市川よみうり連載企画 |
- 重い病気のため一年間休載してしまい申し訳けありません。再開します。退院後、リハビリを兼ねて「野」に出るように心がけてきました。その間、周囲の方々から「自然」に関しての情報が寄せられました。この一年間、「市川の自然」に関係して数々の動きがあり、重要な転機も含めた事例がいろいろとありました。
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タゲリ・オオタカ・カワウの増加生物の動向もこの一年でいままでになかった変化があった。一つは冬の貴婦人といわれるタゲリの数が今冬初めて増加に転じた事。市内の水田の減少で年々姿が少なくなって昨冬は四羽ほどだったのが、今冬は三十羽近くになった。本来の越冬地である大野の水田や湿地で、四羽からゼロになっていた北方四丁目では工事中の調節池に四羽、国分川で一羽や稲越暫定調節池に五羽、加えて自然博物館の金子学芸員の情報では、北国分の外環用地のフェンス囲い草刈り地で十五羽と三十羽近い数になった。ピーク時の百数十羽には及ばないが、数だけの面では増加に転じた。
次にオオタカの話題。冬期に少数見られていたのが、一年中姿が見られるようになり、場所はいえないが市内のある林地で昨夏は営巣が見られたようだ。今冬から春にかけても大町、稲越、市川に隣接する鎌ヶ谷市などでカルガモ、オカヨシガモ、ユリカモメ、ゴイサギ、ヤマシギ、キジバト、ドバトなどが食べられた跡が目撃できた。三つ目はカワウ目撃数の増加である。行徳鳥獣保護区での生息数増に伴い、市内の江戸川から真間川、大柏川、稲越暫定調節池、大柏川調節池、こざと北・南池などに姿を良く見せるようになった。行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さんの情報では、三千〜四千羽、営巣数だけでも一千個。一つの巣で二羽から三羽の幼鳥が巣立つと大変な数になると思われる。
四月三日、大町公園自然観察園に足を向けてみた。林地ではイヌシデの雄花が咲き出し、ケヤキ、クヌギ、サンシュユの花は満開で、ヤマザクラも咲き出してきた。春の多彩な色彩がスタートした。皆さんが野に足を向けたくなるような自然の話題をいろいろと紹介していきたい。 日でそれを超えた。
(2000年4月8日)
- 一年で最も多彩ないろどりの季節春の象徴ソメイヨシの今年の開花は都心で三月二十九日に一、二輪のほころび、翌三十日に気象庁から開花宣言が発表された。市川市内での開花は都心よりもやや早く、四月六日には満開に。その一週間後には花吹雪が数日続き、そして葉ザクラとなった。四月中旬になるとケヤキやクスノキは芽吹きからすでに新緑に変わり、北部の林地ではヤマザクラの花に続きイヌシデ、アカシデ、クヌギ、コケラの芽吹きや開花で、一年で最も多彩な色どりをなしている。季節の中で生物はさまざまな姿を見せてくれている。気象庁では、それらの生物の動きを観測課応用気象観測係が専門に調査している。対象は植物ではウメ、ソメイヨシノ、イチョウ、タンポポなど三十三種。動物ではツバメ、ウグイス、ヒバリ、モンシロチョウ、アブラゼミ、ホタル、トノサマガエルなど二十七種。
ところで今年の市川市内でのツバメの状況が例年とかなり違っている。イワツバメの生息域が急に拡大したことである。例年よりかなり広い範囲で数多く目撃できる。山地性であったイワツバメの市街地への進出は一九五〇年代の神奈川県から始まり、埼玉、茨城の市街地へと拡大。一九七七には都内の高島平団地、八〇年には千葉県柏市、そして市川市には一九八二年に姿を見せた。市川市内では、原木の東京エアーゴシティーターミナル内の近鉄航空の建物が最初で、原木から南部の高谷、そして北東部の大野町の市川北高校周辺と徐々に生息域が広がっていた。
ところが今春はそれがより広い範囲に拡大している。中心は大野二丁目の団地群のグリーンハイツ、パークハイツ南側で、従来からの大野四丁目、さらに中国分でも姿が目撃できる。数は四、五羽から数十羽と差はあるが、とりわけグリーンハイツから大柏川にかけてが多い。早い動きで、体はツバメよりやや小型で尾羽の長さも短いが、一番の特徴は腰に幅の広い白い帯びがあるので、ツバメと容易に見分けがつく。四月中旬でも頭の黒くなったユリカモメやタシギのような冬鳥、ツバメ、イワツバメ、コチドリのような夏鳥、市内では少ない方のキセキレイやセグロセキレイから美しいイソヒヨドリを目撃できる。もちろん市内で目撃例のふえているカワウもここに登場する。
(2000年4月22日)
- 心ない行為が壊す野鳥の「定宿化」四月末からの連休中に市内に珍しい野鳥の飛来があった。偶然であり、大喜びするほどの事はないという人もいるかもしれない。私自身はたまたまではなく、いつも一定間逗留するような「定宿」になってくれればという気持ちになる。
四月二十八日午後、大野町四丁目の市川北高校北側の水田東側の池状の休耕地にアカガシラサギが一羽飛来していた。小型のサギで、夏羽になっており、赤茶色の頭から胸、背は黒色両翼と腹や尾は白色である。旅鳥として日本国内に少数飛来するサギ類とされている。近くにいるコサギとダイサギが近寄って威嚇をしたり、上空を執拗に追うなどを繰り返していた。早速自然博物館の宮橋美弥子学芸員に連絡、しばらくは静かに遠くから見守るだけにしようと話をした。
アカガシラサギは周辺の水田内に移動したり、時には一・五キロほど離れた大柏川調節池の工事現場の湿地にも姿を見せた。連休で工事も休み。工事関係者や警備員もいない事を幸いと、工事現場の囲いを壊して入る人が絶えず、五月六日には四輪駆動車で三人の中年の男女が乗りつけ、頑丈な鋼板フェンスを一部こじあけ、ラジコンの船、ヘリコプター七台を長時間にわたり池面や上空で動きまわらせた。
池や低湿地にいたアカガシラサギは当然だが、コサギ、ダイサギ、アオサギからコガモ、カルカモ、タカブシギ、キアシシギ、それに池周辺の裸地で抱卵中の複数のコチドリなどは混乱。立ち入り禁止の工事中の場所にフェンスを力づくで引きはがしてまで入るとはどういう事ですかと問いかけても、一人は池に入ってはなぜいけないのかと反論。他の二人は無表情に自分の趣味に没頭、夕刻まで楽しんでいた。これでは「定宿化」は無理であろう。
(2000年5月13日)
- 餌場減少の現実と闘う春の渡り鳥五月二十日、市の中心域を流れる大柏川の干潮時で両堤下の割石や砂泥が出ているところに旅鳥のキアシシギが少数姿を見せ、採餌をしていた。キアシシギの姿は八幡六丁目と本北方二丁目の境と上流の南大野二丁目と奉免町の境の大柏川で見られた。さらに県の大柏川調節池や市の柏井調節池にも姿を見せており、ピューイ・ピューイ・ピピピピピッとさわやかな声が聞かれた。さらに同じ旅鳥のチュウシャクシギが市の柏井調節池に姿を見せていた。池は南堤の工事のため水抜き中で、泥地と水たまりが点在しており、まさに干潟状になっている。
渡り鳥のうちで旅鳥はシギ・チドリ類が中心だが、南の越冬地と北の繁殖地との往復時に本土の干潟や湿地に採餌と休息で一定時期立ち寄る。それが春と秋の渡りである。市川では春の渡りは早いのは三月初旬からで、三月末から五月下旬までが多く、滞在機関はやや短い。秋の渡りは七月下旬から始まり十一月初めまでで、ピーク時は八月中旬から九月上旬で秋の渡りの一羽一羽の滞在機関は春の渡りに比べて結構長い。江戸川河口や海域の干潟だけではなく、内陸域の水辺にも少数は姿を見せる。水田も丁度田植え前後であり、水たまりと泥田がまさに干潟と似ている。前回お知らせした大野四丁目の市川北高校裏の水田に姿を見せていた旅鳥のアカガシラサギも、過熱する観察者やカメラマンが押し寄せる中、餌場として当地が気に入ったのか五月中旬になっても残っている。当然として田植えの水田の畦路に入ってほしくない農家の方では立て札を立ててカメラマンたちの自省を求めていた。撮影した写真を新聞社やテレビ局に売り込んだ人もおり、一部の新聞はそれを掲載したが、残念な事に新聞社は専門家や研究機関の確認を怠ったようで四月三十日飛来とか千葉県で初めて飛来という不正確な情報がそのまま活字となってしまった。提供者にとっても残念な事であろう。
ところで江戸川放水路河口近くの干潟で五月、珍しくダイシャクシギ二十六羽に混じり姿を見せていた。ダイシャクシギは行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さんは四月末まで一羽、チュウシャクシギは一、二羽、谷津干潟自然観察センターの志知友美さんも一羽姿を見せていたと教えてくれた。チュウシャクシギは三百−四百羽、ホウロクシギは五羽との事である。東京湾沿いでダイシャクシギが一羽前後とは寂しい。
(2000年5月27日)
- 北国分で昼間見たフクロウに大興奮フクロウ類は食物連鎖の最上位にいる肉食性の鳥類である。その地域にフクロウ類が生息しているということは、かなり豊かな自然がそこにまだ残っている事を示しているともいわれている。ただし繁殖には餌の豊富さだけでなく、樹洞や樹穴を持つ大きな木の存在も必要である。大きな木は社寺林、屋敷林、そして大きな林地でも現在は年ごとに少なくなってきている。フクロウ、アオバズク、トラフズク、オオコノハズク、コミミズクなどが現在でも市内で目撃されているが、主に夜行性という事もあり、なかなか実態がわかってこない。
五月二十一日午後二時ごろ、市内の北西部、北国分の堀之内貝塚跡の林でかなり近い距離でフクロウを目撃出来た。当日は自然観察会があり、市の自然保護分野の仕事をしている岡崎清孝さんが解説してくれていた。堀之内貝塚跡の雑木林の南側の中国分の住宅地上空から西側の小塚山の森にかけてハシブトガラスが約三十羽ほどが大騒ぎしている。このような時、往々にして猛禽類がいる事があるため注目していたところ、小塚山の森方面からカラスに追われるようにフクロウが一羽、目の前のクヌギに飛来してきた。胸がドキドキしたほどの興奮をした。市内の林地にフクロウがいる事は知ってはいても、昼間、目の前で見たのは過去三十数年間に五回ぐらいしかなかった。参加者全員で止まったと思える梢を注目、間もなくフクロウは北側一〇メートルほど離れたイヌシデの梢に移動、緑が茂る中に姿を隠した。翼を広げると一メートル近い大型の茶色の姿は迫力があった。 その後積極的に市内のフクロウ類の目撃情報を集めてみた。菅野二丁目在住の根本貴久さんの話。「北国分の堀之内貝塚跡の林にはフクロウの成鳥が二羽、今年の四月初めから来ています。里見公園周辺では三羽という目撃情報もあります。里見公園内で二か所あったアオバズクの生息は今夏一か所だけになりました。成鳥二羽を目撃」。行徳観察舎の蓮尾純子さんは、「トラフズクが宮内庁鴨場の林を一〜二月にねぐらとして利用しています。十年前には六〜七羽いた事もあります」。宮久保四丁目在住の今井ひろ子さんの話。「五月に入って宮久保白幡神社北側のナシ畑方面でカラスに追われているアオバズクを見ました。夕刻声を聞いている人は他にもいます」。同じく宮久保四丁目在住の村越新四郎さんの話。「二種類いますよ。夜になるとホウホゥホウというアオバズクの声とゴッホウォーウォーというフクロウの声の両方です」。まだ彼らは市内でいろいろいるようだ。もっと情報を、と意欲的になっています。ぜひ情報をお寄せください。
(2000年6月10日)
- コアジサシの集団営巣地とカワガラス目撃最近の市川市内の珍しい話題を二つ紹介したい。一つは大きい集団の話。もう一つはおそらく市川市内で生息が確認された最初の記録ではないかと思われる一羽の水辺の鳥の話である。まず大きい集団の話題は夏鳥のコアジサシの東京湾内での今夏で最大の営巣地が市内の高谷新町の工場空き地にあるということ。五月に入り例年よりやや多いコアジサシの採餌行動が江戸川行徳橋上流、下流で見られており、さらに内陸の池である大柏川調節池や南大野のこざと北池・南池、さらに国分川調節池でやはり例年より多い採餌行動が見られる事から、市内に大きな繁殖場所があるのではと推測していた。
夏鳥のコアジサシは海辺近くの砂浜、埋め立て地、川の中州などで集団で五月から七月にかけて営巣地を作り子育てをする。地面のほんの小さな凹みややや掘ったような凹地の砂利敷地などに一卵から三卵ほどを産み、十九−二十二日間ほど抱卵、そしてフ化をする。市川しないでは一九九七年までに妙典の埋め立て地で、数百の営巣が見られたが、やがて市街化したためゼロとなった。その後、千葉市内の幕張メッセの埋め立て空き地で数多くの繁殖が見られるようになった。シロチドリ、コチドリ、コアジサシ、セイタカシギなどの繁殖地として利用されている。コアジサシは一九九五年以降千羽を超す繁殖行動が見られたが、昨年はほとんどのヒナがチョウゲンボウやカラス類に補食され、繁殖数は極めて少なくなっていた。
高谷新町の日石三菱石油跡地で四百を超すと思われる営巣地が見つかったのは六月四日の事である。三番瀬から給餌に向かうコアジサシの姿を追い、行徳野鳥観察者の佐藤達夫さんが発見した。私も六月十五日に確認に行ったが、すでに巣立ちした個体も多く、八百羽近くが数えられた。
もう一つの話題は六月十八日夕刻、大町公園から霊園にかけての水路でカワガラス一羽の生息を確認した。私と市川市役所の岡崎清孝、田中俊行さん、それに野鳥観察中の柴崎順一さんの四人。山地の渓流にいるカワガラスが市内の小川にいるとは!行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さん「エッ!カワガラス!そうですか、市での記録は初めてですよ」との事。しばらく様子を見守って行きたい。
(2000年6月24日)
- 夏の水辺の植物代表ガマ類の花穂梅雨期を代表していたハナショウブやアジサイの花が終わりになってくると、いよいよ夏の花が登場してくる。庭木ではノウゼンカズラやムクゲ、キョウチクトウ、林地ではネムの木である。そして緑一色のように見える水辺もさまざまな夏の花が咲きだしている。夏の水辺でまず目に入るのはガマ類の花穂である。
ガマ類の穂はその形状から三種は容易に区別出来る。ガマとコガマは文字通り大小で見分けがつき、ヒメガマは雄花と雌花の間に草色の茎が見える。さらにその生育する場所が違っている。ガマとコガマは内陸の湿地に、ヒメガマもそこに生育する場合もあるが、多くは川口近くの汽小域に多く見られる。従って市の南部の原木や行徳、行徳橋より下流の江戸川周辺ではヒメガマが多い。市の北部ではガマやコガマが多い。ただし真間川の土の堤がある部分はこの三種が混合しており、八幡橋から三角橋まではヒメガマ、三角橋より上流はコガモ、宮久保橋から弁天橋以西はコガマとヒメガマが混じっている。
ところでガマ類の雄花の黄色の花粉は昔から傷をなおす薬効があるとされており、古事記の大国主神の因幡の素兎(しろうさぎ)の話が有名である。この話を晩秋から冬、ガマ類の穂が白い穂綿で散る時の「穂綿」と勘違いしている人が多いが、いまの時期のガマの花穂の黄色の雄花を指していることは、古事記を読めばその旨の記述がはっきりと出ている。
この時期の水辺は他にミクリの黄色の雄花と白い雌花、ハンゲショウの白花と白い葉、アサザの黄花、サジオモダカの白花、そしてチダケサシの桃色の花など良く見れば多彩な花が見られる。やがて江戸川行徳橋周辺から下流ではアイアシの穂が、そして内陸の湿地や小川の水辺ではマコモの穂が出てくる。水辺の植物は農作物のハスや園芸種のスイレンは目を引く色彩や大型の花である。目立ちはしないが野生の水辺の植物にも個性的な花を咲かせる植物がけっこう多い。
(2000年7月8日)
- 江戸川行徳橋可動堰周辺の生物夏空の七月十六日午後に、江戸川行徳橋可動堰の上下流で自然観察会が行われた。動植物についての解説や観察の方法が岡崎清孝さん(市川市環境政策課)から説明があった。なかでも可動堰や希少種のヒヌマイトトンボにかなりの時間がさかれた。行徳橋の上流側に残っているヒヌマイトトンボ生息地のヨシ原周辺を参加者と共に成虫の姿を探したが、この時は発見できなかった。暑い上にも風もややあり、ヨシ原の外周にはヒヌマイトトンボは出ていなかった。七月七日にはヨシ原の外周で二匹の雄を目撃しており、この日はもっと多くと期待していたが残念であった。
可動堰下流側の干潟ではアシハラガニ、クロベンケイ、チゴガニ、コメツキガニ、ヤマトオサガニ、チチュウカイミドリガニやトビハゼなど干潟や水辺の生き物が多く見られた。成長した若鳥を連れたカルガモや夏でも少数が残っているキンクロハジロ、スズガモ、ホシハジロ、ヒドリガモのようなカモ類、ウミネコ、カワウ、コサギ、ダイサギから秋の渡りの前ぶれのキアシシギなど多彩な生物が観察できた。
しかしヒヌマイトトンボの事が気になり、例のヨシ原の周辺に足を向けてみた。そしてヨシ原の北西隅の小路内に入ったところでようやく雄を一匹目撃できた。また偶然にヒヌマイトトンボの調査を建設省江戸川工事事務所の依頼で行っていた東谷泰明さん(建設環境研究所)と出会い、この日、ヨシ原の中で四十匹のヒヌマイトトンボが確認され、川の南側のヨシ原でも三匹いたと知らされた。
今から十数年前、地元の市会議員さんをリーダーとするヒヌマイトトンボの生息地のヨシ原を埋め立てて野球用グラウンド造成の住民運動の際も、市から依頼され、ヨシ原保全の説得を試みた際も、地元の報道機関にも報道されていたが、昆虫学の専門家の山崎秀雄先生の協力以外は孤立無縁。説得や臨時の観察会を複数回実施し、自然を残す努力を懸命にした。住民の一部から「ヨシ原」を燃やすぞ」などの過激な言葉が投げかけられたのも忘れられない。しかし、ここ二年ほどの間にトンボを始めとする生き物に関心を持つグループが次々に生まれており、関心を持つ人がふえている。
(2000年7月22日)
- 早くもサシバ姿を見せる「今年の夏は暑い」が口癖になるほど暑い日が続いている。八月に入ってからは暑い日中の気温と高空からの寒気の流入により、大気が不安定になり、雷や夕立ちが多い。特に立秋だった八月七日夕刻は都心から市川、浦安にかけて一時間六二ミリの大雨と猛烈な雷で不安感を感じるほどであった。私は三十年前に、浅間山で大学生や高校生を連れての植物調査中、いきなり激しい雷の水平雷撃を受け、近くにいた別なパーティーの若い女性二人が死亡したのを目撃した。生死はまさに間一髪だった。その後、自宅近くの弟の新築中の家に落雷、全焼してしまったのに巡りあった。そのためか雷が近いと必ず避難するように心がけるようになっている。
ところで今夏は猛禽類の目撃回数が多い。七月に入ってハヤブサ類のチョウゲンボウの姿を度々見ている。さらにオオタカやフクロウの目撃情報もある。八月六日、大町公園自然観察園内で市の自然博物館の金子謙一学芸員から「けさ、若いサシバを一羽園内で目撃」との情報。その後間もなく園内の西側上空でサシバ一羽を目撃、サシバはその後高く高く上昇、夏の青空と白い雲の境いを点のようになりながらゆっくり旋回を繰り返して姿が見えなくなった。サシバは例年八月中旬から九月にかけて北から南へ渡りの途中、市川市内にも立ち寄る。大町公園では多いときには一度に五羽近く目撃することもある。
しかし、今夏の目撃は例年より一週間以上の早い目撃である。
ところで今夏は野鳥の動きで例年と違う例を他にいくつか目撃している。八月に入り、なんとコアジサシの若鳥が真間川北方橋上流や大柏川調節池で目撃。さらにウミネコが真間川、大柏川、国分川に例年より多く入ってきていること。またコサギ、ダイサギ、アオサギなどのサギ類の群れが例年の国分川調節池ではなく、大柏川調節池に移動、大柏川調節池にいたカルガモの群れは市川東高校南側の柏井調節池に移動、真間川河口の二俣新町の大阪運輸市川埠頭北側工場緑地のクロマツ、シダレヤナギ、ネムなどの樹群にカワウやサギ類の休息場が出来ていることなどである。この変化は暑さとは別のさまざまな理由があるが、例年と少し違う状況が多いようにも見える。
(2000年8月12日)
- 気になる大町自然公園自然観察園内のヘイケボタルの減少化夏の夕刻から夜にかけてのホタルの小さな輝きを今夏も見ておきたいと、大町公園自然観察園の湿地コーナーのベンチで八月二十日、夕闇を待っていた。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシの声が午後六時を過ぎると少なくなり、同六時二十分頃からアブラコウモリが動きだし、夜行性のゴイサギやフクロウの声、動きがあり、クツワムシの声も大きくなった頃、私と同じ目的で大町在住の農家の小川一さんも公園内に入ってきた。初対面だが小川さんは「すぐ近くに住んでいながら最近見ていないので。子供の頃、学校から帰るとよくここに遊びにきました。中央の水路では昭和三十年代まではウナギもいました」と話をしてくれた。小川さんは六十二歳、私はそれより三歳年下だが遊びは共通で、話もはずんだ。
やがて、ヘイケボタルは午後七時三分から光りだした。観察園内を西側と東側の観察路沿いに二回ずつ往復して、光る個体数を記録した。毎年この時期にホタルの個体数を確認をしているが、年ごとに数の少なさを強く感じていた。市の環境政策課自然保護担当の岡崎清孝さんに確認したところ、八月初めはもう少し多く、百匹前後はいたのでは−とのことであった。しかし、十七年前の今回と同時期の八月二十一日の記録を自宅に帰り比較すると、やはり歴然としていた。十七年前は四百九匹、今回は七十匹、五分の一よりももっと減少していた。しかし、林縁の樹下や湿地の草の間での光りは市内の複数の湿地の中では、大町の自然観察園のヘイケボタルの数は出色ではある。
八月二十日の昼間、自然観察会で前述の岡崎清孝さんから観察園内の水路のホトケドジョウ、スナヤツメ、クチボソなどの魚類、カワニナ、マシジミなどの貝類も実物を見せてもらった。上空のトンボ類も多彩である生物相の豊富さは市川市内で出色である。減反政策の頃、水田耕作をやめた地元農家の方々の中から、住宅地化の声ではなく、よくぞ湿地保全の働きかけを市にしてくれたものだ。私たちも自然を残すために懸命の努力をしたが、それを実現化させた市の担当職員や当時の富川、鈴木両市長の判断も評価したい。
(2000年8月26日)
- こざと公園でヨシゴイが繁殖暑かった今年の夏、東京では真夏日が五十六日を数え、一九九四年以来の暑い夏といわれていたが、九月四日に急に前日より八度も低くなり、この日の最高温度二五・五度、富士山でも初雪と秋の訪れが確実に来ていることを知らされた。
ところで今年の夏に野鳥の繁殖でまさかこんなところで、という事があった。夏鳥である小型のサギのヨシゴイが大野町二丁目の高層住宅群のパークハイツ、グリーンハイツ北側のこざと北・南池である。繁殖場所はパークハイツ北側のこざと北池東寄りヨシの中、グリーンハイツ北側のこざと南池のヨシ内へも親は動き見せており、南池でのヨシゴイの目撃をした人もいると思う。北池のヨシ内では親二羽と繁殖した若鳥は四羽、八月二十六日には若鳥は親とほぼ同じ大きさになり、九月二日には親子の姿は消えていた。
ヨシゴイはサギ類で最も小型で体は黄褐色、頭は赤褐色、飛ぶと風切羽根が大きく黒く見え、二色のように見える。ヨシゴイは以前夏に大柏川調節池のヨシ原でも姿を見たことがあり、今夏も八月下旬に若鳥一羽を目撃している。しかし、繁殖例はなく、今夏、それも住宅群内の一時的に雨水を貯める人工池内で繁殖とは信じられなかった。最初の観察者は北池のすぐ南側のパークハイツ在住の中村靖彦さん。八月四日の事である。この時は親鳥のみの目撃であったが、中村さんは中山方面在住の太田さんという人から情報を聞いたという。その後、若鳥が四羽いることがわかり、中村さんは頻繁に池の北側から観察を続けた。親子の動きは北堤から四−五メートルの位置で目撃できた。
北池のこのヨシ内では同じころにバンも複数繁殖しており、東側で親二羽と雛(ひな)三羽、西側で親二羽と若鳥二羽がいる。池は当然釣り禁止だが常時二−五人ぐらいの釣り人がきている。南池も同様である。しかし、狭いながらもヨシやヒメガマの生育しているこの一画は釣り人は入らない。よくぞこんな狭いところで子育てをしたものだ。立派に子育てを終えてヨシゴイは南に帰っていったのだろう。
ところで私がこの池に観察に来るのは月二、三回。地元の中村さんはいつでも観察可能な場所に住んでいる。これは強みである。自分の身近な環境や生き物を観察し続けている人の記録は貴重である。中村さんのような方が市内各地でどんどん増えてもらいたい。 ところで一か月以上前からこざと南池にいた、外国種のカモである赤い顔をしたバリケンが姿を消している。ガチョウもかつて二羽いたのが一羽に、その一羽も姿を消した。棄てられてはいてもこれらの池で元気に暮らしていたので姿を消した彼らの身の上を安じている。
(2000年9月9日)
- 実りの秋に銀杏(ギンナン)が早くも黄熟、落果が始まった。九月一日の最初の落果以後次々に市内各地のイチョウの雌株の枝には多数の実りと黄熟した独特の臭いの実の落果が見られる。風がおさまり、落枝の危険が去ったあとに拾いに行ってみよう。硬い内果皮のまま煎って、あるいは硬い内果皮を割って黄緑色の胚乳質を取り出し、茶わん蒸し、鍋物、焼き鳥の具などの味覚を楽しみたい。
九月も中旬を過ぎるとスダジイの椎の実も落果が始まった。炮烙(ほうらく)などで煎り、割れ目の出来た硬い外果皮のなかから白い実を口の中に−、結構おいしいものだ。クリも毬栗(いがぐり)が口を開いてこぼれてきた。しかし市内の雑木林で小さめの山栗の実が拾える林地は少なくなった。林床の手入れをしなくなり、陰樹の若木が伸び放題となっており、クリの木はあっても入ってクリの実を探すのが難しい。
ナシ農家も幸水、豊水が終わり、二十世紀からかおり、そして新高の収穫期に入ってきた。JA市川(農協)経済部営農指導課の藤城雄二さんから資料の提供を受けたが、市川市内のナシ農家は三百十一軒(平成八年度)、栽培面積は二万八九六五 もある。江戸川沿いの大和田から最も多い大野、大町まで多くのナシ畑がある。
市川のナシ栽培は八幡町が起源である。江戸時代の一七六九年(明和六年)、川上善六が遠路、美濃地方(現在の岐阜県)まで出向き、苦労の末のさし木の枝の入手から始まる。「八幡ナシ」の信頼名で呼ばれるようになり、一八九四年(明治二十七年)の総武線開通や一九二三年(大正十二年)の関東大震災以後の八幡町の市街化以後は宮久保以北に広がっていった。時代の変わるなかで栽培品種を判断して育てていく。昔の大古河、力弥、真鋳、石井早生、長十郎から二十世紀、幸水、豊水、新高と品種は変わってきた。
ナシの木はマンシュウマメナシなどの台木に品種ごとに接木された苗木から三年で実が少しつき、四−五年でやっと採算がとれるくらいの実がつく。遅いのは七−八年かかる。二十五年で最高収穫に、四十年くらいで新しい品種に更新して行く。その間の手入れや施肥など苦労も多い。アラレやヒョウ、台風などの災難は苦労を台無しにしてしまう。
(2000年9月23日)
- 最近の野鳥の動き十月中旬になると冬鳥の姿を、まだ数は多くないが身近に見る機会が多くなってくる。カモ類もコガモを筆頭にオナガモ、キンクロハジロ、ヒドリガモ、マガモ、スズガモなどが目につく。九月以降、各地で最初に姿を見せたカモ類は次のとおりである。じゅん菜池ではヒドリガモ、国分調節池と大柏川調節池・柏井調節池ではコガモ、市民プールではマガモ、江戸川行徳橋周辺ではキンクロハジロとオナガガモ、行徳鳥獣保護区ではスズガモ、キンクロハジロ、オナガガモなどである。
十月一日、北海道では狩猟が解禁になった。本州以南の解禁日は十一月十五日である。このあたりからカモ類は、銃猟禁止区域内の海、河川、池などで数が急増する。行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さんからの情報では、保護区内で、まだ姿を見せていないチュウヒを除くタカ類やハヤブサがひととおり姿を見せている−という。常駐化したのが複数のオオタカ、チョウゲンボウ、そしてノスリが一羽、週一回ペースでハヤブサ、十月一日にはミサゴも姿を見せたとのことである。間もなく江戸川ではカモメはウミネコからセグロカモメに変わる。十月八日には早くもユリカモメが少数姿を見せた。
大町公園自然観察園ではカケスが、そして、冬鳥ではないが渡りの途中に姿を見せるノビタキは大柏川調節池周辺の草地や刈田の農地などに姿を見せている。ユリカモメが真間川や大柏川に姿を見せるのも近いだろう。留鳥のカルガモは各池や河川に多数集まり出している。
ところで一年中姿が見られる留鳥でヒヨドリの群れが九月末からその数が急増している。他地域から群れで移動してきたようだ。夏期、姿を消していたモズも各地で高鳴きがしきりである。それらのなかで最近、大柏川でカワセミを見る機会が多くなってきた。十月六日には真間川・東菅野二丁目菅野橋際、八幡六丁目浅間橋際、大柏川・東菅野五丁目奥谷原橋際、春木川・曽谷八丁目近くと複数地で目撃している。
その真間川沿いの八方橋下流西側の中木九本目のソメイヨシノの枯れ枝でキツツキ類のコゲラの巣穴三つが、九月に入ってからつくられている。北側の枝で一個、南側の枝で二個、直径四センチ大の穴があけられ、コゲラの姿がしきりに周辺のサクラで見られる。二年前には上流の東菅野三丁目得栄橋近くの、やはりソメイヨシノの太い枯枝で巣穴二個が作られていた。もともと低山の林地にいたコゲラの市街地進出が近年、目についている。コゲラは繁殖期以外でも巣穴をよくつくる。スズメ大の白黒のかわいいキツツキである。通りかかったらご注目を。
(2000年10月14日)
- 冬鳥たち南下。ワシタカ類も出そろう 暖かい秋の日が続いていたが、都心では十八日に昨年より二十九日も早く、一九五一年以来三番目に早いという木枯らし一号が午前中に吹き、翌十九日朝は今秋の最低気温十一・四度にもなった。その後、再び寒気は緩やかに戻ったが、確実に秋は深くなっている。それに伴い、多くの冬鳥たちが越冬のために南下してきている。そして、冬鳥たちを餌とするワシタカ類も南下してきた。
大町公園自然観察園周辺の林地沿いで十月に入ってから、オオタカがキジバトを急襲する光景やカラスともめている光景を複数回、目撃するようになった。行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さんに尋ねたところ、「鳥獣保護区内では猛禽(もうきん)類のワシタカ類はほぼ出そろってきました。オオタカは複数、ノスリ一羽、ミサゴも一羽十月一日に目撃、ハヤブサも九月末以来週に一度は姿を見せています。チョウゲンボウも複数います」との事であった。ノスリ、ハイタカなども間もなく姿を見せるだろう。
保護区では一九七五年十二月以来、十四種のワシタカ類が記録されている。内容はミサゴ、トビ、オジロワシ、オオワシ、ケアシノスリ、ノスリ、サシバ、ハイイロチュウヒ、チュウヒ、ハヤブサ、コチョウゲンボウ、チュウゲンボウである。工場、自動車道路、住宅地、高校などに囲まれた一画で、このように多彩な猛禽類が見られる場所があるだろうか。隣接する宮内庁新浜鴨場と併せて約八三ヘクタールの緑地と、池や海面部に餌となる多数の冬鳥たちが飛来することがワシタカ類の秋から春にかけての増加の主因である。新浜鴨場でも開設以来、多くのワシタカ類の飛来が確認されてきている。
また、鷹狩りの伝説的な猟法も残されてきている。もともと野鳥の多い地域であったが、埋め立てに伴う工場化や市街地化のなかで蓮尾純子さんたちの運動を契機にしての保全運動は、多くの人たちの努力や国、県、そして最後は市川市の了承もあってどうにか現在の部分が残るという形で落ち着いた。その後も関係者の間で昭和四十年当初までの行徳のような内陸性湿地の多い緑地にと努力が重ねられている。
野鳥観察舎から一日に何回も複数の種類の猛禽類の飛翔が目撃できる。このような場所を残してくれた関係者に感謝したい。ところで冬鳥のカモたちに加えてユリカモメも市街地に姿を見せるようになった。十月初め、江戸川行徳橋周辺で少数目撃した後、二十日には三羽、冨貴島小学校東側の真間川に飛来と高校生からの情報、そして二十三日には真間川八幡橋よりの空を北上するユリカモメを一羽目撃した。
(2000年10月28日)
ichiyomi@jona.or.jp 市川よみうり |