日本代表コーチをしなければ終われない
車イスバスケット日本一を目指す
及川 晋平さん
市川・中山生まれの36歳。16歳の時に骨肉腫を発症した“バスケ少年”は、5年間の闘病生活へ。三度の再発、20回以上の手術を超えて来られたのは「ガンになった母のためにも、自分は死ねない」という気概だった。 「自分はどう生きていくべきか。障害を背負ったという自分の殻を脱ぎ捨てたい」と打ち込めるものを探すなか、車イスバスケットに誘われた。「なぜ車イスに乗ってまでバスケットを」との思いをよそに、そこには「ずっと夢中になっていたバスケット」があった。 車イスバスケットを題材にしたマンガ「REAL」に“現場のいま”を提供する。影響は大きく、「障害者や病院関係者から一般に交流が広がった」。 「結果を出すため、目標に向かって一つひとつ」。チーム全体を考える監督肌。選手だが、資料づくりや選手へのアドバイスを考える作業に追われる。「自分だけうまくなるのではなく、頑張っているみんなの可能性を最大限に引き出したい。突然何が起こるか分からない体だからこそ、確実につかんでいきたい」。 「日本代表のコーチがしたい。これをしなきゃ終われないですね」という笑顔は少年時代の面影をのぞかせる。 (2007年5月4日) MENUへ |
世界で活躍できるデザイナーになりたい
ホームソーイング作品コンクール高校生優秀賞
詫摩 侑美さん
「小学生のときから大好きだった洋服をデザインする仕事に就きたい」と、和洋国府台女子高被服科(現・ファッションテクニックス科)に入学。多く出される課題に取り組みながら普通教科も学び、ファッションの基礎だけでなく、一つのことに頑張って取り組む精神力を身につけた。「この3年間がなければいまの自分はいない。自分の人生において大事な3年間」。高校生活をこう振り返る。 3年間の集大成として初めてデザインから自分で取り組んだワインレッドのワンピースが、全国で優秀賞を受賞。「誰かに認められ、すばらしい賞をもらったことで自信になった」と、表彰式後から受賞の実感が沸いた。4月からの進学先は、洋裁の名門・文化服装学院。「入選作品は、自分のもっている知識だけで作ったもので、独学の部分が多い。服の原理を一から学びたい」と気の緩みは一切ない。 きれいなものを見るのが好きで、お気に入りは「夕方の高校の中庭」。休日には美術館やバラ園などを訪れる。 日ごろから描きためたデザインは、すでにファイル2冊分になった。「世界で活躍できるデザイナーになり、誰にでも着てもらえる服を作りたい」。大人びた18歳の少女には、大きな可能性が秘められている。 (2007年5月18日) MENUへ |
大きな財産となった地域の友達と楽しく
ISG塩浜運営会代表
矢口 弘さん
昨年4月から総合型地域スポーツクラブ・市川スポーツガーデン塩浜の設立準備運営委員会代表に就任し、オープンまでの1年間で40回の会議を重ねた。競技種目と会費の決定、指導者と場所の確保など難しい課題も、献身的な運営委員と協力して解決。勝利を目指すものや健康志向のものなど、子供からお年寄りまでが参加できる九種目をそろえた。 今後は、全種目を1か所で行うイベントを開いて会員同士の交流を促進するとともに、昨年復活した行徳マラソンをクラブの主催にするなどして活性化を図る予定。「会員が一人でも増え、地域住民に喜んでもらえるよう、スタッフ一堂努力していきたい」と意気込む。 学生や会社勤めのときは、水泳やバレーの選手として活躍。69歳のいまでも、ソフトバレーやユニホッケーを楽しむ。ジャズを聴くのも大好きで、特技の“トランペットの口マネ”を披露して“宴会部長”と言われたこともあるという。 行徳に住み始めた30年ほど前から、こども会会長やボーイスカウトの隊長、体育指導委員など、地域や子供たちの活動を続けている。これらの活動を通してできた地域の友達が、自身にとっての大きな財産。これからも、「普通に生活して、いい友達と楽しくやっていきたい」。 (2007年5月25日) MENUへ |