連載「人」
ホームページ >「人」リスト〜2020年
高い目標を持って取り組みたい
~浦安市副市長
野澤 邦彦 さん
3月まで県庁で障害福祉事業課長を務めるなど、健康福祉部に9年在籍した55歳。4月1日の副市長着任以降、県とのパイプと経験を生かしながら、新型コロナウイルス感染対策に奔走する。「市は住民から直接声を聞いてすぐに動く。物事へのスピード感が重要だ」と話す。
着任して気付いたことがある。「浦安は福祉健康医療の施策でメニューが充実している」。一方、まちを開発する「発展期」から、まちを維持・更新していく「成熟期」を迎える浦安では、時代の先を見ながらそのメニューをより良くしていくことが必要だという。「高齢化率が上がる中、高齢者だけでなく子供や子育て、障害者への支援など、施策はバリエーションに富まなくてはいけない。テーマは地域共生社会。市民の皆さんが生きがいを持って生活できるよう、高い目標を持って取り組んでいきたい」と抱負を掲げる。
信条は「最善を尽くす」。「そのときそのとき、一所懸命にやっていれば(将来に)つながって、何かの力になる」。約30年前に住んだことのある浦安に縁を感じつつ、力を注ぐ。
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皆のひと手間でバラを育てたい
~県江戸川第二終末処理場でバラを植え続けて四半世紀
畠山 義人 さん
終末処理場の事業所長に就いた42歳のときから、職員に気持ち良く働いてもらおうと趣味のバラを咲かせて四半世紀。「育てられる場があり、見てくれる人がいる。やりたいことをさせてもらってハッピー」と笑う。
業務エリアで育ててきたバラを評価した県下水道公社が、市民にも見てもらおうと18年前に花壇を一つ整備。ただ、一人で育てられるバラの数には限りがある。5年前からは同処理場で活動する行徳芝桜の会の協力を得て育ててきた。「摘蕾、肥料作りや草取り、殺菌に害虫駆除など手間の一つ一つが、美しい花を咲かせる。プロより、バラが好きな人たちのひと手間が大事。日比谷公園のバラもボランティアの手によるもので、一つの理想」。
バラは全て自ら購入。「世界の天才たちが作ったバラ、特に香りの良い物が好き」。ネージュパルファム(香る雪)も咲くバラ園に、ブルガリア名産のバラ香料の採取品種カザンリクも植えた。「本物のバラの香りを楽しんでほしい」。皆で育ててツルバラのバラ園を作る夢を抱き、ツナギ姿で日々手間を惜しまない。
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愛されるチームを育てたい
~日本フットサルリーグ1部バルドラール浦安新監督
小宮山 友祐 さん
監督就任のオファーは引退直後にもあったが、「多くの人生を左右する。監督とはそんな簡単なものじゃない」と、3年間クラブスタッフを務め、JFA「こころのプロジェクト」など社会貢献活動にも携わった。「トレーナーやマネジャーなど選手以外の仕事を経験し、自信と覚悟がついてきた」と、40歳の今季から指揮を執る。
小学生からサッカーを、大学4年で本格的にフットサルを始めた。現ファイルフォックス八王子(関東リーグ1部)でプレーし、卒業後は高校教員として働く傍ら、日本代表にも選出された。一方、「生徒たちは応援してくれていたが、代表に呼ばれると1カ月は仕事を空けなくてはならなかった」と、二足のわらじの葛藤もあった。転機は2007年の日本フットサルリーグ設立。「挑戦してみたい」と教員を辞め、バルドラールに移籍。フットサルに専念した。
10年間選手として支えたチームを監督として率いる。目標はタイトル奪取だけではない。「フットサルがうまい、強いだけでなく、人間性や社会性を高めて成長できる集団になり、多くの人に愛されるチーム、選手を育てたい」。
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現場を知り、広い視野で考える
~市川市副市長
大津 政雄 さん
「3月で定年退職」と思っていたところ、4月から大役に就任。「これまでの仕事の延長線上で、広い視野を持って市民福祉の増進に努めていきたい。『職が人を作る』というように、副市長という職の中で重責を果たせるよう人間形成ができれば」と抱負を語る。
各国で200海里漁業水域の設定が進んだ高校時代、日本の食文化を支える水産物の増殖に興味を持ち始め、水産大学校に入学。卒業後は農林水産省に入庁した。
その後、両親に地元勤務を希望され、市川市役所に入庁。最初の16年間は水産業の振興や環境保全に現場で力を注ぎ、環境保全条例の制定にも関わった。「現場を肌で感じていたから条例を作れた。弁護士の中坊公平氏(故人)の名言『現場に神宿る』が胸にしみた。いまでも貴重な経験」と振り返る。
中学生の頃から市川市に住み、田んぼが住宅街に変わる様子を見てきた。「海、川、斜面林、谷津があって魅力的な街」と愛着は深い。
趣味は18歳で始めた山登り。季節を問わず、年間100日ほどを費やしていた時期もある。「任務を全うするまで健康を維持して、その先は海外の山々を歩きたい」。
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地域福祉の中核であり続けたい
~浦安市社会福祉協議会会長
宇田川 勝久 さん
オリエンタルランドに就職し、執行役員まで務めた66歳。民間企業で培ってきた経験を生かしてほしい――と会長に推挙された。
理想の地域福祉は、「お年寄りや障害のある方、子育て中の女性、子供など困っている人がいたら、誰もが当たり前に手助けをすること」。その中核を担うのが社会福祉協議会。だが、変化が速く、激しい時代にあって「これまで同様に地域福祉の中核であり続けるためには、組織も個人も変化、成長していくことが必要」。同社で人事と、ダンサーらの発掘・採用、出演管理などエンターテインメントの分野を歩んできた経験を生かし、「より良い事業ができるよう、職員の成長を支えていきたい」。
猫実に生まれて町立浦安小で学んだが、5年生から大学までは都内に通い、「浦安のことは本当に詳しくない。それでも、元気なうちは地域に貢献したい」と自治会役員も担う。10年後の浦安は65歳以上が人口の4分の1を占め、地域福祉の必要性は益々高まる。「大切なのは担い手の方々。男性にも、若い方にもお願いしたい」。人材の大切さを胸に、近い将来に備えて歩む。
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一生懸命な子供たちを育てたい
~ミニバスケットボールチーム明海MBCヘッドコーチ
川島 徹也 さん
市川市立一中でバスケを始め、千葉商大付属高では関東大会に出場した。大学では体育会バスケ部をケガで断念。中学時代の仲間がいたチームで楽しむとともに、地元の小中学生を指導した。「向き合って指導すると返ってくる。ぐっと成長する場面があり、子供たちと距離が縮まったと思う瞬間がある」。そこにやりがいを感じた。就職活動を一切やめ、迷いなく教職を志した。
25歳で浦安市内の小学校に赴任して以降、行く先々でチームを設立。協会登録チームを男子4チーム、女子7チーム作った。明海MBCもその一つ。「一生懸命な子供たちを育てたい。子供たちに一生懸命になれるものを見つけてほしい」という一心で指導する。
全国出場を懸けた1月の県大会で、決勝の相手は前任校で立ち上げた日の出MBC。「夢にも思っていなかったし、感慨深かった」という一戦を制した。全国出場を決める県大会での決勝進出は自身3度目。46歳で初の全国大会出場を決めた。全国大会は、新型コロナウイルスの影響で中止になったが、「20年で子供たちにつかませてもらった」と目を細める。
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将来見据えビジョン策定したい
~浦安商工会議所の新会頭
熊川 賢司 さん
「浦安は発展期から成熟期に入った。施策には継続するもの、変えていくものがある。将来を見据え、ビジョンを策定したい」。昨年11月、浦安の商工業の発展を推進する商議所会頭に就いた。
浦安経済の現状については「人口は大きく伸びず、人手不足、後継者不足、外国人労働者の問題は避けて通れない。中小企業のIT化も支えなければならない」とみる。反面、「創業者セミナーを開くと年2回計300席が満席。受講者は学生から70代までで、半数は女性。やる気のある人が多い。新しい商品やサービスも生まれている」と期待する。ビジョンの策定については、「10年前、IT商取引の時代がこんなにも早く来るとは思っていなかった。商工業の発展、活性化の実現には欠かせない」とし、来年度に着手する。
会頭には立候補。「浦安で生まれ育ち、不動産業を営んできた。60歳を迎えるのを機に、浦安経済の発展に少しでもご奉公したい」。父は元町長・市長で名誉市民の故熊川好生氏。「父から学んだことは、相手の話をじっくりと聴くこと」。その姿勢で、ニーズに即した変革にも恐れず取り組む。
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若者が憧れを抱く業界にしたい
~千葉県の卓越した技能者(千葉県の名工)で表彰
中谷 嘉孝 さん
香川県の小豆島出身。高校進学を機に親元を離れ、東京学館浦安高に進学した。「多感な時期に親元を離れたことで、自分で道を切り開いていくしかなかった」。そんなとき、「手に職をつけよう」と選んだのは理容師だった。当時は音楽の道も目指していたが、「仕事を覚えてきて、理美容業界が面白くなった」と一本に絞った。
独立心も強かった。24歳で浦安市内にフランチャイズ店を開き、3店舗を展開した後、36歳で現在の店をオープン。「髪が伸びたから仕方なく行くのではなく、自分へのご褒美になるような技術やサービスを提供したい」と心掛ける。理容師と美容師の資格を持ち、シャンプー台を可動式にするなど理容室と美容室の良いところを組み合わせたサービスを提供。「理容室でも美容室でもなく、(店名の)ル・パッチというカテゴリーにしたい」と理想を追求する。
県や全国の講師も務める。「いま業界に元気がない。僕たちが入ったころのように、若者が憧れを抱くような業界にしたい。技術だけでなく夢をあきらめない力やスピリッツを伝えたい」と後進の育成に励む。
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ものづくりで人の役に立ちたい
~第10回歯科技工G1グランプリ優秀賞
西内 快帆 さん
筑波大付属聴覚特別支援学校高等部(市川市国府台)の専攻科歯科技工科で学ぶ21歳。一昨年と昨年、歯形彫刻の技術を競う歯科技工G1グランプリに出場し、国家資格を持たない本科生の部門で一昨年は最優秀賞、昨年は優秀賞に輝いた。
小さい頃から何かを作ったり、細かい作業をしたりすることが好きで「ものづくりをして人の役に立つ仕事がしたい」と考えていた。高校生のとき、入れ歯の世界大会で1位になった作品の制作過程の動画をインターネットで見つけ、「自分もこんな入れ歯を作ってみたい」と歯科技工士を目指すようになった。
同支援学校の歯科技工科は、全国唯一の聴覚障害者向け歯科技工士養成課程。入学後は「自分がだんだんうまくなっていくのが分かって楽しい」と歯形彫刻にのめり込んでいき、実力をつけた。
今年3月に同校を卒業して、鶴見大歯学部歯科技工研修科でさらに研さんを積む。「もっと技術を磨いて、次回のG1グランプリでもう一度最優秀賞を獲りたい。そして、歯科技工士として活躍したい」。
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「吹奏楽で自分を好きになって」
~日本学校合奏コンクール金賞市川市立妙典中吹奏楽部顧問
大濱 美海 さん
小学校から高校まで、吹奏楽部に青春を捧げた。最後の大会を終え、「やり切った」という満足感からその後は吹奏楽から離れていたため、「教師になっても吹奏楽部の顧問になろうとは考えていなかった」という。
だが2014年、吹奏楽部の強豪校である妙典中に赴任し、副顧問を務めることに。3年間、子供たちの体調管理や書類の作成などでサポートした。
顧問として指導を始めたのは4年目から。最初の頃は「とにかく何をしていいのか分からなかったし、指揮も振れなかった」と自信が持てず、逃げ出したくなった。そんな時に背中を押してくれたのは生徒たち。「彼らと一緒に悩んだり、泣いたり、喜んだりすることで、逃げてはいけないと思えた」。生徒と真摯に向き合い続け、昨年11月には日本学校合奏コンクールで金賞を受賞した。
吹奏楽を通して子供たちの成長や可能性を目の当たりにし、「自分も人として、教師として成長できた」と話す33歳。「生徒たちには結果ではなく、部活を通して自分のことを好きになってほしい。今後もその手伝いをしたい」。
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演劇で市川を盛り上げたい
~結成10周年を迎えた「劇団AQUA」主宰
飯島 和謙 さん
市川生まれ、市川育ち。小さい頃からミュージカルや劇が好きだった。千葉日大一高に入学すると演劇部に入部。最初は照明など裏方を担当していたが、役者にもチャレンジし、2年生の秋には関東大会に出場した。
大学では演劇をやめていたが、19歳のとき、高校の演劇部の同級生との再会をきっかけに「もう一度、みんなで演劇がやりたい」と、気持ちが再燃。高校の同級生を中心に、市川市内を拠点に活動する劇団AQUAを立ち上げた。現在は、市内外から演劇が好きな若いメンバーが幅広く集まり、27人が活動している。
主宰として劇団を引っ張り、演出・役者としても活動する29歳。「演劇はドラマやアニメと違って、お客さんの前で演じる〝生もの〟で、終わってしまうと残らないはかないもの。舞台のために皆が一丸となって一つの物語を作る。その非日常感が魅力」と、一回一回の舞台を大切にしている。
「生まれ育った市川を演劇で盛り上げたい。また、仕事などで離れ離れになってしまったメンバーの帰る場所としても、劇団を残していきたい」。
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撮りっ放しなんてもったいない
~40周年を迎えた浦安ビデオクラブ会長
小島 建夫 さん
映像制作の魅力は「自分の観点で一つの物語を作れること。テーマを決め、シナリオを作り、撮影、編集。やり始めると止まらない。撮りっ放しにしているなんてもったいない」と言う79歳。写真に例えれば、厳選した写真をアルバムに貼って初めて記録になる。動画も作品にすることで、家族や友人らと楽しめる。
学生時代は写真撮影にいそしんでいた。動画撮影は、会社員になってから。当時ブームで始めたが、機材もそろえたのに仕事が忙しく、中断。子供が小学生になると再び撮影を始めたが、本格的な作品作りは定年後から。2003年、浦安ビデオクラブが講師を務めた公民館のビデオ編集教室に参加し、「撮りためてきた動画で作品が作れる」とすぐに同クラブに入会した。それから、孫と花鳥風月を主な題材に、年に2、3本の作品を制作してきた。
作品を見てもらう中で一番嫌いなことは「早送りされること」。そう言うだけあって、見てくれる人たちに楽しんでもらえる作品作りに苦心している。「私の作品を見て、新たな発見をしてもらえたらうれしい」。
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市川を健康寿命日本一にしたい
~「いきいき生きがいプロジェクト@いちかわ」代表
岩井 ますみ さん
「いきいき生きがいプロジェクト@いちかわ」が昨年末、地域と連携して課題解決に成果を上げている県内の市民団体に贈られる「ちばコラボ大賞」を受賞。「多くの方のおかげで、病床で夢見ていたことが少しずつ形になってきた」と感謝の思いで振り返る。
カラーコーディネーターとして順調だった10年前、がんが発覚。休職して闘病に専念していたとき、父親の介護が重なった。闘病や介護の経験を通じ、「笑顔で元気な高齢者を地域に増やしたい」と強く思うようになり、復職後の2017年、同団体を立ち上げた。
地元の福祉団体や店、企業などに協力を呼び掛け、「ちょっとオシャレして出かけたくなる認知症・介護予防イベント」をこれまでに5回開催。回を重ねるごとに規模が大きくなり、先月のイベントは大雨の中、200人以上の高齢者らが訪れるにぎわいだった。
今春から月に一度、健康や美容など一つのテーマを掘り下げたイベントも開く予定。「夢は市川市の健康寿命を日本一にすること。『脳も街も活性化するモデルケース』として、世界に向けて発信していきたい」。
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絶対に日本のトップ棋士になる
~春から囲碁のプロ棋士としてデビュー
近藤 登志希 さん
最後と決めて臨んだ4回目のプロ試験。本選では負けが続くきわどい場面もあったが、不安や気負いもなく一局一局で集中して戦い、見事に合格。「プロ合格はあくまで通過点。もっともっと強くなりたい」と意気込む。
小学2年生のとき、父の影響で囲碁を始めた。翌年参加した大会で勝つ楽しさを味わい、5年生頃からプロになることを見据えて練習に励んできた。練習時間を確保するため通信制高校に通い、年1、2度のペースで囲碁の強国・韓国の道場に″武者修業〟。昨年は同国に2カ月間滞在して毎日十数時間の練習を積み重ね、本番のプロ試験でその成果を存分に発揮した。
「勝つことが楽しい」と技術を磨く一方で、上達するほど負けることのつらさも感じるように。「少しのミスで動揺しただけで負けることがあるから気を付けたい」と、心の持ち方も大切にしている。
「絶対に日本のトップ棋士になる」と力強い18歳。「日本の囲碁は中国や韓国よりまだまだ弱い。もっと強くなって世界戦で活躍して、日本の囲碁界を引っ張っていけるくらいの存在になりたい」。
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