市川よみうり連載企画

FM







     全国コミュニティー放送協議会は、コミュニティー放送の存在意義を『これまで情報の受け手であった地域が、情報の送り手になるためのツール。既存の放送局の手法や従来のマスメディアに対する既成概念にとらわれることなく、地域が創り、地域が成長させる、ひとことでいえば"地域情報の発露を促すメディア"』と謳(うた)っている。さて、市川の「ニューメディア」が発信するものは?

 たとえば、毎週月曜朝11時−午後1時、「いちかわエフエム」で「What's Up Ichikawa!?」を担当している小林いく子の場合…。
 「私がやっているのは、『市川の人の声』を電波に乗せ、放送していくこと」
 都内で生まれ育った小林が市川に引っ越して来たのは約20年前。子供を育てながら、「市川は自然に恵まれたいい街だなあ」と思っていた。市広報を見て「いちエフ」のボランティアスタッフになったが、放送は未経験。この街で、放送をとおして、自分にできることは何だろう?
 「そうだ、街の人の声を電波に乗せてあげよう。そうすれば、『市川の素顔が見える』放送になるかもしれない」
 自前のテープレコーダー・マイクを持って、市内で開かれている催物・イベントを突撃取材。主催者や参加者の生の声をキャッチする。取材中に気づいたこと、楽しかったことも番組の中で伝えていく。
 そうやって、「開局当初から番組を続けて2年あまり。何でも自由に、やりたいようにやらせていただいている半面、周りに評価してくれる人がいない。良いとも悪いとも言われない。『ほんとにこれでいいのかな?』と何度も悩んだ」。女性局員に励まされたり、取材先の人たちから元気をもらいながら、ここまできた。
 「ボランティアだから続けられた。だって放送という仕事は、もっと厳しいものだと思うから。プロであれば、それなりに(局に)貢献しないといけないし、もっと時間をかけて、もっと勉強しなければならない」  自宅で編集したテープを持って、週に一度、スタジオのマイクに向かう。いまでもドキドキする。     (文中敬称略)


?!<1> 


昨年10月に本連載が始まった時点で、全国のコミュニティーFM局は131局だった。ところが、年が明けてみると137局。わずか3か月の間に、6局が誕生したことになる。関東圏内では、ただいまあわせて28局。これからもコミュニティーFM局は、じわじわとその数を増やしていくことだろう。
<P>  ただし「都内23区とその周辺の電波は、平成9年の時点でいっぱいの状態」と総務省・関東総合通信局(旧郵政省・関東電気通信監理局)。首都圏の市川市で平成十年に開局した「いちかわエフエム」は、まさに「滑り込みセーフ」で貴重な「83・0MHz」を確保したことになる。ラジオファンにとっては長年の夢だったコミュニティー放送。現在の開局ブームに至るまでの経緯をたどってみよう。

 昭和62年春、郵政大臣の私的諮問機関である「ニューメディア時代における放送政策懇談会」から次のような報告書が提出された。
 「いままで県域を単位としていた放送局を、もう少し多種多様な情報ニーズにこたえられるような、ローカル性を持つ、市町村単位の狭い区域の放送局の実現を検討していく必要がある」
 続いて平成2年に「放送の公共性に関する調査研究会」から、同3年に臨時行政改革推進審議会「豊かな暮らし部会」からも、同様の意見が出された。
 これらの要請にこたえ、郵政省は電波監理審議会の答申を受けて放送法施工規則の一部を改正。同四年に、市町村の一部を対象とした超短波放送(FM)で地域密着情報を提供する「コミュニティー放送」を制度化した。 それに伴い、すべてのコミュニティー放送が共通して認識しなければならない『目的』を、「市町村内の商業・業務・行政等の機能の集積した区域、スポーツレクリエーション・教養文化活動等の活動に資するための施設の整備された区域等において、当該当地域に密着した情報を提供することを通じて、当該当地区の振興、その他公共の施設の増進に寄与すること」と定義した。

 つまり、制度化当初のコミュニティー放送の目的は<1>公共性を持つ地域に密着した情報の提供にあった。同7年、「阪神淡路大震災」が起こった。地元ミニFM局はボランティアの協力を得て、被災者に向けてきめ細やかな情報を流し続け、高い評価を受けた。この事実が全国の地方自治体に大きな反響を巻き起こし、コミュニティー放送免許申請ラッシュが始まる。震災の教訓から、コミュニティー放送に<2>住民の積極的参加<3>防災対策・緊急災害時の電波確保という新たな目的も加わった。
 同10年、コミュニティーFMは早くも全国で百局を突破。

 現在、<3>の目的から、全国のコミュニティーFM局の多くが、地方自治体の協力を仰いで放送を行っている。ちなみに「いちかわエフエム」も、市を株主(出資金1千万円)に据えた第三セクター方式の放送事業者だ。 このように、従来の規制が緩和され、低予算で設備が整い、さらに自治体からも経済的援助・協力が得られ、「ニューメディア」ともてはやされるコミュニティー放送の将来は、順風満帆のハズだったが…。    (この項つづく)



?!<2> 


1月27日午後6時ころ、大雪に見舞われた市川市で、「いちかわエフエム」に耳を傾けていると…。「現在、じゅんさい池の坂道=国府台1の10の42から県道への道=は雪のため通行止めになっています。市内を走る車は滑り止めがないと走れない状況です。また、歩行中に転んでケガをする人も増えているようですが、まだ事故には発展しておりません」。

 さらに、いちエフ男性局員の「大雪情報」は続く。「これから明朝にかけて、路面が凍結して大変滑りやすくなるので、人・車とも十分にご注意ください」。「続いて電車・バス関連の情報。JR千葉支社広報部に問い合わせましたところ…」 同日、番組編成に若干の変更があり、午後八時から十一時に予定されていた、ふたつのパ−ソナリティー生放送番組は中止となった。あれれ、ボランティアさんは、雪に足を取られてお休みか?

 説明がないので、番組中止の理由が分からないまま…。かわりに流されていたのは、場をつなぐ「AZ−Freeway」と呼ばれる音楽放送。その間、「大雪に関する地域情報は、(警察・消防署などから)知らせが入り次第お伝えします」と男性局員が繰り返す。深々と降り積もる雪の中、外出した家族の帰りを待つ人や、車で家路を急ぐ人にとって、こうした情報はありがたい。スタジオで情報収集に孤軍奮闘する男性局員の姿が目に浮かぶ。

 全国のコミュニティー放送の社員数は、1社平均6人程度。それだけの人数で番組やCMの製作 ・営業・編成・技術・ボランティア管理・災害時の対応をこなせというのはほぼ神業に等しい。さらに番組のクオリティーを向上させ、スポンサーを確保し、利益を求めようとなると…。

 事実、ほとんどのコミュニティーFM局は、赤字経営。放送・番組制作費の値上げをスポンサーに提案しても、内容・放送効果がいまひとつではこの不況下、なかなか色よい返事はもらえない。結果、赤字補填(ほてん)のために出資者から増資をはかったり、経営者が自己資金を投入する、悪循環。地域密着型、自由で個性的な放送を目ざして局を立ち上げたのはいいが、電波のお守りは想像以上に金がかかる。はてさて、どうしたものか−と経営者は頭を悩ませている。

 頼みの綱は、無給で力を貸してくれるボランティアスタッフの存在。しかし、果たしていま、局とボランティアの間に、友好な関係が保たれているだろうか?  もし、局側がボランティアに対して、「放送に出してやっている」という姿勢だったり、「とにかく時間をつぶしてくれればいいのさ」「どうせボランティア。勝手に来て、勝手にいなくなる。責任は持てない」と投げやりでは、いい番組は望めない。

 反対に、局側が「放送に協力してくれて、ありがとう。精いっぱいやってくれ。責任は、局が取るから」という姿勢で、個性を引き出しながら、放送の使命やノウハウを折にふれて指導していけばボランティアは育つ。育った人を介して、自然に地域のお宝情報が集まってくる。番組の内容にもひろがりが出て、楽しい放送になる。      (つづく)



?!<3> 


 今年は「ボランティア国際年」。市川市内でも福祉・子どもの健全育成 ・文化・芸術・国際交流 ・環境など、さまざまな分野でボランティア活動が花ざかりです。市も、「ボランティア支援課」を設け、市民の高まる活動意欲を応援しています。さて、その中で、放送にかかわるボランティアは「文化・芸術」の分野に入るのでしょうか。行政の回答はあいまいです。それならば、新しく「放送」という分野を設けるのも、いいでしょう。

 「ラジオ番組制作・出演に興味のあるかたを募集します。経験は問いません」
 これは、今年1月27日付市川市広報「市民のひろば」に載せられた「いちかわエフエム」のボランティア(制作スタッフ)募集記事です。この記事を見て、さっそく四十人近い参加希望があった−と同局はうれしい悲鳴。その人気のほどがうかがえます。
 コミュニティー放送にとってボランティアは、住民参加という観点から、なくてはならない存在です。では、放送にかかわるボランティアには、どのような準備・心構えが必要なのでしょうか。試しに同局の公式ホームページ(2月4日午前零時更新)を検索してみました。
 ページ冒頭(トピックス)は、「番組制作スタッフ募集中。全部一人でやる無給交通費無しのボランティア参加です」。募集は随時行われているようで、質疑応答形式でつづられた募集ページの内容は、概略次のとおり。

 Q「参加条件は?」
 ○ラジオをとおして何か表現したいと思っている人、番組を責任もって制作していただくことができる人ならば、プロ・アマは問わない。経験不問。スタッフ登録料はいただいておりません○原則的に年齢は18歳以上(18歳未満は保護者とよく話し合った上で)○性別・国籍は問わない。通常会話程度の日本語がしゃべれる人○原則的に局の放送が聞こえる地域の人○コンビ等グループ参加・ゲストを呼ぶ番組構成は原則不可。あくまでワンマンオペレーションスタイルが基本
 Q「ボランティアってどういうことですか?」
 ○番組制作費・交通費 ・出演料などの名目で一切お金は出ないということです○介助ボランティアなどと違い、編成上の問題で参加をお断わりすることもあるというのが特徴です○ボランティアが番組を放送するには、事前に機械操作指導やトレーニング、番組内容などの審査があり、そこで参加できるか否かが決定されます
 そして、この募集ページは、次のようにしめくくられています。「活動内容や義務・責任などについて、いわゆる『ボランティア活動』のイメージとはかけ離れているかと思います。詳しくはスタッフにお聞きください」
 現在、同局には、こうしたきびしい条件をクリアした平均60人以上の制作スタッフ(ボランティア)がいて、『市川の声』として活躍しています。






「日常生活の中で、あなたは『ラジオ』とどのようにかかわっていますか?」「『コミュニティ−FM』を知っていますか? 」。市川市内をぶらり散歩しながら、街の人に聞いてみた。ほとんどが「テレビしか見ていない」と回答するなかで、県域・コミュニティー放送にかかわらず「ラジオを聴いている」と答えた数人のコメントを、ここに挙げてみよう。

まず、市内で商店を経営する60代男性は毎朝6時、枕元に置いたラジオのスイッチを入れることから、一日が始まる。「ほとんど、県域放送を聴いている。ラジオはいろいろなことを教えてくれるので、そこから仕入れた知識は、お客さんとの会話のタネにしている。地元のコミュニティー放送は、まだ聴いたことがないが、おもしろければ聴いてみたい」
 続いて、商店街で買い物中の40代女性。「ラジオの思い出は、高校生のころ聴いた県域の『深夜放送』ですね。当時、クラスメートのひとりが『投稿したハガキをパーソナリティーに読んでもらった』と自慢していたのを覚えています。コミュニティーFMについては、友人が出演したことがあるので、その番組を聴いたことがある。友人の声がラジオから流れて、ちょっと不思議な気分でした」

 昼下がり、葛飾八幡宮の境内で日向ぼっこをしている81歳男性(無職)は、「私が子供のころ、つまり大正末期ですが、最初に聴いたラジオはコップの中にサクランボ大の鉱石を入れて、そのガラスの反響でかすかな音を聞き取るといったものでした。家の屋根には、竹ざおにくくりつけたアンテナを立てていました。それからは、真空管を使った箱型、鉱石トランジスタとかたちを変えていきました」と、蘊蓄(うんちく)を披露したあと、「いまは、県域の深夜放送でナツメロをよく聴いています。コミュニティーFMは、まだ聴いたことがありません。どんな放送をしているのですか?」
 夕暮れ時、帰宅途中の20代会社員女性は、「学生のころ、仲間のあいだで、『地元・市川のコミュニティーFMを聴く会』ができて、ちょっとしたブームになったことがありました。そのころは、夢中になってコミFを聴いていましたが社会人になってからは、聴いていません」

 ここで記者の「コミュニティ−FM」との出合いも付け加えておこう。それは、平成10年夏、開局を前に行われた「いちかわエフエム」の制作スタッフ(ボランティア参加)説明会だった。狭い局フロアは、100人を超す市民であふれていた。概要説明が終わり、6〜7人の番組制作グループに分かれて、予定時間をオーバーしても続けられた市民たちのディスカッション。「地元に、みんなのラジオ局が誕生する。このスタジオから何か新しいことが始まる」。そんな華やいだムードが漂っていた。会社員、学生、主婦など、それぞれの立場で表現したいものは違っていたが、番組づくりを真剣に語り合う人々の顔は、輝いていた。






平成4年のコミュニティー放送制度施行から2年後の平成6年5月、全国に開設されたコミュニティーFM9局は、共通課題の解消と相互研修を目的に「全国コミュニティ放送協議会」を設立した。同年7月には、「第1回全国コミュニティ放送サミット」が大阪で開かれ、約400人の関係者が活発な意見交換を行った。その中で…。

 同サミットに招かれた特別ゲスト=イーデス・ハンソン(タレント)=の発言は興味深い。
 「コミュニティー放送はかくあるべし」などとむずかしいことを言わずに、「いろいろなコミュニティーがあって、その数だけコミュニティー放送の形がある。いろんな形があっていいし、むしろあって当たり前」。  ただし、自由なコミュニティーの現場では、「どう言えば(自分が思っていることを)本当に相手に伝えられるか−という技術。そこがコミュニケーションのいちばん基本的なところ。でも、案外それが上手な人が、いまはまだ少ないと思う」と指摘。
 「日常生活の中で、慣れた人たちとだけしゃべる場合は、技術がなくても通じあえる。しかし、人は必ずしも同じ経験を持っていないし、同じ感覚ではない。いまの世の中では、ちょっとした誤解ですごいケンカになってしまう。だから、自分の言いたいことを相手に伝える技術を作りあげ、身に付ける場所として、コミュニティー放送は大事な役割があると思うんです」とまとめている。

  −◇−  −◇−  −◇−  −◇−  

 現在、「いちかわエフエム」が放送している番組「College Station」(毎週月 ・水・金曜日午後6時から1時間)の水曜日を担当している「いとっち」(パーソナリティー)に、コミュニティー放送で学んだことを語ってもらった。
 千葉商大2年生で、同大学の放送研究会に所属している、いとっち。昨年10月から正式に「いちエフ」のマイクに向かっている。
 自分の初放送を録音で聴いたとき、「かなり緊張していましたね。すごくしゃべりが固い。これではリスナーに何も伝わっていない」と思った。 それから約2か月、少し余裕ができて、キャラクター(個性)づくりをはじめた。
 たとえば自分で言ったコメントに、自分で「そうですね」「ウンウン」と、合いの手のことばを入れる。ひとり二役。つまり、「自分で言っていることに、自分で納得する、そんなかんじです」

 年が明けて、「身の周りのネタをそろえて準備万端。音楽をかけずに1時間しゃべりっぱなし」にも挑戦してみた。
 「無事に一時間しゃべり終えたときは、『やったぁ!』というかんじでした。充実感がありました」。
 さて、これからは、「放送を、より聴きやすいように、わかりやすいようにできたらいいな−と、勉強していくつもり。(リスナーに)ぼくの持っている情報を、かみくだいて伝え、意味を分かってもらえるようしたい」
 コミFでDJをやったおかげで「ことばひとつひとつを大切にする自覚ができました」と笑う、いとっち、20歳の春満開。    (文中敬称略)



り<1>


ボランティアパーソナリティーたちに、コミュニティー放送参加の動機を尋ねると、まず、異口同音に「ラジオが好き」と答える。そして、自分とラジオとのかかわりの歴史を熱っぽく話してくれる。たとえば、小学生のころから「放送部で活躍していた」「布団の中で、イヤホンをつけて、こっそりラジオの深夜放送を聴いていた」、高校生のころ「ラジオを聴きながら勉強し、県域局パーソナリティーの影響を受けた」などなど。

 60代の女性パーソナリティーも、ほほをほんのり染めて、「終戦後、銀座でラジオの街頭インタビューを受けて以来、『いつかラジオでおしゃべりしたい』という夢を持っていました」。
 総じて、ラジオを愛する気持ちが強すぎて、聴いているだけではもの足りない、放送に参加して自分の思いをみんなに伝えたくなる。コミュニティー放送ならそれも可能だ。あきらめかけていた夢に、手が届く…。

  −◇−  −◇− −◇−  −◇−

 下島章寛(26)は、ラジオ好きの家庭で育った。父親の運転する車に乗って、カーラジオも聴いていた。さだまさしの深夜番組「セイヤング」が大好きだった。大学を卒業して、パソコン系の会社に一年勤めてみたが、「何か違う」。放送の世界への夢は捨てがたい。
 夢実現のための第一歩として、県域ラジオ局のアナウンススタジオで一年間勉強した。スタジオの先生に「君の年齢で、全国区デビューしたいのなら、まずコミュニティーFM局で経験・実績を積んでみてはどうか」とアドバイスされた。昨年8月から「いちかわエフエム」の放送にボランティア参加している。
 「最初は、『ボクは人一倍ラジオが好きだし、ある程度放送のノウハウも勉強しているし』と、自信過剰の部分がありました」
 ところが、実際にマイクの前でしゃべってみると、なかなか自分のイメージしていたとおりにことは運ばない。生放送でリスナー参加番組の場合、「きょうはこれと、これを話そう」と思っていてもどんどん話がずれていく…。
 やっと、今年1月から番組表に名前が載った。毎週水曜日深夜2時から一時間の「下島章寛のでぶ大好き!」。1回の放送に平均10件のお便り(電子メール・ファクス・電話)が寄せられる。番組中に、電話で「おもしろいから聴いているよ」と声をかけてくれる常連リスナーもいて、「いまのところ、リスナーさんに助けてもらっている部分が大きいですよ。むしろ、引っ張ってもらっているという感じですね」。
 リスナーからのおたよりを正確に、和み系の声で読みあげていく下島。「ときどき文章の区切りを間違えてしまうこともあるけれど、ゴメンナサイ。これからは、リスナーさん同士の情報交換の橋渡し役にもなれるといいな。『伝言板コーナー』を設ける企画もいいでしょ!」。
 下島は、リスナーに語りかけるとき、「直線ではなく、放物線を描くように」と心がけている。彼の放つスローカーブがリスナーの内懐に届く日は…。      《つづく》 (文中敬称略)


り<2>


 『そないに気張りなはんなや。間(ま)を、とりなはれ』。関西話芸の名人といわれた故ミヤコ蝶々が後輩を指導するときに、よく使ったことばだ。気張りすぎてはいけない。しゃべり手側が、話の途中や話題を変えるときにフッと息を抜く。すると聴き手も、ひと息つける。この絶妙な「間合(まあい)」のテクニックが自然にできるようになれば、「しゃべり手」として一人前−と蝶々は、教えている。

 現在、「いちかわエフエム」の番組「でぶ大好き!」(毎週水曜日深夜2時から1時間)で、ボランティアのパーソナリティーとして活躍している下島章寛。将来、プロをめざしている彼は、いまのところとりあえず、『何でもあり』。
 「おたけびコーナー」で、皆さんの日ごろの憂さを晴らします。音楽は演歌・洋楽・Jポップとジャンルを問わず、何でもおかけしますよ。番組のところどころに、「エイサッ、エイサッ」(みこしのかけ声)や、「え〜らっしゃい、らっしゃ〜い」(商店の呼び込み)の効果音をはさみ、意表をつく仕掛けに、ストンと肩の力が抜ける。
 「『いたずら心』が好きなんです。人を笑わせてやろうという気持ちもどこかにありますね」
 リスナーの支持は厚く、番組中に電話で応援メッセージが届く。「面白いから聴いてるよ」「聴きやすいね」「妙な間合がいいよ」。そんなリスナーのほめことばに「えーっ、特に意識して『間』を取っているワケではないんですよ。たぶん、ボクの頭にことばが浮かんできて、それを口に出して言うまでの時間を、皆さんが『間』と感じてくれているのではないでしょうか…」と照れる下島。ともあれ、天然の『間合』は、彼のセールスポイントだ。
 「心優しいリスナーさん」と直接話をすることで、得るものは大きい。自分が電波をとおして送ったことばを、皆がどのように感じているか確認できるから。最初は不安だった1時間も、このごろは「1週間に1度しかない楽しい時間」と思えるようになった。気がつけば、深夜のスタジオで、身ぶり手ぶりをつけ、夢中でしゃべっている自分がいる。もっと時間があれば、もっと上手く言いたいことを伝えられるのに…。番組が終わると、すぐに「来週のテーマは何にしよう?」と考えている。
 「おーい、みんな、聴いてくれー」

 コミュニティーFMは、パーソナリティーをめざす人たちが、自分の放送スタイルを体当たりで探っていくのに、うってつけの場所。そこで、マイクに向かい、ひとりでも多くの人に自分の番組を聴いてもらいたいという気持ちがあれば、コミュニケーションのとびらがが開ける。
 「コミュニティー放送で実際にパーソナリティーをやってみて、『ボクは本当にラジオが好きなんだなあ』と再確認しました。だから…」。やれるところまで、やってみたい。26歳の下島は、プロデビューの夢を追いかける。ほな、気張らんで、あんじょう(味良く)やっとくれやす、下島はん!(文中敬称略)



<1>


市川市内のファミリーレストランで、父親と3歳くらいの娘が、2人で仲良く食事をしていた。「ねえ、パパッ、あのね、あのね…」「あっ、ジュースが来たっ、ジュースッ、ジュースッ!」。身ぶり手ぶりをつけながら、娘のお口はよくまわる。父親が「…パパはゆっくりごはんをたべたいんだけど…」と言っても、娘のおしゃべりは止まらない。パパ、苦笑い。
 そんな仲良し親子の会話を、「盗み聞きはお行儀が悪い」と知りつつ、隣席で聞かせていただきました。ゴメンナサイ! でも、小一時間続いた会話の、おもしろかったのなんのって! 内容を紙面でご紹介できないのが残念です。おシャマで表現力豊かなお嬢ちゃんの将来は、テレビの女子アナ? それともラジオのパーソナリティ−?
 
 −◇−  −◇− 

 さて、今回は、「いちかわエフエム」毎週土曜日夜八時からの一時間番組『なおちゃんのおしゃべりセラピー』の現場を取材してみた。
 同番組生放送が終わって、スタジオから出てきたのは、和洋女子大放送研究部の「なおちゃん」「ゆきちゃん」「たまちゃん」。童顔のかわいい「なおちゃん」(20)は、同番組のメーンパーソナリティー。「小学生のころはぜんぜんしゃべらなくて、オルガン弾いたり折り紙したりするのが好きな女の子でした。それが中学生になって、『将来、声優になりたい』と思い、演劇部に入ったとたん、堰(せき)を切ったようにしゃべり始め、みんなに『奇跡だ!』と言われました」。無口の封印が解けてからは、「もう、いくらしゃべっても、飽きないですよ」。フリートークが得意で、同放送研の部長を務めている。

 コーナー担当の「ゆきちゃん」(20)は、宝塚男役のよう。高校生のころから放送部で、『マイクに好かれる声』の持ち主と言われている。遠くからでも、大きく通りのいい声で、すぐに「アッ、ゆきちゃんだ!」と分かる。原稿の読み上げが得意だ。大人っぽい「たまちゃん」(19)は、「私は裏方が向いているから」と、クールに機材を動かし、先輩を支えている。ときどき、状況を客観的に分析し、鋭いツッコミを入れる。
 生放送が終わり、ホッとひと息の3人だが、まだまだおしゃべりパワーは残っている。「ボケ」「ツッコミ」「ダジャレ」をポンポン繰り出しながら、取材を盛り上げてくれる。

 ──とりあえず、お疲れ様。昨年10月から番組を続けて、いまどんな気持ち?
 「おもしろいですね。こうやって、しゃべれることが楽しい」
 「いまのところ、ハイテンションのノリで乗り切ってる」
 「機材操作もスリルがありますよ」
 「あっ、きちんと電波にのせるのだから、『スリル』をしちゃ、いけないよ」
 「はい、『放送事故』を起こさないように頑張ってます」
 「『いちエフ』は『ひとりしゃべり』が原則なので、一緒にスタジオに入っても、3人で絡んだおしゃべりはしないね」
 「わたしたちは、まだ『しゃべりの素人』なんで、番組中に絡んでしゃべると内輪ウケになったり、声が重なったり、一斉に黙り込んでしまったりするんです」
 ──そうか、公式にことばのキャッチボールをするって、なかなかむずかしいことなんだね。    (つづく)



<2>


「DJライセンス」という資格があるのを、ご存じだろうか? 同資格制度は首都圏にある38の大学・短大の放送研究会部員で組織された『MBA(みみずく放送集団)』=約4000人=を対象に、県域FMラジオ局のサポートで、平成5年からスタートした。1−3級まであり、放送好きな学生たちの技術向上の目安になっている。
 ちなみに、「DJライセンス3級」の審査基準は◎「美しいことばをキレイにしゃべる」。発声、活舌、CUEシート(番組の進行・内容報告書類)の書き方、ミキシングなど、DJ・アナウンスの基本的認識ができているかどうかをチェック。
 2級は、◎「キャラクター(存在感・親近感・訴求力・アイドル性)をいかす」。テクニックとして、企画構成力・独創性・表現力・感性。そして、1級は、◎キャラクター・テクニックに加え、総合的な判断力・応用力、「聴き手」に対する「話し手」としてのスタンスを評価。同審査基準はプロの尺度ではないが、1級合格で「プロの入り口あたり」。
  
−◇− −◇−

 和洋女子大放送研究部は今年で38年の歴史があり、入部すると先輩が、発声練習・フリートーク・機材操作など、放送の基礎をミッチリ教えてくれる。在学中に『DJライセンス』も取得でき、活動のハバは広い。たとえば…。
 同放送研に所属する「なおちゃん」「ゆきちゃん」はともにDJライセンス2級、「たまちゃん」は同3級。3人は、『いちかわエフエム』の毎週土曜日夜八時からの1時間番組=『なおちゃんのおしゃべりセラピー』で、仲よく「ひとりしゃべり」や機材操作の技術を磨いている。生放送を終え、スタジオから出てきた3人のホンネトークを聞いてみよう。

 「『おしゃべりセラピー』っていう番組のタイトルは、『わたしたちのおしゃべりで、みんなを癒(いや)せたらいいな』と思って付けたんだけど…」
 「でもこのごろは、タイトルが飾りになってるよ」「こちら(話し手)のしゃべりが先行している」「『ひとりしゃべり』は一本道。ひとりでボケて、ひとりで突っ込まなければいけないワケで…」
 「ふだんは、3人でよくしゃべっているけれど、『ひとりボケツッコミ』をやっていると、悲しくなることがあるよ」「もっと、ことばのキャッチボールをしてみたい」「番組の中で、短いドラマもやってみたいな」「それって、この番組をスタートさせたとき(昨年10月)からの夢だよね」「学校でも、自分たちでドラマを作ってるし…」「うん、効果音も入れて『お笑い』『ホラー』『ラブストーリー』の3本立て!」
 「でも、実際に電波に乗せるとなると、シナリオの著作権の問題もあるし…」「部員の中にオリジナルの脚本が書ける人がいるといいね」「だから、部員の数を増やしたいな。新入生部員、大募集!」

 本番以上のノリノリトークを聞かせてくれた「なおちゃん」「ゆきちゃん」「たまちゃん」。そんな3人に続く、フレッシュな学生パーソナリティーの出現を、リスナーも期待していると思うよ。



<1>


昨年秋、「いちかわエフエム」社長の杉田英明と同専務の日下部雅己にステーションイメージを聞いた。2人とも、40代半ばの働き盛り。杉田は、若いころに見た外国映画のひとコマを話してくれた。「…アメリカの田舎町に住む青年が、いつも聴いているラジオのDJ(ディスクジョッキー)に会いたくて旅に出る…」

 「孤独な若者にとってラジオのDJは、心のよりどころだった…。そんな映画の中に出てくるDJとリスナーの関係っていいですよね」と杉田。日下部は、「うちは『地のまま』の『パーソナリティー』が『リスナー』に1対1で語りかけるようなスタイルを基本にしています。一人でマイクに向かってしゃべるのは、そんなにむずかしいことではありませんよ。アナタもやってみますか?」。いえいえ、当方、「地のまましゃべり」には自信がございませんので…(笑い)。
  

−◇−  −◇−

 今回は「いちエフ」で活躍中のパーソナリティー・いけてるおに、““地のまましゃべり”のコツを教えてもらうことにした。
 ──いけさん、まずは自己紹介から…。>BR>  「縁あって、昨年1月から、毎週木曜日午後6時からの1時間、『よろしくどうぞ』という番組でおしゃべりをしております、いけてるおです」
 ──職業は?
 「バスの運転士です」
 ──週に一度、マイクの前で、大変身?
 「いえいえ、ボクは、自分のふだんのしゃべり方が好きなので、マイクに向かっているときも、『地のまんま』! 小さいころから、こんな調子で、学校では『おもしろいヤツ』と言われていました。クチの達者な女の子と言い争いしても、負けませんでしたよ」
 ──本格的に人前でしゃべるようになったのは?
 「最初の就職先の旅行会社で、添乗員の仕事をしました。添乗員は、旅先の雑踏の中で、ツアー客をこっちに向かせ、大事なことを話さなければならない。そこで、『どうやって人を自分に注目させるか、どうやってこちらが伝えたいことを相手に理解させるか』を自然に勉強したと思う」
 ──放送の知識は?
 「添乗員を辞めた後、約1年、『ラジオ短波』のアナウンス塾に通いました」
 ──何か目的があったのですか?
 「競馬の実況中継をやってみたかったんです。でも、スポーツアナウンスの世界は狭く、年齢的(30代)なこともあり、『足踏み』していた」
 ──パーソナリティーになって、最初の放送を覚えていますか?
 「局の人に『ひとりごとでいいんだよ』と言われたけれど、緊張しました。半面、ボクのしゃべりが本当に電波に乗って外に流れているんだろうか−と半信半疑だった。5〜6回目にリスナーからFAXが届き、『ああ、本当なんだ!』」
 ──自分の番組を、どう思う?
 「録音放送を、カーラジオでボリューム全開で聞いたことがあります。おもしろかった。すっかり自分のファンになってしまった。ボク自身がいけてるおの一番のファンなんです」
 そんないけが目指すのは、「きちんとしゃべれる、いいかげんなパーソナリティー」(つづく)    (文中敬称略)


<2>


 いちかわエフエム社長・杉田英明のステーション(局)イメージによく似た場面が、1960年代アメリカの若者たちを描いた映画「アメリカングラフィティ」に登場する。DJとリスナーのやりとりはこんな具合だ。「ハロー、DJがキミの夢をかなえてあげよう」『「恋人の心を取り戻す曲をかけてください』「おいおい、カノジョとの仲がアブナイのかい? 」『少しもめています』「よし、まず、おまじないをしてやろう。ムニャムニャ…、ホラ、もう心配ないぞ。さあ、曲にいこうか!」

 映画に出てくる若者・カートは、高校を卒業したばかり。恋や進学問題で悩んでいる。ある夜、ひとりで街はずれの小さなラジオ局を訪ねる。DJは、彼をスタジオに招き入れ、
 ──どうしたんだい?
 「金髪の女の子を捜しているんです」
 ──男はいつも女を探しているものさ。
 「ここから僕のメッセージを送ってくれる?」
 ──やってみるよ。俺は、けっこう、この仕事が気に入っているんでね。
 やがてカーラジオからメッセージが流れ、「金髪の女の子」から返事が…。
 DJ役は、アメリカでいまも「元祖DJ」と呼ばれているウルフマン・ジャック。彼は、言葉の魔法でリスナーの心をわしづかみにした。よしっ、ここで、本連載取材班あてに届いた読者からの手紙を、ウルフマン風に紹介しちゃおう!
 ──ハロー、どうしたんだい?
 「ボクは、連載で紹介された『いちエフ』の番組のひとつを、毎週欠かさず聴いていました。その番組の中で、生まれて初めて自分の手紙を読んでもらったんです」
──リスナーはいつも、自分の好きなパーソナリティーを探しながら、ラジオを聴いているものさ。
 「パーソナリティーが、手紙の内容をいろいろ察して、意見を言ってくれて…。いまでもそのときの感動を覚えています」
 ──わ〜お、まさに、アメリカングラフィティの世界だね!
   

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 はい、ここからは「いちエフ」パーソナリティー・いけてるおの世界。
 「ボクの番組『よろしくどうぞ』(毎週木曜日午後6時から1時間)は真剣に聴いちゃだめだよ。いいかげんに、あっさり聴き流してね。たまたま番組を聴いて『ああおもしろいな』と感じてもらえたら、それでOK。フフフ…、ボクが目指すのは、『きちんとしゃべれる、いいかげんなパーソナリティー』」
 ──??
 「たとえば、他愛ないおしゃべりの途中でいきなりニュース原稿を渡されても、きちっと読める。『きちんとしゃべれる』根底があれば、崩しても聴きやすいし、話にまとまりがあると思うよ」
 ──ひとりしゃべりのネタは、どうやって集めるの?
 「特にネタ集めはしていない。『駅前にずらっと並んでいる自転車が倒れたらどうなる?』『病院の長い待ち時間、皆は何してる?』などなど、ふだん皆さんが身近に見たり、感じたりしているものに、自分なりのヒラメキを加え、話をふくらませている。話題にひろがりがあれば、おしゃべりは続くんだなぁ」    (つづく)   (文中敬称略)


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 「いちかわエフエム」の放送スタイルは、「生放送」で行う「ワンマンオペレーション」(パーソナリティーが、しゃべり・番組の企画構成・機材操作などを全部一人でこなす)。ボランティアパーソナリティーたちは、局の放送スタイルを守りながら、その中で独自の個性やおもしろさを演出しようと工夫を凝らす。

 「FM局の番組は、だいたいアーチストの情報を伝え、その曲をかけるという構成ですよね。人気のあるパーソナリティーだと、リスナーのお便りを紹介しながらフリートークして、自分の好きな曲をかけるといったパターン。ボクは音楽的なことよりも、何かほかのことをやってみたいと思って…」
 いけてるおは、自分の番組『よろしくどうぞ』(毎週木曜日午後6時から1時間)の中に、ドラマのコーナーを設けている。同コーナーの歌い文句は「日ごろ忘れかけた小さな感動をもう一度」。そこで、いけは、「大人の童話」を披露する。さきごろ放送された『立ち話』は、こんな内容だった。

 《春になると、街行く人の足取りがゆっくりになる。街かどでのんびり立ち話するご婦人の姿もちらほら…。あっ、路地で2人のおばあさんが、町内会のピクニックの話をしている。チリンチリン…。その脇を自転車に乗ったおじいさんがベルを鳴らして通り過ぎる。1時間ほどして…。さっきのおじいさんが戻ってきた。2人が長い立ち話をしている間に、床屋で散髪をすませてきたのだ。おじいさんは、2人の様子を見て、「あ〜あ、これじゃあ1日が倍ぐらい長くないと、何もできねえな」とつぶやく。それでも、まだ、立ち話は続く、春の午後》
 「おばあさん」「おじいさん」の声色を使い分けながら、ほのぼのとした巷の情景を5〜6分の短いドラマで再現する、いけ。
 「凝った効果音は使わない。逆にそれにとらわれず、聞いている皆さんの想像力におまかせしている。ワンマンオペレーションで無理なくできる、われながらいい企画かな ?」
 でも、生放送は、実際にしゃべってみないと分からない。体調の悪いときは、1時間が長い。キメのセリフを間違えることもある。『これならイケる』と思っていた話がひろがらず、尻すぼみになってしまうこともある。そんなとき、悔しい。自分に腹が立つ。「『おい、どうした、いけてるお!』ってネ。ここいちばんの『聞かせどころ』で、キメられるかどうか、そこがプロとアマチュアの分かれ目」

 と、プロ意識をのぞかせる。「ともあれ、いまここでしゃべれていることを良しとして、活躍の場がひろがり、将来は『声』で仕事ができるようになればいいなあ。そのために必要な三要素は『ご縁』と『タイミング』と『実力』。自分の実力だけはどんどんアップさせておきたいです」
 なるほど「地のまま」で勝負するには、人知れず力を蓄え、積み重ねて、厚みのある「地」を光らせるんだね!    (文中敬称略)



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  「きちんと」と「いいかげん」、「プロ」と「アマチュア」、「あけっぴろげ」と「プライバシー保護」…。そんな相反するものが一緒になったいちかわエフエム。本連載に寄せられるリスナーの感想も、「おもしろい」「感動した」から、「パーソナリティーの自己満足」「学校放送」まで、さまざまだ。

 30代独身男性の声を紹介しよう。
 「いちかわエフエムを聴きはじめて半年。初めのころは、FMらしくなくて地味。そこに違和感があったが、このごろ慣れてきた」
 聴き方は、
 「お気に入りの女性パーソナリティーがいる。その前後の番組は聞き流している。彼女の声は、明るいので聴いていて元気が出る。しゃべり方も好きなので、いじらず今のままでいてほしい」
 「滑舌」がいまひとつのパーソナリティーも、
 「それも慣れると、あまり気にならなくなる。話の内容を追わず、聞き流せばいい。ボクは、放送の気に入った部分で、自分なりに楽しんでいます」
 パーソナリティーとのおたより交換は、
 「番組におたよりを出しているのは、いつも決まった数人のリスナー。ボクは聴いているだけ。一度、ソフトな声の男性パーソナリティーに電子メールを出したことがあるが、すぐに読まれてビックリした。おまけに、メールの内容について、パーソナリティーのほうからラジオ越しにいろいろ質問してきたので、またビックリ!」
 コミュニティーFMの将来は、
 「流行にパッと飛びつくパワーのある中高校生リスナーを取り込むと、もっとおもしろくなると思う」
  

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 前回に続き、いちかわエフエムの「地のまま」パーソナリティーを紹介しよう。たなべあけみ、35歳。
 「広島県呉市生まれ。年齢も番組の中で公表している。飾らないことばで、自声で、『ひたすら伝える』。それが私のモットー」
 たなべは、昨年6月から毎週水曜日午後2時−同4時まで「Before the wind」を担当している。
 「ウインドサーフィンが趣味で、番組のタイトルも『追い風を受けて』という意味。『勢いのある放送にしたい』という思いがあります」
 都内の短大を卒業後、テレビ局、一般企業に勤め、2年前の結婚を機に市川に引っ越してきた。昨年2月、人生をリセットするために仕事を辞めて、「市内をひたすら歩きまくった」。歩けば、あっちにもこっちにも、名所旧跡…。好奇心がむくむくわいてくる。
 そんなとき、『市川にはコミュニティーFM局がある』というウワサを耳にした。
 市役所に問い合わせると、「ボランティアのパーソナリティーを募集していますよ」との回答。「リセットボタン」は身近にあった。
 どんな放送をしているのだろう? たなべは、リサーチを開始。電波の発信源に「にじり寄って行った」。 (つづく)   (文中敬称略)


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いま、テレビ・ラジオ界で弁舌さわやかに活躍している人たちにも、新人時代はあった。ある女性タレントは、新人のころ、「本番中、自分の思いがすぐに言葉になって出ない。くやしい。そんなときは、どうすればいいんですか?」と先輩に聞いた。先輩は、あっさりこう答えた。「『言いたいことはあるけれど、自分の思いが言葉になって出ない、くやしい』と言え。そうすれば、アナタの『言葉が出ない、くやしい』思いだけは確実に伝わる」。

 自分の考えを素直に言い切ったとき、本物の言葉になる。その言葉が支持されるか否かは、聴衆の「お好み」次第。
 昨年6月からいちかわエフエムの『Before the wind』(毎週水曜日午後2時−4時)を担当しているパーソナリティー・たなべあけみのモットーは『ひたすら伝える』。
 テレビ局で技術の仕事を経て、バブル全盛時代に一般企業に入社したたなべ。実績も上がり、それなりの充実感があった十年あまりの生活。でも、不景気の波が押し寄せ、仲間がリストラされていくのを見て、『本当に好きなことをやらないと、悲しいな』と思った」。夫と相談の上、人生リセットに踏み切った。

 ──リセットは成功しましたか?
 「コミュニティ−FMのパーソナリティーになれたのは、人生最大の幸せ。いまは、放送のことを考えると毎日が楽しくて、楽しくて…」
 ──ラジオの生放送でしゃべる楽しさは、どんなところ?
 「<1>臨場感がある。たとえばスタジオの窓から外を覗き、天候を確かめ、『今』の聴取者の心の状態などを想像しながらおしゃべりができる<2>視線を気にせず、自然体で話すことだけに集中できる<3>リスナーと一対一でコミュニケーションしているような気持ちになる」
 ──番組の中で、どんなふうにしゃべっていますか?
 「聴き手の耳や心を意識し、誰にでも伝わる言葉でおしゃべりを−と心がけています。飾りたてた言葉や使い古された言葉ではなく、『その人でなければ言えない、使えない言葉』に魅力を感じています」
 ──そのために、何か工夫をしていますか?
 「資料に書いてあることをそのまま読むだけでは伝わらないものがある。実際に自分でそこに行って、見て感じたことを伝える。公園のことを話すなら、そこにどのような花が、どのように咲いているか。トイレはどこにあるのか。売店で何を売っていて、値段は? と、そんなところまで伝えられたらと思う」
 ──「ひたすら伝える」という意気込みが感じられますね。
 「上手くしゃべろうとは思っていません。しゃべりの技術よりも…、もっと精神的に成長したい」
 ──精神面を充実させながら、「たなべあけみの言葉」を探しているんですね。
 「ハイ、『ひたすら伝える』という気持ちをベースに、『35歳のたなべあけみでしか言えないこと』を、もっと伝えたい!」  (つづく)    (文中敬称略)



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