W杯と東京五輪でメダル取る
~7人制ラグビー・リオ五輪日本代表メンバー
トゥキリ・ロテ さん
「一生懸命やること」「毎日ベストを尽くすこと」を理念に、市川市に選手寮があるラグビートップリーグ・クボタスピアーズの主力として活躍する29歳。チームメートのために体を張ってプレーし、その結果が勝利になって返ってくることにやりがいを感じている。
リオ五輪でも優勝したラグビー強豪国、オセアニアのフィジーで生まれ、5歳の頃にラグビーを始めた。高校卒業後、「ビッグチャレンジがしたい」と、スカラーシップを利用して日本の大学に進学。卒業後も北海道のクラブチームに所属し、2013年にはラグビーW杯セブンズに日本代表として出場した。
昨年は「簡単な決断ではなかったが、五輪に出たいという気持ちが後押しした」と、日本国籍を取得。五輪出場が決まったときは「いままでの人生でベストフィーリングだった」と喜んだ。
「2019年に日本で開催されるラグビーW杯と、2020年の東京五輪に出場し、メダルを取ることにこだわりたい」。リオ五輪で果たせなかったメダル獲得に向けて、今後もベストを尽くし続ける。
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大聖堂で生徒の声響かせたい
~全日本合唱コンクール金賞の国府台女子学院合唱部顧問
堀野 直美 さん
「いろんな気持ちを持った人が一つの作品に心を通わせながら音楽を作り上げられる。一人ではできないことができる」。合唱の魅力をこう語る55歳。「合唱を通して、本気で物事に挑むことの素晴らしさを教えたい」と、生徒たちの自主性を重んじながら指導に励んでいる。
国立音大卒業後、声楽のソロ活動などを経て、平成14年に同学院小学部の音楽教諭に就任。その10年後に中学部の音楽教諭となり、自身も中学・高校生時代に所属していた合唱部の顧問になった。
ソロ時代は、声楽の勉強をしながらコンサート活動に励んだ。シアターピース(合唱劇)に取り組む東京の合唱団に所属した時期もあり、ここで表現することの大切さや音楽の作り方を学んだ。「合唱団での経験やソロ時代に勉強したことが、生徒たちを指導する上で大きく役立っている」と振り返る。
小さい頃の夢は音楽の先生になること。顧問になった頃、友人に話した「いつかは生徒たちを全国大会に出したい」という夢もかなった。「海外の大聖堂で生徒たちの声を響かせたい」。生徒たちと育む夢は果てしなく広がっていく。
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勝利に貢献しW杯出場したい
~リオ五輪4位入賞の7人制ラグビー男子日本代表メンバー
羽野 一志 さん
市川市にホームグラウンドを持つNTTコミュニケーションズシャイニングアークスで主力として活躍。「好きなラグビーを仕事としてできている」と感謝する。
小学生時代はバスケットボールをやっていたが、中学校ではバスケ部がなかったためラグビー部に入部。高校では3年連続花園出場、大学2年のときに初めて7人制ラグビーの日本代表に選ばれた。リオ五輪では、ダイナミックな走力を武器にレギュラーとして活躍。15人制ラグビーを含めて一度も勝ったことのない強豪・ニュージーランドから大金星を上げるなどしてベスト4入りしたチームに貢献した。
ラグビーには怪我がつきもので、大学4年のときに腎臓が破裂する怪我を負ったこともあるが、ファンの前で試合をすることにやりがいを感じている。「シャイニングアークスでは、勝利に貢献するために自分の役割をしっかり果たして、2019年に日本で開催する15人制のワールドカップに出場したい」と、ラグビーに情熱を燃やす25歳。「素晴らしい家庭をつくる!」という夢も抱きつつ、今後も邁進していく。
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プロなら世界1番になりたい
~K-1カレッジ初代チャンピオン
桑田 裕太 さん
市川市国府台の千葉商科大学に通う21歳。今年9月、立ち技格闘技大会「K―1」の学生日本一を決める「K―1カレッジ」に出場し、得意の蹴り技と事前に研究して立てた戦略で初代チャンピオンの称号を得た。
中学2年生のとき「K―1はシンプルで分かりやすく、ボクシングよりもKO勝ちが多い」と憧れ、バスケ部を辞めてキックボクシングジムに入会。一昨年は新空手道東京大会で優勝、昨年はアマチュア選手らが出場する「K―1チャレンジ」のAクラストーナメントで優勝と、着実に力をつけてきた。
「相手にスタミナで負けるのはありえないこと」と、坂道ダッシュなどの地道なトレーニングをこなす努力家。「試合前に行うスパーリングやミット打ちなど追い込みの練習は死ぬほどきつい」と言うが、「それでも、勝ったときやKOを決めたときにやっていて良かったと思える」と、やりがいを感じている。
「プロになるなら日本にとどまらず、世界で1番になりたい」。まっすぐなまなざしは、世界チャンピオンというビックタイトルの可能性を感じさせる。
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特別なときのケーキのために
~2016ジャパンケーキショー東京で銀賞
秋浜 智子 さん
日本最大規模の洋菓子コンテストのシュガークラフト工芸菓子部門で銀賞。「普段作れない作品を作ることが自分の技術を上げる」と、数々のコンテストに応募し、今回が自身最高の栄誉。
シュガークラフトは、砂糖と卵白のペーストでコーティングしたり、描いたり、立体的に形作ったりする。今回応募した作品は全体にギンガムチェックを施した、高さ1・3㍍の大作。1㍉間隔のチェックの線を1本ずつ描く気の遠くなる作業に、構想から3カ月半かけて取り組んだ。「お菓子の家の注文を受けて作ったことから興味を持った。技術があれば、どんな形でも本物そっくりにできるのが魅力。だから技術を極めて、お客様に喜んでほしい」。
「食べるより、作る方が楽しかった」というお菓子作りは、小学5年生のころにねだったレシピ本を見て始めた。自然とパティシエを目指し、専門学校を卒業して洋菓子店を経て、イクスピアリで製造を担う37歳。「ケーキは、たくさんある中からたった一つ、特別なときに選んでいただけるもの。日々のスイーツ一つ一つも同じ」。心を込めて大事に作り続ける。
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日本代表になり魅力伝えたい
~ジャパンカップバトントワリング全国大会で優勝
石馬場 南美 さん
浦安市の了德寺大学で看護を学ぶ1年生。「バトントワリングと学業の両立は難しい」と、一時はバトントワリングをやめることも考えたが、「コーチやチームメート、親に説得されたおかげで続けられている」と周囲の支えに感謝する。
5歳の頃、バトントワリングを練習している友人を見て「楽しそう」と感じ、千葉市の強豪チームに加入。1日約4時間、日曜日は10時間以上も練習し、世界大会のジュニア部門で2度2位に入るなど才能を大きく開花させ、今回初の全国大会優勝に輝いた。
これまでは「失敗するのが怖い」「演技中はすごく緊張する」という弱気な一面もあったが、いまは「演技するのが楽しく思える」と新たなステージに上がった。新技ができたときや表彰台に上がったときにやりがいを感じている。
今後の目標は「全日本バトントワーリング選手権で表彰台に乗り、WBTFインターナショナルカップの日本代表に選ばれることと、看護師になっても二足のわらじを履き続け、バトンの楽しさや魅力を皆に伝えられる選手になること」。明確なビジョンを携えて、さらなる飛躍を目指す。
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プロが認める証に挑戦続ける
~2016ジャパン・ケーキショー東京で銀賞
篠田 幸子 さん
「焼き菓子、特に好きなパウンドケーキで入賞できてうれしい」。国内産米粉を使った菓子部門に挑戦して4年目で、全国100エントリーの中で入賞。作品はパウンドとパイ、クッキーの3種類の生地を組み合わせ、「ふんわり」「サクッ」「ザクッ」という食感の違いを楽しめるようにした。オレンジ香るキャラメルナッツの苦味と酸味が全体を引き締める。
母親と姉がお菓子を手作りする家庭で育つ。もっぱら食べる方だったが、高校生で始めてみると「うまくできない! 何で?」。本を読んでノートにまとめたり、食べ歩きをしたりと、お菓子作りにはまっていき、料理学校に進んだ。洋菓子店を経て、現在はイクスピアリで開発・製造を担当している。
「コンテストは普段できない作品を作る達成感や新しい発見がある。入賞は〝プロが認める証〟。センスと技術を磨き、お客様においしく食べていただき、お店にも還元したい」と挑戦を続ける31歳。「何か一つのプロより、ケーキやチョコレートなど何でも作れるプロになりたい。中途半端では終わりたくない」。〝理想のパティシエ〟への道を歩む。
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自分で証明「夢は必ずかなう」
~リオ五輪の柔道男子90㌔級金メダリスト
ベイカー 茉秋 さん
「あきらめずに努力し続ければ、夢は必ずかなう」。リオデジャネイロ五輪で、柔道男子90㌔級では日本人初となる金メダルを獲得、先月、高校時代を過ごした浦安市の松崎秀樹市長に優勝報告した際、子供たちにこの言葉を贈った。
「自分が証明です」。自身、シドニー五輪で金メダルの井上康生選手(現柔道全日本男子監督)に憧れて五輪を目指し、東海大浦安高時代は「柔道漬けの日々を送った」。授業を除けば柔道の練習、ジムでの筋力トレーニング、ランニングなど遊ぶ時間はゼロ。周知の〝1日7食〟も効率よく食べ、運動して体を作るため。入学時の体重60㌔を90㌔に増やし、成功の基礎を築いた。「決して大食いではないんです」と語る22歳。
ディズニーリゾートのある街での青春。ファンタジーの世界とは無縁だったが、「日本一になるために犠牲にしなければならないものもある。これでいいと思った」。勝利への貪欲さは浦安で磨かれた。次は「東京五輪での連覇」を目指す勝負師も、市長から贈られた同リゾートパスポート券に顔をほころばせ、「涼しくなったら行こうかな」。実現しただろうか。
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東京五輪に向け4年間頑張る
~リオ五輪8位入賞のバスケ女子日本代表
三好 南穂 さん
市川市出身の22歳。「必死にボールを追いかけたり、ディフェンスをしたりして、見ている人に勇気や感動を与えられる。勝ったときや負けたときに一緒に喜び合い、悔しがることができる。それによって絆が強くなる」。おっとりした表情とは裏腹にバスケの魅力を熱く語る。身長は167㌢と決して高くないが、高確率で決めるスリーポイントシュートを武器に代表の座をつかみ取った。
小学2年生の頃、「ダイエット目的でバスケを始めた」が、次第に熱が入り、中学2年のときに都道府県対抗ジュニアオールスターに千葉県選抜として出場して全国制覇。高校卒業後は静岡県のバスケチーム・シャンソン化粧品シャンソンVマジックに加入し、昨季はWリーグでチームを3位に導いた。一昨年は、アジア大会で日本代表の一員として全試合に先発出場し、銅メダル獲得に貢献した。
8位に終わったリオ五輪では「悔しいけどそれ以上に、夢だった五輪に出場して強豪国と戦えたのが良かった」と収穫を得た。「東京五輪で主力として出場するため、今後の4年間を頑張りたい」。新たな夢に向かって突き進む。
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東京五輪でメダルを取りたい
~リオ五輪で8位入賞した新体操日本代表メンバー
横田 葵子 さん
ロシアと日本を行き来し、週5日、一日8時間もの練習に励む19歳。「試合で良い演技をすることで、見ている人たちに感動してもらえる」。その瞬間を励みに努力を重ねる。
小学3年生の時に市川市や浦安市に拠点を置く強豪クラブ「安達新体操クラブ」で新体操を始めた。一昨年から日本代表に選出されるようになり、昨年の世界選手権の団体種目別リボンでは日本勢として40年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得に貢献した。
リオ五輪の団体総合では、予選で「前日は眠れなかった」とプレッシャーを感じていたが、練習でも5回に1回ほどしか成功しないというリボンの大技「4本投げ」を成功させた。しかし、決勝では失敗してしまい、「日頃からノーミスを心掛けて練習に励みたい」と今後の教訓となっている。
「新体操を始めた頃からの夢だった」という五輪出場は果たしたが、目標のメダルは逃した。「メダルに届かなかったことから学んだことを生かし、東京五輪ではメダルを取りたい」。そのやる気に満ちた表情は、日本新体操界初の五輪でのメダルを期待させる。
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母との約束を果たして「ほっ」
~全国中学校柔道大会女子52㌔級で優勝
藤城 心 さん
「母との約束を果たせて、ひとまずほっとしました」。父は浦安市柔道協会の指導部長、母はスイミングスクールのコーチというスポーツ一家の三姉妹の次女。小学校に上がる前、母・麗さん(45)から「私の誕生日プレゼントは金メダルがいいな」と言われ、小学校に上がるや、父・靖博さん(46)の元で猛練習を始めた。
一つの技を覚えるまで何千回も練習する「不器用だが一途な性格」(靖博さん)で、めきめき上達。6年生で全国小学校柔道大会女子45㌔級で準優勝した。
この一年、中学の部活と道場で1日6時間の練習の日も。出げいこや試合で県内外に出かけた家の車の走行距離は約4・5万㌔に。今大会、決勝で優勢勝ちすると応援席で号泣する靖博さんの姿があった。「よかったなあと思いました」。
「得意科目は英語。趣味はカラオケ。大原櫻子が大好き」という15歳が目指すのは、もっと重たい「金メダル」だ。
全日本柔道ジュニア体重別選手権で57㌔級連覇の舟久保遥香選手(山梨・富士学苑高)を目標に「寝技だけではだめ。立ち技を強化したい」と前を向く。
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音楽は人生のターボエンジン
~浦安ユースオーケストラ団長
樋野 賢二 さん
浦安シティオーケストラと浦安市が協働で7月に設立した、小学生から22歳までの若者による浦安ユースオーケストラの団長。シティ団長との兼任で就任した。「団員は弦楽器未経験の小中学生が中心だが、7回ほどの練習ですでに『蛍の光』を演奏していて頼もしい」。
島根県出雲市出身で、中学・高校時代は吹奏楽部でオーボエを担当。楽器に対しては、都内の大学に進んだ時に「友達ができるきっかけになった」と感謝する。就職後は、昔の仲間と年に数回しか演奏しなくなったが、浦安に越してシティに入団。「やはり演奏したかった。聴くだけでも楽しいが、演奏できたらもっと楽しい。食事やお金が人生のエンジンなら、音楽はより良い人生を送るためのターボエンジン」という52歳。
ユースは現在、来年4月の発表会に向けて管・打楽器の経験者を募集している。「楽器やオーケストラに興味のある子供たちに体験してほしい。一生の趣味として続けてもらえたらうれしい」。〝ユース〟という音楽を楽しめる場を生み、そこで子供たちを育て、オーケストラの魅力を広める。
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リオの経験、東京で生かしたい
~リオ・パラリンピックのスポーツカイロプラクター
伊佐 和敏 さん
「オリンピックに参加するという小学生からの夢が、医療チームの一員として選手をサポートすることでかなった」。身長183㌢、体重90㌔。水泳一筋、千葉県高校総体競泳男子で千葉商大付属高が総合優勝した際のメンバー。高校時代に知ったアスレチックトレーナーを目指し、スポーツ医学最先端とされる米国に留学する行動力も支えた堂々たる体格の38歳。声が弾んでいた。
カイロプラクティックはギリシャ語で〝手技〟。「姿勢の悪さなどが原因で脊椎の機能障害が起こり、身体に不調が出る。そこでさまざまな検査を行い、手技で脊椎を整えて自己治癒力を高め、身体の状態を改善させる技」。スポーツカイロは、捻挫、肉離れなどスポーツ傷害に特化し、「痛みを取るだけでなく、より高いレベルで競技ができるように神経・筋骨格を整えます」。
選手村総合クリニックには18日(現地時間)まで6日間勤務し、7人で施術。「選手に最高のパフォーマンスをしてもらうよう努めたい。その経験を東京五輪で生かせればうれしい」。4年後を見据えている。
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子供たちとの交流が一番大切
~学生有志団体ピーナッツフレンズの宿題サポート担当リーダー
金子 美里さん
夏休み期間中、親が共働きの子供は家で一人で過ごしている。学校外のさまざまな人と交流し、自身の成長につなげていってほしい―。明海大学卒業生が学生時代の平成25年に活動を始めた。昨年度からは浦安市日の出公民館、同当代島公民館と連携して活動を発展させている。
ピーナッツフレンズは同大学外国語学部日本語学科の学生が中心の有志団体。夏休みの子供の宿題サポートのほか、日本語が母国語ではない人向けの日本語教室も開いている。
「異年齢との交流を広げたい」と同団体に入って2年目の今年は宿題サポートの担当リーダーに抜擢。「子供たちの性格に合わせてどう接すればいいのか、また、勉強を教えることの難しさも考えさせられた」と、真摯に取り組んだ。
一番大切にしているのは「子供たちとの交流。勉強は教える側と教えられる側に分かれるけど、交流は対等。私たちも楽しみ、成長につながっている」という20歳。大学生を慕うリピーターの子供もいる。「誰がやってもいい。子供たちの成長につながるこの活動が、さらに増えていったらうれしい」。
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子供の笑顔が何とも言えない
~おもちゃの病院うらやす発起人・初代代表
木原 敏明 さん
「動かなくなったおもちゃだって子供は愛着を持っている。直してあげると言っても泣いて離さない子供もいるんです」―。浦安市中央公民館で開かれたおもちゃの修理ボランティア講習会の受講者で活動を始めて20年目。千葉県で最も古く、これまでの修理受け付け数は7500個を超える。
定年後に「世の中の役に立つことがしたい」と同団体を旗揚げ。切ってきた竹や、進駐軍の缶詰の空き缶などを使っておもちゃを作っていた子供時代の経験と、電気通信関係の技師として身に付けた知識と技術を生かしておもちゃを直してきた。活動当初から予想を上回る修理依頼が集まり、浦安市やスーパーなどからもおもちゃの病院の開設依頼が来た。「子供が大好きなおもちゃを直してあげたいという親たちはたくさんいるんです」と微笑む。
「直せたという達成感と、子供たちが見せる満面の笑顔が何とも言えない」という82歳。直した実績は約90%。だからこそ「直せない時は本当に悔しい」。子供たちの笑顔のために、仲間たちと知識を総動員して、おもちゃの〝治療〟に励む。
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興味持たれるようメダル狙う
~車椅子バスケットボールリオパラ五輪日本代表
土子 大輔 さん
中学生の頃から社会人までバスケットボールを続け、市川市の代表チームに選ばれたこともある実力者。しかし、26歳の時、バイク事故が原因で右足を切断した。バスケができなくなったが、姉の勧めで車椅子バスケに出合い、千葉ホークスに加入。当初は車椅子の操作に困惑したが「車椅子のスピード感と、鉄と鉄がぶつかり合う音、タイヤの焦げ付いた匂いが魅力」とのめり込み、いまやチームにも日本代表にも欠かせない存在となっている。
「普通にバスケをしていたときは日本代表になれなかったけど、車椅子バスケに出合ったことで日本代表になれた」と、いまの境遇をプラスに受け取る。リオパラ五輪出場が内定したときは「うれしかったけど、それよりもリオでどれだけ結果を残せるかを考えた」とすぐに頭を切り替えた。
今年36歳だが、リオパラ五輪には主力として出場。「日本代表の緻密なチームワークが見どころ。車椅子バスケに興味を持ってもらうために活躍して、メダルを狙っていきたい」。前線からのプレスとシュート力を武器に、リオパラ五輪に挑む。
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競技の魅力伝え盛り上げたい
~全国障害者スポーツ大会・サウンドテーブルテニス千葉県代表
田口 大勝 さん
平成21年、34歳のときに糖尿病が原因で全盲になったが、「どうやって外出するか、社会に出るかを考えた」とポジティブ思考だった。翌年から県立盲学校に通い、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。現在は出張訪問マッサージで生計を立てる。
「交差点を渡るときや、電車に乗るときなどに手をひいて助けてくれる人が多く、まだまだ世の中捨てたものではないな」と感じる一方、最近は歩きスマホの人にぶつかられることが多いといった苦労もある。それでも、「見える世界も見えない世界も経験したので、それぞれの気持ちが理解できる」と不満は漏らさない。
サウンドテーブルテニスと出合ったのは2年前。「ただ打ち返したり、スピードボールを打ったりしても勝ちに直結しないことや、年齢・性別に関係なくみんなで楽しめるのが魅力」とのめり込んだ。
県内一と言われるサーブが武器。「千葉県といえば田口と言われるくらいになりたい。そして市内に約700人いる視覚障害者に競技の魅力を知ってもらい、盛り上げていきたい」。高い志を胸に全国大会に挑む。
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チーム一丸となり金メダル取る
~リオ五輪7人制女子ラグビー「サクラセブンズ」メンバー
冨田 真紀子 さん
世界12カ国が参加するリオ五輪の7人制女子ラグビー。フィールドは通常の15人制と同じだが、チームはフォワード3人とバックス4人。人数が少ないため、持久力とランニング能力が求められる。「日本人はフィジカル的に小さい。最後の最後まで走り抜き、相手を疲労困ぱいさせて点を取る。相手をパニックに陥らせる奇襲をかける」。ポジションはフォワード。タックルが得意で「ドーベルマンのような攻撃」とアピールする25歳。
幼稚園から浦安で過ごし、小中学校ではバスケットボールに励んでいたが、「これからはラグビーの時代」と聞いて練習を見学し、中学校の終わりごろからラグビーに転向。魅力は「痛みを伴うところ。だからこそ仲間のために体を張りたい。母からはケガのたびにやめたらどうかと言われたけれど、自分を犠牲にしてまでボールをつなぐ、とてもいいスポーツ」。
「初戦でカナダを倒し、勢いに乗りたい。出場できない人の分までチーム一丸となって戦う。金メダルを取って、笑顔で帰ってきたい」と闘志を燃やす。
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いつも花咲く海楽公園にしたい
~都市緑化功労者知事表彰を受けた「海楽公園ふれあい会」四季の花クラブ代表
秋元 國江 さん
地域住民と子供たちが楽しめる海楽公園を目指して活動している四季の花クラブは、平成22年に市の公園等の里親制度で発足。花壇8カ所で5~20種の花を咲かせ、バックヤードでは花の苗と、28種30本のバラを育てている。昨年度からは境川東水門上にある歩道の花壇の手入れも行っている。
地域の保育園児には、花の種まきや樹木の実植え、コンテナでの田植えの機会を提供しており、同クラブにとっても楽しみな交流の一つ。地域住民に向けては、5月のバラのオープンガーデン、11月の皇帝ダリアの鑑賞会、毎月のバラの勉強会などを開き、一緒に花を楽しんでいる。
入会前、家にいることが多くなって不安を感じていたころ、犬の散歩の途中で同クラブメンバーに「大変ですね」と声をかけた。花は好きでも、名前も手入れの仕方も知らない。それでも誘われるまま種まきに出かけ、仲間になった74歳。一声が楽しみにつながった。
「『暑い中、ありがとう』『いつも花が咲いていていいわね』。そういう声がたくさんもらえる」。仲間たちと一声を励みに、交流や笑顔を生む花を咲かせ続ける。
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子供が生き生き育つ環境作る
~都市緑化功労者知事表彰を受けた環境バスターズ代表
涌井 正樹 さん
子供たちが旧江戸川の風景を描こうとしたら護岸は「ごみだらけ」。そう耳にして市と県、国に掛け合った末の平成17年、一人でごみ拾いを始めることにした。土・日曜日をつぎ込んでペットボトルや空き缶、流木などのごみを拾う姿に賛同者が増え、同21年に環境バスターズを設立。会員は260人に広がり、舞浜や千鳥、高洲を中心に浦安の海と川の護岸で会員が好きな時間と場所でごみを拾い、全体で週2回ほど行っている。
活動はごみ拾いにとどまらず、「地域のお困りごとの解決」がもう一つの柱。交通量が多い通りへの横断歩道の設置、痴漢事件が多発する地域のうっそうとした樹木の切除などを提言、実現してきた。
全ての活動は「子供たちが生き生きと育ち、巣立っても帰ってきたいと思う環境を作るため」。一人で始めた当時の子供たちが高校生になり、手伝ってくれていることに喜びを感じている。
アイデアを武器に25歳で起業した社長で、現在55歳。「ネットで検索して行動もせずに夢を諦めるような人生は送りたくない。たとえ転んでも挑戦し続けたい」。大切にしているのは挑戦と継続。
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市川の自然を美しくしたい
~都市緑化功労者知事表彰を受けた行徳グリン・クリンの会代表
武田 紀昭 さん
宮内庁新浜鴨場などの自然に魅せられ、30年程前に市川市に転居。次第に鴨場から続く遊歩道に空き缶やタイヤなどのゴミが目に付くようになり、ゴミを拾う活動を一人で始めた。ゴミが無くなってからも「さらにもっと美しい環境にしたい」と、茂ったヨシや竹やぶを整備すると、通りを行く人たちに「上高地の大正池に似ていますね」などと褒められるようになった。
「こんなに喜んでくれるならいくらでもやってあげたい」。ほぼ毎日活動するようになり、平成15年には同じ志を持つ仲間と行徳グリン・クリンの会を結成。活動の幅が広がると、遊歩道は河津桜や菜の花などが見られる市民の憩いの場となった。こうした取り組みにより、平成26年度には都市景観大賞で特別賞を受賞。先月には「みどりの愛護」のつどいで都市緑化功労者知事表彰を受けた。
「現在の環境を子供や孫の代まで継続して行くため、自治会や学校、市などと連携して環境を守るための仕組みを作り、地域活性化につなげたい」と今後を見据える74歳。市の基本構想である「真の豊かさを感じるまち」の実現を目指す。
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開かれた議会に向け調整役担う
~第68代市川市議会議長
稲葉 健二 さん
音楽グループ・和田弘とマヒナスターズのボーカルを務めた異色の経歴を持つ59歳。市川市文化会館などで30年ほど前から始めたソロコンサートはいまでも毎年行っている。
地域の子ども会の会長や、市川市子ども会育成会連絡協議会の地区長を務めるなど、子供の健全育成に力を注ぐ。市議になったのも、市立八幡小のPTA会長を務めていたとき、市への提案や要望がなかなか反映されず、「自ら市議になって子供たちのために市川市を良くしていきたい」と思ったからだった。
平成15年に初当選して以来、4期連続で当選。子育て支援の拠点「親子つどいの広場」の設置や、市文化会館のバリアフリー化などに取り組み、昨年は市川のご当地アイドル・市川乙女のプロデュースにも関わった。
「議長は会社の社長と違い、これをやろう、あれをやろうではなく、あくまで調整役」と、円滑な議会運営を心掛けつつ、「議員代表者の議長として開かれた議会に向けて活動し、市川市議会がより良い方向にいくように調整していきたい」と意欲を示す。
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子供は勉強だけだと育たない
~いちかわ市民ミュージカル実行委員長
松丸 隆 さん
平成14年から隔年で実施されているいちかわ市民ミュージカル。これまでに、子供から高齢者まで延べ約4400人が出演者やスタッフとして参加し、市川にちなんだ物語で感動の舞台を作り上げてきた。市文化会館で9月4日に行われる第8回公演は、戦中に中山競馬場の馬全500頭が殺された実話を描いており、国府台の赤レンガ建築物との関連性にも触れている。「ミュージカルはみんなで協力して作品を作り上げていく。みんなで作り上げる作品がどんなものかぜひ見に来てもらいたい」。
市川北方郵便局の局長を務める65歳。会長を務める市川東ライオンズクラブで小・中学生を対象に剣道大会を開いたり、ボーイスカウト市川第1団の副団委員長を務めたりするなど、子供たちの健全育成に力を注いできた。今回、実行委員長を引き受けたのも、大勢の子供たちがミュージカルに参加することが決め手。「子供たちのためならやらなければならない」と強い使命感を感じた。「子供たちは勉強だけだと育たない。ミュージカルや武道、音楽なども経験して色々と学んでもらいたい」と熱い思いを抱く。
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責任と誇り持ってリオに臨む
~車椅子バスケ男子リオパラ五輪の日本代表ヘッドコーチ
及川 晋平 さん
「日本代表のコーチがしたい」。8年ほど前に本紙の取材で語っていた夢は、広州2010アジアパラ競技大会でアシスタントコーチという形で実現した。そして平成25年には、42歳にして監督に相当するヘッドコーチに就任。責任と重圧を感じながら、誇りを持って役目を全うしている。
バスケに熱中していた16歳の時に骨肉腫を発症し、右足切断となった。ある日、地元の車椅子バスケチームの勧誘でプレーを見学。「そこには同じような障害を持った仲間たちがいた」。すぐにチームに加入すると「思い切り車椅子を操作して仲間と楽しむ空間は格別」と熱中し、日本代表でレギュラーになるまでに成長した。
リオパラ五輪への出場権は、アジア・オセアニア地区3枠の最後の1枠で獲得。「出場できないのは日本にとって損失」と考えていただけに、その瞬間は「あー良かった」と安堵の気持ちだった。本番は9月。「嘘をついて『メダルを取る』と言うのは簡単だが、現実的に言うと目標は過去最高の6位以上。そして東京パラ五輪ではメダルを狙いたい」。視線は常に車椅子バスケの未来に向けている。
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災害対応の基本は「百万一心」
~浦安市危機管理監
河井 繁樹 さん
災害現場に立った経歴のある自衛隊員の中から選ばれ、4月に浦安市の第3代危機管理監として着任。新潟県中越地震の時は東部方面隊総監部の防衛課長として、広島土砂災害の時は中国地方5県を担当する第13旅団の副旅団長として現地入り。「最も重要なことは、被災者目線の災害対応。そのために、体制と施設の整備、訓練を行う。さらに、一人でも多くの市民と接し、自助や共助の大切さなどに対する市民の意識改革を一つ一つ積み上げていくことに尽くしたい」。
市長を補佐する危機管理監にとって必要なことは「危機はいつ、どこで、何が起こるか分からない。危機管理という視点を恒常的に持つこと」。首都直下型地震の発生が想定されている中で「就任中に発生する心構え」で業務に当たる覚悟を持つ。
大分県出身で防衛大学卒の56歳。モットーは毛利元就の言葉「百万一心」。一致団結を説いた言葉は、災害対応の基本でもあり、隊員らに受け継がれている。
趣味は硬式テニス。仕事柄、料理も手慣れたものだが、仮住まいのキッチンの狭さがもどかしい。
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目標に向けチーム一丸で練習
~全国高校選抜で団体戦準優勝の東海大付属浦安高校剣道部主将
大力 丈門 さん
昨年8月に主将に就任。全部員のまとめ役として後輩にとって良き相談相手になることや、部全体が稽古に集中できる雰囲気づくりを心掛けてきた。
今年3月に行われた全国高等学校剣道選抜大会の団体戦では、主将としてチームを引っ張りながら先鋒の役割も全うし、堂々の準優勝に輝いた。同大会では、21年前の優勝に次ぐ好成績。「剣道部創部50周年の記念すべき年に全国選抜大会に出場して準優勝できてうれしい。先生や剣道部OB、保護者たちのおかげ」と感謝する。
親の薦めで小学1年生の頃に剣道を始め、剣道強豪校の東海大学付属浦安中学に進学。3年生の時には全国大会の団体戦でベスト8に入った。高校でも県新人大会の団体戦に2年生の時から2年連続で出場し、連覇に貢献。身長166㌢と小柄だが、相手に面を打たせて胴を狙う「面返し胴」を武器に大柄な選手を打ち負かす。
「今年の夏に行われる全国総体は自分たち3年生にとって最後の大会。団体戦で優勝するため、まずは県総体で優勝したい」。目標に向け、チーム一丸となって厳しい練習を積み重ねていく。
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熱意ある人に本物の技術伝える
~10年ぶりの「べか船」建造で技術指導
宇田川 彰 さん
「やって良かった」。浦安市郷土博物館ボランティア「もやいの会」のメンバー5人が1年掛かりで完成させた「べか舟」に目を細める。
材料選び、造船に必須の技術特訓を半年、建造に半年。べか舟に魅かれて同会に参加、毎週日曜に通って来るメンバーの熱意が元舟大工の職人魂を揺さぶった。「本物の技術を伝えよう」。熱が入った。
底引き網漁師の家に生まれ、中学卒業と同時に10歳年上の兄の元で舟大工の道へ。懸命に技を覚え、数年で修理を一手に任されるまでに。べか舟なら1週間で建造した。
しかし、工場廃水による水質汚濁で浦安の漁業は壊滅的な打撃を受け、海面埋め立ても進んだ昭和37年、23歳で舟大工を廃業。その後、土木建設会社を興し、浦安建設業協力会長も務めた。平成7年に「浦安舟大工技術保存会」の結成に参画。培った技で投網舟なども手掛け、同17年会長に。77歳のいま、「技術は歳とともに向上する。心に余裕が生まれるからだ」と思う。
「もっと学びたい」という〝弟子〟の声に「伝馬船」建造が決まった。指導役に徹しながら、会員の減少、高齢化の進む保存会の活性化も目指す。
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夢を持てば自分で考えられる
~文部科学大臣表彰を受けた日の出中サポーターズクラブ代表
中原 和代 さん
「子供たちに働くことを学ぶチャンスを提供したい。大学生では遅過ぎる」。浦安市立日の出中学校でキャリア教育に取り組み、昨年度末に「キャリア教育優良教育委員会、学校及びPTA団体等文部科学大臣表彰」を受けた。
同クラブは、生徒が意義ある学校生活を送れるように同中や教諭をサポートしようと、生徒や卒業生の保護者らで平成22年に発足。翌年度からは保護者や地域住民、卒業生らを講師に、生徒に職業や人生観などについて伝えるプログラム「働クエスト」を実施している。「具体的な夢を持つと、いまの自分は何をすればいいのか、自分で考えるようになる。JAXA(宇宙航空研究開発機構)職員の話を聞き、宇宙の仕事に携わりたいと行動を始めた生徒もいる」と、やりがいは大きい。
子供たちに仕事の大切さや楽しさ、人生をどう生きるかなどについて伝えながら、自身も「大人になって仕事に関係なく、チームを組んで取り組める幸せを感じている」という53歳。「社会で活躍している卒業生が集える同窓会を作りたい」。巣立つ子供たちのふるさとづくりも見据えている。
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浦安の〝自然〟に触れてほしい
~水・土壌環境保全活動功労者表彰を受けた浦安三番瀬を大切にする会代表
今井 学 さん
「浦安の海を自分の海として、また、孫や子に残していくために、自分にできることをしていきたい」。長年、三番瀬の環境保全活動を続けてきた団体として、環境省から表彰を受けた。
ミニクリーンアップを毎月1回、大規模なクリーンアップ大作戦を年1回(次回はあす8日)行い、三番瀬の生き物を紹介する水槽も市役所に設置。クリーンアップ後の観察会では、子供たちに身近な海の生き物を案内する。「ごみ拾いは手段で、自然に触れてほしい。子供はカニ釣りにすごく乗ってくる。原始的だけれど、子供のうちから五感で遊んでほしい」と、遊べる水辺の活用を願う。
仕事のラジオ番組制作では、自然の啓蒙番組も制作している。伝えているのは、人間が造ろうと思っても造れない自然の存在。「癒され、エネルギーをもらえる。何ものにも替えられない」。
浦安には「遊べるフィールドがある」と16年ほど前に転居してきた61歳。楽しみはキャンプ。子供が生まれる前は年50泊、現在でも月1泊ほどのペースで行く。ふるさと富山の自然の中で遊んでいた少年は、いまも自然と戯れる。
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市川の歴史を市民に広めたい
~創立40周年を迎えた市川博物館友の会会長
村松 勝美 さん
昭和50年に発足した市川博物館友の会。市川歴史・考古両博物館と連携しながら、縄文土器作りや市内外の史跡見学などを通して会員たちの知識向上を図ったり、各種イベントで市民に火おこしや勾玉作りを指導したりしている。
自身の入会は約30年前で、友の会主催の拓本教室に参加したことがきっかけ。「石碑は年々風化し、読みづらくなるけど、拓本を取ることで読めるようになり、昔の人がどんなことを書いていたのかが分かる」。以来、拓本に魅せられている。
現在の会員は245人。「入会したことで趣味を通して友人関係を築くことができた。友の会に入って良かった」と柔和な表情を見せる。平成26年には74歳で会長に就任。「遺跡や城などを見学する理由が分からないのでは駄目。学んでから見ると見方が変わる」と、野外活動よりも館内の勉強会を重視している。
「会の基本理念『地域文化の発展に寄与する』を大前提に、市川の歴史に関することを学びながら市民に広めていき、次の50周年を目指したい」。年齢を感じさせないエネルギーがあふれている。
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仲間と大学選手権優勝目指す
~全日本大学個人ボウリング選手権大会で優勝
川上 諒 さん
小学生3年生の頃、父親の勧めで初めてボウリングをして11年。「最初はうまくできなかったけど、ボウリング場の支配人が教えてくれたり、マイボールをくれたりして楽しくなっていった」と当時を振り返る。中学生で全国レベルの大会に出場するようになると「もっとうまくなりたい」と、これまで以上に熱心に取り組んだ。
高校卒業後は栃木県の実家を離れ、ボウリング部の歴史が50年以上ある強豪の千葉商科大学に入学。1年目から活躍し、チームで競う全日本大学選手権大会で一昨年3位、昨年4位の好成績に貢献した。「みんなで喜び合えるチーム戦は楽しい」。今年2月に開かれた全日本大学個人選手権大会で優勝できたのも、「調子が悪く、自分のフォームを見失ったときに、チームメート同士で動画を撮り合ったりして互いに指摘し合ってきた」と、常に仲間内で切磋琢磨してきた結果だ。
3年生になった今年度から部長に就任。「みんなをまとめてやっていくのは大変」と責任を感じながら「自分がチームを引っ張っていき、大学選手権で優勝に導きたい」と頂点を見据える。
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囲碁の面白さを感じてほしい
~本紙連載「囲碁道場」執筆者
三村 智保 さん
「囲碁は一つの答えがなく、飽きない。手探りで進み、良い手を発見したときの感動が好き」。
日本棋院に所属する46歳のプロ棋士(九段)。なかなか勝てずに劣等感を抱く時期もあったが、「もっと楽にやろう」と師匠の元を離れて躍進した。平成15年にはNHK杯(テレビ棋戦)で優勝。翌16年には七大タイトル戦の一つ、本因坊戦で挑戦者決定戦まで進出した。囲碁の強豪国、日・中・韓3カ国のテレビ棋戦優勝・準優勝者による大会に日本代表で出場したときは、当時世界最強と言われた李昌鎬九段に勝利。「自信もなく苦しかったが、宝物をもらった」。棋士として一番思い出深い試合だ。
10年ほど前からは棋士として試合をするだけでなく、市川で子供たちを指導。趣味のゴルフやテニスの時間はなくなったが、「プロを目指している子供の力になってやりたい」と精力を注ぐ。「日本の囲碁を盛り上げたい」と、ブログやツイッターで頻繁に情報を発信。「初心者が気楽に入れるような囲碁センターを市川に作りたい」と夢見ながら、本紙連載でも「囲碁をやったことのない人に面白さを感じてもらえたら」と願う。
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市民農園は仲間との遊び場
~所有地を市民農園にして10年の園主
麻生 勲八 さん
平成18年に民間市民農園「貝之花農園」を開園して10年。園主として、会員とのコミュニティを大切に側面から支えてきた。「財産の保全ができ、そこでコミュニティが生まれ、楽しめればいい」。
人助けで土地を購入したが使い道がなく、草刈り費ばかり掛かっていたが、アスファルトを敷くことだけは絶対反対。「緑を減らさず、田畑を守りたい。緑があると心安らぐ」との強い思いを抱く中、市民農園のアイデアをもらい開園。大分県津久見市の自然の中で育ったことが背景にある。
「作業が大変」。水まき用の井戸を掘った後に会員から聞けば電動のくみ上げ装置を付け、水道を引くなど手をかけてきた。より良い市民農園を目指して国内のほか欧州も視察し「規模が大きく、お茶会が開かれ、コミュニティを大切にしている。隣の人を知らない日本の市民農園とは違う。もっといい農園にしたい」と願う。
コミュニケーション好きな75歳。今後は「子供からお年寄りまで集まれる芝生広場などを作りたい。避難場所にもなる」。自身は野菜を作らないが、仲間とつながれる市民農園は、楽しい遊び場。
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手描友禅を知ってほしい
~県伝統的工芸品に指定された手描友禅の製作者
伊藤 知子 さん
「着物に直接絵を描く手描き友禅で着物を作ってみたい」。
昭和49年、会社務めだった22歳の時に都内の手描友禅の教室に通い始めた。「工房で手描友禅に没頭する環境が好きだった」と次第にのめりこみ、会社も辞めて没頭。同60年には「もっと自由にやりたい」と、生まれ育った市川市八幡に工房を構えた。以来、受注生産をメーンに、夏目漱石の『虞美人草』や与謝野晶子の『みだれ髪』といった本の装丁のデザインを取り入れたものなど、独創的な作品を製作。現在は製作の傍ら、手描友禅の教室や体験会も開いている。
「若い頃は1日20時間ほど仕事をすることもあった」と振り返る64歳。仕事が大変な時には合間を見つけ、アイドルグループやジャズのライブに行ったりして気を晴らす。「これまで結婚もせずにやってきた。言うなればパートナー」と、約40年間を共に歩んできた友禅染に対する思いをかみ締めるように語る。
「いまの時代は伝統工芸を継承しづらい。手描友禅の存在を知ってもらえるような活動をしていきたい」。今後は手描友禅の周知活動に全力を注ぐ。
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製作した家具は、自分の分身
~千葉県の名工に選出された木工家・建具製造工
若林 泰雄 さん
機械を使用せずに板材を直角に組み合わせて継ぐ工法「組み手」の技術などが評価され、今年度、千葉県の名工に選出された。それでも、「特にこれといった特徴はない。基本に忠実にやっているだけ」と謙虚だ。子供の頃から木工が好きで、24歳から1年間、職業訓練校に通った後、都内の家具屋で15年間勤務し、修業をしながら主にテーブルやキャビネットを製作した。勤務して7年が経過した頃、技能の日本一を競う大会「技能グランプリ」で厚生労働大臣賞を受賞。平成23年に独立し、南行徳に工場を構えた。現在は腕を痛めて休業中だが、都内で機械加工しかできない職人向けに手加工を教える講習会の講師をしている。
「休みがほとんどなく、仲間が仕事中に指を切り落としたこともあり、何度も辞めようと考えた」というが、「若いころに作り、いまだに浦安の図書館で使われている本棚を時々見に行って初心を思い出す。まるで自分の分身を見ているよう」と、職人ならではの喜びも感じている47歳。
「千葉県にはない家具工業組合を作り、数年後には黄綬褒章を取りたい」。さらなる向上を目指す。
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未来の子供たちのために…
~水・土壌環境保全活動功労者として表彰
宍戸 有美 さん
「英国の未来学者・ヘイゼル・ヘンダーソンは、直感的に行動したことで未来の生活を守ることにつなげた」と知り、「未来の子供たちのために春木川をきれいにしたい」と、平成16年から市の生活排水対策推進員になった。11年間活動し、川の水が汚れる原因や、家庭でできる生活排水対策などを、下水道未整備区域の小学校や町会などで延べ約3万1500人に紹介。「講義を受け、『洗剤を使いすぎてはダメだよ』と母親に言う子がいたと聞いてうれしかった」と達成感も感じてきた。
現在は市川市環境審議会の委員として、環境問題全般について幅広く審議・検討している。「一市民として考えなければならない問題を、行政と市民と一緒に考えていきたい。そしてその考えが循環していけるようにしていきたい」。
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書道が自信を与えてくれた
~全国青少年書き初め大会高校生個人の部で文部科学大臣賞
遠藤 彩芽 さん
中学校では陸上部に所属するなど書道とは無縁の生活だったが、「書道ができるのは格好いい」と、県立国府台高校で書道部に入部。すると、昨年1月には2年生にして全日本書初め大展覧会で最高賞の内閣総理大臣賞を受賞した。今年1月に開かれた全国青少年書き初め大会では、受験勉強のため、大会1カ月前まで半年間練習ができなかったが、最高賞の文部科学大臣賞を受賞。「ここまでやってこられたのは顧問に指導してもらったり、他の部員たちと切磋琢磨したりしてきたから。この部に入って良かった」と周囲に感謝する。
入部当初は、初心者だったため「他の部員に違いを見せつけられた」と苦労もあった。転機が訪れたのは入部して1年が経過した頃。大会で良い成績を出せずに悩んでいると、顧問に「清代後期の書家・楊峴の書を書いてみないか」と勧められ、結果を残すようになった。
「書道が好き。書道は経験や自信を与えてくれた。今後も続けていきたい」。来年は全国青少年書き初め大会で大学の部に出場し、2年連続で文部科学大臣賞を受賞することが目標だ。
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子供たちに競技をしてほしい
~スラックライン日本ランキング1位
福田 恭巳 さん
高校生だった平成22年、アルバイト先のクライミングジムでスラックラインと出合った。クライミングでは、アジアユース選手権ジュニア女子ボルダリング1位の実力者だったが、次第にスラックラインにのめりこんでいった。
子供の頃のダンス経験を生かしたしなやかな動きや横方向の回転などを武器に、翌年から日本オープンを5連覇中。2012年には日本人女子として初めて世界大会に出場して2位となった。
順風満帆とも思える競技生活だが、公園などの木と木をベルトでつなぐことに、植物保護などの観点からなかなか理解を得られず、誰もが気軽にスラックラインをするのは厳しい状況。それでもあきらめず、「限られた環境と時間で集中して練習してきたからこそ、いままで結果がついてきた」と逆境をはねのけてきた。
現在は世界ランキング2位。今後は再び世界1位を目指しつつ、「スラックラインをたくさんの人に認知してもらいたい。スラックラインができる場所が増え、子供たちに競技してもらえるように活動していきたい」と意気込んでいる。
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自由な遊びで子供の未来拓く
~浦安市こどもの広場プレイリーダー班長
藤田 彩 さん
「一日で山が変わった。子供たちのエネルギーはすごい」。子供の発想で自由に思い切り遊ぶ中で冒険心や社会性を育もうと昨秋開業した浦安市こどもの広場。入場者は4カ月で1万6千人を超え、真冬でも泥にまみれて遊ぶ子たちの歓声が絶えない。
その「山」とはメーン施設のひとつ、築山。開業の朝には山を覆っていた草が、翌日夕方には南斜面で消滅。粘土の地肌が露出した。「3㍍の高さから滑り降りる〝尻ぞり〟ではぎ取られました。良く滑るよう水をまくので谷間が幾筋も。予想を超える展開でした」。
富山市の生まれ。市立保育所の保育士をしていた時に結婚、夫の転勤に伴い10年前に浦安へ。子育て支援NPОに所属しながら小3と3歳、2歳の男児3人を育て、班長として未就学児を担当するプレイリーダーをまとめる。愛称は「あやちゃん」。
汚れ、濡れ、固い土や水、木と格闘する子供たち。「みんな制約がない泥んこ遊びが大好き。泥水に浸かり黙々と穴を掘る子もいます」。見守り役、相談相手に徹し、「自由に遊んだ経験が子供の未来を拓く力になれば」と期待する。
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それがぼくの生きる道だ
~全国中学生人権作文コンテストで法務大臣賞を受賞
小林 想 君
「たくさん嫌な思いをしてきた。 でも、同じくらい人から優しくされてきた」―。脳性マヒという障害を抱えて過ごしてきた経験をつづり、全国中学生人権作文コンテストで、全国97万余編の作品の中から実質2位の法務大臣賞に選ばれた。「サポートしてくれるたくさんの人がいたからサーフィンができ、立って波に乗れた。作文は、サーフィンの様子をどれだけリアルに表現できるかが大変だった。読んでくれる人に勇気を持ってもらえる作品にしたかった」と満面の笑みで話す。
以前は車いすを使っていたが、持ち前の努力家という性格から、歩けるようになった。文字を書くのは苦手で、授業で書かれた黒板は写真に撮るが、作文は好き。タブレット端末やパソコンを使ってバチバチと打つ。
読書が好きな中学1年生で、『三銃士』など冒険物が好み。得意な科目は英語。まだ英語の原書には未挑戦だが、夢は翻訳家。「障害があろうがなかろうが、ぼくらしく生きていく。時に少しブサイクだろうが、それがぼくの生きる道だ」。作文のお気に入りのフレーズが力強い。
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国際リーグでも結果残したい
~ラグビーワールドカップ2015日本代表メンバー
立川 理道 さん
ラグビーの盛んな奈良県天理市に生まれ育ち、4歳からラグビーを始めた。天理高校時代は全国大会でベスト8入りを果たし、天理大学時代は主将として全国で準優勝。大学2年の時に右膝前十字靭帯損傷の重傷を負い、約1年間リハビリを余儀なくされたが、「ラグビーは自分自身」という思いで、乗り切ることができた。
大学を卒業した平成24年、市川市とほど近い船橋市栄町を本拠地とする、ラグビートップリーグ・クボタスピアーズに加入。同年には日本代表にも選出され、これまで40試合以上に出場した。昨年のラグビーワールドカップでは主力として活躍。南アフリカ戦ではセンターとして出場して歴史的大勝利に貢献し、「最高の瞬間。感情が弾けた」と喜ぶ。
今月後半からは、ラグビー強豪国のニュージーランドとオーストラリア、南アフリカ、アルゼンチン、そして日本の5カ国の18クラブチームで競う国際リーグ「スーパーラグビー」に日本のチームの一員として出場する。「厳しい戦いになると思うが、結果を残したい」。今後も世界の強豪国に挑み続けていく。
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世界の技術を底上げしたい
~現代の名工(卓越した技能者)に選出された仕立工
稲荷田 征 さん
中学生の頃、家庭科の授業で初めて使ったミシンの性能に驚き、仕立工を志すようになった。卒業後、洋服屋に7年間住み込んで仕立て技術を身に付けた後、衣料品店やアパレルメーカーに40年以上勤務。採寸やパターン作り、パターンの研究などに取り組んだ。
「自分で作った作品を着て喜んでもらえることに一番やりがいを感じる。一度もやめたいと思ったことはない」と言うほど、服作りが好き。現在は文化ファッション大学院大学で非常勤講師を務める傍ら、中国や米国でこれまで培った技術を教えている。「日本だけが技術をつけるのではなく、世界の技術を底上げしたい」。77歳とは思えぬほど、気力に満ちている。
「簡単に洋服が作れることを証明したい」と、4年ほど前には縫製せずに溶着、接着で服を仕立てる技能を確立。「現代の名工」選出につながった。
「さらに服作りを簡単にするため、プラモデルみたいに組み立てられるように研究を続ける。溶着、接着による仕立て技術を一般の人にも普及させたい」。仕立てに人生をささげた男の挑戦は今後も続く。
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「優勝できたのは周囲のおかげ」
~昨年の全日本学生ボディビル選手権大会で優勝
中川 鴻次郎 さん
高校時代は、野球部で数々のトレーニングを行ってきたが、了德寺大学のオープンキャンパスでバーベルクラブのトレーニングを見て、バリエーションの多さに驚いた。「この大学に入ってボディビルをやりたい」と入学を決めた。一昨年の同選手権では、鍛え始めてからたった1年で9位と健闘。同大学の団体優勝に貢献した。個人優勝した昨年の同選手権では、教育実習のため数週間前からトレーニングどころか寝る時間もなかったが、決勝では全審査員から1位の評価を受ける圧巻の成績。「まさか優勝できるとは思わなかった。目指していた日本一になれた」と喜ぶとともに、「優勝できたのは先輩や先生、友人、親などのおかげ。一人ではここまでできなかった」と周囲に感謝する。
「大会前は半年で約20㌔も減量しなければならない。筋肉を落とさずに体重を減らすことは地獄」とつらい側面もあるボディビルだが、「肉体的にも精神的にも強くなれた」とやりがいを感じている。「他の人たちに負けられない。今年も優勝を目指す」。世話になった人たちにさらに恩返しをするため、厳しい鍛錬は続く。
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