市川よみうり連載企画

元市川市教育長最首 輝夫

何かと問題多い「最終目標は校長」

「校長が変われば学校が変わる」。言い古された言葉ではあるが、現代にも生きている(意識改革も含めて)。なかでも学校経営とは教育であるという基本に立ち、しがらみや過去の平均値であるマニュアルにとらわれず、自らの教育理念に基づき、創意と先見性ある学校教育を地域社会と一体となって推進していける校長に注目している。 変わるといえば良く変わることを想定したいが残念ながら悪く変わる場合も含まれる。いずれに変わるかは校長次第である。個人の人格と識見、それに校長としての力量で決まるものであるからその責任は重い。数十年前、ある校長が行く先々で学校が荒れるという現実を見て、恐ろしいことだと思い、校長になるということの厳しさを認識するとともに校長選考・登用制度のあり方にも疑問を持つようになった。 教員の終着点が校長というのは過去、それなりに制度が機能していたようであるが、今では校長になることが最終目的であるかのような社会の風潮のなか、何かと問題が多い。適性・能力に関係なく誰もが校長を目指すということになるので、教員として優れ、最後まで子供に直接かかわってもらいたい先生までが転身せざるを得なくなることも珍しくはない。

 一方で、校長になることだけが目的の場合は、煩わしい教育革新などに積極的に取り組むことはしないであろう。したがって学校や地域の改革などほど遠く、人々の活力すら生まれてはこない。また学校教育目標はあるが、その基本となる理念が十分に校長から語られないため職員や地域に共有されない。このような学校はまとまりがなく個々ばらばらな教育が行われることにもなりかねない。それでも校長が務まるというところに改革の必要性を痛感している。 全国の市長有志で作る「提言・実践市長会」教育部会長・西尾理弘出雲市長の話が一つの方向を示唆している。「校長、教頭が偉く、普通の先生が下というのはおかしい。教職と管理職は二本立てで相互補完の関係だ。管理に適した人は若くても教頭、校長への道を開き、教えることに向く人はマスターティーチャーとして校長以上の処遇を受け、最後まで教職を全うしてほしい。校長ではなくマスターティーチャーこそ真の教師の栄達としたい。教える現場をもっと尊重すべきだ」と提案したという(日経新聞)。学校はあくまで教育の場との認識にたてば、教員こそが高い身分や地位を得るべきは当然の理であろう。優れた教員たちが管理職という壁に悩む姿を多く見つめてきた者としては待ち望んでいた制度改革である。早期実現を期待したい。
(2003年6月6日)

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教育委員制度を考える<1>

構造改革という掛け声が声高に聞こえてくる昨今であるが、肝心の教育分野では遅々として進まずである。文科省−都道府県教委−市町村教委−学校という権力構造の根幹はなんら変わっていないようにさえ感じる。むしろ一時期より強化されたと思うのは偏見だろうか。地方においても同じことが言えよう。文科省に地教委が、地教委に学校が振り回されている。 戦後教育の反省の上に三十数年かけて実現した日本の教育革新が、学力低下という一時的な現象面だけを問題にした論争の末、いとも簡単に、方針転換を印象付けるメッセ−ジを文科省が発すれば地教委はただそれに従う。学校現場は混乱し家庭は困惑する。このような教育環境では子供たちが豊かな人間形成をしていけるわけがない。健全な成長発達のためであるはずの子供の教育が、教育の本質抜きの、時の行政施策だけでころころ変わることは断じてあってはならないはずである。

 これを教育の危機ととらえる人々が文科省・教育委員会無用論を叫び、危機脱出のため各種提案を数年前からしてきた。それによると地方分権化の最も遅れているのが教育分野であるという。教育内容はカリキュラムや教科書を含めて文科省。教員は国の基準で県が採用し市町村に派遣。市町村教委は国の方針・基準を受けた都道府県教委の指導・指針に基づいて校長・教職員を指導監督する。本来、地方教育委員会(三〜六人の委員で構成)が基本的具体的な方針や指示を出し、委員会の指揮監督の下で、教育長以下事務局職員がその事務を行うというのが教育委員制度の趣旨であるが、実態は番頭のはずの教育長の判断・実行が優先される。これでは教育委員会制度の空洞化にほかならないという。

 しかし、だから地方教育委員会は無用だというのでは、余りにも短絡的過ぎる。なぜそうなったのか、原因は何かをしっかり検証して、しかるべき措置をとることが先のように思われる。例えば文科省・県教委が上部機関であるとの認識を変えて、教職員の採用・任免・異動などの権限は予算を含めて市町村に委譲するなど、分権化の考え方からして当然である。

 ただ、教育委員会制度の空洞化については委員の選任方法や委員会の運営方法が大きく影響していると考えられる。首長中心の人選であったり、月一回程度の集まりでは主体的な運営が出来ないのも止むを得ない。更に予算編成権も、条例提案権もないのも委員の意欲を阻害している要因となっている。だからといって単純に、首長直属機関にすれば優れた教育行政が行われると考えるのは早計ではないか。次回は具体的に書いてみたい。
(2003年6月20日)

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教育委員制度を考える<2>

いま、なぜ教育委員会無用論なるものが浮上しているのか。戦後の教育改革における教育委員会制度の基本理念は、教育行政のh民主化i地方分権化j自主独立性の確保にあったという。それは『教育委員会法』(一九四八)から現行の(一九五六)『地方教育行政の組織および運営に関する法律』(『地教行法』と省略)の今日に至るまでその精神は継承されている。このような高遠な理想がありながら、どうしてなのか。調べてみると当然のこととして、歴史的時代背景にあぶり出された教育委員会制度が見えてくる。

 契機は『地教行法』の誕生にある。教育委員会法時代の教育委員は住民選挙で選ばれたのであるが、これが首長と教育委員との主導権争い・確執につながり、政治的に中立であるべき教育委員会が政争の場になってしまった。そこで、教育委員を公選から任命制にする現行法が成立したのであって、いってみれば確執と妥協の産物であるが、以後の教育行政・教育委員会はどうであったか。 冷戦構造を背景にした政治闘争激化の中で、文部省(当時)主導による再集権化が進み、皮肉にも分権とは逆行する改革となってしまったのである。教育委員会は文部省の出先機関と化し、官僚的になるに伴って、地域住民からは次第に遠ざかり、学校には管理行政が中心となっていった。地教行法公布から四十二年を経て一九九八年、答申された「今後の地方教育行政のあり方について」は、地方分権推進委員会勧告に基づいて、市町村教育委員会への関与の縮減や校長への権限委譲など、教育委員会・学校の自主性・自律性の確立を促すものになっている。 法制度の面で、かなりの規制緩和がなされたのであるから、これまでのような文科省−教育委員会という相互依存の庇護の下で、形骸化した管理行政に甘んじている教育委員会は無用となろう。文科省の出先機関とか、学校委員会と揶揄される教育委員会からの脱皮を図り、真の「地域に根ざした機関」にならなくてはならない。そのためにはまず、地域住民に近い存在であり、親しまれ、信頼される努力が必要である。主体性を持って、独立機関としての自覚を失うことなく、専門性を十分に生かし、将来を見通した独創的な施策を地域・学校と一体となって育て上げることが信頼につながる。

 いつの時代にも、制度改革の理念を十分に消化しきれない人々の意識が様々な間違いを引き起こすという危険を孕んでいる。自らの意識変革がなされず、権力に依存するだけの教育委員会であり続けるならば、これからも無用論が消え去ることはないであろう。
(2003年7月4日)

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教育委員制度を考える<3>

過去何回か教育委員会活性化が必要との指摘がなされてきた。一九八六年四月二十三日の臨時教育審議会による「教育改革に関する第二次答申」は「一連の教育荒廃への各教育委員会の対応を見ると、各地域の教育行政に直接責任をもつ『合議制の執行機関』としての自覚と責任感、使命感、教育の地方分権の精神についての理解、自主性、主体性に欠け、二十一世紀への展望と改革への意欲が不足していると言わざるをえないような状態の教育委員会が少なくない」と断じている。以後、当時の文部省や関係者の努力は続けられることになるが、今日ほどの危機感はなく、大きな改善にはつながらなかった。 改革は「従来の活性化策を超えて大幅な見直しに踏み出した」(小川正人教授)もので、教育委員会が自主・自律性を発揮し易く、独自の教育行政施策を可能とするシステムとなっている。とはいえ、当の教育委員会が主体性をもち、独自の政策立案の志と能力の高さを合わせもたなければ、絵に描いた餅になること必至である。活性化を阻むもう一つの側面に、教育委員(教育長を含む)選出の問題がある。

 制度的には教育政策、つまり教育の基本方針・理念および方策を決め、その指揮監督の下に教育長と事務局職員に事務を執行、処理させる役割が合議制の教育委員会である。ところが、そこまで求めるには現状では無理がある。一つには月一回の会議。二つには首長が合議制の委員全てを選任できることにある。特に後者は、「人格高潔で教育に関し識見を有するもの」(地教行法第四条)を公正に選任するわけであるから特に問題は無いように見えるが、首長に隷属する委員を選ぶことも可能な制度である。
 もし、そのような選任が行われた場合、教育委員会の政治的中立性や自主性・自律性はおろか、教育基本法第十条の行政原理すら実現できない。中教審答申は「教育委員選任の在り方」を次のように提言している。「教育委員の構成分野(例えば、教育・芸術文化・スポ−ツ・経済分野等)をより広範にする観点、学識経験者等の意見・推薦等を取り入れる観点、教育委員の選任の基準や理由、経過等を地域住民に明らかにする観点などから、首長が教育委員を選考し、また議会に同意を求める際にして、様々な工夫を講じること」と、首長の住民への説明責任と選考の透明性確保を重視している。
 いずれにしても、法令を整え、諸改革がなされたとしてもそれを運用・実行するのは人である。活性化はリ−ダ−が教育の本質を理解し、私意を捨て公正公平な行政運営ができるかどうかにかかっている。
(2003年7月18日)

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教育委員制度を考える<4>

日本政府が教育にカネをかけないことは、良く知られている。文部科学省の『教育指標の国際比較』によると、国と地方を合わせて学校教育に支出した経費の国内総生産(GDP)に占める割合が日本はOECD(経済協力開発機構)諸国の中で最低クラスである(一九九八年調査)。
 「教育、教育、教育」と教育を重視する英国大統領。また少人数学級政策には校舎建設、教員増と教員養成に必要な予算を、「子供を育てる義務がある」地域教育政策には予算をつける、と大統領一般教書演説をした米国。教育改革を最下位に位置づけ、法制度の見直しだけで「意識改革にカネはかからない」とした日本。この違いが、日本の最低クラスを物語っているようにも思える。
 その日本にも、国づくりは教育が何よりも大事と、文教政策に力を入れたリーダ−が多くいた。なかでも、米沢藩主・上杉庸山と熊本藩主・細川重賢が世界的にも知られている。両者とも藩校を創設、武士だけでなく庶民の子供も学ばせたことは、画期的なことであった。また重賢公の教育観と藩校「時習館」の経営理念は「生徒の才に従い教育すべきで、文に長じても武に劣る者、武に劣っても学識に富むものがあるのだから、各自好むところに随って学ばしたら良い」という「個性重視の教育」であった。
 重賢は「カネの無い時ほど教育が大事である」と、いまでいう教育予算は、その全てを無査定で全額認めたといわれている。現代でも教育について洞察力を持ち、知慮にとんだリーダーがいる。少人数学級を自治体単独予算で実施するなどはその例である。ただ全体として、日本の教育予算はお寒い状況にあるといわざるを得ない。
 首長の文教政策優先度が低い自治体では、予算獲得にかなりの困難を伴う。その上、「聖域なき経費一律削減」という方針が、少ない予算を容赦なく切り捨てる。教育は人であり人件費が命となるが「カネが無い」と一蹴される。これが実態である。わが国の教育財政は独立した制度として存在せず、一般財政に組み込まれている。それだけに、首長や財政部局がどう考えるかで教育予算が左右され、教育委員会の自主性や独創性は予算面からも制約を受ける。
 長野県ではこうしたことを防ぐため、予算編成に教育委員会代表も参加して話し合いで優先順位を決め、予算配分する方式をとっている。また、東京・中野区では首長部局が教育予算の人件費、工事費を除き枠配分することで、教育委員会が自主的な予算編成ができるようにした。今後、地方分権の進展に伴い自治体間の教育格差が広がることは間違いない。
(2003年8月1日)

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教育委員制度を考える<5>

教育委員会と学校の関係が大きく変わった。これまでは、教育委員会がイニシアチブをとり、学校の均一化を図ることを狙いとする手法がとられてきた。教育委員会による意思決定を学校に伝達するという、いわゆる上意下達による学校運営である。学校管理においても教育委員会が主体、学校が客体の関係であり、本来学校が保持すべき権限や事務が教育委員会の権限とされ、強い管理下におかれる学校は主体的な取り組みなどできない状況にあると考えられていた。こういうシステムが依存・責任転嫁の風潮を生んできた。
  しかしながら、今日では、このような体制の下での子供の教育は立ち行かなくなってきている。社会が変わり子供が変わっていくなかで、教職員の対応も変わらざるを得ない。「子供や教育活動の不測性、不確実性が高まり、日々刻々変化する子供や事態に対してその都度、その場その場で判断を求められるような学校や教育の実践活動は、複雑な事態に対する総合的な実践能力が求められる」(小川教授)のであって、これまでのようなお仕着せのカリキュラムや研修など各種施策を教育委員会の指示・命令で画一的に行うことでは対応できなくなっていることは自明である。
 このよう背景のもと、一九九八年九月発表の中教審答申は「現場の自主性を尊重した学校づくりの促進」(教育改革プログラム)が骨子となった。具体的には教育委員会の学校支援機能の重視、学校の自主性・自律性の確立、校長のリーダーシップの確立、開かれた学校づくりなどである。注目すべきは、校長の権限と責任を強化することで現場の自主性を存分に生かせるような本来の学校を指向したことにある。同時に学校の意思決定と責任の所在を明らかにし、保護者・地域住民への説明責任を課した。
 一方で教育委員会は、これまでの管理・指導型から援助・支援型に機能転換されたのであるが、これはもともと教育基本法第十条の教育行政の基本原理「教育の直接責任制と自主性、行政の条件整備義務」に則したもので、至極当然といえる。支援のあり方としてはh教育課程編成と実践への支援i一律的な学校令達予算の見直しj人事権の一部委譲k地域住民と教育を語り合う地域教育フォーラム的なものを構想するなどがあげられている。学校は教育委員会の指示を待つことなく、保護者を含む地域住民とともに自ら意思決定をして主体的な学校運営をすることが求められている。いまだに行政の言いなりになる学校や地域社会にも問題はあるが、まずは教育委員会及び学校のリーダーの意識改革からであろう。
(2003年8月15日)

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教育委員制度を考える<終>

法律上、教育行政に関する首長の権限はh大学に関することi私立学校に関することj教育財産を取得し及び処分することk教育委員会の所掌に係る事項に関する契約を結ぶことl前号に掲げるもののほか、教育委員会の所掌に係る事項に関する予算の執行(地教行法二四条)に限定されている。しかも、教育予算案作成に当たっては事務当局による聴取、査定とは別個に、長があらかじめ教育委員会の意見を聞かなければならない(同二九条)、教育委員会の申し出を待って、教育財産の取得を行い速やかに引き継がなければならない(同二八条)など、いわゆる『教育行政の一般行政からの独立』の理念が貫かれている。これは憲法及び教育基本法における「教育の自由の保障と自主性の尊重」がその根幹となっている。
 更に教育基本法第一〇条で「教育権の独立」の精神を『不当な支配に服することなく』とうたっている。実はこの『不当な支配』は、行政機関のの行為にも適用されるということが意外と理解されていない。また首長の権限問題でよく引き合いに出されるものに地方自治法第一八〇条の四「組織等に関する長の総合調整権」がある。これをもって首長の権限は全てに及ぶとの考え違いがあるが、あくまでも「組織・職員の定数・または職員の身分取り扱いに関する内部管理的なものに関するものであり、各執行機関たる委員会等が法令に基づいて行使する権限の内容まで立ち入りこれに干渉を加えるものではない」(判例)とされ、身分取り扱いについても個々の職員ではなく一般的基準についてであり、学校・図書館等を除くとしている。
 このように教育全般にわたる理念も法律も『教育権の独立』を尊重しているのであるが、実態はどうか。首長にはすべてに上位の権限があり、教育委員会もそれに従わなければならないという間違った認識はないだろうか。もしあるとすれば、教育の自由の保障はおろか、教育行政の自主独立性の確立さえ程遠いものになる。本来、教育には管理や上下関係などいわゆる権力はなじまないものであるが、不幸にしてわが国の教育は統制の道を歩み、官僚体制に組み込まれて来たことで、教育関係者でさえ何の疑問も持たなくなっている。
 「管理は教育の自殺行為である」(『教育の名言』から)と言われるように権力の介入は教育・学習の基本理念であるべき『自由・自主性』が無視され教育の死を意味する。教員を公務員外として学校を権力と無縁の教育の場にとの論議もある当今、教育に携わる人々はいまこそ教育の原点に立ち返るという、意識改革が必要ではないか。  
(2003年9月5日)

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「家の財産は子供」に共感

久しぶりに教育講演会を聞いた。穂高東中学の総合学習の一環として企画された、年間七回講演のひとつ。講師は朝日新聞アメリカ総局長・論説顧問などを歴任後、共立女子大学教授、ハーバード大学国際問題研究所評議員を経て現在長野大学客員教授の松山幸雄氏。演題は「日本人の進むべき道」。二十一世紀の国際社会を生き抜く日本人にどのような資質能力が求められているのか、が具体的に語られた。
 それにしても、生徒と教職員・保護者、そして地域の人々が一緒に学ぶ環境を、一中学校で用意できるということは大変に恵まれている。「生徒を始め皆が共感し、感銘した。いろいろな場で話し合う機会を持ち生き方の深化を図りたい」(教頭)という。今回はこの話の内容を自分の共感を中心に書いてみたい。
 「国際社会でものを言うのは、成績や知識や学歴ではない。人に好かれ尊敬されることである。そのためには、できるだけ明るい気質、ユーモアのセンスをもち、礼儀正しさ、優雅さなど品位を身につけることが必要。ユーモアは文明開化の尺度ともいわれる。残念ながら外国人の日本人評は『ユーモアのセンスのある日本人はいない』である。次に、たくましく常に堂々とし、いつも余裕のある生き方をしたい。あくせく、こせこせ、がつがつ、そのくせだらだらしている日本人。猛烈に勉強した後には息抜きが必要、よく学びよく遊べである」
 「また、同じ幅でも高くなるほど不安を感じるもの。人間も地位が上に行くほど余裕(人間としての幅)が必要。たくましさについては、負けないことより負けてもへこたれない強さが大切、米国では負け方を、日本は勝ち方を教える。これは敗者復活、逆転の起こりうる社会かそうでないかの違いである。人生は長く不公平なもの、何が起こるかわからない。四六時中努力していかなくてはならない。米国人は学校を出てからが勉強、日本人は学校を出たら勉強は終わり。これではチャンスを生かすことも、挫折から立ち直ることもできない」
 「もう一つは優しさ。人への寛容の心を持つようにしたい。力のある人はいじめをしない、それは優しさが身に付いているから。最後に『人は石垣、人は城』というように努力して、皆さんが優れた日本人になり、国際社会で一目置かれ尊敬される人物になることが、日本の実力を高めることになる。国家が偉大ということはGDPや核兵器などではなく、優れた人材がたくさんいるということだ。それは家庭でも同じこと。『家の財産は子供です』と言えるかどうかだ」。次回は「新薬が生まれるまで」。
(2003年9月19日)

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行政の力で学力向上は誤まり

「金は出すが口は出さない。現場の先生方は一生懸命頑張っている、それを支援するのが国の役目だ」。河村文科相の言葉である。教育の本質からは正論なのに何故か新鮮な感じだった。文科行政全体の教育に対する認識・姿勢が変わることを期待したい。
 子供の教育に直接当たるのはいうまでもなく親と教職員であり、子供が学ぶ対象は教育環境の全てである。行政の役割はといえば「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」(教基法一〇条)以外の何ものでもない。ところが、一部に行政の力で学力の向上や人格形成ができるとの、誤った考え方がないだろうか。あるとすれば思い上がりである。繰り返すが教育をするのは行政ではない。
 最近、ひょんなことで長野県の教育行政に関する情報を得ることになった。基本理念は「現場からの改革、それを行政が支援する」という徹底した現場主義。子供と教員に軸足を置く極めてシンプルなものであるが、その理念が行政の方針や、諸施策に色濃く現れている。教育委員会事務局九課の一つ、教育振興課に教育改革推進係を置くことで改革意欲を示し、長野モデルと称したオリジナル事業が十一もある。三十人規模学級を小学校六年生までに拡大、小四から中三まで少人数学習集団編成の拡充、チャ−タ−スク−ルの運営方法等の検討を行い、新しいタイプの学校づくりを推進するための検討委員会の設置、実現しようとする団体・個人のネットワ−ク化とその支援など、いずれも画期的である。
 更に、学習障害や注意欠陥多動性障害等の軽度発達障害のある子供たちの教育について新たに教員を配置、学校長のリ−ダ−シップによる創意ある学校づくりを実現するため、校長裁量による予算執行ができる「創意ある学校経営支援事業」の継続、NPOと協働しての絵本や紙芝居、伝承遊び、大道芸などを通して子供たちの夢を大きく育てる「おはなしドキドキぱ−く事業」など、いずれも子供と教職員の側に立った施策である。
 まだある。各学校において子供・保護者・地域住民の声を反映させる学校自己評価活動に取り組む「主体性のある開かれた学校づくり」、そして教員採用選考は社会経験を重視して年齢制限を撤廃、新たに障害者枠の設定をするなどである。それでも県民意識調査では「かつての教育県のよさがない」「もっとチャレンジして」との声が六五%を超えているという。真摯で教育を尊重し、郷土愛が強いといわれる県民性から見れば、現状は必ずしも満足されてはいないらしい。県民意識のレベルの高さが長野を変えていると感じた。
(2003年10月3日)

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豊かな遊び体験の欠落

総合的な学習が小中学校に導入されて一年以上が経過したが、いまだに学校・家庭から悪者扱いされている。体験学習が中心のためか教員は多忙を、保護者は学力低下を理由に挙げているが、いずれも教育の本質抜きの見方ではないのか。子供たちはどう見ているか、本当に効果が上がっていないのかなどを考えてみる必要がある。
 学校教育に体験学習が導入されなくてはならないのはなぜなのか。人間が物事を認識する過程の初期段階に直観力を育てる「体験」は欠かせない。認識は「体験」(知覚・想像)−「理論」(思考・判断)−「一般化」(実践・行動)の順に深まる。このサイクルが繰り返されながら認識のレベルアップがなされ、幅も広がる。この延長線上に生きる力や学問がある。
  これを子供の学習に当てはめれば「体験」が学校の学習「理論」のベースになり、学習したことを家庭や地域で実践してみる「一般化」によって身に付いていく。更にこの実践行動が新しい「体験」となり、その時の発見・疑問や感動が次の学習意欲となる。このように学習による認識は学校だけで深め、身につけることはできない。家庭や地域そして豊かな自然が必要である。
 ペスタロッチの理論で知られるように、人間は生活実践過程の中で知識や能力を獲得して発達するといわれる。今日、家庭や地域での遊びが奪われ、知識の生成や認識力の形成に欠かせない体験が子供たちの生活から失われている。子供たちは感動体験もないまま、いきなり一般化された知識・技術、つまり理屈から学校での学習が始まることになる。したがって学習は発見・疑問や感動など学ぶ喜びの無い記憶中心にならざるを得ない。
 「豊かな体験」の抜けた子供たちの実態から、現代では正常な学校教育は成立しなくなっているといわれるのはこのためである。学校は欠落した体験の全てを補完することはできないが、学習を効果的にするのに必要な最低限の体験を導入しようとしたものがいわゆる「体験学習」である。したがって小学生と中学生・高校生の総合的な学習の内容や時間は違ってしかるべきであり、地域・学校でも異なるのは当然と言える。子供の実態を的確に把握し、教員や学校が主体性を持って進めなければならない。
 ところが、文科省はわずか二年で制約の方向で検討しているという。学校や教育委員会はこれをどう受け止めるのであろうか。子供側に立った主体的な判断が求められよう。ともあれ生活体験の不足している今の子供たちに、一日も早く子供時代本来の生活(遊び体験など)を取り戻させたいものである。
(2003年10月17日)

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知識の量よりも夢・意欲

日曜の朝、ついみてしまうテレビ番組が「課外授業・ようこそ先輩」である。見た後のさわやかさがなんともいえない。特に「課外授業」で子供たちの目が輝き、生き生きと学習する姿に心が洗われる思いがする。僅か三日間ではあるが、多くの感動があり、子供たちが確実に変容していくことに驚く。それぞれが自分の全てを出し切り、ぶつけ合う。机を前に子供たちが姿勢を正し、先生が黒板を背に授業をするという教室風景が見られるのは最初の日、それも短時間。殆どは教室を出ての学習活動となる。
 下校後も活動は継続され、家庭や地域が学習の場となる。しかもグル−プ活動が多いから、調べたり、考えを出し合ったり、試したりするなかで友達との人間関係も深まり、大人たちとのコミュニケ−ション能力も身に付く。課題こそ与えられるが、あとは問題づくりも調べる方法も、どう表現するかも、全てが子供たちに任せられるので、思い切り自分の力が発揮できる。はじめから終わりまで、常に学習者である子供が主体となれるということが、子供たちの心を揺さぶり、生き生きとさせているのではないかと思う。
 一人一人に対する先生の的確なアドバイスがそれを後押しする。こういうときの子供というのは偉大だと、何時も思うのである。最近見たものに歌手森山良子先生の授業「さとうきび畑」・「自分のざわわを見つけよう」と、ゲ−ムクリエ−タ−水口哲也先生の「自分の未来を作ろう」がある。両方とも初めに子供たちに絵を描かせ、その絵から子供たちの考えや心を感じ取り、グル−プわけをする。そのため性別、人数等にはこだわらず、同じ思いをもつ者同士がグループで学習活動を展開することになる。テーマが共通であるから活発に意見を出し合い、どうするかを考え、即行動に移る。
 「ざわわ」では歌の生まれた時代背景や、そのときの人々の気持ち・様子などを調べようと図書館やお年寄りを訪ねるグル−プ、「広いさとうきび畑」が一箇所だけ「けれどさとうきび畑」となっているのは何故なのかと悩み、考えあう二人などが紹介される。「自分の未来をつくろう」では、戦争のないよい世界のため「思想や思いが理解しあえるマシンを作る」と言った子供の言葉が印象に残る。未来を考え、夢を持つことが生きる意欲になり目の輝きを増す。これが教育であり、学ぶ子供本来の姿ではないのか。子供の優れた能力を引き出すことなく、知識の量を増やすことが教育だと考えている大人がまだまだ多い。この考え方が変わらない限り、子供たちは不幸であり日本の行く末も案じられる。
(2003年10月31日)

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理念・理論のない大人社会

夏の終わり頃から急に枯れ始めた庭の一本のカエデ。植木屋さんの診断によると「根が張れなかったのだと思う」とのことであった。かなりの年数がたっていただけに、移植後の成長を根が支えられなかったのであろうか。木にとって根は命。人間の根に当たるものは何であろうか。それは子供時代の教育によって身に付ける強い精神力と豊かな知性・感性、そして健康な体であろう。これらがしっかり備わっていれば、いかなる環境の中にあってもたくましく生きていける。
 近年、子供たちが精神的にも肉体的にもひ弱になったと言われる。教育の観点からいえばそれは至極当然のことである。大人の都合優先の社会では、子供を子供として見ず、大人の価値観で判断し、大人の思い通りにしようとするものである。そのことに社会は気づいていないことが多い。教育に係わっている者でさえ「今の子供たちは…」というのには驚く。子供は大人を映す鏡でなくなったとでも言うのであろうか。いうまでもなく子供は社会のなかで、その影響を直接、かつ敏感に受けながら成長していくものである。
 このことは、教育が社会における人間の形成作用全般を意味しているということを考えればうなずけることであり、社会と教育は密接不可分の関係にある。教育の前提は社会にあるとすれば社会がおかしければ当然、教育もおかしくなる。その影響をもろに受けて育つのが子供ならば子供を責める理由は何もない。むしろ大人社会の在り方を考えるべきではないか。 教育の本質についての議論無しに、方法論だけが一人歩きしている感がぬぐいきれない。物事にはしっかりした理念があり、理論が確立され、その上で方針なり方法なりが生まれてくるものである。それが、いきなりこうするという結論が示され有無を言わせず従わせるというやり方は、いまなお古い体質を残す行政に多い。この場合、理念も理論も無いから趣旨不明や論旨矛盾が起こる。 地域の子供や教育を大切にするならば、本質の分かる見識のある人々の奮起が不可欠となる。人間とは、子供とは、学習とは、躾とはそして教育とは…と議論すれば限りない。しかし、これらの議論なくして教育はありえない。人間を創るということは、それほど遠大なものとの認識が欠かせない。
 地域の子供と教育に責任を持つべき学校や行政のリーダーですら、多くは自ら本質の議論を忌避し、文科省だ教育委員会だと依存していることを危惧する。教育の本質を本気で議論し、本質に基づく教育が重んじられる社会にならない限り教育の危機は続く。
(2003年11月14日)

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民間人校長制度は誰のものか

長野県にも民間人校長が誕生する。県教育委員会は会社の中堅幹部二人をこの十二月に採用、四ヶ月間の実務研修を経て来春任用の予定という。今年四月の時点では全国に五十六人の民間人校長がいる。広島県尾道市立高須小学校の校長だった慶徳和宏さんが三月、学校運営に悩み自ら命を絶つという悲惨な出来事があったことは記憶に新しい。「子供たちの笑顔に囲まれたい」「民間で培った経験とプロである先生方と力を合わせ、信頼され、評価される学校を目指したい」と、夢を描き希望を抱いて入った教育の世界は、余りにも冷たく非情なものであったようだ。
 公表された広島県教委の調査結果が自ら認めているように、制度運用上の多くの課題が未解決のまま本制度導入に踏み切ったことが、最悪の結果を招いたことは事実であろう。報告書を読み深めていくにつれ、慶徳校長の一年に満たない日々は余りにも過酷で、苦悩の連続であったことが伺える。閉鎖的といわれる学校は企業人からすれば未知の世界とすらいえる。そこへただ放り込まれたと考えるならば、少しばかりの研修があったとしても、何も分からないのは当然である。
 一人目の教頭が倒れたとき「教頭がいないことは非常に痛い。私は状況が分からない。校長が銀行家になっても何も分からないのと同じだ」ともらしている。二人目が病気で入院した後は「一人で卒業式をやらなくてはならない。経験もない、協力者もいない」とも言っている。日常的には校長対教職員という対立の構図の中で孤軍奮闘。PTAまでもが非協力という状況が、孤立感と無力感を募らせていったようである。「能力のないものが校長になってたくさんの方々にご迷惑をおかけすることになって本当に申し訳ございません」という遺書には無念さがにじみ出ている。
 民間人校長採用制度の趣旨は、学校教育を活性化するため、企業の組織運営に関する経験や課題解決能力等に着目した校長採用を行うというものである。言い換えれば順送り校長制度の行き詰まりであり、公教育の危機でもある。民間校長制度の可否、導入するしないの議論以前の問題が学校には大きく横たわっていることをこの制度はえぐり出したといえる。
 学校教育についての激論はあっても、対立や無視はあってはならない。教育に対する理念と情熱それに強い責任感を併せ持つ優れた教育者が、思う存分リーダーシップを発揮できる制度の確立と現場づくりが急がれる。この事件を通して見えてくるものは大人の論理だけで、子供が置き去りにされているように思われてらない。
(2003年12月5日)

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学校の目指すところ

教育の理想と現実のギャップは、余りにも大きい。特に学校はそうである。ここ約三十年間、子供の事件や問題が起こるたびに学校は槍玉に挙げられ、責め立てられてきた。七〇年代後半から始まった校内暴力、八〇年代のいじめと体罰問題、そして校則問題、九〇年代の不登校と二度目のいじめ問題、最近の学級崩壊問題。この間、いわゆる非行といわれるものの増加もあり、学校は続発する問題の改善を求められ、対応に追われてきたのである。
 そのほかに、激増する子供の輪禍対策としての集団登下校・交通安全教室、エイズ感染防止のための性教育など社会の要求は多様であり、取り組む問題には枚挙に遑がないのであった。学校がコンビニエンス・スクールと揶揄されたのも仕方がない。一方で詰め込み教育、落ちこぼし・落ちこぼれ、輪切り選抜などが批判された。
 このような状況の中では、近代学校の役割である「知識・技術の伝達、集団生活のルールや価値観、道徳観の習得」以前の活動が、学校の中心活動にならざるを得なかった。これに拍車をかけたのは学校が中央集権化のシステムに組み込まれ、単に教育サービスを行う末端の行政機関と化してしまったことにある。学校は次々と上から下ろされてくる指示に従ってことをなし、平穏に過ごせればそれでよいと次第に考えるようになった。
 いじめのない学校、不登校ゼロの学校、体罰や学級崩壊の一掃などが学校教育の努力目標となる珍現象が起きた。その背を押すかのようにメディアも社会も、そして行政までもがそれらの数値だけで学校を評価、保護者も学力や進学率で評価する。教育を数値だけで測ることがいかに表面的な捉え方であるか、もう一度考え直したい。教育の本質を議論しないまま、目の前の問題だけに追われ、対処療法を繰り返しているのが現実である。
 いま、学校とは何を目指し、何をするところなのかをはっきりとさせたい。子供の将来を考え、教育を通してよりよい社会をつくるという、崇高な使命感はどこに行ってしまったのか。このような時こそ学校は行政依存から抜け出し、責任者である校長が自ら教育の理想の道を示し、先頭に立つべきであろう。子供の将来を考えることが教育の本質であるならば、学校は未来社会の担い手を育てる役割を負っていることになる。
 それゆえ、学校は未来社会を想定し、将来に活きる力を身につけることを目指さなければならない。グロ−バルなレベルでの学校の在り方を、校長のリーダーシップの下、教職員・地域を挙げて議論すべきときに来ていると思うのだが。
(2003年12月19日)

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原田泰治に学ぶ親子の関係

原田泰治美術館に行った。以前から泰治の人となりに惹かれていたからである。そこで上映中のオリジナルビデオと二冊の本からそれを探ることができた。万物に向ける心のやさしさ、どんな困難にもめげない逞しさ、常に人や自然に対して尊敬と感謝の念を持ち、決して驕らない。
 腕白でひょうきん、面倒見がいいことで信望を集めていた子供時代。看板業の仕事やイラストレ−ションを描くようになってからも人の輪は更に広がり、椋鳩十、谷内六郎、新田次郎、原弘をはじめ、さだまさし、小澤征爾、筑紫哲也、真島満秀など多くにのぼる。このような泰治を育んだのは信州の豊かな自然と、突然襲ってきた不幸な出来事を見事、乗り越えた家族の結束であろう。
 「信州の風土、信州の自然が僕という人間を育ててくれた。青い顔をしてやせっぽちで、どうしようもない神経質な子だった足の悪い僕を、色の黒い口の達者な頑張り屋に育ててくれた伊賀良の太陽と土、山と空、自然の営み」と著書『わたしの信州』に泰治は書いている。もう一つは父親を中心とした家族の絆である。
 一歳になって間もないころ小児麻痺にかかり、手遅れと言われ絶望、一条の光を求めての病院通い、一年後、過労による母親の死、戦争のあおりを受けての失職、食糧事情の苦しさから逃れるには農業をやるしかないと伊賀良村に一家で移る。その後も、泰治の足の骨折、水脈探しのトンネル堀りと水田作り、そして足の手術など壮絶な苦闘の連続がある。高台のため水田作りは無理と言われたが、家族に赤飯を食べさせたいとあえて挑戦する父の姿。
 トンネル堀りの途中、大きな石にぶつかった時「トンネル堀りは人生のようなもの、壁にぶつかった時もきっとどこかに抜け道がある。泰治も足が悪いからといってどんなことがあってもくじけてはいかん」という父の言葉。「人間どのように追い詰められても絶対にあきらめない」が親子の合言葉になったという。 父親の信条「あきらめない、後悔しない、驕らない、懸命に生きる」がしっかり息衝いている。泰治は「父ちゃんと母ちゃんは僕に有機肥料をくれたのだと思う。有機肥料は長い年月をかけて土壌を豊かにし作物の生長を育むものだ。それに比べ、今の子供たちは親や大人たちから化学肥料を与えられているんじゃないだろうか。勉強させて知識を詰め込むことだけが教育ではないはずだ。子供は親の背中を見て育つものだ」という。親に勝る子供の教育はない。(引用は『泰治が歩く』原田武雄著、『わたしの信州』原田泰治著及び刑政、美術館ビデオから)
(2004年1月1日)

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この親にしてこの子あり

―幼い頃の冬の寒さの厳しい日のことであった。母といっしょに風呂に入った。石炭はよく燃えているようだけれど、なかなか温かくなってこない。母は、「もう少したつと温かくなるよ」と言う。次第に温かいお湯が下から沸いてくる。私は急いで沸いてくる熱いお湯を手前にかき寄せた。それを見ていた母から、「その沸いてくる温かいお湯を、自分の方でなく向うへ(反対に)押してみなさい。そうすると背中から、脇の下から温かいお湯がくるでしょう。人に対しても同じで、まず相手の人に温かくすることが大切なことよ。いずれ自分にもそのぬくもりが返ってくるはず。これが世の中というものよ」と、たしなめられた。人に対する思いやりということだったのだろう。科学的にも対流現象で母の言うとおりであり「思いやり」は、今でも大切な母の教えだと思い出すのである。
―高橋國雄前市川市長著『つれづれなる人生』の一節「お風呂の会話」である。教育委員会職員となって間もなく手にした本であるが、自分の子供時代にオ−バ−ラップするところも多く共感しながら読んだ。子供が親に似るのは当たり前のことではあるが、科学の進歩はこれまで未知の世界とされていた知能や性格に関する情報までが誕生時に親から遺伝子として受け継がれていることが分かってきた。まさしく「この親にしてこの子あり」。本を読んで以来、高橋國雄という人間性が「お風呂の会話」によって凝縮されていると感じることがしばしばであった。
 物事をするときには住民、子供、それに議員や職員一人一人にまで思いを馳せ煩悶する姿があった。強大な権限をもちながら傲慢にならずその人の立場に立って考えたり情を寄せたりする温情や度量の大きい人となりは母の資質と教えが原点であろう。
同時に「この市長あって、ここにこの市川教育あり」との思いを強く持ったものである。この思いやる心が市川の教育施策コミュニティスクールやナーチャリングコミュニティ事業を誕生させたのである。今では同じ心を持った人々の献身的な努力により思いやりの輪が地域に広がっている。そういう大人と触れ合うことで子供は自然に思いやる心を育てているものである。思いやりの心が育つのは幼児期であることから親の教育に左右されるが、地域社会の役割も見逃せない。人のことを考えられるようになる(思いやる)ことが大人になった証だといわれるが、自己中心的な大人(?)が増えているといわれる今の時代、「お風呂の会話」が多くの家庭から聞こえてくるようになるといいのだが。
(2004年1月16日)

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環境つくる大人の責任

億万長者が結婚したいと言い出した。媒酌人は三回続けてミス・アメリカになった美しい娘を紹介したが彼は断った。二番目に金持ちの娘、三番目には二十四歳で教授の話をしたがいずれも断った。媒酌人はやけを起こして「勝手にしろ。どんな女がいいというんだ。」というと、「礼儀正しい娘がいい。」という答えが返ってきた。人間には道徳(モラル)が不可欠であるというユダヤの昔話である。この道徳とか礼儀というと日本では古い価値観だと一蹴する向きもあるがそうであろうか。
辞書によれば道徳は「社会において物事の善悪を考え正しく行動するための規準」とあり、「対人関係で相手に対して取るべき正しいとされている行い、態度」を礼儀としている。国を越えての時代においても、人間としての最高レベルの価値である。ましてやグローバル化された社会において、これら無しに日本人が世界で尊敬され信頼を勝ち得ることはできないであろう。平成十一年六月の生涯学習審議会答申『生活体験・自然体験が日本の子どもの心をはぐくむ』の冒頭に「生活体験、自然体験が豊富な子ども、お手伝いをする子どもほど道徳観・正義感が身に付いている」という調査結果が載った。
この当たり前のことがあえて取り上げられた背景には、子どもの成長過程において道徳観や正義感を学ぶ環境が極めて貧弱であるという危機感がある。十年ほど前、他県のある学校の公開研究会に参加した時、反省会の席で市長がこうをした。「先生方は善悪の判断がしっかりできるような子供に育ててください」多くの保護者もいた。この言葉に子供の教育すべてを学校に依存する危うさを感じた。までも学校でと言われていたの話であるが、それにしても当時が如何に子供にとって劣悪な教育環境であったかが分かる。
発達心理学者ハヴィガーストによれば善悪の区分と良心の発達は幼児期に、道徳性価値判断の尺度の発達は児童期にあるという。この時期を逃すと取り返しが付かないことになる。の子供は道徳観・正義感が身に付いていないという前に大人自身がどうであるか、子供がそれを学ぶ環境がどれだけ用意されてきたかなどを振り返ってみる必要がある。こちらに住んで間もない頃、散歩をしていた時のことである。下校途中の子供たちが「こんにちは」と大きな声で挨拶をしてくるのに驚いた。見ず知らずの者にも挨拶をするのはこの地域の大人たちも同じであった。単なる挨拶運動ではなく、生活の中で身に付いた子供たちの礼儀といってよいであろう。今では、努めてこちらから挨拶をするようにしている。 
(2004年2月6日)

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責任転嫁する親と大人扱いしない地域

このほど、いじめや不登校、引きこもり、家庭内暴力などに悩む人たちの相談に応じるNPO法人の相談所を自宅に開設した、近くに住む女性Fさんに話を聞いた。共通して言えることは子供のときの親の育て方に原因があり、社会での基本的な行動様式・態度、生活習慣などを身につけさせるというがなされていないため社会に適用できないでいるのだという。
子供は親によって社会適合への行動様式を身につけていく(子供の社会化)。この社会化には人間として成長していくための多くの発達課題達成が必要となる。乳児期の発達課題は母親的養育者によって、人を信じるという基本的信頼感の目覚めから始まり、幼児期の自律性や心、善悪の区別と良心の発達、家族や他人との情緒的な結びつき、には自主性、児童期における遊び仲間との人間関係を学ぶことや道徳性、勤勉性、社会性の発達などがある。しかも発達課題は積み重ね的な性格を持つものであるから、各発達段階において順次達成されなければならず、中抜きはできない。普通、十歳までにこれら大人になるための発達課題が達成されることが必要とされている。
この時期を過ぎると子供はむしろ家の外でもまれるべきで、大人扱いが必要になってくる。親から離れ、友達と遊ぶことで周囲の人間との付き合い方や日常生活に必要な概念を学び身につけていく。従ってこのあたりから子供を家の中に閉じ込めておくことは、それ以降の発達を阻害することにつながる。続発する青少年による的な事件も言うなれば育てられ方の問題で、大人になるように育てられなかったための成熟障害であり、そのことに由来する適応障害といえよう。本来、全ての子供たちが家庭だけでそれぞれの発達課題を達成し、大人として自立していくわけではなく、ここに地域社会の大切な役割が潜んでいる。隣近所の子供たちを自分の子供のようにしかったりほめたりするとか、社会全体が子供たちをあるところから大人扱いするような気風がなくなったのも健全な成長発達の妨げになっている。
今、このような家庭や地域社会で育てられ苦しんでいる多くの人々を、Fさんは次のように分析する。「勉強だけを強いられてきた有名校入学者、子供のから友達との遊びが少なかった者、不登校などの原因を担任や児童相談所の人など他人の責任としている親、躾をせずしかることすらなかった親などが問題の背景にある」という。「親が変わらなければ…」とも。自らの非行、家庭内暴力、登校拒否やいじめなどの経験を通して人間の生き方を追究してきているだけに、問題のえ方が的確である。
(2004年2月20日)

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人生最初の課題創造者は母

“一人の賢母は百人の教師に匹敵する”(ヘルバルト)といわれるが子供にとって母親ほど大事な大人はいない。乳児期、母親から十分に見つめられ、語りかけられ、触れ合われることによって、人への信頼感を培っていく。エリクソンはこれを基本的信頼といい、子供の人生に対する展望や希望の土台を創り上げるもとになるものであるという。基本的信頼は、人間形成をする上での基礎となる発達課題でもある。この最初の課題が達成されないと、以降の課題は全て達成できないまま一生を歩むことになる。
 「親からの愛を受けるべきときにそれが欠如すると親離れが悪くなる」ともいわれるように、自立した大人になるためにも母親の温かく深い愛情は欠かせない。特に幼児期までは「母親はいいものだ」と感じ取れるよう、愛情いっぱいに育てることが不可欠なのである。子供の虐待がこの十年で十倍以上になったといわれる。親の愛情不足に起因するとはいえ生まれてきた子供は不幸である。国は本質論を避け、またもや対策を学校に頼ろうとしているが、それでいいのだろうか。
 こんな家庭もある。今は高校生の長男を頭に四人の子供の母親、カタログ販売会社の社長で三十八歳。家族とはなれ東京で一人暮らしをしていた。ある日、中学一年の長男が「このごろ学校からすぐ帰ってきてしまう」という祖母からの電話。すぐに本人に電話をしたが何を問いかけても「別に」「まあ」だけ。長男の様子は思っていたより深刻、これは本気で相手をしなくてはと仕事場を仙台に移す。
 それからというものは何とか外に出そうと考え、習いたてのスノーボードに誘う。何回か通ううちに彼が、学校に行けない自分を責めているのも分かってきた。それに学校はやることが多すぎて疲れているようだった。先生は「我慢することも大切、とにかく登校させてください」と本質からはずれた助言だけ。勉強は意欲があってこそできるもの、そうでない息子にその学校で勉強させるのはいやだった。三か月かけて息子と得た結論は転校。試験のための勉強でなく、学ぶことを楽しめる学校はないものかと探し当てたのが千葉県のある学校。望んでいたカリキュラムもあり、先生とも考えが一致した。それから三年、長男は数学者か哲学者、次男は小説家を目指し生き生きと勉強している。会うたびに知識が増え、幅広い会話ができるようになった(日経新聞『こどもと育つ』要約)。こういう母親を子供は求めているのかもしれない。
(2004年3月5日)

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子供の人間形成に不可欠な父の存在

父親になるのは易しいが父親であることはとても難しい(ドイツの漫画家、ブッシュ)といわれ、世界で一番有能な先生によってよりも分別のある平凡な父親によってこそ子供は立派に教育される(ルソー)ともいわれる。子供の成長に父親がいかに大切であるかを表している。
日本の家庭には二人の母親がいるといわれて久しい。これは子供が人間形成をしていく上で必要不可欠な父性が欠落し、深刻な状況にあることを示唆している。見かけだけのやさしい父親、物分りのいい父親があたかも子供にとって好い父親であるかのように見られてきた。しかし、これでは母親の役割を分担する父親がいるだけで父性は存在しない。
昔から母性は内向きの愛、父性は外向きの愛といわれているように、母性は子供を抱え込んで不安を除き安心を与え、父性は社会に強く押し出す働きを持つ。あらゆることが保護され安心できる家庭から、不安で怖い外界へ子供を連れ出す役を担うのが父性である。
子供が一歩外へ踏み出すということは大変なことではあるが、父性の手助けを得ることによって世界を広げ、社会化に必要な多くのことを学んでいく。人とのかかわりを通して学ぶコミュニケーション能力とか、人間の力を超越する偉大な自然の存在を知ることで芽生える自然に対する畏敬の念などは身につけさせておきたい。また、身近に人の死に直面することのまれな子供たちには自然の中で命の大切さや死への怖れや悲しみを体で記憶していく経験をさせたい。自立に必要な自己抑制力や挫折を乗り越える力も家の外でしか養えない。
このような経験が豊かな感性を育み、自立した大人へと社会化していく基礎になる。これらは広い意味での躾であり、父性(父親とは限らない)でしかできないとされる。多発する子供や若者の問題行動は、父性の欠如とのかかわりが大きいといわれてきた。「いちど人を殺してみたかった」と悪びれることもない少年、キレやすい子供、いじめにかかわる子供と傍観する子供、そして不登校になりやすい子供、その延長線上にある引きこもりやパラサイトシングルといわれる大人がいずれも何らかの父性欠陥症だと、京大霊長類研究所の正高信男助教授は明らかにしている。子供が健やかに成長し立派に社会化していくには、母性と父性がバランスよく存在することが必要のようだ。
(2004年3月19日)

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教育制度の転換期

学校は間もなく新入生を迎える。少子高齢社会の中で未来を担う、かけがいのない子供たちである。この子供たちが豊かな人間形成をしていけるような社会を築き上げるのは大人たちの責務であると改めて思う。
         その変革を促すのが今回の中央教育審議会答申である。二〇〇〇年に教育改革国民会議が学校の多様化を目指して提唱した「コミュニティスクール」の具体化であり、住民が本格的に公立学校の運営に参画する道を初めて開くもので、「地域運営学校」の創設が中心となっている。他に学校法人や民間組織に委託する「公設民営学校」も特例的ではあるが誕生する。
 また、現在は都道府県だけが持つ教員免許状の付与権を市町村教育委員会にもみとめる。更に、形骸化が指摘されている教育委員会制度の見直しも検討されるという。日本の教育制度の大きな転換期を迎えた。これまではどちらかというと教育革新であり、教育改革といえるものではなかったが今回は違う。
 「コミュニティスクール」の原点は一九三〇年代から四〇年代にかけて欧米で起こった学校制度であり、日本でも戦後一時期実践された。市川市が一九八〇年から取り組んだ「コミュニティスクール事業」も同じ理念であり、その先見性には感服する。アメリカのチャータースクールもこの理念の流れを受け、現在では三百校に迫るといわれる。
 学校運営への地域住民の参画を制度的に保障する仕組みとしての「学校運営協議会」設置はイギリスの学校理事会制度がモデルである。制度改革の背景は答申の「現在の公立学校は画一的で柔軟性や多様性に乏しく、閉鎖性が強くて地域社会との連携を欠きがちという批判がある」との指摘がある。これまでに「民間校長」「学校評議員制度」「学校選択の自由化」などを次々と導入してきたが効果は限定的であった。
 全国的には二〇〇二年スタートの「新しいタイプの学校実践研究」指定九校を始め、二〇〇三年度から「プロポーザル校」導入の宮城県、四月からモデル校での実践をする岩手県、三重県や長野県のコミュニティスクール型の学校づくりなど答申に先行した多くの取り組みが見られる。地域運営学校も公設民営学校も自治体如何であって、行政そのものが画一的で閉鎖体質を持ち続けるならば、学校が開かれ活性化することへは繋がらないであろう。
(2004年4月2日)

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地域の参画で学校が変わる

今回の教育改革によって公立学校はどう変わるのだろうか。一言で言えば、分権型社会にふさわしい地域の学校になるといえるだろう。明治の初め学校制度が出来て以来、公立学校の管理運営は当該教育委員会が最終的な責任を持ち、日常的には校長に委ねてきた。それが権限の一部を移譲し、学校の管理運営に地域が参画できるようにするというのであるから画期的である。
 では「地域運営学校」(コミュニティ・スクール)とはどういうものか。「公立学校の管理運営に保護者や地域住民が参画することにより、学校の教育方針の決定や教育活動の実践に、地域のニーズを的確かつ機動的に反映させるとともに、地域の創意工夫を活かした、特色ある学校づくりが進むことを期待」と答申は述べている。地域住民を中心とした「学校運営協議会」は育計画、予算計画などの承認をするほか、校長・教職員人事に意見を述べる。校長はその方針に基づき校務を行い、教育委員会は意見を尊重して人事を行う。つまり協議会が一定の権限と責任を持ち学校運営方針を決め、校長を選び教員を指名することになる。
 これまで文科省・教育委員会に依存してきた公立学校にとっては自立のチャンスと捉えることができるが、校長の力量も問われる。
 「校長には、学校を取り巻く地域の様々な関係者と十分なコミュニケーションを図り、相互の連携・協力を確保しつつ、学校の責任者としてリーダーシップを発揮する高い力量が一層強く求められることとなる」と答申にある。校長職は地域という足元を見極め、時代の変化を見通す能力と高いリーダーシップが要求される。
 この三月、実践研究指定校の経営に行き詰まり、僅か一年で退任した校長がいる。四月からは理事会(運営協議会)の意向を受けた民間人校長に代わったという。意識が時代の変化についていけなかったようだ。校長以上に変わらなければならないのが地域行政である。学校裁量予算や校長・教職員の公募・任用など、人事に地域が関与できるシステムづくりが急がれる。
 勿論、新しい制度を受け入れ、成果を確実なものにするには地域の自立など、成熟した地域社会が不可欠となる。「校長や教員は何年かすれば地域から去っていくが、俺たちはずっとここで暮らすのだよ」といった長老の言葉が耳に残る。教育は地域が主体ということを忘れてはならない。
(2004年4月16日)

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特色ある教育に民間のノウハウ

日本の学校が変わる理由は他にもある。条件付きながら公立学校の管理運営を民間に委託する道が開かれたこと、更には株式会社やNPO法人にも学校の設置が認められたことにある。
 これまで公立学校の管理運営は法律(学校教育法第五条)によって「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定めのある場合を除いては、その学校の経費を負担する」いわゆる「設置者管理主義」及び「設置者負担主義」をとってきた。これらは公教育としての役割を果たすための原則であったがこの考え方が公立学校教育の硬直性・画一性を招いてきたともいえる。
 今回の改革で「設置者管理主義」の例外を認めたのであるが、日本の学校制度としては画期的なことである。この制度を取り入れることになった背景には近年、急速かつ大きな社会構造の変化や国民の意識や価値観の多様化に伴う高度な要請に公立学校が十分に答えられなくなってきたことに対する危機感がある。
 「公立学校の管理運営を包括的に委託することを通じて、例えば、民間の有する教育資源やノウハウを活用することにより、機動的かつ柔軟なサービスが提供され、多様なニーズに応じた特色ある教育を効果的に実現することができること、学校の設置者にとっても、保護者や児童生徒にとっても選択肢の拡大が図られること、既存の公立学校に刺激が与えられることにより、競争が生まれ、公立学校全体の質の向上が図られることなどが期待されている。」と答申。
 更に、「公立学校の管理運営の在り方に対する批判は最近になって起ったものではない」とも。
 確かに平成十年の答申「今後の地方教育行政の在り方につて」は当時としては画期的であり、学校は大きく変わるとの期待を持ったものである。しかしながら、現実は答申の趣旨は理解されず、変わりたくないと思う人たちの方が大勢を占めていた。その結果、各学校の自主性・自律性の確立は人事や予算の制度改革が伴わないので実体は絵に描いた餅となり、開かれた学校を目指して導入された「学校評議員制度」も形骸化した。
 画一性からの脱皮を図る通学区域の自由化にさえ反対するような閉鎖的な体質も、改革の障害となった。どんなによい改革案が示されたとしても、当事者の認識と一人一人の自覚と努力なしでは実現できるものではない。加速する時代や社会の変化に合わせるかの如(ごと)く、様々な分野で構造改革が進められているが、その中にあって最も遅れているといわれるのが教育の分野である。再び訪れたチャンスを逃がしてはならない。
(2004年4月30日)

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画一教育からチャータースクール実現へ

「チャータースクール」という言葉を最近よく見聞きする。六〜七年ほど前だったか、市川にチャータースクールの誕生をと考えているある代表に会う機会があった。話を聞いて一日も早く実現させたいと考えたが当時としては設立できる環境にはなかった。今こうしてチャータースクールが現実になったことを思うとき劇的な時代の変化を感じるのである。
 米国で生まれたチャータースクールは画一化した日本の学校教育を改革するモデルとして早くから注目されていた。学校法人や民間組織に公立学校の管理運営を包括的に委託する「公設民営」型の学校は勿論、「地域運営学校」もこのチャータースクール制度の要素が取り入れられている。
 では、チャータースクールとはどんな要素を持った学校システムか。ジャーナリストの天野一哉氏は次のようにまとめている。<1>公立学校である<2>保護者と子供に学校選択の自由がある<3>設立者(市民)が自治体の教育委員会と学校運営、教育方針などについて契約(チャーター)を結ぶ<4>市民が学校運営に主体的に参画する<5>学校運営には、学校の設立、予算の立案と執行、カリキュラムの編成、校長を含めた教職員の人事などの権限が含まれ自律性が確保される<6>開校目的の明確化<7>安全確保、人権保護を除いて諸規制の適応を免除<8>学校は説明責任を負い一定の結果を達成できない場合と運営に失敗した場合、閉鎖か一般の公立学校に転換する可能性がある。実際にはどんな学校になるのか天野氏の論文からイメージ化してみたい。
 開放的な空間の広がりの中で生徒たちは個人ブースや共有スペースで思い思いのプロジェクト学習に取り組んでいる学校風景がまずある。プロジェクト学習では子供の自発性を尊重するが教員側はそのプロジェクトによって子供に何を身につけたいかをはっきりさせ立案段階から子供と徹底的に議論し、オーダーメードの学習計画を創り上げていく。「学習意欲を引き出すには一人一人に合ったプログラムを提供しなければならない」との校長の言。従って教員は非常に高度な学習コーディネーターとしての力量が要求される。しかも子供による教員選択制が採用されていて常に受益者からの厳しい評価のまなざしにさらされている。また、学校独自のカリキュラムを開発する能力も求められる。
 このように教員の質の高さが要求されるため学校に勤務しながら大学で研修できる制度も確立されているという。日本にこの制度を導入するに当ってはあらゆる面の改革と環境の整備を伴うことが必須である。いずれにしても潜在化している子供の学習意欲をどう引き出すかがこれからの学校教育のポイントになりそうだ。              
(2004年5月14日)

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極めて特異な日本、心の教育も学校で

教育改革が叫ばれて今年で二十年が経つがこの間に答申、提言、提唱などが数多く出された。しかし、日本の学校教育が外からどう見られていたかということは意外と知られていない。それを知る手がかりとなるものが『不思議の国の学校教育』(第一法規)という本である。「著者ジャック・コリノー氏はフランスで教育政策の国際比較研究に従事していた教育専門家であり日本にも住んだこともある。同氏が欧米人を対象に日本の学校教育の特徴を論文にしたものであるというがわれわれ日本人自身が気づいていない学校教育やその背景にある日本人の考え方について多くの示唆を与えてくれるものである」と序文。内容を紹介してみよう。
 日本の教育についての考え方は先進諸国の中では極めて特異。それは教育の根本的な目的を驚くべきことに「心」や「人格」などにおいていること、教育について「平等」を求める傾向が強いことなどの特徴を持つ。特に日本では精神的な発達の大きな部分について家庭や宗教よりも学校に依存し、それを当然と思っている国であること。「学校で子供たちの心が十分育っていないことは問題だ」と人々が考えていること自体極めてユニークであるのに、人々の殆どが気づいていない。
 コリノー氏が人間の生存の基盤としての「家庭」の重要性を理解してもらうためによく引用する事例がおなじみのテレビドラマ『大草原の小さな家』。家がまずでき、それが次第に増えてきた段階で、コミュニティーの中で自然発生的に「学校」が形成される。その学校は一定時間子供を預かるに過ぎないのであって、親の多くは「しつけはウチでするのだから、学校で勝手にしないで欲しい」と思っている。彼らにとって「心の教育」を学校でするということは到底理解できないのである。
 理解できないといえばもう一つ「教育における平等意識」がある。「差別」されることを最も嫌う国民性が、精神的な価値を強調する教育に差別は絶対に許されないと考えるのだと分析する。本来、人間には個人の能力差が生じるのは自然の理であるが、それを認めないのは日本の教育システムにも由来している。政府が学校でのカリキュラムの標準を決め、教科書の検定を行い「結果の平等」を全国的な規模で目指していることにある。
 ただ、この悪平等の制度が廃止されたらこの国の親たちは「教育の内容について地域差が生じないよう、政府が責任を持って同一レベルを保障すべきだ」と必ず主張するであろうという。人々が「結果の平等」を目指している状況においては学校教育の「画一性」「硬直性」などの変革は難しいのではないかとコリノー氏は悲観的だ。
(2004年6月4日)

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機会均等と結果の平等

前回の続きである。「先進諸国の中で『平等主義的』な学校教育システムを持っているのは日本と北米であるが、両者の間には決定的な差異がある。北米における『平等』とは『機会均等』のことであり人種の違いによって『機会』についての差別が行われることは許されないということであって、機会が与えられた後の『結果』については、個々人の能力・努力次第なのである。これに対して日本ではどうも『結果の平等』を意味しているらしい。そのことは全ての子供たちが同じように発達することができ、そうあるべきであり、結果としてそうならなければそれは『平等』ではないと考えているようである。」(コリーノ氏)。
 また、教育改革の遅れについて「この国の教育改革が急速に進まないのは、政治的リーダーシップの欠如、コンセンサスを重んじる国民性、実験的政策を嫌う風土など様々なものがあるが、この国の人々の多くが『他の人と同じであることによって幸せや安心を感じること』や、そうした状況を『政府が責任を持って達成すべきである』と思っていることもかなり重要な要素なのではないだろうか」と指摘している。
 この『結果平等意識』はさまざまな問題にかかわっている。日常的によく使われる日本独特の言葉に『やればできる』があるが、これもその一つ。根底には知識・技能のように個人による能力差があるものまでを含めて結果平等を求めてはいないか。氏は「信じがたいことであるがこの国の人々の殆どが『全ての子供は、同様にすばらしい可能性(同一ポテンシャル)を持っているはずだ』という驚くべき思想を持っていることである」と書いている。
 実はこの考え方が子供たちや教員・親までを追い詰めている。子供や教員・親がどんなに努力しても個人差が出るのが自然なのに、それを社会は認めない。結果として子供本人と担当した教員の努力が足りないと攻められることとなり、そのプレッシャーによって子供は不登校や自殺、教員は自信を失い病気に追い込まれる。
 更には、この『同一ポテンシャル信仰』が『能力差』に応じた教育を行うことを困難にしている。この国にとっては『能力別』とは存在してはならない概念であり『差別』と同義語に近いものとみなされる。でも、これと類似した『習熟度別』という名称は存在する。この言葉の背景には『潜在的能力は同じである(はずだ)が、結果としての習熟度は何らかの原因によって異なりうる』という考え方があるが、
 このようなレトリックによって現実から目をそむけている限り問題の根本的な解決はできないだろうとも言う。いずれも鋭い指摘にいろいろと考えさせられる。
(2004年6月18日)

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