことは否めない。確かに、事件が起きた時の教委や学校のマスコミ対応を見る限りにおいては関係者が右往左往し、コメンテーターや記者から隠ぺい体質や保身を指摘されるなど、どう見ても教育に責任を持つ教育委員会とは言い難い。しかし、だからと言っていきなり教委廃止論に結びつけるのは余りにも短絡的過ぎる。

 そもそもの教委制度の廃止論者は首長たちであって、いじめなどへの適切な対応ができないなどといろいろ理屈をつけてはいるが、廃止したい理由は極めて単純である。要するに教育の政治的中立を守る為に独立機関とした教委を首長の権限下に置きたいだけのことである。このことは戦後、教育委員会制度ができて以来現在まで続く政治権力と教育行政との闘いであって、教育の本質とは全く無関係なものである。

 下村博文文科相は昨年暮れ、インタビューで教委の現行制度について「非常勤の教育委員が月1、2回集まって議論するだけで個々のいじめ問題などに適切に対応できるのか」と批判。教委を首長の諮問機関とし、首長が任命する教育長などが実務を担う方式に変えるべきだと主張したと日経新聞は報じた。しかし、現行制度下でも教育委員・教育長共に首長が選任し、実務は常勤の教育長が担っているのであるから、制度を改めても何かが変わるものでもない。

 大津のいじめ、大阪の体罰問題も制度改革で解決できるとは思わない。但し、教育委員や教育長が別人だったら全く違った結果になっていたはずで、結局、首長がどんな人物を選ぶかにかかってくるのである。従って、若し本気で現代社会に山積する教育問題の解決を目指すならば、制度の改正よりも、教育に携わる「人」をどう選ぶかをもっと重要視すべきである。例えば、首長の一存ではなく複数識者の委員会等による選出方法が考えられる。教員の採用から校長や教育委員・教育長の人選次第で教育が良くも悪くもなるものであって、制度改革や規制・管理の強化が問題を解決するというほど教育は単純なものではない。

 〝教育は人なり〟は不変の真理。少なくとも教育に携わろうとする者は、権力欲を持たず無私・利他の心であることが望まれる。

  (2013年2月2日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「国依存脱却し地域独自の教育を」

 日本の教育は1989年以来20数年にわたり迷走を続け、現在なお目指す方向が判然としていない。原因は、どういう日本人に育てるかという確たる理念もビジョンも無いまま場当たり的で小手先だけの対策を続けているからである。従って、教育方針は政権等の都合や世論でいとも簡単に変えられてしまう。

 しかし、中曽根内閣時代までの教育改革はそうではなかった。85年の臨時教育審議会答申は、旧来型の学校教育では21世紀社会に対応できないとの考えから「生きる力」の育成へと方針を転換した。総合的な学習の時間を創設し、脱・詰め込み教育を謳ったいわゆる『ゆとり教育』が98年(小学校)、99年(中学校)の学習指導要領の改訂で推進されることになり、90年代以降の日本の教育を方向付けたのである。「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化や情報化などの変化への対応」を柱に、画一・学校中心主義からの脱却と変化に対応する教育行政を求めた85年の臨時教育審議会答申から13年間、71年の幻の答申からの期間を合わせると27年間もの長きにわたって検討され、多くの答申を経てやっと辿り着いた日本教育であった。

 当時、多発する子供たちの問題を抱え苦慮していた教育現場は、暗闇の中に射す一条の光を見出す思いだったが、再び幻と化した。 国は学習指導要領の本格実施直前の08年、「学びのすすめ」なる謳い文句で「脱・ゆとり教育」に突然方向転換し、30年以上も前の教育に逆戻りさせたのである。理由はただ一つ、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査で学力が低下したからだという。つまり「自ら考え、判断し、表現することで様々な問題を解決できる能力(生きる力)よりもテストの点数が大事」だということである。

 脱・ゆとり教育からすでに5年が経つ。社会は一段と様変わりし、世界に通用する自立型日本人が今求められているが、学校教育は対応できないでいる。それもそのはずで、長いこと国依存に慣れ親しんできた学校は、この先国の方針がどう転ぶかを見極めかねているからである。こういう時こそ、自立した地元教育委員会が必須となる。逸早く国依存から脱却し、教育の本質(人間教育)に基づいた地域独自の方向性を示すことがなければ、教育現場の混迷はこれからも続くことになるだろう。

  (2013年1月19日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト


「子供時代の自然体験が不可欠」

《すべての子どもは泥んこになって遊び、小川の水をはねかし、小鳥の歌う神をたたえる歌をささやく喜びを知らなければならない。夜明けや日没のひととき、えも言われぬ輝きに彩られる大空、素敵な宝石のきらめく朝露の降りた朝の景色、星が息づき瞬く広い夜の空を眺めなければならない。

子どもは花や蝶など寓話の世界を作り出した野生の生き物と一緒に生活しなければならない。

子どもははだしで歩き、雨にうたれ、白樺の木にまたがり、松の枝を滑り降り、山や高い木によじ登り、透きとおった水の中に頭から飛び込むスリルを味わわなければならない。湿った大地、刈り取ったばかりの草、甘いシダ、ハッカ、モミの木、家畜の吐息、海から入江に吹き込む霧の匂いを知らなければならない。

子どもは魚を取り、干し草の山に乗り、野営し焚火で料理をし、見知らぬ土地を歩き回り、大空の天井の下で眠る機会を持たなければならない。若い頃に自然の世界に祝福されたことのない君(者)は、自然、書物、小説、歴史、絵、それから音楽ですら、すみずみまで理解し、その良さを味わうことはできないのである。》

これは米国教育協会総会議録からの引用で〝子どもの生まれながらの権利〟と題するもの。子供が人間として成長する上で自然との触れ合い・体験がどれほど大事なものであるかを見事に表している。

この文章を読んでいると何時の間にか子供の頃の原風景の中にいるような錯覚を覚える。その頃の五感の記憶が蘇るのである。この心地好い感覚は体験したからこそ味わえるものであろう。

人は他の動物と違い、誕生して一人前の人間として成長するまでには20年もある。この間に人間性をはじめとして性格や人柄、感性・知性・能力などいわゆる人間力の殆どが身につく。その人間力を培うために子供時代の自然体験が不可欠であるが、この自然の中で育ち豊かな人間形成をするという「子供の生まれながらの権利」が果たして今、保証されているだろうか。 現代人の幼児化の原因は、自然体験の少なさをはじめとする教育環境の貧しさにあるといわれる。豊かな人間性や感性・知性を育もうとするならば、できるだけ多くの自然と触れ合う自由と時間を与える努力を大人がしなければならない。

  (2013年1月3日号)ホームページ 「教育の理想と現実」リスト