市川よみうり連載企画 |
- 冬鳥のカモが姿を見せる雄はエクリプスで九月中旬、東京やその周辺は秋雨や曇り空のぐずついた空模様が六日間続き、急に秋が来たようだった。中秋の名月の二十二日は灰色や、やや薄い雲がかかったが、前の二日間は素晴らしい月が見られた。二十三日夜からキンモクセイの花の香りが漂いだし、周囲にはススキやオギの穂、湿地ではミゾソバも咲き、秋らしくなってきた。八月後半から姿を見せない日も多くなった夏鳥のツバメも九月二十一日に、大柏川で姿を見たのが最後かもしれない。八月後半に、秋の渡りのピークを迎えたシギ、チドリ類も九月に入り数が減ってきた。逆に冬鳥のカモたちやタシギが早くも姿を見せ、モズの高鳴きの声も耳に入ってくる。
冬鳥のカモたちの飛来は、八月末の国分川調節池のコガモの雌一羽が最初であった。九月三日にはマガモのエクリプス状(夏の繁殖時の羽色を残している雄のこと。まだ美しい冬羽になっていない)が一羽、九月中旬には大柏川にコガモのエクリプスや雌など三羽、オナガガモのエクリプスや雌も姿を見せ、九月にはツクツクボウシの声が林地に残るジュン菜池に、早くもハシビロガモのエクリプス一羽と雌二羽、オナガガモのエクリプス一羽と雌二羽、キンクロハジロのエクリプス一羽が姿を見せた。冬鳥のカモたちの飛来のさきがけである。
ところで九月に入り、国分川調節池で大規模な草刈りが県の真間川改修事務所の手で行われた。隣接する人家からの野犬の不安の声があったからである。昨年も大きな野火があった。工事中で立ち入り禁止だが、池の堤のオギの茂みのなかに少年たちの「人目を避けての憩いの場」があり、タバコの吸い殻も時にはある。近隣の人たちの不安の声は当然である。八月末から多くのサギ類が姿を見せる池面への飼犬の泳がせも絶えない。すでに古タイヤや自転車などゴミ捨てもある。利用者のマナーの悪さや心ない行為は、自然度を多く残しての調節池づくり計画に不安を抱かせる要素にもなる。また、自然度の高い調節池として公開される大柏川調節の管理・運営には、その方策を具体的に決める時期にもなっている。ところで大柏川調節池の越流堤北側の大柏川は野鳥の宝庫である。カワセミ、セイタカシギ、クサシギ、キアシシギ、イソシギ、タシギ、冬鳥のカモたち、そしてカルガモやサギ類と実に多彩である。歩道から見入っている人もいる。五〇メートルぐらいの距離だが実に多彩な野鳥が見られる。
(2002年9月28日)
- 猛禽類の目につく機会が多く十月中旬近くになると冬鳥のカモ類が多くなってきている。まだ雄がエクリプス状か、半分美しい冬羽根に変わりつつある時期だが、国分川調節池や大柏川、大柏川調節池ではコガモが中心で、少数のオナガガモやマガモが加わっている。大柏川調節池に隣接する市民プール内は留鳥のカルガモ中心だが、半分冬羽根状のマガモの雄の姿も一羽見られる。アオサギが五羽と例年通り無人のプールが水禽類の絶好の休息場になっている。おそらく今冬も市内で最大のマガモの越冬場所になるであろう。 ところで市の柏井調節池に水鳥が入っていないとの声が複数の人から寄せられている。仕方がないんですよ、市が「水辺プラザ事業」として県の大柏川調節池では、治水施設に加えて水辺の自然を生かしてと整備を進めており、国分川調節池でもかなりな部分が自然を残し、あるいは水辺利用の整備を進めているが、柏井調節池は夏に水抜きし、現在水がたまっているものの「治水施設」以外の配慮はなく、水鳥が身を隠す湿生植物は特に今週はゼロ。水面にカイツブリが五羽見られるだけで寂しい限りである。例年はコガモに加えてオカヨシガモやヨシガモの姿が見られるが、今秋はまだ姿を見せていない。しかし、狩猟解禁日が近づくとここに多くのカモ逹が入ってくるでしょうと答えている。 残念な事だが夏以降体調が思わしくなく、特に歩行がきついため、野外に出る機会がめっきりと減ってきた。そのなかで十月に入り、胸がジイーンとくる光景とドキドキするような機会が大柏川調節池周辺であった。一つは小さいノビキタの姿を見たことである。例年通り、今秋も渡りの途中立ち寄ってくれた。セイタカアワダチソウのつぼみの上で茶色化した冬羽根の姿で止まっていた。北の繁殖地から東南アジアの越冬地までの旅は大変だろうと思い入れをしてしまう。ノビタキより一回り大きいキビタキでも、渡り途中の事故死の情報がこの時期複数寄せられる。今秋は同僚の東菅野在住の厚川正和教諭宅で、さらに国分高校でも越川重治教諭から、いずれもキビタキの衝突死の情報が寄せられた。 終わりにドキドキする話。北方四丁目農協ビル上空で、ハシブトガラス一羽がいつもいじめていた小型ハヤブサのチョウゲンボウと思い込んでかハヤブサを攻撃、すぐに逆襲され逃げ回る。それを大柏川からハクセキレイ三羽が加わりハヤブサを囲み大騒ぎ、二、三分後、北からハシブトガラス五羽が加勢に加わり、ハヤブサは一対六では苦戦になり、西南に去っていった。これかの時期、猛禽類類の目撃はもっと多くなるであろう。
(2002年10月12日)
- いよいよ冬鳥のユリカモメの姿が十月九日、都内築地の病院で検査と治療の合間に、すぐ東側の隅田川で小形のカモメのユリカモメを目撃した。治療が終わった夕刻には、隅田川上流の佃大橋方面から下流の勝鬨橋方面へ七羽、十四羽と海に戻る小群が見られた。いよいよ冬鳥のユリカモメ到来の時期になった。例年十月初めに少数、そして中旬あたりにかけて日ごとに数が多くなってくる。海辺や川口ではまだ、大型のウミネコが残っている。この方も十月中旬を過ぎるとセグロカモメに代わっていく。隅田川とユリカモメは平安時代初めの在原業平の『名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思う人は有りやなしや』の歌以来、現在も親しまれているが、カモメのなかでは内陸の河川や湖沼に数十キロも遡上する個性を持つユリカモメは京都の鴨川や滋賀の琵琶湖にも多数入ってくる。そして「都鳥」の別名も。
私が在原業平と隅田川の船頭との会話と和歌を聞いて以来の疑問、在原業平は秋から春にかけてあんなに多く京都に入ってくるユリカモメをなぜ知らなかったのだろうかとか、京都から遠く離れた武蔵の辺の船頭が都鳥という名を良く知っていたなあとか、また京都で見慣れているのにわざわざ船頭に名を聞くまでもないだろうかとか、当時は鴨川にユリカモメは入っていなかったのだろうかなど理系の性か疑い深い。
翌十日に真間川の総武本線すぐ下流の川面で餌を取るユリカモメ十羽を目撃、そして十七日には真間川浅間橋際の冨貴小東側の川面でほぼ同じ数を、翌十八日には真間川の菅野橋西側、十九日は大柏川調節池で二十羽、二十日には国分川調節池で一羽を目撃している。いよいよ来たなと実感している。ユリカモメのなかには夏羽の名残りで頭が半分くらい黒い固体もある。そして待ちかねたように、真間川浅間橋上から餌を与えている中年女性一人が十七日に、今年こそ野生をペット視しての過剰な「自然保護」は控えてもらいたい。
(2002年10月26日)
- じゅん菜池の給餌と一変したカモの種類市内の冬鳥のカモたちの飛来数はかなり多くなり、雄もエクリプスであったが、十一月に入り、雄らしい冬羽になってきた。そのなかでも給餌の度が過ぎる中国分のじゅん菜池では十一月四日、昼の約一時間で十四組三十四人が給餌していた。いわゆるレジ袋で二袋が最多。過去見られた一人で六袋という主婦タイプの猛者はいなかったが、十四組三十四人中、女性十五人、男性五人、子供十四人。そのうち母子連れと思える組み合わせて八組、祖母と孫の組み合わせ二組、父と子三組、祖父と子一組と圧倒的に母親と子供が多かった。
カモの種類は七年間で比が逆転していた。関東で最大の希少タイプに近い植物プランクトン中心食のハシビロガモが激減し、逆に給餌すると必ず増加するといわれているオナガガモ、キンクロハジロ、ヒドリガモなどが激増している。激しく動き、力づくで強引に給餌に殺到する彼らに圧倒され、留鳥の大型のカルガモでさえも給餌が多い場所から遠ざかっている。まして小型のコガモは七年間でもほとんど姿を見せていない。給餌日その前から行われていたが、表で見る通り二〇〇〇年から比が急転している。ハシビロガモは七年間で五十分の一に激減している。一九九六年にはハシビロガモが九五%もいたのに、今年はたった三%。逆に給餌に適したタイプは七年前の四%が、現在は九三%になっている。
給餌に熱心な人たちはくどいようだが、この数値に注目してほしい。度の過ぎた給餌は、七年間で逆転するほど「自然に変化」を与えている。加えて、より給餌に殺到するユリカモメやドバトも多くなっている。また、問題は母子連れが多いという点である。ほほえましいように見えるが、度の過ぎた給餌を子供に学習させている。
よく選挙になると女性議員が、女性議員が増えると戦争のない清潔な世になると声高に言うが、嘘をついたり、疑惑に答えず辞職した女性議員が複数いる。また、身近では自転車に子供を乗せての交通ルール無視の母親が実に多い。次の世代に母親の影響大である。給餌にも自制心が働いてほしい。
(2002年11月9日)
- 国分川調節池に今冬もミコアイサが姿を見せる本州以南のほとんどが十一月十五日が狩猟解禁日である。来年二月十五日まで、猟区免許を持った人が定められた猟具と守るべき規則のもとで日の出から日没の間、狩猟ができる。
市川市内では銃猟免許者は百一人いるが、市内全域銃猟禁止である。網や罠の狩猟免許を持っている人が十九人いるが、これも猟具が決められており叉手網や無双網は良いが、霞網は使用はもちろん、所持も禁止である。狩猟解禁日以降、猟区で越冬している冬鳥たちは安全な区域に移動してくるのが多い。十一月十七日、国分川調節池に足を向けた。今年の二月中旬まで、内陸の淡水池ではめったに見られないミコアイサの雌が、多い時には四羽も姿を見せていたことが頭のなかにあった。
大野地区は大柏川とこざと池がわずかに越冬可能であるが、給餌も結構、行われている。市の柏井調節池は市の方針で一度水抜きをしたため、水生植物が皆無で身を隠すところがなく、越冬する水禽類は例年になく少ない。大柏川調節池は掘削と棚田造成の最終段階で水面が非常に少ない。じゅん菜池は度が過ぎた給餌に適応したカモ類とユリカモメ、ドバト、カラス類中心となっている。給餌に依存しない野生のカモの見られる池として国分川調節池は貴重である。 この日、狩猟に失敗したオオタカ一羽を目撃。池の西側堤を急襲、しかし餌物は捕れず、国分高校北東側の林地方面に姿を消した。一時間の間にハヤブサやチョウゲンボウは姿を見せなかった。国分高校の越川重治教諭から、十一月初めに高校の北東側の林地の枝に止まっているオオタカを目撃したとの情報。猛禽類も複数目撃できることは、そこに多数の自然が息づいている。私は池の北側の草地で中年女性三人が猟犬三頭を放している光景を目撃している。
地元には、池の自然を大切と考えて池の周辺を厳重なフェンスで囲い、許可した人のみ日時を決めてという人もいる。しかし、きちんとフェンスが張られ、立ち入り禁止の表示があっても入り、犬を放す。池の貴重さを認識し、私は、犬を放したり、池面を泳がすなどは控えて欲しいと思う。
(2002年11月23日)
- 行政と活動家の皆さんへの苦言当欄の十二月分の休載をおわびします。十一月下旬、再び発病。仕事は続けていたが十二月六日朝、発病が原因の腸閉塞により、築地の病院へ救急入院。同月八日に難しい緊急避難的な手術を行った。回復ははかばしくなかったが、ようやく隅田川を望む窓辺に座れるまで回復してきた。早く市川に帰り、歩行はきついが再び身近な自然に触れる望みが出てきた。三十数年前から都市の中で身近な自然の貴重さを観察や実態調査を基本に、保全、保護のために施設の新設などを行政に、また、市民間に身近な自然の仕組みや大切さの理解を浸透させるためにさまざまな試みをしてきた。それらの経験のなかで行政と自然保護活動家に語りかけておきたいことがある。
◇環境に関連する市川の行政について
▽引き継ぎの原点
いくら意欲のあった課もその部門の責任者やメンバーが人事異動で十分な引き継ぎが行われていないためか、せっかく実現した試みの原点が失われてしまい、現状では様変わりが進行。具体的に大町公園や自然観察園、自然博物館についてそれらはいえる。数々の約束事がその後、守られていない。▽市民参加がよく言われているが、この参加や継続意欲をそぐことがかなり多いこと
。 同様なケースで県や国土交通省、環境省のいくつかの部署と仕事を共にしたことがあるが、次に示すような無礼な事例を受けた経験は全くない。ところが市との間では多くあった。具体的には当時、市の天然記念物である江戸川のヒヌマイトトンボの生息地をグラウンド化する−という住民運動に対しての関係部署の対応がその典型的な事例。住民運動への説得を行政がせず、当方に以来。粘り強い説得と住民運動のりーダーの理解もあり生息地を残したのにもかかわらず、その部署はその前も後も調査や保全に全く手をつけず、放置してきた。そればかりか保全に努力した経緯の記録も残されていない。
次の一つは、緑の審議委員就任の要請を担当課長から受け了承、内定したにもかかわらず、発表されたのは全くの別人。その間の経緯についての釈明も全くない。無礼であろう。もう一つは、旧名、大町自然公園の南四分の一を、動物園を雨水の浸透しない舗装にしたため、大雨が大柏川や真間川に影響がないよう雨水を貯める池にしたい−と担当部署の課長から相談があった。「掘った泥を周りに盛り、芝地化しない、外国産の花木は絶対に入れないとの約束」を交わした。当時、当地は谷津地形、湧水、動植物を次の世代まで残す地として開設。それを変更することが生じたら互いに協議するという約束があった。しかし、そこはバラ園に変わり、ヤシが植えられアメリカハナミズキも植えられ、現在に到っている。この経緯についての釈明はその後も全くない。さらにその北側の三分の二の現状変更の協議もその後、全く行われていない。無礼であろう。このようなことがいくつも生じれば「参加」の意欲は薄れるであろう。なぜその際に、担当課長に抗議しなかったか−。課長が上司との意向の間で板ばさみになっていたことを知り同情してしまったからだ。
▽もう一つの苦言は保全のための新しい試みや会議などに関して。その人選にバランス感覚をもってほしい。緑の基本計画懇談会、景観形成委員会も同様である。意欲はあるが経験の浅い自然保護活動家や、市川と縁はないが力のある学識経験者をメンバーに入れるのは全く問題ない。しかしその分、市川の自然を熟知している人材を配すべきである。市内には昆虫、野鳥、林地の専門家で研究を三十年、四十年と続けている経験者が多い。なぜ、それらの人を入れないのであろう。
◇自然保護に関心を持ち、活動している皆さんへの語りかけ。三十数年前は市内の自然保護関係の団体は、行徳鳥獣保護区運動と私たち、市川市自然環境グループなどで数は少なかった。しかし、いまは非常に多くの人材や団体があり喜ばしい限りである。私の活動を通して知見した三つのことを話しておきたい。
<1>活動家と観察や調査を続けるフィールドワークの経験者とのバランスをとってもらいたい−ということである。同一人物が両方を兼ねれば申し分ないが、団体ではなかなか難しい。地域の自然を調べ、それに基づく発言する人の数を団体のなかでせめて半々にバランスをとってもらいたい。活動家だけの団体ではどうしてもスムーズにいかない。フィールドワークもせずに、資料からの情報や自然保護大会からの都合のよいところのつまみ食いの自然保護運動は地元の人々の信頼をつなぎ止められない。<2>イベント中心主義を排除しよう。多くの人にここの自然を知ってもらいたい、関心をもってもらいたい−との目的でイベントがよく行われているが、悲しいことにイベントを行っていくうちにイベントを行うことが目的化してしまう危険性がある。やがては数や規模を誇示するだけで、かんじんのそこの自然を壊してのイベント開催などの極端な例もある。
<3>活動の面では先例から、いろいろ学んでほしい。市川の自然を残してきてくれた農民、漁民に学び接していくことが第一である。また、先輩研究者や活動家の経験やその軌跡にまず、注目してほしい。そうすれば経験の浅い活動家もやがては市川の自然へのバランスのとれた認識として様々な活動にプラスになるはずである。
(2003年1月3日)
- 水鳥の個体数変化による一日の行動時間帯昨年末に退院、一月六日から治療を再開した。歩行が困難なこと、体の激しい痛みなどから入院も考えられたが、通院していた。しかし再び腸閉塞と腹膜炎で入院。体力の弱りに加えて今回は病室から隅田川は見えず、仕方なく昨年十二月の病室からの観察記録を中心に書いてみた。
この時は隅田川の川面や上空が良く見えた。観察できた鳥はカワウ、ユリカモメ、セグロカモメや、カモ類、サギ類からドバト、ハシブトガラスからワシタカ類まで二十二種。窓からのみの目撃数としては結構多彩であった。このうちカワウとカモメ類を選んで一日の動きを追ってみたい。彼らは日の出とともに隅田川や上空を遡上し、三時過ぎから夕刻前に戻るものが多い。ただしカワウは上野不忍池にも多数いるため、逆に隅田川河口や海へ餌を採りに行くのもいる。ユリカモメは夜間は海面で過ごすために朝夕編隊を組み、内陸域の河川や池、湖沼に採餌に行く。私はこれらが結構ワンパターンで、連日繰り返されていると思っていた。
ユリカモメは人の給餌を期待して、遠くに行かないのも多い。ところがカワウは編隊を組む時もあれば、そうでなかったり差がかなりある。野鳥の群れには渡りの時などリーダーが、と思い込んでいる人もいる。しかしカラスの群れを烏合の衆というようにリーダーはいない。カワウは動きが極端で、単独あるいは少数での行動日と、見事に大きな編隊を組む日がバラバラである。東京湾のカワウの「ねぐら」やコロニーは以前、築地の病院の近くの浜離宮恩賜庭園の森に大きいのがあった。浜離宮にカワウのコロニーは現在、まったくない。浜離宮の鈴木一弘さんの情報では、平成六年に第六台場にカワウのデコイ十五体、平成七年にはサギのデコイ十体を置き、平成六年から平成八年まで夜間バケツをたたいたり、磁力の入った糸のバードキラーなどで追い出しを図り、平成九年にはほとんどいなくなったとの事。
前行徳野鳥観察舎の蓮尾嘉彪さんからの情報では、昭和六十年代は保護区内で二十−五十羽台だったものが、六十年代後半から百羽台に。平成五年は二百羽台。それが同八年に五百羽台、翌九年には千四百羽近く、十一年には三千四百羽弱に急増しているという。浜離宮での追い出しと市川での急増が一致している。ところでセグロカモメは夕刻、逆に遡上する個体も結構いる。隅田川上流域に「ねぐら」があるのだろうか。
(2003年2月8日)
- 野鳥の一日の時間帯別種類と個体数の差入院生活も長くなり、その分苦戦している。その間に病室が変更になった。隅田川が見えるかも、と期待していたところ、なんと視界の三分の二が西側の別病棟の外壁、南側に六階建ての区の保健所が長い高い壁のように視界をさえぎり、残りの三分の一がその保健所の上空と道路の街路樹、そして病院周辺の遊歩道沿いの植栽地が眼下にあるだけであった。ところがその三分の一の空間でも、よく見ればそれなりの野鳥の動きが観察できることにすぐ気づいた。
検査や治療の少ない日の三日を前回、隅田川沿いの野鳥の動きをまとめたのと同様、今回、野鳥の複数と個体数の時間ごとの差をまとめてみた。結果は隅田川沿いと同じでそれらが日替わりでかなりの差があった。もちろん、時間帯別の固体数の日ごとの差は一定ではない。特に多数で行動するハシブトガラスやユリカモメ、カワウにその傾向が強い。逆に時間帯のパターンがほぼ同じなのは少数だがアオサギやハクセキレイたちである。
ハシブトガラスやユリカモメ、カワウたちはその日、その日で餌の多くある方向に片寄るのである。また、保健所の南の延長上に築地の中央卸売り市場があるためか、魚や生ゴミを狙ってのトビが結構多い。二月十四日正午、同時に四羽のトビが病院上空と南側の市場から西南の築地本願寺上空にかけて高く旋回する姿が目撃できた。都心に近い市街地上空でワシタカ類を複数目撃できるとは予想していなかった。またビルとビルとの間をほぼ同じ高さか、少し見上げるだけで大型のカワウやセグロカモメの飛翔が目撃できることも胸ときめく経験であった。
南には旧浜離宮があるためか、朝日新聞社の緑地帯や水路を埋め立ててできた細長い緑の多い公園や街路樹を回廊としてか、病院の遊歩道沿いの植裁地によく、メジロやシジュウカラが姿を見せる。視界が悪いとあきらめるのではなく、よく見れば実にいろいろなことがわかってくる。要は意欲なのかもしれない。
(2003年2月22日)
- 野生への度が過ぎた給餌の是非を再びユリカモメの小河川への遡上は例年通り、春の声を聞き出すと少なくなる。しかし、江戸川や多摩川など大きい河川での河口と上流への遡上にはこの時期に変化は特にない。そして、小河川への遡上はサクラの花が満開になると再び急増、散り流れる花びらを群れて食し、その後やがて全体が北帰行し去っていく。
だが、給餌の多い小河川では現在でも十分の一から三分の一ほどの個体がまだいる。築地の病院北側の亀島橋(亀島川)や湊橋北側の水管橋(日本橋川)に訪れては餌やりを待っている。私は一貫して野生への度の過ぎた餌やりに問題ありという姿勢を主張してきた。度が過ぎたというのは一人でレジ袋二袋や四袋、六袋という事である。日本でのニホンザルの研究は「餌づけ」による社会構造の解明から入ってきた。それが観光地化した場所も多い。日本を代表する自然保護団体も一時は、餌台や給餌器具メーカーの代理者と思われるように餌やりを是としてきた例もある。一般の人が冬鳥への餌やりイコール自然保護と受けとってしまうのも、非難できないほどであった。
それらが一大観光地化した例として鹿児島県出水市のナベヅル、マナヅルの越冬地や北海道厚岸湖、新潟県水原町瓢湖のハクチョウの越冬地の例が知られている。私も若いころ、出水市の給餌リーダーの又野末春さんに世話になり、餌づけの是非の議論をしたことがある。又野さん「今となってはやめるわけにはいかない」との主張。朝、トラック一台分のコムギを中心とした餌やりに直面し、声も出なかったことがあった。市川市も一月の広報でようやく、生ゴミの扱いとカラスの増加と度の過ぎた野生への餌づけで批判的な情報を流し出してきた。そろそろ歯止めの時期に入ってきているはずである。失われる緑の代償としてのホテイアオイやケナフなど外国産植物の導入運動。メダカ、タナゴ、ホタルを再びと、地方固有種を無視した増殖運動。妙な菌や外国産種導入にも批判の目を向けていくべきであろう。
(2003年3月8日)
- 野鳥名を球団名にもつメジャーリーグ退院はどうにかできたが、後遺症で全く歩行できない身となってしまった。車椅子で真間川沿いを移動していると、堤のオオイタビの緑が非常に印象的であった。最近、ツタ類が刈りられているところが多いが、オオイタビは残されている。
このクワ科の植物に関連して、記憶に鮮明に残っている経験がある。二年前の十一月十六日午前十一時過ぎ、真間川八幡橋すぐ南側のオギの茎に、赤い頭部の南米ボリビア・ブラジル原産のコウカンチョウ(紅冠鳥)が大きな声で鳴いて止まっていた。すぐに堤のオオイタビに移り、しばらく止まっていた。背は灰色、真紅の頭でムクドリより小さい。翌日には大柏川上浅間橋近くに移り、やはりオオイタビに止まっていた。
コウカンチョウを見るにつけ、すぐに連想するがショウジョウコウカンチョウ(猩々紅冠鳥)である。メジャーリーグのセントルイス・カーディナルスの球団マークとして知られている。全身真紅のホオジロ科の野鳥である。今回は、メジャーリーグと野鳥についての話題。野鳥名を球団名としているチームは他に二つある。
一つはボルティモア・オリオールズ。オリオールはコウライウグイス科のヒゴロモ(緋衣)という、中国南部からヒマラヤ、東南アジアに分布している栗色と藍色の色彩の野鳥。カナダのトロント・ブルージェイズはアオカケを球団マークに、ブルージェイという美しい青色のカラス科の野鳥をシンボルにしている。アオカケスは日本のカケスと同類で、カナダ東寄りの南部からメキシコ湾に至る北米産の野鳥である。カモメはマークに描かれても球団名はない。
(2003年3月22日)
- 春の花々春というといろいろな自然の動きが忙しくなるが、やはり「花」がすぐ頭に浮かんでくる。
三月二十七日午後、大町公園自然観察園のコブシの花は三分咲き、ソメイヨシノはチラホラで、ヤマザクラはまだであった。コブシは山野の春の先駆けである。目立たないが、ハンノキは二月から三月初めに開花、ヤブツバキも咲いている。しかし、コブシの花ほど春の訪れを実感させてくれるものはないであろう。町ではレンギョウの黄花やユキヤナギの白色がソメイヨシノより早く咲き、庭木では中国伝来のサンシュユの黄花も咲いている。大町公園自然観察園内でも東側林縁にサンシュユが一本あり、やはり三分咲きであった。四月初旬から中旬にかけてヤマザクラ、アオキ、アケビ類が咲き出し、中旬になるとクヌギ、コナラも咲いてくる。そしてさまざまな芽吹きの萌黄色、草色が雑木林を花のように彩る。咲き触れで三月末からイヌシデ、アカシデが黄褐色や赤褐色の花を一斉につけ出し、芽吹きも始まっている。
今年のソメイヨシノは三月十八日に高知、十九日に長崎、約二か月かけて根室まで開花前線をスタートさせている。東京都心や市川でも開花は三月二十七日、平年より一日早く、昨年より十一日遅い開花であった。
大町公園に限らないが足元ではすでに、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザが満開、ノゲシ、セイヨウタンポポ、ナズナ、タチツボスミレ、シュンランなどが咲き出した。芽吹きの樹木はイヌシデのほかマユミ、イロハカエデ、イボタノキ、ミズキ、ガマミズキ、タチヤナギ、イヌコリヤナギなどが小さな若葉をつけている。当日、観察園で野鳥を十五種、五十六羽と少数だが目撃できた。内容はハシブトガラス(4)、ヒヨドリ(11)、ホオジロ(1)、メジロ(2)、シジュウカラ(2)、コゲラ(2)、キジバト(3)、ツグミ(1)、キレンジャク(2)、ヒレンジャク(1)、カワセミ(1)、マガモ(2)、カルガモ(22)アイガモ(1)、バリケン(1)。市自然博物館学芸員の宮橋美弥子さんの情報では、同僚の金子謙一学芸員が三月二十日にイワツバメを大柏川大柏橋で、宮橋さん自身も二十五日に同じ場所で三十羽目撃しているという。
(2003年4月12日)
- 自分勝手な大人の行動今春のソメイヨシノは満開状態がしばらく続き四月十三日過ぎでも、花は二〇−三〇%残っていた。ナシの花は四月十日ころ満開状に、ヤマザクラ、オオシマザクラも同様であった。一時姿を消していたユリカモメも八日は三十羽前後、十三日には木株橋下流で十羽、大柏川調節池で二十羽近く、大柏川貝之花橋から倉沢橋にかけて五十六羽と多く、三分の二は頭の黒い夏羽根に変わっていた。
ところで大町公園自然観察園で三月二十七日と四月十三日に暗い気持ちになる出来事があった。観察園北寄りの観察路は車イスで通行していてもすれ違いが可能である。自転車は無理で、また禁止されている。ところが車イスの後ろで自転車の急ブレーキの音。平行して迂回ができるのに自転車は後ろについたまま。仕方なく、こちらが避けた。自転車の主は五、六歳の男の子と二人乗りの若い母親。そしてすれ違いの際、彼女は私に「この道は柵がなく、危なくて仕方がない」。私は「もともと自転車通行はいけないんですよ」。彼女は平然と「そうなんですか、でも近道だから」とスピードをあげて走り去った。自分の都合優先、ルール無視は当たり前では親としてマズイ。
観察園の中央近くに市はメダカ池を考えているようで、すでに小池が掘られている。四月十三日には、そこに中年の父母に連れられた十歳ぐらいの女の子と、七、八歳の男の子。親の手には摘草の束、男の子は網で小魚を採っていた。見かねて男に「魚採りは駄目ですよ」。親は反応なし、子供はすぐ止めてくれた。自然観察園ではもちろん全域が採集禁止である。この日、北寄りの池では初老の男性が長靴を履きオオフサモをしきりに採っていた。大人の良識を期待というのは無理な世であろうか。将来を考えると暗い気持ちになる。
四月中旬、ヤマザクラは美しい若葉と四〇%くらいの花が残っていた。ソメイヨシノより軽い花びらは風に舞っていた。オオヤマザクラは三分咲き、イヌザクラは若葉と小さい草色のつぼみをつけ、モミジイチゴの若葉と白花、ニワトコの花も美しい。アオキも花がある。タチツボスミレの青い花とツボスミレの白花も多い。吾妻舎では軒にノキシノブが元気。足元ではホウチャクシウ、ヤブケマンも花を多くつけている。よく見れば、ルリタテハ、キタテハ、モンシロチョウ、ツマキチョウも姿を見せている。自然の方はここは多彩である。
(2003年4月26日)
- 大町公園のバリケン大町公園の池のバリケン大町公園の池のバリケン大町公園の池の東側にバリケン一羽がいる。全身が純白で顔面は赤いイボイボのある肉塊状で七面鳥状の異相のカモである。南米のペルー原産のノバリケンを順化、肉用に家禽化したものでタイワンアヒルとも言う。家禽化されたバリケンが市内で最初に捨てらたのは一九九八年五月、大野のこざと北池西側に捨てらてた一羽が最初である。顔は赤いが頭、背、翼、上下尾筒共黒く、首と胸は白であった。棄てられた当初は異相でありすぎたため、カルガモやアヒルから敬遠され、入園者の餌やりがやがて少しずつ増えてきたから元気回復してきた。
しかし、二〇〇〇年八月初めに野犬にやられてしまった。後に昨年の秋、中国分じゅんさい池で番いで四羽棄てらていた。一羽は体力が弱まり死亡。じゅん菜池を管理する公園緑地課では、埼玉で棄てられたバリケンが繁殖力豊かであったとの情報などで雌雄別にと考え、動植物園側は雄一羽を引き取った。自然博物館の宮橋美弥子学芸員からの情報では、動植物園内のコンクリート床の室で当初飼育したが足が弱ってきたため、土の上が良いとの判断で動植物園側が餌と見回りをしつつ、現在の地で飼うことになった。
現在のバリケンの羽毛はきれいで健康面では問題はないようだ。しかし、前からいるカルガモやアイガモとはどうも気があわない。アイガモはかなり前に自然観察園北側で番いで棄てられ、仲良く暮らしていたが、雌が野犬に殺され、残った雄が南側に移動。カルガモの雌が気に入り、いつも二羽から親切にしてもらい幸せなようである。また、カルガモやコガモ、マガモなどは天敵のオオタカを気にしているが、バリケンやアイガモは体が一回り大きいためかあまり気にしていない。
宮橋学芸員は五月に入り、サンコウチョウの雌を、金子謙一学芸員はキビタキの声を確認したという。多彩な夏鳥を期待したい。日当たりのよいところではフジやイヌザクラが花をつけている。まだ草地では緑色の穂のイヌガヤやチガヤの穂が白く美しい。林縁ではミズキの白花も美しい。
(2003年5月10日)
ichiyomi@jona.or.jp 市川よみうり |