芸を通じ人に楽しんでもらうことが喜び
なのはな奉仕会会長
鈴江 和子さん
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安来節の歌手だった母の血を受け継ぎ、10歳のときから約15年間、民謡・歌謡曲の歌手として舞台やラジオで活躍。70歳になった現在も民謡を教え続ける。浅草・木馬館では毎年、母の芸名を受け継いだ2代目・足本小糸として安来節を披露。平成2年、全国民謡大賞の県大会で木更津甚句を歌って優勝したことが、一番の思い出になっている。 25年ほど前、父の叔母が入所した老人ホームで歌を披露したところ、他の入所者も大喜び。毎月通うようになってから、「一人で歌うより、いろんな芸を見せてあげたい」と芸をもつ人を募り、5人で「なのはな奉仕会」を結成した。 会の目的は、芸を見た人に楽しんでもらうこと。「訪問先の高齢者に涙を流して喜ばれたり、帰り際に手を握って『また来てね』と言われたりすることがうれしい」。課題は会の若返りで、「喜ばせたい気持ちがあれば、どんな芸でも下手でもいいので、たくさんの人に参加してほしい」と仲間を募っている。 「ここまで続いたのは皆が熱心だから」と仲間にも感謝。「命の続く限り、お年寄りに喜んでもらうため皆と仲良くやっていきたい」。芸を通じ、人に楽しんでもらう喜びと素晴らしい仲間を手に入れた。 (2008年4月4日) MENUへ |
ぜんそく治療のつもりが自分試し24年に
剣道の女性最高位7段を60歳で取得
野田 初子さん
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武蔵美大でグラフィックデザインを学び、卒業後はデザイナー専門学校の講師やグラフィックデザイナーとして活躍。出産を機に退職した後は、保育クラブの指導員や中学校の用務員を務めるなど、さまざまな仕事を経験した。 剣道には学生時代からあこがれていたが、剣道部がなかったため始めたのは36歳のとき。前年に患ったぜんそくの治療が目的だが、「男の世界で自分を試したかった」ことも理由の一つ。その結果、テニスもできないほどだったぜんそくは一年半で完治。その後も一本を取るそうかい感で、すっかり病みつきに。 そして、60歳で女子最高の7段を取得。「ケイコをいろいろな人に見てもらい、注意してもらったおかげ。大学に入れたのも、保育クラブで子供たちが無事に成長してくれたのも、すべて運が良かった」と謙虚に振り返る。 「いい親孝行になったかな」と喜びを感じる一方、「周りの人は7段の取得者という目で見るので、それに恥じないよう練習しないといけない」という気持ちがプレッシャーにもなっている。「強いだけではなく、みんなから『あの人はいい剣道をする』と言われるようになりたい」。そのためには、ただ鍛錬あるのみ。 (2008年4月11日) MENUへ |
地域の世話になり健康でいられる恩返し
神社の境内を毎日清掃
清水 ナカさん
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約3年間、自宅近くの神社をほぼ毎日清掃し、昨年末に市川善行会から自身3度目の表彰を受けた。過去2回は、東西線行徳駅の開業以来、夫が体調を崩すまで約20年間続けた駅前清掃が評価されたもの。駅前清掃は、50年近く所属する「家庭倫理の会市川市」の活動で、いまも月に一度行っている。 現住所に移り住んで間もない昭和20年代、夫が経営する隣の工場の火事で自宅や隣家数軒を全焼したが、隣人たちは「逃げずにここで頑張りなさい」と励ましてくれた。刑務所出所者の更生に努める更生保護女性会の役員や民生委員、母子推進員などを長年続けられたのも、先輩の指導があったから。「何不自由なく、健康でいられるのは周りの人のおかげ」。毎日の清掃は、日ごろから世話になっている地域への恩返しという意味も込められている。 健康だからできる清掃活動。だが、清掃活動や畑での作業をしているからこその健康でもある。「これからも健康で明るく、毎日感謝しながら働いていきたい」という86歳。毎年、8月の誕生日と正月には11人の孫や人のひ孫など大勢いる家族たちが集まり、一緒に楽しい時間を過ごしている。 (2008年4月18日) MENUへ |
ボランティア意識より自分も得る気持ち
自費でマンション内に高齢者サロンを開設
堀江 弘孝さん
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「ささやかであっても、みんなの生きがいになればいい」―。 “地域のため”や“ボランティア”という意識はない。むしろ「お年寄りから教わることはたくさんある。みんなの笑顔もお金には換えられないうれしさ。私の生きがいです」。自分にも得るものがある―という純粋な気持ちが助け合いにつながっている。 「どう楽しんでもらうか」とアイデアをめぐらせ、好きな料理を出すことも。「いつもあまり食べない人も、みんなと一緒だとよく食べる。無機質なテレビを見て一人で食べるのはつまらない。みんなで食べるって、とってもおいしいんです」。その姿に妻や娘も手を貸す。 管理組合理事長を務める64歳。後継者問題には「まず身の回りのお年寄りが元気になってくれればいい」。各地で、そんな思いを抱く人が増えてくれることを期待する。若い人でいっぱいだったマンションもいずれは高齢化。「建設時から、一人で暮らすお年寄りが集えるような空間をつくるべき」と願う。 民生委員・児童委員として、子供にかかわることが楽しみ。2年間、地元小学校特別学級で教諭の補助を担当。「これからを担う子供のために力を注ぎたい」。 (2008年4月25日) MENUへ |