市川よみうり連載企画

市川市自然観察グループ岡崎 清孝

 
冬の風物詩カワモズク近頃では、農産物などの天然食品もハウス栽培や輸入品が増え、季節感が無くなってしまった。冬が旬の天然食品の一つに海苔がある。市川は海苔の産地で、行徳沖の三番瀬では乾海苔にして年間約千五百万枚が生産されている。
 植物としてのノリは藻類に分類され、夏の間は糸状体と呼ばれる状態でカキやハマグリなどの貝ガラの中に潜っている。海にはノリをはじめワカメやコンブなど「海藻(かいそう)」と呼ばれる多くの馴染み深い藻類があるが、実は水路や小川にも淡水藻と呼ばれる藻類が生育している。
水路に生育するアオカワモズク

 カワモズクはそんな淡水藻の一つである。清冽な流れに生育し、千葉県内では下総台地の谷津の水路に生育している。環境省のレッドデータブックでは準絶滅危惧種、千葉県のレッドデータブックでも保護生物として位置づけられている。市川市内では大町自然観察園内の水路に生育し、絶滅することがないよう、自然博物館が最も気を使っている生物の一つである。水の汚れに非常に弱く、自然観察園北端の池からコイを移動したのもカワモズクの生育環境を守るためである。
拡大したアオカワモズクの枝先

 千葉県内には五種類のカワモズクが生育するとされ、市川に生育しているのはこのうちのアオカワモズクと思われるが、正確な分類は顕微鏡的な精度を必要とし、専門家でないと困難である。水路内の小石や水草の枯茎に直径五〜十センチの塊で着生し、ユラユラと流れに揺れている様はあまり目立たないが、ルーペなどで拡大してみると一本一本が数珠状になっているのが分かる。さらに顕微鏡で見ると、極めて細い糸状の軸に、非常に細かい枝がポンポンのような房状になって連なっているのが分かる。市川では十一月から四月初め頃まで見られる。ノリと同様に夏は糸状体になるが、こちらは直径五_位の黒い塊になっている。粘質に富み、食用にする海藻のモズクに似ているのでこの名がある。食べる人もいるようだがポンポンの中には線虫類や小さな甲殻類がたくさん生息しているので、生食はやめた方が無難。
 先日、大野町の駒形神社近くの水路でカワモズクを見つけた。自然観察園以外では初めての発見だったので感激した。
(2006年3月10日)  
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春を告げるコブシの花今シーズンの冬は例年になく寒い冬であったが、二月・三月は昨年よりも暖かい日が多かった。
 二月十五日過ぎになると、早くも路傍に早春の花が咲き始める。路傍や草地で最も普通に見られるのはオオイヌノフグリであろう。一般には単にイヌノフグリと呼ばれることも多いが、西アジアから中近東原産の外来植物である。イヌノフグリの方は日本在来種であるが、現在ではすっかり数が減少してしまい、市川市内ではもうほとんど見ることはできない。
コブシの花

 三月に入ると、田の畦や湿地にアブラナ科のタネツケバナが白い花を咲かせ、種籾(たねもみ)を水に浸ける時季がきたことを教えてくれる。
 樹木の花では花粉症の元凶として嫌われるスギや、湿地に生えるハンノキが早春から花を咲かせるが、いずれも風媒花のため目立つ花ではない。
 そんな中で、サクラに先駆けて白い大きな花を咲かせるのがコブシだ。コブシは、やや湿った陽当たりのよいところに生育する。北海道から九州まで全国に分布するが、どちらかというと寒い地方の樹木である。千葉県では北部の下総台地には多いが、南部の房総丘陵では少ない。図鑑には樹高一八メートル、胸高直径六〇センチに達すると書かれているが、市川市内にはこれを大きくしのぐ大木がある。真間山弘法寺隣の真間山幼稚園にあるコブシがそれで、樹高二〇メートル、胸高直径は約八〇センチもある。さすがにこれだけの大きさになると毎年多くの花を咲かせるのは大変なので、ほぼ一年おきに花の多い年と少ない年が交互にめぐってくる。今年は残念ながら花の少ない年にあたり、花芽は非常に少ない。
 コブシは春を告げる花として有名であるが、特に東北地方ではタウチザクラ、タウエザクラ、タネマキザクラ、ナワシロザクラなど農事暦に関係した地方名が多い。コブシの開花を合図に田植えというのは少し早いのではないかと思うかもしれないが、東北地方での開花は四月下旬から五月初めなので、市川と同じ感覚では語れない。もっとも、市川でもコブシが満開になる頃には田起こしの作業が始まる。
 コブシの花芽は密毛のある鱗片で保護されており、この鱗片がはがれ落ちると同時に花が開く。このため、コブシの花はある日突然満開を迎えたように感じられる。幹や枝を傷つけたり葉を揉んだりすると芳香があり、かつてはキャラ油と呼ばれる香油をとった。
 今年は真間山のコブシに限らず全体に花芽が少ないようだ。
(2006年3月23日)  
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堀之内貝塚の森今年の東京のソメイヨシノの開花日は三月二十一日であった。市川でも市街地では同日にチラホラ咲き始めたので、この日が開花日だったと判断してよいであろう。
 最近は早咲きのカワヅザクラが方々に植えられており、三月早々から花が見られるが、古くから馴染みのある品種としてはヒガンザクラの仲間が最も早い。真間の弘法寺にある伏姫桜はエドヒガンの大木で、例年だとソメイヨシノの開花に先駆けて、三月二十二、三日頃に満開になるが、今年は伏姫桜の開花が遅かった上にソメイヨシノの開花が早かったので、周囲のソメイヨシノと競艶になった。
アマナの花

 さて、年度変わりの慌ただしさの中で、桜の季節がたちどころに過ぎ去ると、四月中旬からは爽やかな新緑の季節を迎える。四季の変化が特徴の日本の自然の中にあっても、最も希望を感じさせる季節である。
 この時季の自然の変化を楽しむのに適した場所として、北国分にある堀之内貝塚の森がある。
 堀之内貝塚は、約三千八百〜二千五百年前の縄文後期から晩期にかけて形成された日本を代表する貝塚で、明治三十七年に千葉県で二番目に発掘調査が行われた。貝塚というとどうも古代人のゴミ捨て場のように言われるが、実際には、採集した貝類を茹でて干し貝に加工したり、トチノキの実やドングリを晒してデンプンをとるなどの作業をしていた「食品工場跡」と考えた方が適切で、住居址や人骨も出土している。この辺りの話は隣接する市立考古博物館の展示に詳しい。
 貝塚は国の史跡に指定されており、原状の変更が厳しく制限されているため、今ではクヌギやコナラ、イヌシデなどを主体とする非常に状態のよい雑木林になっている。早春、まだ冬枯れの林床にはシロバナタンポポが咲き、林内に点在するコブシが咲く頃の林床には今ではすっかり少なくなってしまったアマナの花が見られる。次いでカントウタンポポやエゾタンポポ、数種のラン類が咲き、数十色と言われる新緑に林が彩られる頃にはイヌザクラの大木が独特の花を咲かせる。
 今、堀之内貝塚の森と小塚山に挟まれた道めき谷津には、外環道路工事の関係で小塚山の樹木が工事が終わるまでの間、一時仮植されている。谷津の低地に忽然と現れた大木の林は異様な景色だが、以前の道路工事であれば待った無しに伐られていたことを考えると、この努力は大いに評価したいものだ。仮植された樹木も芽吹き始めた。
(2006年4月7日)
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新緑の季節新緑の美しい季節になった。落葉樹の新葉は樹種によって、葉緑素やカロチンなどの色素の比率や糖分の含有量といった化学的な理由に加え、葉面の毛の有無や密度、葉脈の凹凸といった物理的な理由まで様々な理由によって実に多くの色の変化が見られる。日本人はこの新緑の変化を四十数色に区分してそれぞれ名前をあたえ、文学に詠んだり、布を染色したり、色重ねのモデルにしたりして親しんできた。
 さて、昨年はイヌシデやケヤキの種子が近年稀に見る大豊作であった。この大豊作を受けて、この時季の雑木林に入るとおびただしい数のイヌシデの芽生えに出合うことができる。
おびただしい数のイヌシデの芽生え

 柏井町の市民キャンプ場の森は、コナラ、クヌギ、イヌシデ、エゴノキなどを主体とする比較的若い雑木林であるが、今その林に入ると、踏みつけずに歩くのが不可能なくらいの密度でイヌシデの芽生えが生育している。一平方メートル当たりの数を数えてみれば、おそらく千本近くになるのではないかと思われるほどだ。
 林床を埋めつくすほどの量の芽生えではあるが、翌年まで残れるものは極めて稀である。これから初夏にかけて林床に草が生育してくると、草の下の地際付近は高温多湿になり、多くの場合、芽生えは「蒸れ枯れ」と言われる現象により枯死してしまう。
 一方渡り鳥では、大柏川にはまだ百羽前後のコガモが残っており、蓴菜池にはヒドリガモ、海上ではスズガモが小群で残っている。今冬は極端に数が少なく、野鳥愛好家の間で話題になっていたツグミは、市内では三月に入ってから急激に数が増え、大町では四月に入っても普通に見られる。 また、冬の間大柏川を群舞していたユリカモメは四月七日頃までは散見されたが、今ではすっかり姿を消し、代わってツバメが群舞するようになった。ところが最近、このツバメの群の中にかなりの数のイワツバメが混じっているのが観察できるようになった。イワツバメは背面の腰の部分が白く、ツバメのように尾羽の両脇が長くのびていないためズングリした感じがする。しかし、川面を飛ぶスピードはツバメよりも速いくらいで、しかも滅多にとまらないので非常に写真を撮りにくい鳥である。市川では以前、原木の航空貨物会社の倉庫で営巣した記録があるが、大柏川近辺での営巣地はまだ確認されていない。ツバメのような完全なお椀(わん)型ではなく、お椀の両側が天井まで達するような巣を作る。
(2006年4月21日)
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春植物と春の旅鳥この季節は自然界の移り変わりが激しい。週末ごとの観察だと花の時期を逃したり、状況が一変してしまうこともある。今年のゴールデンウィークはまさに大型連休だったので、このような身近な自然の変化をじっくりと観察することができた。
スミレの花

  一週間のうちに花の最盛期を逃してしまうことが多かったキンランやギンランの花も、今年は少し花の時期が遅かったこともあって、じっくりと堪能することができた。一時期の山野草ブームの頃には盗掘によりすっかり数を減らしてしまったが、最近は徐々に数を増やしつつある。残念ながら小塚山などではまだ盗掘や土を持ち去るケースが見られるので、多くの人々に場所を紹介するには、もう少し市民マナーの向上を待つ必要がありそうだ。
 そんな春植物の代表にスミレの仲間がある。市川市の北東部にある市営霊園は、以前にもサクラの名所として紹介したことがある。自然地形の起伏を利用しているので、園内には土手がたくさんあり、そこに数種類のスミレが生育している。スミレはサクラ同様多くの種類が分類されており、専門の図鑑には二百種近くが掲載されている。市川で見られるスミレの仲間については、市川の植物をずっと調べてこられた大野景徳先生が「市川市自然環境実態調査報告書」に絶滅二種を含めて一四種を記載されている。筆者は霊園の土手で今年は四種の花を見た。市川で最も一般的なスミレは葉が丸く、茎が地上で枝分かれするタチツボスミレで、いたる所で見ることができる。一方、葉が細長く、地上部には茎がない、本来の「スミレ」は生育場所が非常に限られる。霊園には大きな群落があり、土手一面見事に花を咲かせている。
大柏川のクサシギ

 さて、その霊園南側の柏井町に、鎌ヶ谷市から流れてくる大柏川の水を浄化する施設が建設された。その護岸下部に延長百メートル強の泥干潟状の部分ができた。この部分が旅鳥のシギたちの格好の餌場になっている。五日にはクサシギ五羽、キアシシギ二羽、タシギ、イソシギ、ハクセキレイ、セグロセキレイが一羽ずつ、コチドリ三羽、コガモ三羽、ムクドリ数羽が採餌していた。クサシギは群れになることが少ないので、念のため行徳野鳥観察舎の佐藤達夫さんに写真を見てもらったところ、クサシギで間違いないでしょうということであった。多くのシギ類は日本でエネルギーを供給してさらに北方の繁殖地を目指し再び旅立っていく。
(2006年5月12日)  
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林の手入れ五月十三日、あいにくの雨の中、大町小学校に続く「わんぱくの森」で「里山フェスティバル」が開かれた。ちば里山センターが主催した行事で今年で三回目になるが、市川のような都市部の林を会場にしたのは初めてである。
 大町わんぱくの森は所有者の好意で大町小学校の学校林として子供たちに開放されている林で、所有者や学校の先生方の努力で比較的きれいに手入れされている林だ。それでも大分伸びてきた下草を百名ほどの参加者で刈り取ったり、雨の中で自然観察をしたりして楽しんだ。
ほどよく管理された蓴菜池緑地の林

 ただ少し気になったのは、作業を始めるに際して、道具の使い方や手順の説明はあったものの、作業の目的やどのような林の姿を目指すかが示されなかったことだ。
 一方、蓴菜池緑地から小塚山フィールドアスレチックに向かってのびる林がきれいに手入れされて、とても気持ちのいい林になった。
 この林の手入れを行うにあたっては、近隣の住民、林を管理する市の公園緑地課、自然環境課、それに造園業者を交えてどのような林の姿にしたらよいかを、話し合いと部分的な試験施工を行いながら決めた。基本的には、視界の妨げとなっているシュロやアオキ、ヤツデを取り除くこと、シラカシやシロダモなどの常緑樹の低木が密生している場合には適宜間引くこと、アズマネザサは膝丈程度に刈り込むこと、樹木に巻きついているキヅタは除去することなどである。このような手入れを施した結果、林内の見通しが確保され、散策する人や住民の不安感が解消するとともに、林に奥行き感が生まれた。
 さらに、明るくなった林床にはキンランも見られるようになった。今後は取り除く樹木をきめ細かく決めながら、もう少し林を明るくしていく必要があるが、まずは成功と言ってよいであろう。
 昭和四十年代から五十年代の都市化の激しかった頃には、とにかく空間としての樹林地を残すことが精一杯で、林をどのように管理していったらよいかまで気を回す余裕がなかったのが事実である。その間に樹木は生長し、シュロやヤツデ、タケなどが入り込み、市川本来の里山の姿ではなくなってしまった。
 最近では所有者に代わって市民が林を管理する市民緑地制度などが広がっているが、実際の管理作業を始める前に市川本来の林の構成樹種を見極め、目標とする林の姿を明確にする必要があるであろう。
(2006年5月26日)
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蓴菜池のアカスジキンカメムシ 蓴菜池は昔、国分沼と呼ばれていたが、太平洋戦争中から戦後にかけては水田になっていた。その後、国分沼の復元を望む地元の人々の強い要望で昭和五十五年に公園として整備されたため、都市公園としては自然度が高い公園である。利用者が多いことでも特異な公園であるが、残念なことに、ほとんどはわき目もふらずにひたすら歩くウオーキングの人々で、蓴菜池の自然を楽しんでいるのは都内から訪れた人々が多いようである。蓴菜池は市内でも有数の生物相が豊かなところで、黙々と歩く人々のすぐ脇に多様な自然が息づいている。外周路脇の斜面林の木の葉の上をナナフシの幼生がゆったりと歩き、地表近くでは地蜂とも呼ばれる都市では少ないクロスズメバチが獲物のクモを探している。ウオーキングをする人々の頭上わずか一bほどのところでコゲラがサクラの枯れ枝をつついて巣穴を掘っているが、誰も見向きもしない。
アカスジキンカメムシの成虫

 この時季のそんな小さな自然のいとなみの一つにアカスジキンカメムシの羽化がある。カメムシと聞くと顔をしかめる人も多いと思うが、アカスジキンカメムシは美しい金属光沢をした大型のカメムシで、カメムシ独特の臭気もほとんど感じない。紙上では白黒写真しか載せられないが、本紙のインターネット版にはカラー写真が掲載されているので是非併せてご覧いただきたい。
 カメムシは分類上は半翅目というグループに属し、カブトムシのような鞘翅目の昆虫と違い飛ぶための前翅を覆う鞘のような後翅がなく、前翅がむき出しのものが多い。アカスジキンカメムシは前翅を保護するための小楯板が大きく発達して背全面を覆っているため、美しい外見と併せて一見するとコガネムシの仲間のように見える。しかし口元を見ると樹木の汁を吸うための管があり、蝉のような顔つきをしている。どちらかというと山地に多い種類だが、最近は樹木の多い都会の公園でも目にすることが多くなった。終齢幼虫で越冬し、六月から七月頃羽化して成虫になる。幼虫は背中に笑い顔のような模様があるためこちらも結構人気がある。
 蓴菜池では今年も「マルガモ」のお母さんが子育てをしている。昨年と同じ個体かどうかは分からないが、現在は四羽の雛を連れている。
 ウオーキングは肉体の健康には効果的かもしれないが、折角自然の中を歩くのだから、最後の一周はゆっくりと自然に目を向けると精神健康にもよいと思うのだが。
(2006年6月9日)
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江戸川放水路のカニ<1>前回の本欄で「蓴菜池で『マルガモ』が子育てをしている」と書いたらカルガモの誤植では?
 との指摘があった。誤植ではないので少し補足したい。都市部の公園の池などで暮らすカルガモは冬鳥として渡来するマガモや、マガモから人によって作り出されたアヒルとの間で自然交雑がおきることがある。このようなマガモとカルガモの交雑種を通称「マルガモ」と呼んでいる。多くの場合、カルガモの特徴であるクチバシ前縁の黄色がないなどの特徴がある。
ハサミを伸ばしてダンスするチゴガニ

 さて、春のシギ・チドリの渡りの時期も過ぎ、江戸川放水路の干潟は夏前の束の間の静かな時期を迎えている。あまり暑くもないこの季節は干潟の生きものを観察するには絶好の季節だ。特に放水路の干潟では多くの種類のカニを観察することができる。
 江戸川放水路は大正の終りに掘られた人工河川であるが、長い時間を経て極めて自然に近い、東京湾の入り江のような環境になっている。干潮時には両岸や河口部には広い干潟ができる。干潟の底質は、大雑把に分けると、放水路の縦方向では上流部の行徳橋に近い方が泥質で河口に近づくにつれ砂質になってくる。また、放水路の横断面方向では河川の中心寄りが泥質、堤防寄りが砂質になっている。この底質の違いを多くの種類のカニがうまく住み分けて生活している。
 最も水辺に近い泥質の部分には甲幅が四センチほどになる横長のヤマトオサガニが斜めに巣穴を掘って住んでいる。巣穴の入り口や水の中から長い目だけを出している姿を見ることもできる。その少し岸寄りでは甲幅一センチほどのチゴガニが盛んに白いハサミを上下させるダンスをしている。このダンスの意味はまだよく分かっていないが、ハサミだけではなく、体全体を大きく上下させている。さらに岸寄りのヨシ原に近い砂質の部分では甲幅七ミリ程のコメツキガニがやはりハサミを上下させている。このカニは砂粒の表面についた有機質を食べ、残った砂粒を団子にしていく。巣穴を中心にカニの大きさに対応した大小の砂団子がきれいに並んでいる。その先のヨシ原付近には大きなハサミをもった甲幅四センチほどのアシハラガニが住んでいる。
 さらに、カキ礁や河口部の護岸の間で見られるケフサイソガニやイソガニ、水中にいて縦歩きをするマメコブシガニ、地中海地方原産のチチュウカイミドリガニ、河口部の砂質部水際にいるオサガニなど、丹念に探すと十種を超えるカニを観察することができる。
(2006年6月23日)
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江戸川放水路のカニ<2>江戸川放水路で多くの種類のカニが見られるということはどのような意味があるのだろうか。
 昭和三十年代後半に海面埋め立てが始まるまでの東京湾奥部は、流入する河川によって運ばれた土砂が堆石(たいせき)して遠浅(とおあさ)の環境が形成され、干潮時には広大な干潟ができていた。それは河口や陸からの距離などにより泥干潟や砂干潟に分かれ、カニの仲間をはじめ、それぞれの環境に適した多様な生きものが生息していた。
 ところが、現在の東京湾奥部は浅(せん)海域(かいいき)のほとんどが埋め立てられ干潟が消滅するとともに、流入する河川は利水や治水上の理由から河口堰(ぜき)や水門が設けられ、土砂の供給も無くなってしまった。環境が単調になると生息する生きものも単調になり、多様性が失われてしまう。現在の東京湾で、かつてのような多くの種類のカニが生息できる多様な干潟が見られるのは小櫃川(おびつがわ)河口部と江戸川放水路のみと言ってもよいのではないだろうか。
長い目をしたヤマトオサガニ

 さて、干潟で生活するカニたちは、これまでも何度か述べてきたように渡り鳥たちの格好の餌になる。このため、カニと鳥の間にはお互いの形態において独特の関係が生まれている。ヤマトオサガニやチゴガニのように干潮時に干潟で活動するカニは絶えず鳥を警戒しなければならないので、穴の中や水中から上空を警戒するのに都合がよいマッチ棒のような長い目を持っている。しかも、穴に入るときは折り畳(たた)めるようになっている。これに対して、ヨシ原の中にいるアシハラガニや、干潮時にはカキ礁(しょう)や石の陰に隠れていて満潮時に水中で活動するケフサイソガニなどは目が短い。 鳥の方では、干潟でカニを専門に捕(と)るシギのうち、大型のチュウシャクシギのクチバシは、斜めに穴を掘る大型のヤマトオサガニを捕まえるのに都合がよいように下向きに反っている。一方、小型のチゴガニやコメツキガニの穴はほぼ真っ直ぐで、一番底のカニがいる部分だけが少し曲がっている。これらのカニを捕る小型のシギのソリハシシギはクチバシが少しだけ上向きに反っている。 街中では嫌われるムクドリも、子育ての時期は懸命に干潟を走り回ってヒナの餌に適した大きさのコメツキガニを捕え、一度に三〜四匹もくわえて巣へ運んでいく。
 カニは干潟で膨大な量の有機物を食べる。そのカニを鳥が食べることで海から有機物が運び出される。江戸川放水路は生物多様性の観点からも、海の環境浄化の観点からも市川市が誇るべき自然環境である。
(2006年7月7日)  
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夏を彩る花々昨年に続いて今年もセミの鳴き始めが遅れているようだ。例年なら六月二十日過ぎにはニイニイゼミが鳴き始めるが、今年ニイニイゼミの鳴き声を聞いたのは七月七日の大町自然観察園が初めてであった。
 一方、朝夕にもの悲しい声で鳴くヒグラシは七月一日に大町自然観察園で、たどたどしいながらも第一声を聞いた。しかし、合唱と言えるほどまとまった鳴き方になったのは十六日になってからであった。また、アブラゼミは十一日に国分で聞いたという報告を受けたものの、十六日現在、八幡など市の中心部ではまだセミの声が聞かれない。関東地方では、はっきりしない天候が続いているせいであろうか。
ネムノキの花

 夏を彩る花の方は順調に咲き揃っている。ホタルブクロは最盛期を過ぎたが、ヤブカンゾウやノカンゾウ、ヤマユリが最盛期を迎えている。ヤマユリは七月八日頃から咲き始め、気のせいか少し香りが弱いような気がするものの、十六日現在では満開状態である。大町では十五日から恒例のヤマユリ鑑賞会が行われているが、この記事が掲載される二十二日が最終日である。最近はうれしいことに市内でもヤマユリが見られる場所が増えてきている。いずれも下刈りなどの努力が行われているところであり、鑑賞する場合には摘み取ったりすることのないよう、その場でそっと鑑賞するように心がけて欲しい。
 樹木で夏を告げる花と言えばネムノキである。毎年高校野球の地区予選が始まる頃からピンク色の花を咲かせる。正確にはピンクに見えるのは雄シベで、花びらは黄緑色の小さな筒状をしていて目立たない。夜になると閉じる葉と反対に花は夕暮れ時から咲き始め、翌日の昼頃には萎んでしまう。夜に開花するのはカラスウリ同様、蛾によって受粉しているからで、ネムノキの場合は長い口吻を持つスズメガの仲間が受粉に一役かっているらしい。葉は触ると閉じるオジギソウに似ているが、ネムノキは触覚による刺激ではなく、光の明暗の刺激で閉じるので、触っても変化はしない。田んぼと里山の境や水路脇など湿った環境に生育し、乾燥を嫌うが、市川で最も太いネムノキはなぜか国分三丁目の高台にある市の施設である松香園の入口にある。幹周り一・二メートル、高さ一二メートルのなかなか堂々とした木である。ネムノキはあまり大きくならないので、幹周り一メートルを超えるものは環境省の基準でも巨樹にカウントされる。英語ではシルクフラワーとかピンクパフという。
(2006年7月21日)
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ヤドカリの住宅難各地に記録的な大雨をもたらした今年の梅雨も、関東地方では七月三十日に平年のほぼ十日遅れでようやく明けた。利根川上流域で降った雨の影響で江戸川の水位が上昇したため、七月二十日正午過ぎから翌二十一日午前九時過ぎまで、二年ぶりに行徳可動堰(せき)が開放された。台風以外で可動堰が開放されるのは大変珍しいことである。
 堰を管理する国土交通省が開閉に工夫をしているものの、それでも下流に流されたハクレンなどの川魚がかなり死んだ。死骸はあらかた国交省が処理したが、カニなどの海の掃除屋も大活躍し、魚が骨だけになるのに三日とかからなかった。
放水路のヤドカリの家は老朽住宅が多い

 ヤドカリもそんな掃除屋の仲間だ。江戸川放水路に生息するヤドカリは内湾性のユビナガホンヤドカリで、外房など外洋に住むホンヤドカリに比べて脚先が細長く、脚全体が白と緑褐色の斑模様になるのが特徴である。右のハサミが左より大きく、左のハサミで餌を押さえて右のハサミでちぎって食べる。放水路では干潮時に橋脚や杭の根元などにたくさんかたまっているのが見られ、カニとともに最もポピュラーな生きものである。  ヤドカリはその名のとおり貝殻(がら)を住処(すみか)として利用しており、脱皮して大きくなると、少し大きめの貝殻に引っ越すことはよく知られている。放水路のユビナガホンヤドカリは、細長いウミニナやイボウミニナ、丸いタマキビやイボキサゴ、アラムシロなどの貝殻を利用している。ところが現在の東京湾奥部ではウミニナやイボウミニナ、カワアイ、イボキサゴなどかつてはたくさんいた巻貝がほぼ絶滅しており、生きた貝を見ることはできない。つまり、現在でもたくさん生息しているタマキビやアラムシロを除くと新しい貝殻の供給がないのである。このため、放水路をはじめ三番瀬に生息するユビナガホンヤドカリが背負(せお)っている貝は何十年も昔の貝が多く、総じてボロボロのものが多い。しかも、新しい貝殻が供給されるタマキビやアラムシロは貝が小さいので、ある大きさ以上のヤドカリはますます住宅難になってしまう。中には上流から流れてきたタニシの殻を背負っているものもいるが、淡水性の貝は殻が薄いので穴だらけの貝も少なくない。
 早くウミニナなどの巻貝が生息できる干潟の環境を復元しないと、現在はたくさん生息するユビナガホンヤドカリも住宅難から数を減らしてしまうかもしれない。海の掃除屋が減ることは大変なことである。
(2006年8月11日)
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市川のトンボ猛暑が続いているが、八月十三日には夏の終りを告げるツクツクボウシが鳴き始めた。ところが毎年お盆の頃になるとたくさん見られるようになるアカトンボの仲間が今年は非常に少ない。昨年はごく普通に見られたので繁殖数が少なかったとは思えず、羽化数が少なかったのか、まだ山から下りて来ないのか原因はよく分からない。長かった梅雨が影響しているのかもしれない。
チョウトンボ

 さて、幼虫であるヤゴの時期を水中で過ごし、成虫になってからは森や草原で過ごすトンボにとって、水田を中心に水辺と森が混在する日本の里山は絶好の生息地ということができる。日本に生息するトンボの種数は約二百種と言われている。市川にもかつては千六百fを超える水田が広がっており、これまでに記録された種数は六十三種に及ぶ。水田が激減してしまった現在でも約四十種を見ることができる。
 特徴的なトンボをいくつか紹介してみたい。大町自然観察園のように流れのある湧水の源流域には、日本最大のトンボであるオニヤンマが生息している。斜面林下の水路では大きなオニヤンマが産卵している姿を間近に見ることもできる。
観音を背負ったオオシオカラトンボ

 池や沼など流れのない止水域には、アカトンボの仲間やシオカラトンボ、コシアキトンボ、大型のギンヤンマなどが生息している。南大野のこざと公園は住宅地に囲まれた雨水調整池を兼ねた公園であるが、蝶のように広い紫色の翅をしたチョウトンボの優雅な姿や、尾の先が団扇のように広がったウチワヤンマが杭の先端などにとまって縄張りを監視しているのが観察できる。これらのトンボは北方調節池、蓴菜池、行徳近郊緑地でも見ることができる。
 北方調節池や蓴菜池の自然環境ゾーンのように水草が繁茂している環境にはアオモンイトトンボなど多くの種類のイトトンボが生息している。さらに行徳橋周辺のヨシ原には河口域に生息するヒヌマイトトンボが生息していて、市の天然記念物に指定されている。
 大町自然観察園でたくさん見られるオオシオカラトンボは翅の付け根の背中の部分が特徴的に盛り上がっていて、手を合わせた人形に見えることから「観音を背負ったトンボ」と呼ばれている。また、お盆の頃に山からたくさん下りてくるアキアカネは山から先祖の霊を乗せてくるとも言われている。外国ではドラゴンフライなどと呼ばれ悪魔と結びつけられるトンボだが、日本人にとっては特別の存在である。
(2006年8月25日)
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三番瀬のミヤコドリ朝夕が大分過ごしやすくなるにつれ、鳴く虫の音も賑やかだった蝉時雨からしっとりとした秋の虫に変わってきた。ところが近年では外来種のアオマツムシが大繁殖し、樹上からけたたましい連続音で鳴き立てて、とても風流などとは言っていられない状況が起きている。市川の自然の最後の砦とも言える大町自然観察園でさえアオマツムシを見かけることが多い。
   さて、春から夏にかけて多くの潮干狩り客やレジャー客で賑わっていた船橋市の三番瀬海浜公園にも、ようやく静けさが戻ってきた。海浜公園がある人工海浜は延長が約一キロほどあるが、実はそのうちの約四百メートルは市川市域である。人気が減った人工海浜の中でも市川側にはほとんど人がいないので、干潮の時間帯、干潟で餌をとるシギやチドリの仲間を観察するには絶好の場所である。
三番瀬で餌をとるミヤコドリ

 多くのシギ・チドリ類に混ざって、近年ではミヤコドリの姿を目にする機会も増えた。ミヤコドリは体長四五センチほどで、干潟で見られる鳥の中では比較的大きい方だ。頭部から背面が光沢のある黒、胸から腹は白、クチバシと脚が濃いオレンジ色をしている。伊勢物語の中で在原業平が「名にし負はばいざ言問わむ都鳥…」と詠んだミヤコドリは、特徴からカモメ科のユリカモメのことだと言われ、ミヤコドリ科の本種とは別種である。
     ロシア内陸部や中国北部で繁殖したミヤコドリは、日本には渡りの途中で立ち寄る旅鳥や越冬する冬鳥として渡来する。十数年前には東京湾では滅多に見られない珍鳥とされていたが、近年急速に渡来数が増え、昨年の冬は百羽を超えるミヤコドリが三番瀬で越冬したとする調査記録もある。一方繁殖期の夏も渡らずに越夏するものもごく少数あると言われる。筆者は先日十四羽のミヤコドリを確認したが、越夏した個体群か越冬組の第一陣なのかは分からない。
   ミヤコドリは主に二枚貝を食べるので、シギやチドリ類のように完全に干出した干潟ではなく、一〇センチ程度の浅瀬で採餌していることが多い。潮が引いているときには人出を避けて市川側の浅瀬や塩浜沖の人工干潟、江戸川放水路の河口干潟などで餌をとり、潮が満ちてくるに従って船橋側へ移動し、人工海浜の東側にある防泥柵の上で休息するようである。
 この時期の干潟は旅鳥も含めて多くのシギ・チドリ類が見られる上に、夏羽から冬羽への移行期にあたるため、同じ種類でも全く羽色が異なり大変ややこしいが、観察には楽しい時期でもある。
(2006年9月8日)
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増える南方系のチョウ今年もヒガンバナが咲き始めた。ヒガンバナは水田の畦や共同墓地に多く見られる。集落の共同墓地は水田や畑の中にあることも多く、このようなところは畦とともに秋の刈り入れ前にきれいに草刈りがされる。ヒガンバナはこの草刈りが終わった頃合いを見計らったかのように花茎を伸ばし鮮やかな花を咲かせる。
 さて、先日の読売新聞に、市内で南方系のチョウであるナガサキアゲハが増えているという記事が掲載された。市内で以前は見かけることがなかった南方系のチョウがよく見られるようになっていることは昨年十月の第五十八回本欄でも書いた。ところが、今年はこれまでとは比較にならないほど頻繁にこれらのチョウが観察された。中でもナガサキアゲハは元々市川に生息しているクロアゲハをはるかに上回る頻度で目撃された。
林の中で休息するナガサキアゲハの雌

 ナガサキアゲハはその名のとおり、元来は本州南西部や四国、九州以南に生息する黒色のアゲハで、クロアゲハより一回り大きい。クロアゲハと見分ける上での最大の特徴は、後翅の突端に突き出た尾状突起がないことで、慣れると飛んでいても比較的見分けられる。多くのチョウは雄の方が派手な色をしているのに対してナガサキアゲハでは雌の方が派手である。雌は後翅の表側(翅を広げたときに背中側になる面)に白と朱の大きな模様があるのに対して、雄では黒一色である。
 幼虫はミカン科の樹木の葉を食べる。二十日まで開かれていた八幡のボロ市で、植木市の店先のミカン苗に一頭のナガサキアゲハの雌が飛来し、産卵したのを目撃した。
  年三回から多い地方では五回発生するとされ、サナギで越冬する。以前は何度目かに発生した成虫が稀(まれ)に飛来するにすぎなかったが、一九九〇年代には大阪や京都など近畿地方で、二〇〇〇年代には中部から関東地方でたびたび幼虫が確認されるようになった。市川では二〇〇二年に自然博物館が行った名前を調べる会に持ち込まれた標本が正式には初記録である。今年は四月中旬から市内の各地で頻繁に目撃されており、定着したものと考えられる。温暖化との関係ははっきり分からないが、無農薬のミカン栽培が広がったことや、輸入品に押されて栽培が放棄されたミカン畑が増えるなど、生息に適した環境が広がっていることと無関係ではないのではないかと考えている。すっかり普通種になってしまったナガサキアゲハの生息範囲は、現在では関東以南とされている。
(2006年9月22日)
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河川護岸の植物群落真間川など、平坦な地形を流れる市川の都市河川は、潮の干満の影響を大きく受けて水位が定期的に上下する。一日の水位の差は真間川の鬼高付近では一・三メートル、大柏川の農協本店付近でも七〇センチにも及ぶ。
 市川市内を流れる川は古くから人の手によって様々なコントロールが行われてきたが、都市化が進むと水路や小河川の護岸はコンクリート化されるようになった。初期の改修では柵渠と呼ばれる幅三〇センチから五〇センチ位のコンクリートの板を縦に連続して打ち込む工法が用いられた。コンクリート板を並べた護岸には微妙な隙間があるため、やがてシダ植物を中心とする独特の植物群落が生育するようになる。
春木川の護岸に生育するイノモトソウ

 現在改修工事が行われている春木川は、松戸市境から真間川に合流するまでほぼ南北に流れており、改修前の左岸側(上流から下流を見て左側)にはコンクリート板の隙間ごとにイノモトソウの群落が張りつくように生育していた。イノモトソウとは「井の許草」の意味で、水がしみ出るような岩場などに多く生育するシダ植物である。その名の通り古い井戸の石組みにも生育するため「人里のシダ」とも言われる。しかし、元々岩や石がない市川でまとまった群落が見られるのは皮肉なことに都市河川のコンクリート護岸化や人家の湿った石垣など、人工的な環境のみである。春木川は改修が進み、現在でもイノモトソウの群落が見られるのは曽谷橋付近の未改修部分のみである。左岸にだけ見られたのは土中の水分の差によるものであろう。
 また、都市小河川の改修では鋼矢板と呼ばれる鉄板も使われるが、春木川や派川大柏川などでは腐食して開いた鋼矢板の穴にホウライシダの仲間が大きな塊となって生育しているのが見られる。園芸種のアジアンタムが逃げ出した可能性が高いものの、この仲間のシダは本来はもっと暖地に生育するシダである。
 このようにシダ植物の独壇場であった河川のコンクリート護岸であるが最近の改修では多自然型工法に伴い緑化ブロックが使われるようになったため、アレチノギクなど繁殖力の強い帰化植物やイネ科の植物が繁茂し、シダ植物の生育する余地がなくなってしまった。時間が経過すれば緑化護岸の方が土手本来の植生に近い植物群落が形成されるのかもしれないが、シダ植物の群落もそれなりに興味深いものがあった。曽谷橋付近はそんなシダ植物が見られる最後のチャンスである。
(2006年10月13日)
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イヌシデ芽生えのその後今年も多くの植物のタネが熟す季節になった。昨年はケヤキやイヌシデが近年にない空前の大豊作で、今年の春にはおびただしい数の芽生えが林(りん)床(しょう)を埋めつくした。今年はエノキが豊作年を迎えている。
 鳥類やネズミ類などの食害を免れて発芽した樹木の芽生えは、通常夏までにほとんどが消えてしまい、翌年まで残るのは極めて稀(まれ)である。その原因として最も大きいのは草本類など他の林床植物との間の光の取り合い競争に負けてしまうことである。雑木林の手入れがきちんと行われていた当時は、六月頃に下草刈りが行われたが、放置された林では折角林内が明るくても、草の繁茂により林床が暗くなってしまう。このため、明るさを必要とする落葉広葉樹の芽生えは生き残ることができない。また、ヤブジラミやムラサキケマンなどの柔らかい草に覆われると、夏の高温に加えて林床の湿度が高くなり、いわゆる「蒸(む)れ枯(が)れ」という現象がおきる。さらに林床の落葉層に広がる菌類による病気や、昆虫類や小動物による食害など、芽生えが乗り越えなければならない障壁はたくさんある。樹木が数年に一度おびただしい数のタネを生産するのは、このような障壁を数で乗り切るためだとも言われている。
五センチ位に育ったイヌシデの稚樹

 今年の芽生えが無事に夏を乗り越えられたかどうかは、林の状況によって大きく異なったようである。足の踏み場もないくらい芽生えが発生していた柏井町の市民キャンプ場は、過度の手入れによる夏の乾燥で芽生えはほとんど残らなかった。国府台四丁目の森や、大町の手入れされた林では高さ五センチ位に育ったイヌシデの稚樹(ちじゅ)がたくさん残っている。来年からはこうして残った稚樹同士の生存競争が始まる。
 第八〇回本欄でナガサキアゲハが増えているという記事を書いたら、国府台にお住まいの方から「庭のユズの木にナガサキアゲハと思われる幼虫がたくさんいる。」という連絡をいただき、見せていただいた。クロアゲハの幼虫に比べて白い帯が鮮やかな特徴から、ナガサキアゲハの幼虫に間違いなかった。二〇匹位の幼虫がいたが、今頃はほとんどがサナギになっていると思われる。ご当人のお話では春頃から頻繁にナガサキアゲハが飛来していたのでもしやと思われたそうである。はたしてどのくらいが冬を越せるか分からないが、自然に任(まか)せたいとのことであった。この分では来年はナガサキアゲハがもっと増えるかもしれない。
(2006年10月27日)
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ゴマギの老大木逝く十一月三日に、夏以来ご無沙汰していた堀之内貝塚の森へ出かけてみて驚いた。二〇〇三年の第十四回本欄でも紹介したゴマギの老大木が無残にも地上一・二メートルほどのところで折れて倒れていた。考古博物館や歴史博物館に訊ねてみたが、いつ倒れたか定かではないとのことであった。おそらく多くの海難事故を引き起こした十月六日の低気圧による大風で倒れたものと思われる。堀之内貝塚ではゴマギの他にも何本か倒れた樹木があるが、このゴマギは千葉県内で最大と言われていただけに残念だった。
 ゴマギの名は葉を揉むと胡麻のような香りがあることに由来するが、本来は落葉小高木で樹高はせいぜい五メートル位にしかならない。しかし、堀之内貝塚のゴマギは最盛期には九bほどもあった。
折れてしまったゴマギの老大木

 二〇〇三年には延命を期待して樹木医の診断を受けたが、ゴマギとしての寿命はとっくに超えているとされ、子孫を残すにはタネから実生を育てるか、挿し木をとることを考えた方がよいと勧められていた。
 折れた幹の断面を見ると、すでに八〇%が不朽しており、残った東側の二〇%でかろうじて生きていたことが伺える。幹には無数の虫食い穴があり、カワラタケ類のキノコも生えていた。
 このゴマギの老大木の貴重性を説き、保全を訴えた亘理俊次先生や石井信義先生はすでに一足先に旅立たれ、熱心にこの木の手当てや日照の確保にあたった市の公園緑地課の専門職員も退職し、木としても精根尽き果てたのかもしれない。
 ゴマギは市川市内では極めて数が少なく、これまでは堀之内貝塚と大町でしか確認されていなかったが、今年新たに曽谷二丁目緑地で若木の生育が確認された。堀之内貝塚では老大木の子孫が数本元気に育っている。さらに嬉しいことには老大木の株から弱々しいながらも一本の「ひこばえ」が出ている。成長の具合からみて今年の春に芽吹いたものと思われる。あるいは老大木自身が今年の運命を予知していたのかもしれない。このひこばえが立派に育つことを祈りたい。
 一方、大柏川や北方の大柏川第一調節池には、たくさんのコガモが渡ってきているが、雄では雌と同じ色のエクリプス羽から鮮やかな生殖羽(夏羽)へと換毛が始まっている。また、堀之内や小塚山ではシロハラの声を聞いた。北方遊水池の会の齋藤慶太さんの観察ではタゲリも確認されたそうで、野鳥の世界は着実に冬へ向かっている。
(2006年11月10日)
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カラスウリのタネ十一月十二日に東京地方に木枯らし一号が吹いて、ずっと暖かい日が続いていたそれまでの天候が一変した。遅れていた紅葉や黄葉も一気に進み始めた。
カラスウリのタネ

 ケヤキなど紅葉する落葉樹の落葉とともに、彩りが減った野の中で一際目を引くのが真っ赤に色づいたカラスウリの実である。夏の間はうっとうしいヤブのようにしか見えなかった林の縁に、鮮やかなカラスウリの実がたくさんぶら下がっているのはいかにも日本の里の風景である。
 この実を割ってみると中にはオレンジ色の粘液質に包まれた黒いタネが二十粒前後入っている。粘液質の部分をティッシュなどで拭き取ると、タネが実に面白い形をしていることに気がつく。昔の日本人はこの形を結び文に例えた。このためカラスウリの別名を「たまずさ(玉章)」という。たまずさとは手紙を指す古い言葉である。一方、現代の日本人はこの形を「打出の小槌」に例え、中には財布に忍ばせている人もいるという。秋の観察会のたびにこの話を紹介すると何人か試す人もいるが、残念ながらこれまでのところ大金持ちになって困ったという話は聞いていない。
カラスウリの実

 ところで、植物には「カラス○○」という名がつけられたものがいくつかある。「カラス」は同じ仲間の中で花や実が比較的大きいものにつけられる。これに対して「スズメ」は花や実が小さいものにつけられる。カラスウリに対しては、直径一センチほどの小さな白い実がなるスズメウリがあり、カラスノエンドウに対してはスズメノエンドウがあるという具合である。 野鳥では、木枯らしに乗ってユリカモメもやってきた。毎年多くのユリカモメがやって来る大柏川では十三日からの一週間でどんどん数を増し、すでに百五十から二百羽の群が群舞している。 自然環境研究グループでは月例観察会を行っており、十一月の観察会は大柏川周辺で行った。生憎の冷たい雨の中、大柏川第一調節池(通称北方遊水池)の中でオオタカがユリカモメを捕えて食べるのを間近に観察することができた。交通量の激しい道路のすぐ横でダイナミックな自然の営みが行われている。多くの人々の努力で、市川の真ん中にこうした貴重な空間が残されたことを誇りに思うべきであろう。大柏川第一調節池は来春正式にオープンする。
(2006年11月24日)
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シイの実の話落ち葉の季節になるとつくづく人とは勝手なものだと思う。春には新緑を楽しみ、秋の紅葉の季節にはモミジ狩りに繰り出した人々が、落ち葉が散り始めたとたんに落葉樹を厄介者扱いする。野焼きが規制され、落ち葉焚きもままならぬ状況では風情を楽しむ気になれないのも致し方ないのかもしれない。
細長いスダジイの実(右)と丸いツブラジイの実(左)

 一方、常緑樹は葉が落ちないというのも誤解である。現にこの季節、市川の市街地ではクロマツの古い葉がたくさん落ちているし、五月にはクスノキが一斉に落葉する。一般的には常緑樹は一年中少しずつ落葉するので目立たないだけである。スダジイもそのような常緑樹の仲間である。例年だと十月から十一月にかけてはたくさんドングリをつけるが、今年は凶作年に当たるため極めて少ない。昨年は多くの樹種が豊作年だったが、今年は総じて山の実りが少なく、熊が人里へ出て来るのもこのためだと言われている。
 スダジイとは耳慣れないが、関東で単にシイというとスダジイを指す。これに対して、関西に行くと、スダジイより葉が小さく実が丸いツブラジイが多くなる。ところが市川市内でも、どう見てもツブラジイにしか見えないものや、スダジイともツブラジイとも区別がつかない木が見られることがある。柏井町の姥山貝塚にもツブラジイではないかと思われる木が数本ある。自然の分布ではなく、人が植えた苗木の中に混じっていたのかもしれない。
ベンチで寄り添うカラスのカップル

 シイの実はコナラやカシ類のドングリと異なり穀斗が帽子状ではなく袋状をしている。この袋の形を僧侶の頭陀袋になぞらえてこの名がついたという説もある。他のドングリ類と異なり渋みがないので、渋抜きをしなくても食べられる。関東ではあまり食べる習慣がないが、京都あたりでは炒ったツブラジイの実を売っているのを見かける。
 ところで先日、国府台の里見公園下の江戸川べりを観察していると、広場のベンチにハシボソガラスのカップルが仲良く寄り添ってとまり、長い時間お互いに羽繕いをしていた。何とも人間臭くて微笑ましい姿であったが、この付近ではこうしたカラスの姿をよく見かける。カラスのカップルは生涯添い遂げるというが、ベンチにとまっているあたりは、もしかするとカラスの前世は人間だったのかもしれない。
(2006年12月8日)
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自然観察園のヤマガラ市川では、冬は野鳥観察をするのに最適の季節である。野鳥は、スズメやカラス、カルガモなどのように一年中市川で暮らし、市川で繁殖するものと、多くのカモ類やシギ類のように、一年のうちある時期だけ市川を訪れるものに大別される。海を越えて日本と外国を行き来している渡り鳥のうち、夏の間日本にいて日本で繁殖するものを夏鳥、シベリアなどで繁殖して日本に越冬に来るものを冬鳥という。市川で見られる野鳥では圧倒的に冬鳥が多い。
 また、日本を経由して北方の繁殖地と南方の越冬地を行き来しているものを旅鳥といい、春と秋の一定期間観察することができる。多くのシギ類はこの旅鳥である。さらに、夏の間は高い山にいて、冬になると平地におりてくるなど国内移動するものを漂鳥という。
カナムグラの実をとるヤマガラ

 冬の市川はこうした冬鳥や市川で越冬してしまう旅鳥、山からおりて来た漂鳥などで大賑わいである。二〇〇一年から三年間かけて行われた市川市自然環境実態調査では調査期間中に百九十三種の野鳥が確認されたが、その多くが冬に観察できる。
   今年は漂鳥のウソがよく見られるというので、大町自然観察園に出かけてみた。残念ながらウソは観察することができなかったが、四羽のヤマガラがほんの一bほどのところでカナムグラの実を採餌するのをじっくりと観察することができた。ヤマガラは、昔は縁日のおみくじ引きの芸に使われたりした。本来は漂鳥で、市川では二十年ほど前までは冬に稀に見られる程度であったが、近年では夏でも見られるようになった。特に冬は大町をはじめ、柏井のキャンプ場、蓴菜池緑地、小塚山、国府台の森など市内の各地で観察することができる。シジュウカラなどの群に混じっていることが多く、ヤマガラだけで群をつくることは稀であるが、たまに数羽の小群を見かける。細くて刺のあるカナムグラのツルに器用に止まって実を取ると近くの木の枝に移動して、両足で実を押さえてクチバシで中のタネを取り出して食べていた。 大町では他にアオジやシジュウカラ、コゲラ、ルリビタキ、ジョウビタキなどを観察することができるが、ここ数年でエナガやカケスがよく見られるようになってきた。
 昨冬は数が少なかったツグミ類も今年は普通に見られ、柏井の市民キャンプ場では盛んに落ち葉をひっくり返して餌をとっているシロハラの姿をみかける。  年末年始の休日にはぜひ野鳥観察に出かけてみていただきたい。
(2006年12月22日)
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里見公園のクモノスシダ植物の分布は、温度や空気中の湿度に大きく左右される。特にコケ類やシダ類のように受精のある段階で水が必要な原始的な植物にとっては、水分が大きな要素となる。市川の年間降水量は約一二〇〇ミリで、千葉県内では比較的乾燥した地域である。それでも、自然環境実態調査によれば八十二首のシダ植物が記録されている。その中には、狭い市川市内でもさらに限られた局所的な分布をしているものもある。
 国府台から北国分にかけての地域は、市川市の中では特異的なシダの分布が見られる地域である。この地域は、江戸川から供給される水蒸気によって空気中の湿度が市内の他の地域よりも若干高いと言われる。このため、県内でも降水量が一五〇〇ミリくらいある地域で見られるシダ植物が分布していると言われる。
里見公園のクモノスシダ

 その一つであるクモノスシダはこれまでのところ市内では国府台の里見公園でだけ確認されている。日本での分布自体は北海道から九州まで広い範囲に分布しているが、生育地は限定的である。本来は山地の石灰岩や安山岩の湿った岸壁に生育するので、岸壁の無い市川では石組みなど、人為的に造られた環境に依存して生活している。
 クモノスシダは常緑のシダで、葉の先が細長く伸び、その先端に無性芽をつける。これが地面につくと根を下ろし、新しい株になる。このため、隣り合った大小いくつかの株が葉先でつながっている事が多い。
 これは、クモノスシダ本来の生育地である岸壁では、胞子を飛ばしても生育に適した環境に付着できるとは限らないので、着実に個体を増やすための知恵だと言われている。この姿を「蜘蛛の巣」に例えたものだが、英名ではウォーキングファーン(歩くシダ)と呼ばれる。里見公園では他にもイワデンダのように岩場に生育するシダや、イワガネゼンマイなど特有のシダが見られる。
 シダ植物はタネではなく、非常に小さい胞子で増える。空気中には膨大な量のシダ植物の胞子が漂っているといわれるが、その多くは生育に適した環境に到達することができないと言われる。里見公園は鎌倉時代に太田道灌が築城したとされる国府台城があったところであるが、中世の城は、天守閣を持つ近世の城と違って館であり、本来は石垣はない。しかし、里見公園では公園整備の一環として石垣が造られており、シダ植物にとっては鬱蒼とした照葉樹林とあいまって、格好の生育環境になっている。
(2006年12月28日)
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塩浜海岸の野鳥観察市川市塩浜の工業地帯の沖合には一二〇〇ヘクタールの浅瀬の海がぽっかりと取り残されている。船橋市と、沖合まで海面埋め立て事業が完了した浦安市に挟まれた通称「三番瀬」と呼ばれるこの海域では、今でも海苔やアサリの養殖漁業が行われている。この海域のうち、七四〇ヘクタールはさらに埋め立てられる計画だった。したがって、埋め立て地と海との境は鋼矢板と呼ばれる鉄の板とコンクリートで仮設された護岸のまま三十年以上が経過してしまった。このため、護岸自体が歪んだり、腐食によって鉄板に穴があき路盤が陥没したりして危険なため、一部では護岸上への立ち入りが禁止されている。
   そんな護岸周辺で最近よく見かけるようになったのがイソヒヨドリだ。イソヒヨドリは、本来は岩礁性の海岸の岩場や岸壁に生息する鳥で、千葉県でも南房総の岩礁海岸では比較的よく見かける鳥である。雄は頭部から背面と胸が灰色がかった青、腹面がレンガ色という派手ないでたちだが、雌は全身が青味がかった灰褐色で、腹面には黄色がかった鱗模様がある地味な色合いである。
護岸の穴から顔を出したイソヒヨドリ

 岩場のない東京湾奥部で見かけることは稀であったが、護岸の鋼矢板にあいた穴と鋼矢板の裏側に詰められた砕石や、護岸の根元に敷設された波消し用の岩が本来の生息環境と似ているらしく、ここ数年継続的に見られるようになった。
 塩浜海岸のうち、護岸が新しく立ち入りが規制されていない塩浜三丁目側からは、腐朽が著しく穴だらけの塩浜二丁目の護岸をよく観察することができる。イソヒヨドリはこの穴によく出入りしている。穴の中で甲殻類のフナムシを捕まえるとどういう訳か護岸の上に出てきて護岸の上で食べる。そして、また穴の中に戻って行く。穴の入り口に止まってじっと沖合を見ていることもある。
 筆者が数回に渡って目撃した個体はいずれも地味な色合いの雌であったが、今月二十一日に行徳野鳥観察舎友の会が行ったカウント調査では塩浜一丁目側の護岸で雄が確認されたそうだ。塩浜の護岸の穴は台風の際の高潮などでは水没してしまうので営巣は無理かもしれないが、浦安市では臨海部のマンションのベランダに出入りするイソヒヨドリも観察されており、人工物で繁殖するものも出てくるかもしれない。 塩浜海岸では、運がいいとホオジロガモやミコアイサなどの珍鳥も見られるかもしれない。
(2007年1月26日)
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小塚山界隈とにかく異常な冬だ。昨年は観測史上十番目に気温が高い年だったそうだ。今冬は二月に入っても各地で紅葉が見られるなど、さらに異常な記録になりそうだ。市川でも本来は落葉樹のイボタノキが紅葉を残したまま芽吹き始めている。
 さて、国分から北国分にかけての地域では、現在、自然環境に大きな影響のある事業が行われている。一つは国分川と春木川の洪水調節用に千葉県が行っている国分川調節池の工事だ。全体の面積は大柏川第一調節池の一六fをしのぐ二四ヘクタールである。貯留した水をポンプで排水する大柏川第一調節池と異なり自然排水する構造のため、広く浅い池になっている。
小塚山で冬を過ごすルリビタキ(雌)

 これらの調節池はかつての市川に豊富にあった水田を中心とする内陸性湿地の機能を補完する環境として、水辺の生き物にとって重要な役割を果たしている。国分川調節池でも、すでにほぼ完成した上流側の池では、タコノアシやカンエンガヤツリなど絶滅が危惧されている水辺の植物が見られるほか、カイツブリが繁殖したり、冬にはオカヨシガモの群れが逆立ちして採餌している光景が観察できる。
 もう一つは国が行っている東京外郭環状道路の建設である。国分地区では道路工事に先駆けた遺跡調査や工事用道路が造られているが、小塚山では地下を通過するトンネル工事が始まっている。工事に抵触する樹木は一時的に隣接する道めき谷津に仮植されており、工事終了後に小塚山に戻されることになっている。莫大な費用がかかるこの工法に対しては賛否があるが、五十年以上かけて形成された環境の保全に対する配慮としては評価されるべきである。
 一方、小塚山のうち工事に抵触しない区域は昭和五十四年に開設されて以来「山の手入れ」がほとんど行われてこなかったために藪化し、里山としての形態が崩れてしまっている。現在、公園としての管理行為の中で里山の形態を取り戻す努力が行われているが、山の管理としてはもう一工夫必要である。それでも小塚山は野鳥の種類が多くルリビタキやヤマガラ、シジュウカラ、エナガ、メジロ、シメ、コゲラ、シロハラ、カケスなどが観察できる。
 このように近年では、公共事業の中で自然環境を復元する多くの取り組みが行われているが、これまでに都市化の中で失われてきた自然環境に比べればまだまだ十分とは言えない。人類の未来の環境のためにもさらなる努力が必要である。
(2007年2月9日)
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大町自然観察園のカワセミ二月十四日に早くも春一番が吹き、すでに梅の花は満開を迎えている。大柏川の多自然型改修が行われた区間では冬の間ずっとカラシナが青々と茂っており、一部ではすでに花が咲き始めている。このため、例年だと絶好の観察ポイントになっていたタゲリは今シーズンは観察することができなかった。
 さて、これまでも紹介してきたように、大町自然観察園は下総台地に特有の谷津(やつ)地形を、湧水やそこに生息する生き物とセットで保全しようと、昭和四十九年に大町自然公園として開設された。都市化の最盛期だった当時としては画期的なことであったし、現在でも市川市が誇るべき自然の宝として市内外から高い評価を得ている。
大町自然観察園のカワセミ

 そのような自然観察園で、野鳥を中心に、開設当時には見られなかったのに現在ではごく普通に見られるようになったものがいる。その代表がカワセミである。カワセミはかつては清流の宝石などと形容され、きれいな水域を指標する鳥であった。細かく羽ばたきながら、緑の中を高速で直線的に飛ぶ青い矢のような姿は、一度目にしたら忘れることができない。
 ところが近年では都心部の公園や皇居の堀でも定着している。理由はいろいろ考えられるが、里山の荒廃によって山間地と都市が直接接するようになったこと、排水規制や浄化施設の普及により都市の水域の水質環境が格段に改善し生物が生息できる環境になったことなどが複合的に関連しているようである。
 大町のカワセミは二十年ほど前から見られるようになり、現在では常時三〜四羽が見られる。一番北側の池周辺や通称三角池と呼ばれる中間部の林間の池、バラ園南側の池の三か所が主なポイントだが、これらの場所では多くのカメラマンが望遠レンズの砲列を敷いているので、その目線の先を追うと容易に見つけることができる。中央部の水路上を「チーッ」と鋭く鳴きながら飛ぶ姿を見ることもある。水中にダイビングしてモツゴやヨシノボリ、コイの稚魚などの魚類やザリガニを捕まえて食べている。
 市川市内では他に大野の駒形神社周辺、南大野のこざと公園、大柏川の全区間と北方遊水池、真間川上流部、蓴(じゅん)菜(さい)池、国分川調節池周辺、行徳近郊緑地などで観察することができるが、大町自然観察園ではほぼ確実に見られる。これからの時期は繁殖期に入るので見かける機会が少し減るかもしれないが、是非目にして欲しい野鳥である。
(2007年2月23日)
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真間山界隈早咲きのカンザクラやカワズザクラが満開になっている。ソメイヨシノの開花も例年より四〜五日早まりそうだ。
 早咲きの特別な品種を別にすれば、開花の時期が早いのはヒガンザクラ系の品種である。中でもエドヒガンは枝垂れるものが多く、しかも寿命が長く大木になるので全国に名だたる名木が多い。市川でも真間山弘法寺にある伏姫桜は、お寺の伝承では樹齢四百年と言われる大木である。惜しいことに、昭和五十六年の大風で、二股に分かれた幹のうち北側の幹が折れ、南側半分になってしまったが、それでも毎年見事な花を咲かせている。今年は二十日頃には咲き始めるかもしれない。
 また、隣接する真間山幼稚園には、胸高幹周約二.六メートル、樹高約二〇メートルの堂々としたコブシの大木がある。市川はもとより、近隣でも最大クラスのコブシである。コブシは花がたくさん咲く年と少ない年が交互に来るが今年は花の多い年で、三月三日時点ですでに南側の枝では花が咲き始めた。
満開のコブシの大木=2001年の姿

さて、「真間山」は弘法寺の山号であって実際に山があるわけではないが、下総台地の南端に位置するため、南側は手児奈伝説で有名な真間の入江が広がる低地になっている。台地と低地の高低差は一四〜五bあり、急峻な斜面にはスダジイやタブノキを主体とする照葉樹林が発達している。百七十年ほど前に描かれた江戸名所図会では崖にマツが描かれているだけなので、わずか百数十年で現在の照葉樹林ができたことが伺える。この照葉樹林は分布の北限に位置すると言われ、学術的な重要性が指摘されているが、残念なことに斜面上部には境内を掃除した落ち葉や、墓地造成で発生したと思われる残土がうずたかく積まれており林の林床植生を台無しにしてしまっている。
 一方、薮のようになってしまっていた鐘楼の周辺はきれいに整理されたが、本来は取り除いてほしかったシュロやアオキ、ヤツデだけが残されており、何とも妙な景観になってしまった。こうした作業を造園業者に頼むと、造園樹木として商品価値がある種類だけが残ってしまい、本来残さなければならない野生の種類は雑木として伐られてしまうことが多い。お寺の境内地であり、ある程度造園的に修景されることは止むを得ないとは思うが、シュロが林立する景観はいただけない。
 野ではオオイヌノフグリやホトケノザ、タチツボスミレなどの春の花が見られる。渡り鳥の集結も始まり、渡去が近いことを感じさせる。
(2007年3月9日)
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緑地の保全とは寒の戻りもあって、桜の開花は当初の予想より大分遅れ、この記事が掲載される頃になりそうだ。桜など、虫媒花の花芽の生長は気温よりも日の長さに左右され、最後の開花のタイミングだけが気温で決まる。したがって、どんなに暖冬でも開花期の気温が低いと極端に開花が早まることはない。
さて、冒頭、お詫びをしなければならない。前回真間山の斜面林上部に落葉や土砂が堆積されているのは好ましくないと書いたところ、弘法寺の方から編集部にお手紙をいただいた。境内地の自然の管理には専門家の意見も聞いて努力しているが広い上に費用もかかり思うに任せないこと、筆者からは管理のアドバイスを受けた訳でも無く、現状だけを見て一方的に所感を述べられても困惑せざるを得ないという内容であった。言うまでもなく真間山の照葉樹林を維持することは並大抵のことではなく、現状を責める訳ではないが、好ましい状況ではないことはご理解いただきたいと思い、お返事を差し上げた。いずれにしても関係者の方々に不快な思いをさせたことは配慮が足りなかったと反省している。
手入れで綺麗になった林

 さて、人間の行為が樹林地に与える影響には、すぐに結果が現れるものと、結果が現れるまでに何十年もの時間がかかるものがある。都市化による開発が激しかった三十年まえには、樹林地を残すためには自然のまま一切手を付けるべきではないという考え方が強かった。現在でもまだ自然のままがよいと主張する人々もいるが、自然の姿は決して一定の状態で停まっているわけではなく、樹木も生長すれば、新しく生えてくる木もある。ただ動きが緩やかなので変化に気付きにくいだけである。適切な林の管理を行わなくなってから三十年経ってようやく「山が荒れている」ことに気がついたのは、市川に限ったことではなく全国的な傾向である。
 市川でも市民の手で荒れた林を再生しようという「緑と花の市民大学」制度が始まった。講座の中で、皆で話し合いながら林の目標の姿とシュロや常緑樹の低木を除去することなどの作業内容を決め、実習林にした柏井町の林で実際に作業を行った。短時間の作業で林は見違えるように綺麗になったが、かつては山林の所有者が日常的に行っていた「山掃除」をようやく行ったという段階であり、今後、三十年後にもこの林がよい状態で有り続けるためにはどう管理していったらよいかはこれからじっくりと考えなければならない課題である。
(2007年3月23日)
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