市川よみうり連載企画

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検証・まち
<路上生活>
27
火に弱いブルーテント

路上の人の住まいが、「段ボールハウス」と呼ばれていたころがあった。その進化形態が「ブルーテント」。
「ブルーテント」は、段ボールや木片などで作った枠組みに青いビニールシートをかぶせたもので、「段ボールハウス」よりも保温性・耐水性が飛躍的に向上した。しかし、ビニール素材を加えたことで火に弱く、あざやかな青色が人目を引くという欠点も抱えるようになった。
青いビニールシートは、量販店や金物屋で買うと、大きさによって400円(2畳分)〜800円(12畳分)程度。
「工事現場から中古品を拾ってくることもできるが、できれば新品を使いたい。耐用年数は1年くらい」(ブルーテント住人談)。
試しに、2畳分のシートを買って、ひろげてみた。タテヨコ1.8メートルで、厚みもあり、丈夫なつくりだ。端に、ヒモを通す穴があり、金具で補強されている。風に飛ばされないように枠組みにくくりつけることができる。二つに折って、端を閉じて、中にもぐり込んでみた。視界が、真っ青になった。
「ブルーテントで暮らしている人の中に、ヤケドの跡があるヤツがいるだろ?」
首都高速小松川線高架下で、路上経験豊富なおじさんが、腕組みをして、目をしばしばさせながら話す。
「ビニールシートに火がついて、ヤケドすることが、よくあるんだよ」
 ―原因は?
「酔っ払ったときの、火の不始末。みんな、火の始末はしっかりしなくちゃと思ってはいるんだよ。でも、酔うと体がいうことをきかなくなる。後始末がおっくうになる。それで、そのまま寝込んでしまうと…」
―そういえば、全焼したテントの跡を見たことがある。「カセットコンロで煮炊きしていて、その火が移った」とのことだった。
「ほかにも、通りがかりの人のポイ捨てタバコが怖いよ」
―火が付いたままのタバコを捨てられると…。
「テントの屋根の上なんかにポイッとやられると、いちばんコワイんだよなー。そこから、火が出ちゃうんだ」
―このごろ、各自治体で、駅周辺のクリーンアップ作戦が盛ん。「歩きタバコ禁止」「吸い殻のポイ捨て禁止」令が出ると、禁止区域外でウップン晴らしをする人がいるのかな。「無意識にやってんのか、オレたちのことを嫌ってワザとやってんのか、分からないけど、たまんねえなー。オレたちも、火の始末にはじゅうぶん気をつけるから、ブルーテントめがけてタバコのポイ捨てはカンベンしてくれよー」
火のついたタバコを、ビニールシートの上に置いてみた。10秒もたたないうちに穴が開いた。そのままにしておくと、煙と共に、穴はじわじわひろがっていった。

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検証・まち  
<路上生活>
28
忘れた自分の証明

取材のあとは、必ず1万5千分の1の住宅地図で路上の人たちとの出会いの場所を確認している。河川敷に降りる階段の位置まで細かく載っている地図だが、ブルーテントの記載はないので、「○○橋の近く」とか、「○○公園の入り口あたり」とか、おおよその見当での確認となる。
 台東区・墨田区・江東区・江戸川区・そして市川市とたどっていくと、公園・川べり・高速道路高架下が「路上の住まい」集中の3大スポット。そこに公共の「水飲み場」や「トイレ」が設置されていると、集中度は増す。
 地図に記載されないブルーの建造物。そこに住んでいる人たちも、「自分を証明するもの」をどこかに置き忘れたまま、緊急避難的な生活を送っている。
 ―ナゼ、「忘れ物」を取りにいかないのかを尋ねると、 
 「めんどうなので」という答えが圧倒的に多い。
  都営新宿線東大島駅周辺は、広い公園緑地と新築のマンション群が印象的。そこを流れる旧中川は、「自然のささやきが感じられ、(地域住民の)日々の暮らしに溶け込み、にぎわいと交流の場となる川辺の調整が約2キロメートルにわたって完了している」(土手に立つ東京都の案内板から抜粋)。左岸の水辺を歩いてみた。なるほど、魚が泳ぎ、鳥がエサを求めて舞い降りる、のどかな風景だ。橋の下には、「路上の家」がいくつかあった。どれも、何となく、水辺の景色に溶け込んでいる。ワイシャツにネクタイ姿の二人連れが、右岸の水辺に降りてきた。


 橋の一部かと見紛うほど巧みに作られた「青い家」=写真=に住むおじさんが、
 「ああ、あの人たちはね、あっち(右岸=江東区)の役所の人たち。ときどき、ああやって、みまわりに来るんだ。ちょこっとあっちの家をのぞいて、帰っていくんだよ」と実況解説してくれた。
 ―こっち(左岸=江戸川区)のほうも、「見まわり」があるの?
 「あるよ」
 ―ところでこの橋には、下町風のしゃれた名前が付いてるね。
 「へえーっ、この橋には名前があったの? 1年以上前からここで暮らしているけど、知らなかったよー」
 あらためて自分が住む橋の名前を確認するおじさん。あえて住所を標記するとしたら、○○橋たもと1丁目1番地。

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検証・まち  
<路上生活>
29
保護よりも仕事を…
  『警告 この場所(テラス)に、物を堆積したり、寝泊りする行為は河川法により禁止されているので至急撤去すること。なお、撤去しない場合は、予告なくゴミとして処分する』
 これは、両国橋近くの隅田川テラス入り口に張られた、警察署と都建設事務所の警告文(今年6月16日付)。
 「〜です、〜ます」調ではなく、「〜すること、〜する」とキッパリ言い切っているところに、断固とした姿勢がうかがえる。

  両国の、隅田川テラスに住む「まっちゃん」(愛称)は、15歳のとき九州佐賀から上京。以来、四十年あまり、体を張って建設現場で働いてきた。
 「さいしょは、重い鉄骨を肩に担いでがんばった。現場の経験をひとつひとつ重ねて、たくさんの部下を指導できるまでになった。でも…」。数年前に解雇。
 寄る年波には勝てない。気がつけば、体にガタがきていた。
 「若いころの無理がたたって、背骨が曲がっちゃって、しゃがむのがキツい」
 病院に通い始めた。
 「医者に「職業病なんです」と言ったら、『体質でしょ?』。そりゃ、あんまりな言い方じゃありませんか!」と、まっちゃんの声が震える。
 「65歳まで、年金がもらえるようになるまで仕事したいと思うけど…」
職業あっせんの窓口に行くと、「『何か、資格がありますか?』と聞かれる。『資格』は持っていないので、いままでの経歴を説明すると、『つまり…、そこに従事していたということですね』」
 そりゃ、あんまりな言い方じゃありませんか―と、まっちゃんは繰り返す。
 「いま、ここ(テラス)に住んでいるからって、そんなふうに、人を見下したような言い方されると、こっちもカチンときますよ。もう、いいよ! もう何も話したくない、そんな気分になっちゃいますよ」
 おい、まっちゃん、楽な仕事やってる人にはさあ、オレたちの気持ちは分かんねえョ―と、テラス仲間が横から口をはさむ。
 「オレだって、仕事、してえよ。仕事、ねえかなあ。ホゴ(保護)もらうより、仕事もらうほうがいいョ」
 そうだ、そうだ、とまっちゃんもうなずいた。

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検証・まち  
<路上生活>
30
生死の大きな分かれ目
隅田川テラス。黄色い「KEEP OUT(立ち入り禁止)」のポリステープで囲われたキャンピングテントがあった。テントの前には、段ボールで作られた「仏壇」。中に、カップラーメンの容器に土を盛った線香立て・コップ酒・数珠が並べ置かれ、両脇に菊の花が供えられていた=写真
 隣のテントの男性に事情を聞くと、


 「死んじゃったよ」
 ―いつ?
 「朝、なかなか外に出てこないんで、覗いてみたら、死んでた。警察に知らせたら、いろいろ聞かれて、タイヘンだったよ。やっこさん、酒飲みでね、前から肝臓をかなり痛めていたんだ。飲み過ぎで、死んじゃったよ」
 ―「やっこさん」は、生前、どんな仕事をしていたの?
 「どこからか電気製品を拾って来て、それを修理して売る仕事」
 ―親しくお付き合いしていたんですか?。
 「特に親しくしていたわけじゃない。やっこさんの死には、あまりかかわりたくない。でも、ここのテラスの連中といっしょに、アレ(仏壇)を作った」
―1本、お線香あげてもいい?「いいよ。とむらってやってよ」
合掌。
3軒先の男性にも、聞いてみた。―ビックリしたでしょ?
 「うーん、ここに住んでるオレたちは、生きてるときから、もう『無縁仏』みたいなもんだからなぁ、あんな死に方しても、仕方ないかもしれないなあー」
 ―旦那さんも独り身?
 「娘がひとり、東京に住んでるよ」
―一緒に住まないの?
 「いいや。ときどき、会いには行くけどね…。オレにも羽振りのいいころは、あったんだ。大手建設会社の下請けで、東京のリッパな建物をいくつも造った。そのころは、一日何マンエンも稼いでいたよ」
―貯金しなかったの?
 「ははは、儲けたカネを、ぜーんぶ競艇に突っ込んじゃってね、今になって思えば、バカなことしたよ。でもさ、ホームレスの中でも、オレたちみたいにテントが持てるのはまだいいほうだ。よく、道端でゴロッと寝てるヤツがいるだろ? あいつらは『マグロ』と呼ばれているんだ。マグロになって、ホントの野ざらしで暮らすと、テント持ちより寿命はもっと短いよ」

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検証・まち  
<路上生活>
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日常的な小さな出来事
ブルーテントの撤去を知らせる張り紙の文言は、ところによって硬くなったり、柔らかくなったり。東京渋谷区・代々木公園では、 『再三に渡り、当場所からの撤去をお願いして参りましたが、撤去して頂けなかった為、本日テントを撤去し事務所において保管しております。必要とされるならば管理事務所迄取りに来てください』
 野宿のお客様、大変申し訳ございませんが、ご退場願います―といった感じだ。
 約54万平方メートルの同公園の一角には、現在、「4〜5百人」とも「500人以上」とも言われる路上生活者が暮らしている。
<写真=代々木公園西側にある雑木林の住人の「集会場」。エキゾチックな雰囲気にまとめられている>

 代々木公園南側ゲート近くにテントを張る、「ツネちゃん」(仮名・40代男性)は、このごろ元気がない。

 「夜、眠れない。食欲もない、仕事も手につかない…」
 ―どうしたの? 暑さ負け? それとも『撤去のお願い』が来た?
 「ちがう、ちがう、みっちゃんがドロンした」
 この界隈から「ドロンする」「ドロンをきめる」ケースは少なくない。いろいろな事情で、そこに居づらくなったとき、予告無しに姿を消す。それが今回はみっちゃんだった。
 ツネちゃんは、「みっちゃん」(仮名・20歳女性)と1年以上一緒にテント暮らしをしていた。ところが、ひと月前、みっちゃんが突然いなくなった。待っても、待っても、帰って来ない。
 「(みっちゃんの)荷物が、まだオレのテントの中にある」ので、「そのうち、きっと帰って来る」と信じてはいるが、いてもたってもいられず、足を棒にして都内を探し回っている。
 「これが、みっちゃんの写真。どこかで見かけたら、教えてよ」
 写真の中には、ツネちゃんに寄り添い、ピースサインをして微笑む、みっちゃんがいる。
 「ねっ、かわいい子だろ。複雑な家庭環境で、虐待されて、家出してきた子で、オレが父親みたいに守ってやっていたんだ。彼女も、『父さん、父さん』って、オレのこと呼んで、頼りにして、どこへ行くにも一緒だったよ。将来は、福祉・看護系の仕事をしたいって言ってたなあ」
 女友達の家に遊びに行ってそのまま長居しているのか、それとも新しいパートナーを見つけたか…。ツネちゃんは、半べそかいて、みっちゃんを捜している。

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<路上生活>
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目立たずヒッソリと
 約一年前、『ホームレス自立支援法』成立を前に、衆院厚生労働委員会ではこんな発言もあった。
 「名前を明かせない方は相談に乗るのもむずかしい」
 「自分の土地でテント生活するならよいが、公共の場所は困る」
 「自然災害でやむなく公園に暮らす人とは区別が必要だ」
 「生活のリズムを取り戻すために施設入所が原則」
 確かに、どれも正論だ。正論すぎて、とりつく島がない。でも実際に現場をご覧になったら、さぞビックリされることだろう。

  代々木公園の雑木林。満州生まれの下浦さん(男性・60代)は、ブルーテントの中にケージを置いて、小型犬を2匹飼っている。本当は、公園内で犬を飼うのはNGなのだが…。
 ―管理事務所に怒られない?
 「お目こぼししてもらってるようで…、そのぶん、ひとさまにメイワクをかけないように、事件をおこさないように注意して暮らしてますョ」
 ―何か、事件を起こすと?
 「即、退場。よく、やりっぱなしの、ゴミだらけのテントがあるでしょ? あれは、なんかマズイことやって、住人がドロンしたテントなんですヮ」
 ―お向かいのテントは、もぬけのからですが、ドロン?
 「あー、30代の調理師が住んでますけど、いま、沖縄に出稼ぎに行ってるんですよ。あっちで農作業の手伝いをするんだそうです」
 ―アナタは、どうして路上に?
 「私もふくめて、ここにいる人たちは、いろいろ事情があって、あれこれかまわれるのがイヤで、ここに来たワケで…」
 ―あれこれ、いろいろですね。
 「ははは!」
 ―しごとは?
 「『並び』。プレミア商品購入の順番取りを週3回くらいやってます」
 ―これからも、ずっと、ここにいる?
 「いやいや、ここにも『撤去のお願い』が来てますよ。いずれは、ここに居られなくなる」
 ―いまは、ホームレス地域生活移行支援事業で、行政が借り上げてくれる低家賃の民間アパートや都営住宅に入れる絶好のチャンスでしょ?
 「んー、家賃を何とか払えたとしても、光熱費や水道代とか、払えるだろうか…、仕事がなくなって、家賃払えなくなったら、どうなるんだろうか…」
   夏の昼間のブルーテントの中はサウナ状態。住人たちは、テントから這い出し、屋外休憩所にたむろしている。上半身ハダカで、ベンチに「マグロ」(ごろんと横になったまま動かない)している男性もひとり、ふたり…。
 『オレはホームレスじゃないよ』と何度も念を押す男性(70代)が、休憩所を丁寧に掃除し、ザバーッ、ザバーッと水を撒いていった。

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<路上生活>
33
助けられたり助けたり
花火大会が終わり、隅田川テラスにまたブルーテントが戻って来た。元鳶職のおっちゃんの「家」も、アッという間に復元!
昼下がり、寝ぼけまなこでテントから出て来たおっちゃんに、
―花火、見た?
「見ねえよ、こっちは、それどころじゃねえよ」
二の腕を、ポリポリ掻きながら、「あいかわらず、仕事が、ない。埋め立て地の草むしりの仕事が、ひと月半に一回まわってくればいいほうだよ。空きカン集めもやってるけど、たいした儲けにはなんねえし…」
―のタネは?
「あちこちの『炊き出し』をまわってる」
―週に何回くらい?
「都内では、いつも、どこかで炊き出しをやってるからね。こまめに歩きまわれば、食いっぱぐれはない。あのさ、こんどの日曜日、玉姫公園で、ホームレスの夏祭りがあるから、遊びにおいでよ。オレ、そこで、『ボランティア活動』で、フランクフルトソーセージの屋台の担当になってんの」
―支援団体の人たちの手伝い?
「うん、ちょくちょく炊き出しに並んだり、困ったことを相談しているうちに、支援の人たちの手伝いもするようになった。人間は、助けられたり、助けたり、だからね。あんたも、何か、いい仕事あったら、オレに紹介してよ」
―◇―   ―◇―
8月上旬の日曜日、市川市内の公園でも、ホームレス自立支援・NPO市川ガンバの会の夏祭りがあった。
そこで、久しぶりにAさんに会った。約一年前の同会の集いのときより頬がふっくらとして、穏やかな「いい顔」になっていた。参加者に声をかけたり、誘導したりと、忙しそうだった。
―よっ、お元気そうで!
「ははは!、太っちゃって、昔のズボンが窮屈になりましたよ」
昨年暮れにJR本八幡駅前で具合悪そうにうずくまっていたBちゃんの姿も探したが、見つからない…。
―Bちゃんは?
「いま、病院に入ってますよ」
―どこが悪かったの?
「酒の飲み過ぎ。『もらい酒』が多かったからね。病院で、おとなしく治療を続ければ、また外に出て来られるようになると思いますよ」
会場の一角では、仲間の髪を刈ってやっているおじさん。チャキチャキとハサミの音を響かせて、腕前は確かだ。
「この前も、3〜4人、めんどうみちゃったよ。『上手い!』って、ほめられたよ」 ―ホントに上手い!
 「でもさ、このハサミじゃ、思うように切れないんだよ。もっとよく切れるハサミがほしいよなあ」
 助けられたり、助けたり…。
提灯に明かりが点り、祭りの夜はふけていく。地道な支援活動の中で、参加者のどの顔も和やかだった。
  
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検証・まち  
<路上生活>
34
自尊心の高い夫
覚悟決めた妻
  ともに50代のYさん夫婦が、リストラで職を失い、北海道から上京したのは約半年前。
 夫婦住み込みの働き口は、東京でもなかなか見つからなかった。途方に暮れ、上野公園入り口あたりで野宿。翌日、園内に入ると、ブルーテントが林立していた。そこには、入り込めなかった。
 人づてに隅田川テラスのことを聞いた。二人で訪ねてみた。
 あいにくの雨。川面(かわも)をみつめながら雨宿りしていると、
 「どうしたんだい?」
 テラスの住人に声をかけられた。支援団体を紹介してもらった。ブルーシート、木材、生活用品などが届き、とりあえず二人が暮らせる「家」が出来た。炊き出しや支援物資配給の場所・日時も教えてもらった。
 炊き出しの列に並ぶ。初めての経験だった。夫は、尻込みした。
 「お父さん、何カッコつけてるの! 人間は食べなきゃ死んじゃうのよ」
 妻は、ひとりで列に並び、夫の食料までもらって来た。
 「女性は、いざとなると、強いですねえ」と、夫。妻の気合に後押しされて生きる。
 いまは、「とりあえず」のテラス暮らし。仕事が見つかるまで、下町人情が頼り。
   
―◇―   ―◇―
     満州生まれのMさん(66)は、2年前、「信頼していた人」の保証人になった。ところが、「信頼していた人が事業に失敗して、トンズラ」。Mさんが負債の肩代わりをする羽目になった。全財産、年金まで処分。これまで持ち家を3軒建ててきたが、4軒目は新宿中央公園内となった。
 「保証人になったこと、後悔はしていません。でも、妻には申し訳ないと思っている。だから、いつでも実家に帰っていいんだよ―と言ってある」と夫。
 『私、最初は、ここに住むのは怖かったです。でも、おとうさんに、最後までついて行く―と、いまは覚悟を決めて住んでいる』と妻(60)。
 夫は、福祉の世話になることを「良し」としない。
 「福祉の話、キッパリ断りました。違法建築なのに、ここに住まわせてもらっているだけで、じゅうぶん有り難いと思っている。起きて半畳、寝て1畳、たらふく食っても米2合半」
 腕組みして、空を見上げる、ガンコ一徹の夫。
 『夫は、お腹にやっかいな胆石を抱えている。いざとなったら、ここで死ぬ覚悟のようです』
 妻は、早朝から、園内で開かれるボランティア団体の炊き出しの手伝いをする。午後は、ポリバケツに水を汲んで(く)、洗濯。石ケンの臭いがあたりにひろがる。
 『こうやって体を動かしていると、気が紛れますからね』
 Mさん夫婦の隣の「家」には、「立ち入り禁止」と書かれた区の黄色いテープがぐるぐる巻きつけられている。福祉を受けて、公園を出て行った人のもので、近々に取り壊されるという。
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検証・まち  
<路上生活>
35
寂しくても施設入所敬遠
「ツイてねえよ」
 Eさん(47)は、隅田川テラスで、コップの焼酎(しょうちゅう)をちびちび飲みながら、愚痴をこぼす。
 ホームレスになって半年。飯場を渡り歩いて暮らしている。
 「ひと月住み込みで働いて、宿代・食費をさっぴかれて、手元に残るのは数千円。マズいメシ食わされて、相部屋で、センベイ布団に寝かされて、世の中、不景気極まりないね」
 いろいろ不満はあるものの、いままでは仕事を世話してくれる「オヤジ」がいた。ところが、数日前、飯場から帰って来たら、
 「オヤジがトンコしていた」
 ―トンズラ?
 「ウン。オヤジに預けていた荷物も自転車も、ネコも、一緒に消えた。ほうぼう探したが、みつからない。いったいこれから、どーするべ」
 Eさんは福島県出身。5人兄弟の末子。19歳のときに上京し、「ゾク」(暴走族)に入って、
 「アバレまくった」
 カノジョができて、21歳で父親になる。「マトモな生活」をしようと、特技(空手3段)をいかしてガードマンの資格を取った。
 「市川の八幡で働いていたこともあるよ」
 子供は、美容師になったカノジョが女手ひとつで育て、Kさんは「家庭」を持つことはなかった。
 「子供とネコの話をすると、オレ、涙が出るんだよ」
 子供が高校1年でグレかけたときは、カノジョに頼まれて説教した。
 「オレの二の舞を踏むな。かあちゃんを泣かせるな。ちゃんと勉強しろ!」
 子供は、無事に大学を卒業し、結婚した。
 「うれしかったョ」
 2杯目は、涙酒。
 居なくなった猫の思い出話で、さらに目がうるむ。
 「かわいいネコだったよ。オレが名前を呼ぶと、『にゃー』って返事して、オレのあとを付いて来るんだ。人懐っこいネコなんで、誰かが連れて行ったのかなあ」
 ―さみしい? これを期に、カノジョと復縁する? 一緒に住んで、ガードマンの仕事に戻れば、ホームレスから足が洗える。
 「ない、ない。それは、ない」
 ―どうして?
 「オレは、すぐキレる。自分がおさえられない。だから、家庭を持つことができなかった」
 ―妥協はイヤ?
 「うん」
 ―仕事がないと当分、どうなるの?
 「公園野宿だな。ホームレス仲間が、『そろそろ家(テント)を建ててやろうか』なんて言ってくれるけど…」
 ―自立施設は?
 「ダメダメ、あそこは、部屋で酒を飲んでいるところを見つかると即、おん出されるからね」
 「マトモな暮らし」に戻るか、それとも路上に家を持つか…。いまが思案のしどころ。「迷いの半年目」を迎える。
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検証・まち  
<路上生活>
36
「素」で生きる日々<1>
妻と離婚し、会社も辞めたKさん(63)は、「何となく」公園に足が向いた。ベンチに座ってみた。ごろんと寝てみた。木々の緑がきれいだった。自然に抱かれているようで、
 「ここ、いいなあ」と思った。
 そのまま暮らし始めた。
 そんなふうに、「何となく」始めた路上生活だったが、抜け出すとなると、なかなかむずかしい。=Kさん(写真左)のテント内の「居間」=本棚には、愛読書『あしたのジョー』が並んでいる
 「『世の中のキマリを守らないヤツが、何をいうか』と言われてしまえばそれまでですが…」
 元技術指導員で都内の公園に暮らして約1年のKさんが、ホームレス社会をクールに分析する。
 ―ホームレス社会の構造は?
 「大まかに言えば、ホームレス社会には、『自立に向けて一生懸命の人』『その日その日を何とか暮らせれば、それでいい人』『もうどうにでもなれと自棄になっている人』と、3つのタイプの人たちが住んでいます。たいていは酒・バクチ・借金・職場や家庭内の人間関係でつまづいている。中間管理職のストレスで、ドロップアウトしてきた人もいる。さらに、最近では、30代を中心にした『アウトドア派』『自称芸術家』の若者も加わっています。皆、肩書きなどすべての飾りを取り去った『素』で生きている」
 日暮れて、Kさんのテントの「居間」に、気の合う仲間がやって来ると、
 「酒が入り、『オレが…』『オレが…』の大合唱。それぞれグチをこぼしていく。話を聞いていると、彼らが酒を飲まなければ暮らしていけない気持ち、分かります」
 ―たとえば?
 「(自立)施設に入って、職業訓練を受けても、安定した職が見つからない。かろうじて来るのは、『使い捨て』の仕事ばかり」
 まず、施設に入って1か月は「体調を整える」期間。5〜6人の相部屋で、「3食昼寝付き」の生活。そこまでは、いい。だが、2か月目から現実のキビシサを知る。施設の住所を使って求職しても、雇用者側の反応は冷たい。どこへ行っても、
 「ハジかれる」
 きめられた2か月の求職活動期間中に、仕事先が見つからないと、
 「それは、アンタのヤル気が無いからだ」といわれ、施設を出て路上に戻る。
 酒を飲み、割り切れない気持ちを「ごまかす」「ふっきる」「発散させる」。そして、目覚めれば空しい朝。        (つづく)  
 
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検証・まち  
<路上生活>
37
「素」で生きる日々<2>
さきごろ発表された千葉県の『ホームレス自立支援計画』(骨子案)は、「ホームレス一人一人の関係性を重視しながら自立までの支援を行う」のが特徴。
 同骨子案には『相談員による巡回相談や、河川敷や公園に相談窓口を設けることなどを通じて、一人一人との関係をつくり、希望に応じた自立支援プログラムを作成。その後、自立した生活を始めた人に対し、住居や就労の場の確保など』が織り込まれている。
 これから、どんな人たちが「相談員」として活躍するのだろうか? 実績のある行政や支援団体などのメンバーが主力となるだろうが、さらにきめ細やかなプログラムを実現するため、新たにスタッフを増やすとしたら…。
  
―◇―   ―◇―
     ―どんなキッカケがあれば、ホームレス生活から脱却できますか?
  都内の公園に暮らして約1年のKさん(63)は、こう答える。
 「私たちの心の中には『助けて(支援して)ほしい』気持ちと、『あまり世話を焼かないでくれ。自分のことは自分でやる』という気持ちが入りまじっています」
 ―複雑ですね。
 「行政のホームレス支援は、福祉を『学問』として勉強した人がやっているような…。みなさん、きっと福祉免許とか資格とかを持っておられる方たちなんでしょうねえ」
 ―何かピンとこない?
 「紙に書いた決めごとに沿って支援してくださっているような、そんな感じがします」
 ―食料や衣類の支給などは?
 「本当にありがたいと思っています」
 ―それが、自立のキッカケになる?
 「ん…、おかげさまで身なりも整えられます。『使い捨て』の仕事にありつくにも、身なりが整っていなければハネられますからね」
 ―後は何が必要かな?
 「物質面では、私たちは意外にアッサリしています。配給は、『あるときは、持ってけ。無くなったらゴメンよ』。そんなかんじでいいんです。足りなくても、あまり文句は言いません」
 ―問題は精神面?
 「荒れた気持ちを和らげ、教え、導いてくれる指導者がほしいですね。気持ちが和らげば、私たちの半数は立ち直れると思う」
 ―たとえば、どんな人に導いてもらいたい?
 「肝っ玉かあさん」
 ―???
 「人生の苦労、裏表をよく知っている、太っ腹の、飲食店のおかみさんのような感じの人に叱ってもらいたい」
 ―なるほど。遠まわしなことばよりも、「アンタ、ダメじゃないの! しっかりしなさい!」と、肝っ玉かあさんみたいな人に叱られたほうがシャンとする?
 「私も含め、親身になって叱ってくれる人がいないから、こんな生活になってしまったのかもしれない」と苦笑い。
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検証・まち  
<路上生活>
38
「素」で生きる日々<3>
ホームレス歴6年、荒川河川敷に住んで約3年のHさん(64)は、先日高血圧で倒れ、病院に救急搬送された。
 「医者は『一週間くらい入院して、養生して、そのあとは福祉にかかったほうがいい』と忠告してくれたけど、一日で(病院を)飛び出してきちゃったよ」
 ―3食昼寝付き、医療付きの入院生活より、河川敷の「我が家」のほうがいい?
 「狭い病室は、息がつまりそうだよ。それに、あそこにいたら、規則・規則で縛られてしまうからね。食事だって、自分の好きな時間に食べられないだろう」=写真=河川敷の「我が家」の玄関先に座るHさん(右端)。「粗食で糖尿病は治った」という
 気ままな河川敷での日課を聞いた。
 起床は深夜2時ごろ。近くの公衆トイレに行って、水汲み・洗濯・身だしなみ。それが終わると、1時間くらい眠る。午前5時、朝食。
 ―ちなみに、今朝のメニューは?
 「ご飯と、ナス・ピーマン・とんがらしのミソ味炒め。昨日の残り物だ」
 「麺類が多い」という昼食は午前10時、夕食は正午ごろ。
 「腹が減ったときに、ちょっとつまむ。食事は、そんなカンジだよ」
 午後3時半ごろから、焼酎の水割りをちびちびコップ3杯くらいやって、いいこころもちで午後5時には就寝。
 「ここは、天国だよ。元気で、自分のことが自分で出来るうちは、ここで暮らそうと思ってる」
 ―高血圧の方は、大丈夫?
 「う〜ん、それなんだよなー。
でも、まだ4〜5年は何とかなるだろう…」
 ―このごろ、断続的に、「野宿者襲撃事件」のニユースを聞くけど、ここは?
 「ああ、中・高校生のワルサだね。最近、世間で騒がれて下火になったけど、仲間の中には、ひと晩で3回襲われたヤツもいたよ。あいつら、数人で群れてやって来るんだ。その中のひとりが、『テメェ、コノヤロー、やっちまえー』とか、掛け声をかけると、イタズラが始まる」
 ―Hさんは?
 「オレ、そいつらのひとりに、トボケて、『飯、食っていくかい?』と言ってみた」
 ―すると?
 「みんな、ミョーな顔をして、コソコソ相談し合って、何もしないで帰っていったよ」  (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
39
「素」で生きる日々<4>
H(64)さんは、44歳で職場の人間関係がイヤになり、日雇い生活に入った。そこで、
 「本当の『自由』を知った」
 当時の、「現場の親方」の教えは
 『3等国の日本を1等国に押し上げていくのは、オマエらだ!
宵越しの金は持つな。働け! 働けば金はまたいくらでも入ってくる!』。
 事実、建設現場の仕事はいくらでもあった。だから、気に入れば、やる。気に入らなければ、やらない。断っても、次の仕事はまたやって来た。
 事実、気ままな働き方をしても、おもしろいように儲かった。大工とブロック工の腕があるHさんは、1週間で50万円稼いだこともある。
 そして、事実、稼いだ金はすぐに酒とバクチで消えた。
 ―親方の教えは、忠実に守られたってワケだ。
 -「当時、貯金するようなヤツは、仲間内でバカにされたよ」
 河川敷の、Hさんの家の隣に住んでいるのは、元鍛冶職人。
 「彼も、腕はピカ一だった。保証するよ。でも、いまは、ヤル気がないから仕事をしない。オレも、『仕事しろ』なんてススメない」
 ―職人気質?
 「気分次第。それが、職人のいいところでもあり、悪いところでもあるね」
 ―生計は?
 「オレは、ある程度の蓄えを持って、この生活に入った。失業保険(日雇労働求職者給付金・通称アブレ手当)もあるから、缶拾いはしない」
=写真=河川敷のHさんの自宅内部。誰にも束縛されない、Hさんの「天国」が、ここにある
 ―いずれは、福祉にかかることも考えている?
 「う〜ん、いずれは、そういうことになるのかもしれないけれど…。考えるとユウウツになるよ。自由がなくなっちゃうからね」
 荒川河川敷の、Hさんの家の中を見せてもらった。
 約6畳の居間、2畳ほどの炊事場兼玄関。所帯道具は、きちんと片付けられている。随所に設けられた窓からは、葦の間を通り抜けた川風が入って来る。
 家の前には、「専用庭」。天気の良い日は、そこにフトンを干し、誰かが河原に捨てていった『世界偉人伝』の全集を読む。
 「ここは、天国だよ。どんなにオチブレても、ヒトサマにメイワクをかけない。ヒトサマにみっともないところは見せない。それが、職人の、最後のプライド、いや、見得ってもんだよ」
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検証・まち  
<路上生活>
40
中高生が見たホームレス<1>
Mくんは、東京・板橋区立中台中学校の2年生。学校の「総合的な学習の時間」で「路上生活者の福祉」を学び、こんな感想を残している。 
 『ホームレスがたいへんなのがしっかりわかった。これからはあまりからかわないようにする。これからもがんばってください』 
 今年度1学期(夏休みも含む)に行われた同学習のプログラムは、<1>20年以上野宿生活を送っていたひとりの男性が、地域での暮らしを取り戻していく過程を描いた映画(『あしがらさん』・飯田基晴監督)を観賞<2>路上生活経験者・支援ボランティアを招いた交流会<3>ボランティア体験(炊き出しに参加)。 
 生徒たちの感想を、ほかにもいくつかピックアップしてみよう。 
 『決まった職に就かないで、ゴミをあさったり、ボランティアからもらったもので生きている。そして第一に家がない。今までホームレスの人々のことをとても馬鹿にしていたことに気づいた。心の中で、自分たちと違う生物みたいに見てしまっていた。お金が無くなってしまったり、様々な理由で家に住みたくても住めなくなってしまったから路上にいる。家に住めるというのはアタリマエの事じゃないのに気づいた。(ホームレスの人たちは)同じ人間で少し違う人生を生きているだけなんだ。これからは、同じ人間なのだから、平等な角度から見て、助けていきたい』(Kさん)
 学習によって、「自分たちと違う生物みたい」が「少し違う人生を生きている人」に変わっている。 
 『今までホームレスの人はキレやすい人ばかりかと思っていた。でも、(会って話をしてみると)ゼンゼン優しそうで親しみやすそうだった。苦しい中にも、うれしいことや楽しいことがあって、いいなあと思った。「仲間と一緒にいれば少しでも安心する」のは、私達も同じ。路上の人への怖さが少し減り、一人ひとりに生活・夢・過去があることが分かりました』(Oさん) 
 親近感が生まれ、自分たちとの共通項も見出している。 
 『ホームレスの人は、いろいろ事情があってこんなことになってしまったから大変だな。日本の中でホームレスはたくさんいるが、お金持ちもたくさんいるから、貧富の差がとてもはげしい。今、不景気だから、これからまだホームレスは増えると思うが、私的には(ホームレスが)どんどん減って、みんな平等という、文句ナシの国になってほしいなあと思った』(Sさん)
 社会構造にも目を向けている。 
 『炊き出しに200人あまりのホームレスの人たちが来ているなんてほんとにびっくりしました。でも、もっとびっくりしたのは、炊き出しが終わった後は、皆すぐどっかに行ってしまって、さっきまで居たのにどこに行ってしまったの?』(Aさん) 
 なかでもボランティアの現場は「びっくり」の連続だった。          (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
41
中高生が見たホームレス<2>
東京・新宿区内の公園に住むイワさんは、昭和19年生まれ。以前は製版関係の仕事をしていたが、リストラされて、いまは古本集めで生計を立てている。
 路上から集めてきた本の汚れを布で丁寧に拭き取りながら、
 「1000円稼ぐのも容易なことじゃない。良い値で売れるのはマンガ本。活字だけの本は、人気ないですね」
 5年あまり公園に住んで思うことは、
 「昔と比べ、子供たちの遊び方が変わりましたね。特に今年の夏休みは、毎日、近所の小学生や中学生が、真夜中ここに集合して、明け方まで花火をしてましたよ」
 子供たちと直接話はしなかったが、連夜の花火三昧をながめていると、
 「あの子たち、何か鬱積したものや寂しさを抱えているような、そんなかんじがしました」
 明け方、花火の残骸が小山になって、宴はお開き。
 「花火をしている、いっときだけ、気が晴れるんでしょうね。私たちだけでなく、いまどきの子供たちも、学校や家庭で、いろいろ大変なんじゃないかなぁ」
 イワさんは、そう言って、同居ネコ「ミーちゃん」の頭を撫でた。
  
 ―◇―   ―◇―
 今年4月から約3か月間、静岡県長泉町にある「三島高校」(学校法人・三島学園)で、28人の生徒(福祉科3年生)が「ホームレス問題を考える」学習に取り組んだ。さきごろまとめられた成果発表によれば、
 はじめに、同校生徒108人にアンケート調査をしたところ、「ホームレスに対して差別・偏見があるか?」の問いに、「ない」と答えた生徒は5%。ホームレスを見る目はキビシかった。
 約3か月、週4時間の授業の中で、行政やボランティアの取り組みを調べ、路上生活者のドキュメンタリー映画を観賞し、実際にボランティア活動に参加した生徒たちは、どのような感想を残しているだろうか。
 「…実際に路上生活を体験したことのないものに『理解』などできるわけがない。(中略)現実には保護もされずに、のたれ死ぬ人も少なくないと思う。中途半端な同情など何の役にも立たない」と否定的な感想がある一方で、
 「だからといって、何もしなければ状況は良くならない。初めから偏見の目で見て拒否していたら何も変わらない」
 「個人の力ではどうにもならない事情でホームレス生活になってしまったケースが多いことがわかった。なぜホームレスが増えているのか、日本の社会についても考えていきたい」
 「少しでも力になりたい!」
 そのためには、
 「まず関心を持つことが大切だと思う。自分たち一人ひとりの力はとても小さいが、お互いに心を開くところから通い合うものが生まれ、(みんなが)『共生』する社会に近づくのだと思う」とまとめている。       (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
42
厳しい意見も必要
   「よっ、ひさしぶり!」
 台風一過の戸山公園(東京・新宿区)。大きなケヤキの木の下のベンチに、松ちゃん(50代)が座っていた。
 半年前に会ったときは「不景気ですねぇ…。公園で暮らしてると、心も体も痛みますよ」としょぼくれていた松ちゃんが、今回はズボンのポケットから数枚の千円札を無造作にのぞかせている。
 ―景気、良さそうだね。
 「稼ぎ(泊り込みの建設現場)から帰ってきたばかりなんだ。東京のド真中にマンションを造ってきたよ。オレたちが造った一戸何億円のマンションが、飛ぶように売れるんだってサ! ははは! 金は、あるところには、あるんだねぇ」
 ひと仕事終えて、ポケットマネーもできて、満足そうな松ちゃん。ポケットの金を使い果たすまで、強気は続きそうだ。
    
―◇―   ―◇―
 Mさん(60代)は、最近、中高・大学・専門学校生たちの福祉系授業や交流会などに招かれ、路上の体験を語っている。
 早くに両親を亡くした。親類をたらいまわしにされた。漁師、理髪業、土木関係の仕事を転々とした。60歳の坂を越したら仕事がなくなった。いま、昔の経験をいかし、ボランティアで、困っている人たちの髪を刈ってやっている、などなど…。
 授業をとおして話をすると、「ホームレスって『怖い人』かと思っていたが、実際は『ふつうの人』だった」と大半の子供たちが言う。
 しかし、中には、「弱者はどこまでいっても弱者で、強者には絶対になれない」というキビシイ意見も。
 「キツい意見でも、思い切ってぶつけてくれていい。自分自身は、交流をしながら、やっと弱者から抜けられたような感じがしている」MBR>  ほかにも、「あなたたちは、ナマケているんじゃありませんか?」「仕事選びに甘えがあるのではないか?」という質問も出る。
 「路上で辛いのは、『お腹が空いた』『寒い』。でも、仕事が出来ないのが一番辛い。路上生活者も仕事探しをしている。ハローワークに行く。でも、『住所がない』ということで追い返される。ほかでもいろいろ探すが、『保証人がいないからダメ』と言われる。さらに、年を取るごとに相手にされなくなる。もし、そんな立場になったら、アナタ、どうします?」
 関心を持っているからこそ、意見や質問が生まれる。それが本当の交流。キツい質問をした子ほど会いに来てくれることがある。
 だから、
 「これからも時間が許せばいろいろなところに行って話をしてみたい」
 そして、自分をどんなふうに思ってもらいたいか?
 「『ふつうのおっちゃん』。差別されて喜ぶ人は、どこにもいない。いまのところ、その思いは通じている」 (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
43
世話を焼く人と
受ける立場の均衡
船橋市のSさん(60代)は数年前、自宅近くの公園に住む同世代の「タケちゃん」が大ケガをして入院したことを、電話で彼の弟に知らせた。すると、
 「これまで兄にはさんざん迷惑をかけられた。兄にこう伝えてください。『間違っても、実家には戻って来るな』と」
 ぶっきらぼうな返事だった。だが、しばらくして、タケちゃんの弟から大きな段ボール箱が届いた。中には古着がぎっしり詰まっていた。
 「『兄のことは、もう構わないでください』と電話では言っていたけれど、やっぱり血の繋がった兄弟なんだなあと思いましたよ」
 タケちゃんは、送られて来た古着を一枚一枚手に取って、着ては脱ぎ、着ては脱ぎ…。
 「その様子は、まるで遠足の日の前の子供のようでした。よほどうれしかったんでしょうね」
 Sさんとタケちゃんの「付き合い」は、「もうかれこれ4年以上になるかなあ」
 Sさんは、自分のことを「おせっかいおじさん」と言う。路上の人が困っていると、見て見ぬふりができない。つい、世話を焼いてしまう。
 はじめのうちは、タケちゃんの「身の上話」のどこまでが本当で、どこまでがうそっぱちか分からなくなることもあった。でも、とりあえず、信じるしかなかった。
 たけちゃんが、ほかの人にSさんの悪口を言っているのにも気づいたが、
 「悪気があってやっているわけではない。手をさしのべてくれる人それぞれに、調子のいいことを言う、調子に乗って悪口も言う、それが彼の生きる知恵なんでしょう。急場を生き抜くことにかけては、彼はわれわれより一枚も二枚も上手ですからね」
 だから、
 「しようがないなあ」
 付き合いが深まるにつれ、一緒に弁当を食べながら、こうすればああすれば生活が楽になるよと、いろいろアドバイスもした。でも、彼が安定より自由のほうがいいと思っているうちは、いかんともしがたい。
 「もう付き合いを止めようかと思うこともあったが、そのたびにオセッカイの虫が騒いで、まためんどうをみる羽目に」
 数え切れない「すったもんだ」の末に、いま、たけちゃんは生活保護を受け、居宅生活を送っている。
 「新居」のアパートの隣には、彼のめんどうをよくみてくれる「世話焼きおばさん」が住んでいる。
 「おせっかいおじさん」と「世話焼きおばさん」に見込まれて、タケちゃんは、ようやく落ち着いた、かのように見える。実家との関係も、いくぶん緩和されたようだ。
 「これが、彼の写真。なかなかの男前でしょ」
 写真の中で、中肉中背・白髪まじりのタケちゃんが、正座して神妙な顔つきでこっちを見ていた。
   
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検証・まち  
<路上生活>
44
自分で考えて決める人生
「ラジオで、ニイガタの大地震のニュースを聴いたョ。タイヘンだったらしいね。避難している人たちは、足伸ばして寝られないと、『エコノミー(エコノミークラス症候群)…』とやらになるんだってね。オレなんか、こうやって4年くらい、テントの中で丸まって寝てるけど、ヘイキだよ」
 市川市南部の公園に住むおっちゃん(55)は、20代前半で北海道から上京、土木関係の仕事を転々とした。
 「いゃあ、建設ラッシュのころは、儲かった、儲かった!」
 どこの現場でも、気が付くと
 「頭になっていた」
 ひと仕事終えて手渡される給料袋は、
 「机の上で縦にポンと立つほどぶ厚かった」
 それをポケットにねじこんで、
 「仲間と一緒にタクシーに乗って、銀座や新宿に繰り込んで、豪遊!」
 不景気風が吹いて、だんだん仕事が減り、「豪遊」できなくなっても、
 「酒だけはゼッタイに欠かさなかった」
 本格的に仕事がなくなり、親戚がいる市川に。しかし、親戚は、
 「行方不明になっていた」
 緊急避難的に市内で路上生活を始めた。最初は八幡、次に行徳。
 テントで丸まって寝るようになっても、
 「やっぱり酒は欠かせない」
 支援団体の自立施設に入ったこともあるが、
 「(酒を)ガマンできたのは、1か月間くらい。ホゴ(生活保護)の金が、ちょぴっとしか手元に残らないのも気に食わねえ。キレて、『こんなの、やってられっかよー』と、部屋で仲間と1升瓶抱えて酒盛りをしているところを見つかって、即、『クビ』(退去)だ」
 ―好きなことは?
 「酒を飲むこと」
 ―キライなことは?
 「人に指図されること」
 どんな暮らしになっても、自分流の生き方。
 ―何でも「オレが決める」?
 「うん」
 公園の近くに住む人が時々、仕事のグチをこぼしに来る。
 「いろいろ聞くと、勤め人も大変だ。でもさ、ケッキョク最後は、自分で考え、自分で決めなくちゃいけねえ」
 『都市雑業』で支える路上の暮らしは、
 「ハンパじゃできないよ。弱っちいのには、ムリだ」
 ―食べ物は?
 「食い物? ンー、何とか食ってる」
 ―衣類は?
 「困ってない」
 ―市川の住み心地は?
 「このへんは、都内よりナワバリ意識が薄いから、住みやすいね」
 ―強いて、望みを言えば?
 「カノジョ紹介してよ」
 ―カノジョができたら?
 「この生活に見切りをつけて、カノジョと所帯を持って、フツーの生活、してみてえなあ」
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検証・まち  
<路上生活>
45
ぜいたくな世の中
市川市南部の公園の片隅で、カセットレコーダーのフタを開け閉めしていたタカちゃん(60代)が、歓声をあげた。
 「おっ、こりゃまだ使えるゾ!」
 電池を入れ替え、うまく作動していることを確かめる。布で磨いて、プラスチックの整理箱に収め、満面の笑み。
 小型電気製品の回収・修理がお得意のタカちゃん。「燃えないゴミの日」に街を巡回すると、「まだ使えそうなもの」がいっぱい落ちているという。
 「このごろは、皆さん、『壊れたから捨てる』んじゃなくて、『新製品を買って、古いのがいらなくなったから捨てる』んですね。電池を入れ替えただけで動くものが多い。ゼイタクな世の中になりましたね」
 ときどき公園の隅を、
 「点検・修理の作業場に使わせてもらってます。ここに住んでるワケじゃない。ネグラは、公共施設の軒先」
 オシャレなヘッドホンでラジオを聞きながら作業するタカちゃん。
 「ラジオは、ニュースと天気予報がとても役に立ちます」
 ウエストポーチに大事にしまった電気シェーバーで、
 「ヒゲ剃って(そ)、身だしなみ。ヘッドホンもラジオもシェーバーも、拾ってきたものを自分用に使ってます」
 タカちゃんは、アカギレができた太い指先で、次の「まだ使えそうなもの」の点検を始めた。
 ―次の作業日は、いつ?
 「ふっふっふっ、ナイショ、ナイショ…、今日、偶然お会いできたのは、ラッキーでしたよ。また、街のどこかで会いましょう!」
   
―◇―   ―◇―
 ところ変わって、隅田川左岸=写真=放出家電の山。テレビは「業者が東南アジアに持っていけば引く手あまた」とのこと

ここにも、路上生活者が『都市雑業』で集めてきた電気製品の山がある。テレビ、全自動洗濯機、冷蔵庫、オーディオコンポ…。大・中型家電の脇には、古いカセットレコーダーがたくさん入った箱。

 近くで酒盛りをしているオヤジさんに、カセットレコーダーの値を聞いてみた。
 「気に入ったのがあったら、1個700円で、持ってきな。デジタルレコーダーが流行って(はや)、こいつらは皆、お払い箱ナンダヨー」
 ―動くの? 
 「もちろん!」
 オヤジさんが、その中のひとつに電池とカセットテープを入れると、大音響で演歌が流れた。

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検証・まち  
<路上生活>
46
行政の支援はお断り
東京都は、平成12年度から23区とホームレスの自立支援事業を開始し、同13年度には全国に先駆け「自立支援システム」を構築。同16年から、従来のシステムでは対応が困難なホームレスに対する新たな取り組みとして、「ホームレス地域生活移行支援事業」を実施している。これまでに、同事業で都立戸山公園・新宿中央公園に住む約200人が借り上げ住宅に入居の見通しとなった。最近は、墨田区で、同事業の現地説明会が行われている。
   
―◇―   ―◇―
 さきごろ、都内でテント暮らしをしているYさん夫婦(共に50代)のもとに、「借り上げ住宅(家賃3000円程度)に住みませんか?」という話が舞い込んだ。
 健康診断の受診、住宅の家賃が払えるように仕事(公共施設の清掃などの軽作業など)もあっ旋してくれるというのだが、
 「お断りしました」
 「お断り」の理由のひとつは、
 「親類にぜったい居場所を知られたくない。行政の世話を受けると、きっと居場所がバレてしまうだろう」
 もうひとつは、「仲間と別れたくない」
 北海道から上京して、仕事が見つからず、途方に暮れて死ぬことも考えた二人を助けてくれたのは、テント暮らしの人たちだった。
 「貧しくてもみんなで助け合う今の暮らしから離れ難い」
 支援事業にあらがうように、二人のテントは少しずつ大きくなっていく。そして、以前にも増して、テントに出入りする仲間のメンドウをあれこれみている。いつか強制的にここを追い出されるときが来るかもしれないが、
 「その日が来るまで、気心が知れた仲間と暮らしていたい。私たちはまだダイジョウブ。どうか、私たちより高齢の、体の弱っている仲間を先に支援してあげてください」
 夕暮れ。Yさん夫婦の近くに住むSさん(59)のテントから、おいしそうな臭いが漂う。
 「中学・高校生時代は、市川に住んでいた。あのころはとても幸せだった」というSさん。「調理師学校を卒業して都内で20年以上居酒屋を経営していた」腕をいかして、今夜の献立は肉じゃがとヒラメの煮付け。臭いに誘われてやって来た路上仲間・Nさん(57)の手には焼酎。
 「こうやって、飲み食いしながら、わたしたち二人はいつもケンカするんです」と笑うSさん。
 『何言ってやがる、アンタみたいに腕のいい料理人は、早く就職先見つけて、ここから出ていきな!』とケンカを売るNさん。
 「アンタも、飲み過ぎて、体を壊しちゃいけないよ。体壊したら、何もかもオジャンだからね」
 『オレにとって、保護(生活保護)とか支援とかいうヤツは、縛りなんだよぅ。アア、昔のように、トビ(鳶職)やりてぇなあ』
 支援を「縛り」と取るか、「自立への足がかり」と取るか、路上の酒宴はカンカンガクガクの議論。
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検証・まち  
<路上生活>
47
不安は残るものの…<1>
東京都と23区が平成16年度に約6億円(都市公園管理費用を含む)の予算で取り組んでいる「ホームレス地域生活移行支援事業」。
 「仲間と別れたくない」「縛られるのはイヤ」など、同事業参加を「お断り」する人たちがいる一方で、「もう一度、(人生を)スタートできると期待」して、借り上げ住宅に入居する人たち(12月までに約200人が居宅の見通し)もいる。さきごろ墨田区で行われた同事業説明会(参加者119人)の配布資料から、「借り上げ住居入居者の声」を紹介しよう。晴れて居宅となった人たちの、入居までのいきさつやこれからの不安が、歯に衣着せぬ物言いでつづられている。
 まず、杉並区のアパートに入ったAさん(43)。
 「産業廃棄物の運搬業を『一人親方』でやってたんだけど、行き詰まって、野宿して、戸山(公園)でこの事業に申し込んで、まず新大久保寮に2週間入った。初めての団体生活だったけど、快適だった」
 面接・相談(第1ステップ)の後、ニガ手な2週間の団体生活(第2ステップ)を上手く乗り切れた「勝因」は、「(寮の)10人の仲間が、余計なことを言わなかったからだと思う」
晴れてアパートが決まったとき、
 「『もう一回、スタートできる』と期待した。不安もあったけど、『どうにかなる』とその不安を吹っ切るようにした」
 アパートは駅から歩いて15分。
 「しいて言えばエアコンが欲しかったけど、ぜいたくは言えないよね」
 住居が定まり、次は職探し。
 「ハローワークに面接に行ったりして、求職活動をやった。本命は厨房の浄化槽の掃除の仕事だけど、たぶんダメだった。だって、面接のとき、『独身なんですね?』と何度も聞かれ、『独身と仕事と関係あるんですか?』って言っちゃったから」
 つい、口がすべって、余計なことを言ってしまった…。結局、
 「求人誌を見て、ガソリンスタンドで灯油の配送の仕事に就職できた」
 「勝因」は、高校時代に取得していた危険物取り扱いの資格。
 「時給は1200円で、それに、出来高の歩合が加わって、自分じゃ、常勤だと思っている。夜勤もあるけど、社会保険はついていないんだ」
 まだ多少の不安も残るが、とりあえず、いまの借り上げ住居には低家賃で2年間居られる。更新もアリ。
 「勝因」という表現が、何ともほほえましい。きっと、これまでの生活の中で、多くの「勝ち」「負け」を経験してきたのだろう。
 Aさんは、これから路上脱出を目指す人たちに、「余計なことをしゃべらない」「ぜいたくは言わない」「どうにかなるさと、不安を吹っ切れ」と、彼なりの「必勝マニュアル」を伝授している。           (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
48
不安は残るものの…<2>
さきごろ、都と23区の「ホームレス地域生活移行支援事業」で、借り上げ住居に入ったBさん(62)。
 現在暮らしている板橋区のアパートは、
 「駅から10分くらい。『寄せ場』に朝5時には行かなくちゃいけないから、本当は、もっと『寄せ場』に近いアパートが良かったんだけど、他にもそこを希望している人がいて、抽選になって、当たらなかった。でも、(実際に住んでみると)通うのもそう大変じゃないし、静かなところだし、これでいい」
 経歴は、
 「25歳のころからずっと鳶(トビ職)をやっていて、アパートにくらしてた。バブルのあと、仕事がどんどん減って、配管工もやってみたんだけど結局、家賃も払えなくなって、公園でテント生活を3年間やった」
 公園テント生活中、20万円貯めてアパートを借りようとしたこともあったが、
 「『60歳過ぎると保証人が2人必要だ』と言われ、居宅を諦めた」
 路上からアパートに入ることの大変さを知っているから、
 「地域生活移行支援は人助けでよい事業だと思う。これからもいろいろサポートしてもらいたい」
 65歳になるまでは、土木作業でがんばる。でも、
 「2年後、アパートを更新するときにどうなるか、心配だ」
 次は、新宿区のアパートに入ったCさん(62)。
 「アパート暮らしにはとても満足している。駅に出るのも近いし、コンビニも近くにある。静かだし、何も不満はない」
 若いころは、
 「工場労働者だった。そのあとアルバイトを転々としていたときに、公園で手配師に日払いの現金仕事があることを教えてもらった。アパート代も払えずに野宿していたので、材木とかを拾ってきて、テントを建てて暮らすようになった」
 この事業のことを聞いたとき、住宅あっ旋だけでなく、
 「何よりも『仕事がある』ことがうれしかった。職安の仕事は、この5〜6年、めっきり減っていたから」
 同事業があっ旋してくれる臨時就労は、
 「すごく楽だ。朝七時まで寝ていられる。(午後)4時半には仕事を終えて、5時にはアパートに帰って来れる。仕事の世話人もどの人もいい人だ。一緒に仕事する仲間も働き者だ」
 ただ、「同じ時間、同じ仕事内容なのに、場所によって賃金が違うところは問題だと思う。単価もちょっと安い」。
 これから先のことは、
 「何も考えていない。臨時就労が切れたあと、どうするか…。60歳を過ぎているから清掃の仕事しかないだろう。新聞(求人欄)を見ても年齢で全部ひっかかる」  BさんもCさんも、また路上に舞い戻ることがないように、安定した仕事を望んでいる。
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検証・まち  
<路上生活>
49
暖かく正月を祝う
「(前略)そもそも私がガンバの会と関係を持つようになったのは、ホームレス仲間からの『雑煮を食べに行こう』という誘いでした。その『雑煮』というのがガンバの会の新年会だったのです。その後、第1、3、5金曜日におにぎりやカイロ、衣類をもらえるというので、都営新宿線の本八幡駅に仲間と共に行くようになりました。何回か通っているうちに、居宅することが出来ました。今思うと、私は何とラッキーだったのでしょう! まだまだたくさんのホームレスが市川にはいます。微力ですがホームレスの人たちが一人でも多く自立できるように、これからもガンバの会で活動していきたいと思います。みなさま、本当にありがとうございました」(NPO市川ガンバの会ニュースレター第4号『声のコーナー』から、居宅者Yさんの声)
   
―◇―   ―◇―
 1月3日、毎年恒例の市川ガンバの会の新年会がJR本八幡駅近くの公園で催され、今年は約100人(ホームレス約40人、支援者約60人)が参加、みんなで新しい年を祝った。
=写真=新年会の生活相談コーナー(相談員が共に住居・借金問題などの解決の糸口を探る)
 今年の新企画は、受付で参加者にプレゼントされるこの日限りの通貨「G(ガンバ)」。ホームレスたちはおのおの20Gを手に、「飲食コーナー」や「衣類コーナー」をのぞく。
 飲食コーナーのメニューは、雑煮=3G、フランクフルトソーセージ=2G、ソフトドリンク=1G、酒=7Gなど。酒を最高額に設定して、飲み過ぎを未然に防いでいる。
 衣類コーナーは、毛布=2G、ジャンパー・ズボンなど=各1G、シャツ・下着・靴下など=4点で1G。中でもズボン下(ももひき)は大人気で、すぐに「売り切れ」となった。
 衣・食だけでなく、会場には「医療相談」「生活相談」コーナーが設けられ、医師に体の不調を訴えたり、相談員に住まいの情報を聞く人の姿も…。
 宴たけなわ、アトラクションの○×クイズでは、ホームレスに関する問題も出された。
 Q「千葉県内で、ホームレスが一番多いのは千葉市?」
 A「バツ。県内トップは、市川市で、ガンバの会調べで約250人」
 「へえーっ、そんなにたくさんいるのかい!」
 市外から、会のうわさを聞いてやって来たというオヤジさんは、驚きの表情を見せた。
      
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検証・まち  
<路上生活>
50
「自分も…」の視線で
 平成15年1月から2月にかけて、全国すべての市町村でホームレスの実態調査が行われた。当時、巡回による目視で確認された県内のホームレス数は668人。内訳は数の多い順に、市川市(168人)、千葉市(126人)、船橋市(82人)、松戸市(74人)、柏市(44人)、習志野市(42人)、木更津市(27人)、浦安市(22人)、市原市(17人)、八千代市(14人)、流山市(10人)。他の県内市町村はひとケタか、ゼロ。
   
―◇―   ―◇― 
     さまざまな事情で路上に出る→住民票を失う→公的サービスが受けられなくなる→わずかな都市雑業収入で生活を支える→自力で住宅を借りることができず、違法と知りつつ公園や河原などの公共空間に住みつく→その状態を見て、地域住民は「なまけもの」「自分たちとはまったく違う世界の人たち」というイメージを持つ。
 平成16年11月、千葉市美浜区で「菜の花コミュニティフォーラム」(県社会福祉協議会主催)が開かれ、県内で地域福祉を推進する関係者が、事業推進・新たな課題に取り組むための活動報告を行った。
 その中のひとつに挙げられたのが、市川市福祉事務所職員の「地域福祉としての『ホームレス自立支援』」。
 「近年、ホームレスが(衆目に)クローズアップされてきたのは、バブル崩壊以降の長引く不況の中でその存在が隠し切れなくなってきてきたから」と職員。
 「ホームレスにも、生活の公的下支えが必要」だが、路上における「生活保護の適用については、まだ多くの自治体が及び腰」と指摘する。
 では、生活の保障や家が整えば、社会復帰できるか。そうとも言い切れない。  「生きがいや、地域社会の構成員としての自覚を持たないまま無理やりアパートに押し込んでも解決にはならない」
 だから、行政サービスだけでなく、地域社会のインフォーマルなサービスも必要。そこで、地域住民に望むことは、
 「まず、ホームレスという存在を、『別世界の人たち』ではなく『自分も、失業したら、そうなってしまうかもしれない』という視点に立って見てほしい」
 同フォーラムのコーディネーターも、世界的にヒットしたアニメーション映画『千と千尋の神隠し』を例に挙げて説明。
 同映画の主人公『千尋』は、ふとしたはずみで親からはぐれ、『見えない街』に迷い込み、名前を剥奪(はくだつ)される。元の『見える街』に戻るためには、身を粉にして働き、本当の名前を取り戻さなければならない。
 だから「『見えない街』で少しでも自立に目を向けている人たちがいたらそこを援助し、『見えない街』を『見える街』にしていくのが、社会福祉の役目かなと思っている」と、福祉全般の取り組み方を示した。
 
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検証・まち  
<路上生活>
51
不器用な生き方<1>
「『路上の人』と話をしたことがある」という人たちに、そのキッカケを尋ねると、
・毎日の散歩コースでよく出会うので、自然にあいさつした。
・ボランティア活動(炊き出し・夜回りなど)に参加した。
・体の具合が悪そうなので、見るに見かねて声をかけた。
・いつも公園の清掃をしてくれているのを見て、食べ物などの差し入れをした、などが挙げられる。
 記者自身は、支援団体職員から「まずはあいさつから始めましょう」とアドバイスを受け、ブルーテントから顔を出した犬やネコを仲介にしたり、道順を聞いたりの声かけスタートだった。
 やっと初対面でも気軽に話ができるようになったころ、一人のホームレスが笑いながら言った。
 「そっちから話しかけてくれたら答えるけど、こっちのほうから話しかけることはないよ。だって、こっちから話しかけると、『何かよからぬことを考えているんじゃないか』って疑われかねないからねぇ」
 「そっち」と「こっち」の壁がなくなると皆、とたんにおしゃべりになる。故郷のこと、羽振りの良かったころの豪遊談、路上に出たいきさつ、体の不調、仲間のうわさ話など、話し出したらもう止まらない。
「いま、何か、力になれることはある?」
 と尋ねると、年金や生活保護、行政や支援団体の動きなどを聞かれる。そして、別れ際、
 「また、遊びにおいで。アンタが路頭に迷ったときは、いつでもテントの作り方、教えてやるよ。何も無いけど、ハイ、おみやげ」と、手作り品や都市雑業で集めた品を差し出されると、反対に励まされているような感じがした。
 これまで都内・市川市近郊で会って話した数10人の路上の人たちから、「ナマケモノ」というイメージは浮かんでこない。不器用に「オレ流」を貫いている人たち―。そんな印象を持った。
  
―◇―   ―◇―
     JR船橋駅の北口と南口に、「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する雑誌」=「ビッグイシュー日本版」を街頭販売している人たちがいる。
 「昨年3月から始めた」というYさん(59)は南口、「Yさんよりひと月遅れて4月から始めた」というKさん(34)は北口。
 二人は、南海神1丁目にある船橋中央教会(外山睦雄牧師)で身なりを清潔に整え、それぞれの持ち場で販売活動に励んでいる。
 1冊90円で仕入れ、200円で販売、差額の110円が手元に残るという仕事は、同教会に通うAさん(53)が昨年2月、都内で情報を仕入れ、「(教会の)先生」に相談した。
 同教会の李先生は、「(雑誌の)売り上げは、食べ物、就職面接に行くための電車賃や証明書の写真代にもなる。社会復帰準備のため、皆さんに何度も、『やってみないか?』と勧めました」と当時の様子を語る。 (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
52
不器用な生き方<2>
はじめて「ビッグイシュー日本版」(1冊200円)を街頭販売員から購入したのは昨年1月、JR新宿駅西口付近の歩道。
 ―売れますか?
 「…ぼちぼちです…」
と、小声で言葉少な。まだ「販売」の仕事を始めて日が浅い―という。新宿中央公園までの道順を聞くと、身振り手振りを交え、近道を教えてくれた。
 販売員の持ち場から少し離れたところに、都市雑業で集めた雑誌を地面に並べ格安で売っている人たちがいた。こちらは、「商品」をのぞく客と冗談を飛ばす余裕がある。
 日が暮れて、帰り道、都市雑業のほうは既に「店じまい」していたが、販売員はまだ街頭に立ち、通行人に控えめな「呼びかけ」を続けていた。
 「…いかがですか…」
   
―◇―   ―◇―
     船橋市内で路上生活をしているKさん(34)は、昨年4月からJR船橋駅北口で「ビッグイシュー日本版」を販売している。
=写真=JR船橋駅北口で雑誌を掲げ、街頭販売に励むKさん。控えめで礼儀正しい  ホームレスの仕事をつくり自立を応援する―という同誌のうわさは「ラジオで聞いて知っていた」。
だから、Kさんが通う「船橋中央教会」で、「やってみないか?」と勧められて、「タイムリーだった」。教会に通う仲間数人で始めた。
 「最初は、呼びかけをしても、『ホームレス』という文字を見ると、通行人は目の前を素通りアタリマエ」。
 でも、中途半端に辞めたくない。場所や呼びかけを工夫した。
 3週間経ったころ、初めて1冊売れた。最初のお客の中年男性から200円を渡されたとき、
 「これが、働いた『お金』なんだ」と思った。それから、徐々にお客がつきはじめた。
 お客の中には、一回だけの人もいるし、「常連さん」もいる。「がんばってね」と励ましてくれる人もいれば、『身なりはこうしたほうがいい』などとアドバイスをしてくれる人もいる。
 「あいさつは欠かさない。お客がいて成り立つ仕事だから、注意されたところは、肝に銘じて直す」
 1年近く経ったいま、販売員のIDカードを首に下げ、
 「自分としては、『正社員』っぽくなったかなぁ、と思う。ここで、世間にもまれて、世間を知って…」
 そんなKさんに、通りがかりの中年婦人がすっと近寄って来た。1冊お買い上げ。
 「ありがとうございます!」    (つづく)
            
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