市川よみうり連載企画 |
昨年暮れの「NHK新人演芸大賞」をご覧になりました? 市川市在住の古今亭菊之丞兄さんが古典落語「酢豆腐」を熱演して、審査員から「姿が美しい」とおほめのことばをいただいておりました。
さて、「酢豆腐」には、ちょいとキザで、知ったかぶりの若旦那が出てまいりまして、長屋の連中にからかわれるわけですが…。
私の友人にも、「商家の一人娘と縁組みして、『若旦那』になって、商店会の寄り合いにちょこっと顔を出し、あとはフラフラ遊びてえ」なあんてフトドキなことを考えているのがおりましてね。MBR>落語の「若旦那」は「廓」や横丁の女師匠のところに通ったり、「太鼓持ち」相手に小ワルサをしたりと、いろいろお忙しかったようですが、いまどきの若旦那はどんなお遊びをするのでございましょうか?
で、「正月早々から堅っ苦しい話はちょっとねえ…」という皆様のために、「コミュニティ−F助」がお笑いを一席。
「イヨッ、若旦那、いつもお盛んで結構ですね。今日はどちらにお出かけですか?」 『オホホホ…ナイショ、ナイショ』
「おや、なんです、カバンの中で音楽が鳴ってますよ」
『ホホホ、ケータイ電話ですよ…。ハイ、モシモシ…、いまね、ヤボな連中につかまっててね…、すぐに行きますよッ』
「にくいねえ、お相手は粋なお姐さん?」
『いやですねえ、違いますよ。アタシャ、これからスタジオ入りでね、ディレクターさんからのお電話ですよ』
「えっ?」
『アラ、知らなかったの? アタシャ、コミュニティーラジオに出ているんでげす』
「へー、すげえ! で、どんなことをしゃべるんで?」
『聴きたいの? では、ここで、ご披露しちゃおうかな…』
「おーい、みんな、集まれー 若旦那が何かはじめるぞ!」
『エーッ、コンチハッ、若旦那ですっ。きょうは、わたしの青春時代の曲を、おかけ、しましょう。ワッ、ハズカシイ…』
「へー、すごいね、若旦那。また新しい遊びをめっけたんだね」
『アラ、遊びじゃありませんよ。地域文化の振興にひと役買ってる−と言ってほしいざんす』
「うちのラジオでも聴けるんですかい?」
『もちろんです。通のラジオ聴きの間では評判よ。ファンレターも来るしさ。ねえ、も っと続きが聴きたいでしょ。コンチハッ、ワカダンナデースッ』
「おーい、だれか若旦那を止めてくれー」
そろそろネタ切れかな? と思っていたら、市川市内と県外からおたよりを頂戴した。本連載を紙面やインターネットホームページでご愛読いただいているとのこと。この場を借りて、深くお礼申し上げます。これからも、皆様からご意見やご感想をいただけると、助かります。よろしくご指導ください。おたよりを紹介しよう。まず、近畿地方に住むYさん(男性)からのeメール。
Subject:「参考にさせていただいております!」
Yさんは、現在、地元のコミュニティーFM局設立をめざして活動中。
「偶然、インターネットで記事を見つけました。こちらは平成13年2月に有志数人で計画をスタートさせ、地域の協力を得ながら設立準備委員会を組織。60人を超えるボランティア(サポーター)も開局に向けて幅広く活動しています。(連載の)内容には、考えさせられることや共感することがたくさんありました」
Yさん、ありがとうございます。コミュニティー放送は、「百局あれば、百の個性」と言われています。どの局のあり方がBetterとも言い切れません。しかし、どんな形であっても、リスナーが望むのは、「聴いて楽しい放送」ではないでしょうか。サーポーターの皆さんと力を合わせ、開局準備、頑張ってください!次は、市内に住むMさん(男性)からの質問。
Subject:「コミュニティー放送はワンマンパーソナリティーonly?」
「はじめまして。貴社の記事を見て、ときどきいちかわエフエムを聴いています。ほとんどの番組が、一人でしゃべり、曲をかけ、またしゃべる、『ワンマンパーソナリティー方式』ですね。コミュニティー放送はワンマンパーソナリティーでやらなければダメと、法律か何かで決められているのですか?」
いいえ。全国のコミュニティー局は、それぞれ独自の放送スタイルを打ち出しています。ワンマンスタイルonlyは、市川の特色のひとつです。
「ワンマンスタイル自体は、じっくり話が聴けていいと思います。話の内容については、たとえそれが私的なことでも、別の観点からとらえれば公的・社会的な意味を持つこともありうるワケで、とやかく言うことはないでしょう。でも、一日中そればっかりだと、正直なところ飽きてしまいます。できることなら、ワンマンに固執せず、放送スタイルにもっと変化を持たせてもいいのではないでしょうか?」 (つづく)
連載に寄せられた皆様のご意見・ご感想をまとめながら感じたことは、「放送という形のないものを語るのはむずかしい」。突き放したように「人の好みは十人十色。コミュニティー放送を聴きたい人は聴けばいいし、聴きたくない人は聴かなければいいんだ」と言われてしまえば、それまでで…。でも、もう少し、「雲をつかむような」、いや「電波をつかむような話」にお付き合いください。まず<1>ラジオを流し聴きしている人のご意見からうかがってまいりましょうか。
キーワードは「何となく」。いつも「〇〇しながら」「何となく流し聴きしている」ので、放送内容はあまり気にしないが、たまに「おもしろそうな話」や「好みの音楽」が流れてくると、耳を傾ける。で、コミュニティー放送は?
「聴いたことはある」が、「県域局と比較すると地味」「インパクトがいまひとつ」で、「チューニングを変えてしまう」。
あー、待って、待って! 地元のラジオなんだから、関心を持ってくださいよ−。ちなみに、「一日中いちかわエフエムを流し聴きしている」人のご意見は、「最初はちょっと違和感があったけれど、慣れてしまえばけっこう楽しめますよ」でした。次に、<2>放送している側(自分自身・身内・友人・知人が放送に参加している)のご意見。「家族そろってコミュニティー放送を聴いています」「みんな一生懸命やっているのだから、放送内容についてあれこれ批判するのは、もってのほか」「コミュニティー放送の良さをもっと理解してほしい」。はい。記者も、家族や友人がラジオでおしゃべりを始めたら、夢中で放送を聴くかもしれません。
最後に<3>ラジオに並々ならぬ思い入れを持っている人のご意見。
「番組制作にたずさわる人は、ボランティアであっても、『放送人としての自覚』を持つべきだ。コミュニティー放送も、資金不足、人手不足を言い訳にせず、アイディアを絞って勝負しろ!」
おーっ、キビシイ!でも、ラジオを愛すればこその苦言ですね。「私は開局以来、ずっと『いちかわエフエム』を聴いています。たくさんのパーソナリティーが生まれては消えていきました。突然番組が終わってしまったこともありました。その移り変わりの激しさは驚くばかりです。何か、職場環境に問題があるのでは?」
かなり聴き込んでいますね。局は、ボランティアパーソナリティーにできるだけ働きやすい環境を用意しているハズですが…。
何を隠そう、初めて聴いた『いちかわエフエム』の「地のまんまトーク」は新鮮だったように思う。常連リスナーのひねりの利いたおたより(手紙・eメール・ファクス)を聴くのも楽しかった。コミュニティー放送という舞台装置の中で、パーソナリティーもリスナーも、新しいおもちゃを見つけた子供のようにはしゃいでいた。
回答は次のとおりだった。〇貴局の番組編成コンセプトは何ですか?
「昼間は地域情報・生活情報中心、夜は学生・会社員中心、深夜は本格的深夜放送『夜もらじおぼーや』」
〇番組で扱う情報の種類は?
「全国・ローカルニュース、市のお知らせ、レジャー、天気、交通、音楽、地域イベント、スポーツなど」
〇情報の収集は?
「市広報、市民からの口コミ、電話・ファクス・ハガキ、新聞、インターネット、レコード店、会社、各種団体、法人、官庁各機関など」
〇ボランティアに依頼している仕事内容は
「ワンマンパーソナリティー」
〇番組構成のプロセスは
「自局の社員だけで完成させた。社員とボランティアが一緒になって考えたり、既存のコミュニティー局のものを参考にしたり、自治体の意見も部分的に取り入れている。構成台本は特に用意しない」
〇番組の制作は
「独学で身につけた。ボランティアや社員の中に(放送の)経験者もいる」
〇番組でかける曲は 頻度の多い順に
「J−ポップ、ポップス、ロック、リズムアンドブルース、ジャズなど」
〇選曲は
「パーソナリティーに全面的に任せている」
〇局に寄せられるリスナーからの意見・感想・希望をどのように処理していますか。
「スタッフ会議で検討、パーソナリティーに指導など」
〇局の認知度アップのための戦略は
「電波を通して認知度アップが基本」
〇主催またはタイアップした事業・イベントは?
「協賛・後援・協力は数知れず…」
〇災害時の役割は
「災害のあとでも放送できる状態を維持」
〇オススメの番組は
「全て」
(つづく)
「…私的な自己表現であれ、社会的な発言であれ、公に発信するということ、自分たちのことを他の人に知らせるということ自体が、ひとつの社会的な意味を帯びているという見方も可能である。たとえひとりよがりな作品でチャンネルがある程度埋められていたとしても、やはり市民が自由にアクセスできるチャンネル・時間を確保しておくことには意味があるのではないだろうか」(『表現する市民たち』NHKブックスから抜粋)「オススメの番組は全て」といういちかわエフエムのことばに従い、番組表片手にラジオ聴きまくりの日々が1年ほど続いた。学生、主婦、会社員、フリーター、ミュージシャン、アナウンス学校の卒業生、俳優・声優を志す人…。さまざまなボランティアパーソナリティーの声を聴いた。
県域局のにぎやかな商業放送に慣れた耳には、同局のオールワンマンパーソナリティスタイルはちょっと物足りない感じもした。
ある日、ひとりのパーソナリティーが、番組の中で「コミュニティー放送の聴き方」について説明していた。
「…自分と異なる人(パーソナリティーやリスナーの投書)の意見を聴き、その中から共通点や接点を見つけるもよし、反論するもよし…」
なるほど。コミュニティー放送は、誰もが自由に参加でき、ものが言える「公共フォーラム」のようなものか…。たとえば、同局の「本格的深夜放送」の中では、こんなやり取りがあった
。 仕事の都合で番組を降りることになった女性パーソナリティー(20代)のもとに、続々と常連リスナーのeメールやファクスが届く。
「ナゼ辞めるのか」「簡単に転職を繰り返して、本当にそれでいいのか」と問いかけるリスナー。
「よく考えた末なんです。今度こそ、私の本当にやりたい仕事なんです。だから…」と女性パーソナリティー。白熱の論議は延々3時間にも及んだ。
その間、しゃべり続ける女性パーソナリティーの気力もさることながら、納得するまでeメールやファクスを送り続ける常連リスナーの情熱には、ただ感服するばかりだった。けっきょく、女性パーソナリティーは番組の中で気持ちよさそうにカラオケを歌い、引退の花道を飾った。
街のどこかの居酒屋で開かれている「送別会」に、間違って入り込んでしまったような感じがした。半面、そんな臨場感が味わえるのも、コミュニティー放送ならではかな? と思った。 (つづく)
「みなさまからのお手紙・eメール・ファクスをお待ちしています。メールアドレスは…」。テレビ・ラジオ番組でよく聞かれるこのフレーズ。「よしっ、ボクも」「ワタシも」と勢い込んで意見や感想を送っても、全国ネットではなかなか取り上げてもらえない。運良く番組の中で自分の名前が呼ばれたりしたら、もうカンゲキですよね。
その点、コミュニティー放送はリスナーの「おたより」が読まれる確率が高い。「おたより」の常連さんは、パーソナリティーとお友達のようなカンジです。でも、パーソナリティーとリスナーの距離が近いと、それなりにいろいろ問題が生じてくるようで…。「わたし、いちかわエフエムの放送は今のままでいいんじゃないかと思います」とリスナー。「そうなんだよね。ボクも今のままでいいと思う」とパーソナリティー。
約1年前、同局夜の番組の中で、このリスナーとパーソナリティーの関係は、うまくいっているようなカンジでした。二人とも、ユーモアと皮肉をまじえたメッセージをバシバシ飛ばし合っていました。
ところが、リスナーもパーソナリティーもだんだん「本音」がエスカレート。攻撃的になってきた。「今のまま」で本当に大丈夫?
聴いていてハラハラしました。
ある日突然、リスナーは番組に「おたより」を寄こさなくなった。そして、昼間の番組にも…。「本音」のサジ加減って、ムズカシイですね。「さようなら」。そう言い残して消えていった男性リスナーもいました。お気に入りの女性パーソナリティーが彼の「おたより」を読み落したのが原因。「〇月〇日に送ったeメールを、どうして読んでくれないんだ」と問い詰めるリスナー。「いただいたメールはぜんぶ読んでいるハズですが…」と言いつつ、「ゴメンナサイ」を繰り返すパーソナリティー。でも、リスナーは許してくれない。そして、「サヨウナラ」。
この場合は、リスナーのほうがちょっと大人げないなあと思いました。心を込めて書いたメールが無駄になってしまったのは残念だけど、パーソナリティーが何度も謝っているんだから、もういいじゃないの。許してあげなさいよ。ちなみに、本連載にもこんなeメールが届いています。
「…もういちかわエフエムは“特定の日”も聴かないからいいですけど。他のラジオに“参加”するつもりです」。おやおや、Mクン、どうしたの? (つづく)
記者もラジオネーム(匿名)でいちかわエフエムに“おたより”を出したことがある。リクエスト曲に短いメッセージを添えたり、パーソナリティーが選んだ“今日のテーマ”に答えたり…。番組を聴きながらeメールやファクスを送るのは大変だが、自分の書いたものがすぐに放送されるとうれしくて、また出したくなる。これが「参加するラジオ」の醍醐味かな? と思った。ほとんどのパーソナリティーは“おたより”を歓迎してくれた。でも、調子に乗っていろいろな番組に“おたより”を送っているうちに、「匿名性」に隠れて言いたい放題のパーソナリティーやリスナーがいることにも気付き、“おたより”を書く手が止まった。
先日、連載にメールをくれたMくんの場合は?
「もういちかわエフエムは“特定の日”も聴かない。他のラジオに“参加する”つもりです」
どうしたの?
「大人げないですが(ある番組に送った)メッセージがボツになったからです。今まで何回も(いちかわエフエム)の他の番組にメッセージを出したけど、ボツになったことはなかった」コミュニティー放送だから、当然読んでくれるもの−と思っていたのに、無視されてショックだったのね。
「相手(パーソナリティー)を選んで出すべきだった」
どんな“おたより”を出したの?
「何かワケの分からないメッセージを送ったのは事実ですが、『〇〇クンからメッセージをもらったけど、読めない』くらいのコメントがあってもいいんじゃないかな」
名前くらいは呼んでほしかったね。「別の番組のパーソナリティーは、『時間的制約で“下読み”ができないから、すべてのメッセージは読めない』と断っているけれど…」
その“下読み”をクリアしたはずのメッセージの中には、
「『こんなこと言っていいのかなあ??』と思うようなものもあるし…」
納得できない?
「だから、もう聴いていません。放送する側もリスナーもシロウトか…。“おたより”を読まれることに生きがいを覚える寂しいリスナーのボク」
番組の中でどんなメッセージを「読む」かは、パーソナリティーの好みに左右されるものだけど、ある程度の公平性は欲しいよね。
「公共放送なんだから、そうあるべきだと思います。グチのメールを読んでいただき、ありがとうございました」 (つづく)
今回は、「ラジオに“参加する”って、どういうこと?」という読者の質問にお答えしましょう。そうですね、ふつう、ラジオは“聴く”と言いますね。でも、コミュニティー放送のリスナーさんたちは、よく“参加する”ということばを使います。ちなみに「参加」を『広辞苑』で引くと「なかまになること、行事・会合などに加わること」とあります。
パーソナリティーに手紙やeメール・ファクスを送り、それを読んでもらっているうちに、“一緒に番組を作っている”という「なかま意識」が芽生えてくるのではないでしょうか。
コミュニティー放送は、今のところ、誰もが気軽に接触でき、操ることができるメディアです。そこでは…。「従来からの表現形態や伝達メディアに対して、付与された序列づけは意味を失っている。クラシックとポピュラー音楽、文字とマンガといった境界線が無意味になっていき、また一段高いところにいる選ばれた送り手や表現者と、受動的に享受する受け手という関係も消滅した」(渡辺潤『メディアの欲望−情報とモノの文化社会学』から抜粋)。
ですから、リスナーのほうがパーソナリティーをリードすることもあります。パーソナリティーにFMラジオ放送の歴史を解説したり、「感性は自分自身で磨け」と諭したり、「アナタに1時間を超すおしゃべりはムリですよ」と辛口批評したりするリスナー。おやおや、従来のラジオとはまるっきり反対の図式ですね。
サッカーのサポーター(応援者)のようなリスナーもいます。パーソナリティーと一緒に盛り上がり、かなり熱いメッセージを送ってきます。
難しいリスナーは、パーソナリティーにいろいろ無理難題を持ちかけ、「宿題」まで出してくれます。「宿題リクエストです。来週はこの曲をかけてください」なあんて、ね。
パーソナリティーも一生懸命に応対するのですが、経験不足だとリスナーの“参加”を上手くコントロールできないし、個性の強いパーソナリティーはリスナーを無視して独走してしまう。すると、「どうしてボク(ワタシ)の“おたより”を読んでくれないの?」と、リスナーは離れていく。参加意識がスッと冷めてしまうのでしょう。
「ヤマアラシのジレンマ」とでも申しましょうか、パーソナリティーもリスナーも、近寄りすぎるとお互いの個性(ハリ)で相手を傷付けてしまう。でもひとりぼっちはさみしい、誰か話し相手がほしい…。 (つづく)
ラジオ関連の資料を探していたら、おもしろい本を見つけました。平成13年8月に行われた秋山ちえ子と永六輔の対談をまとめた『ラジオを語ろう』(岩波ブックレット)。ラジオと半世紀以上かかわり、現在も長寿番組で活躍している二人は、リスナーとの交流をこんなふうに語っています。
永「(リスナーとは)身内なんですよ、もう」
秋山「そうね。たしかに、身内意識ができてしまいますね。手紙と電話だけの長いおつきあいの人もいますね。一度も会ったことがない人たちです」
永「だからそれぞれ聴いていらっしゃる人の部屋のなかにちゃんと秋山さんの座蒲団があって、秋山さんがそこにいる気配がするというとらえ方なのね」
秋山「ありがたいことです。いいお便りは、しまってあります。私の宝ものです」
永「ラジオって、マスメディアなのに、人脈でつながっているんです。テレビは『みなさん』が相手だけど、ラジオは『あなた』。その『あなた』が横につながって『みなさん』になるところが、ラジオの強みであり、これからも一番大切にしなければならないと思っています」ところで、3月2日付紙面でおたよりを紹介したMくんが、またまたおもしろいメッセージを送ってくれました。今回はいちかわエフエムの3番組についての「放送批評」。
「『ALT−Radio』(日曜日夜10時−同11時)は、ほんとに仲間内の放送。聴いている人は、いつもメッセージを送ってくる『指定席の人』のほかいないんじゃないかと思ってしまう」
「自由席の人」は影が薄い?
「『1KHz』(月曜日夜11時−翌朝2時)の場合、『ボツがあるんだよね〜』とうれしそうに言うなよ。出すほうは、どんなにつまらないメッセージでも読んでもらえればうれしいんだからさ」前回、記者は「おたよりを読むか読まないかは、パーソナリティーの好み」と言ってみたけれど…。
「あのね、『読むか、読まないか』じゃないの。問題は放送の姿勢。『コミュニティー』と『仲間だけ』は違うのデス」
おーっ、コミュニティ−放送の核心に迫るご指摘だね。「仲間だけ」ではなくて、「仲間」という関係のほうがいいのかな? で、おススメの番組は?「『トランスなかたにのNightでないと!』(日曜日夜11時−翌朝2時)。いろいろなジャンルの人(仲間)が聴いているようで楽しいです」 (つづく)
テレビのワイドショーには、必ずといっていいほど「コメンテーター」と称するゲストタレントが登場して、司会者の求めに応じて意見を述べています。コメンテーターは特に専門的なことを言うわけではなく、視聴者代表のようなカンジ。不幸な事件を前に、涙したり、「いったい何を考えているのかしら、ひどいわねえ」と憤慨したり…。本来「コメンテーター」は、「批評・解説を加える人、ニュース解説者」(『広辞苑』)という意味ですが、いまは「自分の思っていることを公に言う人」まで許容範囲が広がっているようですね。
だから、コミュニティー放送に「おたより」を寄越すリスナーも、「コメンテーター」といっていいんじゃないかな。パーソナリティーに「おたより」を読んでもらって、「自分の思っていること」を公にする。ラジオネーム(匿名)だから「本音」も言える。
匿名パーソナリティーと匿名リスナーが紡ぎ出す、言いたい放題の「仮想空間」(記者はそれを「勘違いの楽園」と呼んでいます)に眉をひそめる人もいますが、それも一種の「エンターテインメント」ととらえれば、けっこう楽しめますよ。たとえば3月16日号でリスナーが槍玉にあげたいちかわエフエムの2つの番組も、見方(聴き方)を変えれば…。
毎週番組に「おたより」を寄越す「指定席の人」たちを、「リスナー」ではなく「場外コメンテーター」「リポーター」と考えてごらんなさい。「おたより」は「今週のリポート」。そうすれば「毎回同じ人のおたよりばかり読んで、何か変!」といった感じも、「いつもリポート、ご苦労さま!」に変わるんじゃないかなー。
えっ、変わらない?やっぱり特定の人たちに番組を占有されているという感じがする?う〜ん、困ったなあ。コミュニティー放送に新しいリスナーが増えない原因のひとつは、そこにあるのかもしれません。では「常連リスナーさん」に遠慮してもらって番組を進行させるか…。それもむずかしいことだと思います。
「常連リスナーさん」は、本当にラジオを愛しています。コミュニティー放送は「常連リスナーさん」と共に育ってきたといっても過言ではありません。ですから、新旧リスナーのバランスを上手く取りながら放送を続けるしかありません。
そこで、同局の、新しいリスナーにも評判の良い番組をいくつかじっくり聴いてみました。いったいどこが、他の番組と違うのでしょう。 (つづく)
私たちは、いま、新しいメディアを上手く使いこなしているでしょうか? 情報発信装置を手に入れたうれしさのあまり、やたらにボタンを押しまくり、発信しまくっている様があちこちで見うけられます。たとえば…。JR総武線車内で隣に座った40代の女性は、夢中でケータイ(携帯電話)のボタンを押していました。
よく見ると、「電子メール」の「メッセージ」を作成中。次に、電話機を自分の顔の前に持ってきて、写真撮影。最後に「メッセージ」と「写真」を合わせて、送信! ひと仕事終えてホッとした彼女に、日ごろのケータイ利用状況を聞いてみました。「うちは、夫と娘2人(大学生・高校生)の4人家族。それぞれ1台ずつケータイを持っています。いま、家族の間でケータイメール交換がブーム。さっきのメールも長女に送ったんです」
−メールの数は一日何件くらい?
「私のケータイには家族から最低10件。娘たちは友達ともメールし合っているから、数知れず。彼女たちは、ケイタイがないと生きていけないみたい…」
−ケータイの無い生活は考えられませんか ?
「先日、次女がケータイをどこかに落してしまい、大変な騒ぎでした。『一日でもメールできないと、友達から仲間はずれにされる』と泣いて、すぐに新しいのを買いました」
−恐るべしケータイコミュニケーション!
「私も、返信が遅れて夫にしかられたことがあります」
−だから、どこにいても、こまめにメールするんですね。MBR> 「ケータイを持つようになって、みんな『待つ』ことができなくなったような気がします」
−それで、メールの内容は?
「たわいないことが多いですね。『いまどこにいる』『何をしている』『あと何分で目的地に着く』…」
−そんなメール交換は必要だと思いますか ?
「面倒臭い、無視したいと思うときもあります。でも…」車内に『ケータイ電話のご使用はお控えください』とアナウンスが流れるなか、隣の女性のケータイには、娘さんから「お返事メール」が届きました。ケータイコミュニケーションは歯止めがききません。
公共のラジオ電波を使ったコミュニティーFMでもときどき、パーソナリティーとリスナーの「1対1」のやりとりを聴くことができます。とてもゼイタクなコミュニケーションスタイルですね。 (つづく)
頭に「コミュニティー」が付くことばを『カタカナ・外来語/略語辞典』(自由国民社編)で調べてみた。「コミュニティーカレッジ」「コミュニティー・スクール」「コミュニティー・ケア」「コミュニティー・・スポーツ」「コミュニティー・センター」「コミュニティー道路」「コミュニティーバス」「コミュニティー・リーダー」など…。
「コミュニティー」と名の付くことばがズラリと並んでいる。市川市内を見まわしてみても、あるある、「コミュニティーサイクル」「コミュニティー・レストラン」…。でも、改めて「コミュニティーって付けたら、何か変わるの?」と聞かれると、答えに困ってしまう。
たとえば、ふつうの「レストラン」と「コミュニティー・レストラン」はどこが違う?
雰囲気? サービス ? 料理の内容?
ふつうの「FM」と「コミュニティーFM」は、放送内容に違いはあるの? それとも似たようなものかな?
「いちかわエフエム」を開局当初から聴いているという、50代の主婦に尋ねてみた。−いつも放送を聴いている時間帯は?
「平日の午後1時〜5時あたり」
−その時間帯には、どんな番組がありますか?
「新聞社のニュース、市の広報番組『エコーいちかわ』、地域の天気予報、主婦パーソナリティーが日常を語りながら、彼女の好みの曲を聴かせてくれる番組など」
−放送の中に「コミュニティー」を感じることはありますか?
「はい、ときどき」
−どんなときに?
「番組の中で、市内の地名や施設名が出てきたり、パーソナリティーが共感できることを言ったとき。インタビュー形式で市民のナマの声が聞けたとき」
−記憶に残っている市民の声は?
「最近では『エコーいちかわ』で、子育てサークルや市川市環境市民会議のメンバーが活動報告をしていた。コミュニティー放送らしいなあと思った」−ほかに市民のナマの声が聞ける番組は?
「『ラジオ伝言版』。不定期の、1分間くらいの放送。市内でサークル活動をしている人たちが、会員募集や発表会のお知らせを、自分たちの声で流している」
−機会があったら、自分自身も放送でしゃべってみたいと思いますか?
「……。パーソナリティーになって番組を持つのはムリだと思うけれど、『市民の声』のようなかたちで、ひと声なら参加してみたいですね」 (つづく)
4月6日号で、ケータイ電話のことにふれたら、たくさんメッセージを頂戴したので紹介します。「うちでも『ケータイメール』を家族のコミュニケーションにフル活用しています。面と向かって言いにくいことも、メールでなら言えるので便利」(「二児の母」)。「ケータイに家族全員の写真を入れています」(50代主婦)。ほかにも…。
「ボクたちの間では、ケータイは『使う』とは言わず、『いじる』と言います。ケータイメールコミュニケーションは、いまやジョーシキですよ。電車内では電源を切るように心がけてはいますが、ヒマだと、ついつい…」(20歳の大学生)。「記者さんも、やんわり車内のケータイマナーを指摘しながら、本当は最新のケータイで遊んでみたいのではありませんか?」(50代男性)。ははは…。皆さんからのメッセージがあまりにおもしろいので、この連載のタイトルを「コミュニティーFMの時代」から、「ケータイコミュニケーションの時代」に変えたくなりましたよ。
それにしても、「20歳大学生」くんの『いじる』ということばは、印象に残りました。彼らには、分厚い取扱説明書なんか必要ない。パソコンもケータイも、あれこれ『いじって』いるうちに裏ワザまでマスターしてしまうのでしょう。某ケータイ会社の宣伝コピーを借りるなら「ミーメデイア」といった感じですね。閑話休題。平成4年に郵政省(当時)が制度化したコミュニティー放送は「手づくり」と言うより、「手さぐり」の状態。開局にあたっては、どの局も地域貢献を高らかに謳いあげるのですが…。
全国で109目に開局した「いちかわエフエム」は、『事業目論見書』(同8年作成)で『コミュニティーFMを開局するのは、市民文化の幅を拡げる文化的で便利な情報や緊急時に即応した災害・防災情報などを、既存の放送メデイアとは比べものにならないほど効果的に市民に伝達できるメリットがあるからです』と謳っています。そして<1>市民の誰もが参加でき<2>あらゆる市民の生活に役立ち<3>災害・市政情報なども伝え公共性が高く<4>地域の文化・経済活動を維持発展させる<5>手づくりの番組を<6>正確な情報でリアルタイムに発信することを目指していました。
でも、いざ開局してみると、なかなか思いどおりにはいかないようで、4半期ごとの改編で番組を『いじり』ながら、公共性と個性のバランスを考えている? (つづく)
お恥ずかしい話だが、5年前に買った炊飯器に「炊き分けメニューボタン」が付いているのを知ったのは、つい最近。ホコリをかぶった「取扱説明書」を引っぱり出して読むと、「白米ふつう炊き」のほかに「かため」「やわらかめ」「炊き込み」「おこわ」「おかゆ」が炊き分けられると書いてあった。
せっかくの便利な機能も、上手に利用しなければ、「宝のもちぐされ」だなあ、と反省した次第。コミュニティー放送にも、われわれがまだ気付いていない、いろいろな役割・機能があるのかもしれない。
いちかわエフエムから拝借した『事業目論見書』(平成8年、同放送発起人会作成)を読み返してみた。
まず、「いま、真の豊かさとは何か?」と問いかけ、「人と人のつながり(コミュニケーション)が希薄になっている」ことを指摘しながら、「これからは、相互扶助を基本とした共同社会、自由で活力ある地域社会(コミュニティー)を築いていくことが何よりも大切」と説いている。そんな理想的な社会を築くためには、「CATVやインターネットなど、新しいメディアの有効活用」がオススメと続く。
なぜなら、新しいメディアは「<1>身近な地域の話題や<2>個人のニーズに対応できる多様かつ豊富な情報の源で<3>個人を広い世界を結び付けてくれる。さらに<4>情報を受け取るだけでなく、自らも発信者になれる」などの特長があるからだ。
市民生活の中には、すでに数多くの放送メディアが普及し、多チャンネル化も進んでいるが、新たに「市川エフエム放送」を開局すれば、「市民文化の幅を拡げる文化的で便利な情報、緊急時に即応した災害・防災情報などを、既成の放送メディアとは比べものにならないほど効果的に市民に伝達することができる」。が、「開局当初は番組の質・バランス感・水準等に多くを望むことはできない」とも。その分「情報量を重視することで、『役に立つ放送局』の誕生・存在を訴求。基本的に、DJ方式でタイムリーな生放送を、市民の生活時間に合わせて行っていきたい」。
さらにコミュニティー放送の運営で重要なことは、「第一に多くの市民が気軽に参加できる体制づくり。第二に最小限の社員で、経費を削減。第三に番組の企画立案・編集能力に優れた人材の登用。第四に災害発生時等に市と協力して迅速な対応」を図る。
そのための不可欠な条件に「市民の厚い協力」を挙げている。 (つづく)
いちかわエフエムの『AZ−Freeway♪』を聴きながら原稿を書いている午前9時、心地よいイージーリスニング系の曲が流れている。高音質。あー、のどかな朝のひとときだ。楽曲の合間に、市川市周辺の天気概況。10時からは、市川市からのお知らせ『エコーいちかわ』。今日のお知らせは何だろう…。市文化会館、中山文化村の催し物案内(文化振興課)と、柏井小6年児童の「私の学校自慢」。司会者の質問に答える児童の声がとてもかわいい。
続いて、千葉商大生がパーソナリティーをつとめる『Viva!CUC』(10時15分〜)。ラジオネーム「仕事人」さんからおたよりが届いて「大カンゲキ!」のパーソナリティー。自校のイベント情報もしっかり伝えられたぞ!
ニュース、天気予報の後、局から『ラジオ伝言板』の利用者を募るメッセージ。「ご自分の声でサークルやイベントなどの紹介をしてみませんか。(局の)留守番電話にお名前・ご連絡先、メッセージを入れてください。あなたの声をそのままラジオでオンエア!」。残念ながら、この日は利用者ゼロ。
11時、女性パーソナリティー・marikoの登場。リクエストにこたえてジャズをかけながら、草花の話にも熱が入って…。おや、もう昼食の時間。
適度に地域情報も入り、楽しく聴き流せた3時間。同局開局前に作成した『事業目論見書』(平成8年)に記載の「番組編成計画方針」の一部が、具現化されつつあるような、そんな感じがした。同書で検討された「番組編成計画方針」は次のとおり。
<1>土曜・休日等、市民在宅率の高い日を選び、認知度アップキャンペーン放送を実施。
<2>市民に活動発表の場を提供。番組とイベントの両面で、コミュニティー活動の身近な道具としての認識が得られるような運営を図る。
<3>目的を明確にした番組を制作することで市民の目的別聴取を促すよう心がける。
<4>市民活動・コミュニティー活動と連動する番組を制作し、体験の共有化を図る。
<5>定着聴取を目標とするため、番組枠の移動は極力行わない。
<6>リサイクル・環境運動など、社会意識を高める支援をする。
<7>行政広報など、公共の告知に関する情報は、朝昼夜反復放送、周知度向上を図る。
<8>地域メディアとしての有効性を高めるため、ケーブルテレビとの連携を図る。
フーム、コミュニティー放送には、いろいろな切り替えボタンが付いているようだ。